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2010年7月30日金曜日

日本のいちばん長い夏、キャスト

Buenos 日本のいちばん長い夏、キャスト
 「日本のいちばん長い夏」。
監督は倉内均さん。
 劇中、木場勝己さんがその役を務めました。

 ぼくの役は松本俊一さん。終戦時の外務次官。座談会当時は衆議院議員でした。
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1897年、広島県生まれ。東大法学部卒業後、外務省に入省。戦中は駐仏印大使としてサイゴンにいたが、鈴木内閣組閣時に呼び戻され、終戦時は外務次官として東郷外相を補佐。戦後は公職追放解除後に駐英大使を経て55年の総選挙で当選。日ソ交渉全権委員として復交交渉に携わった。87年、89歳で死去。
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 以下、主な配役です。

 迫水久常(さこみずひさつね/座談会当時は参議院議員)
  湯浅卓(ゆあさたかし/国際弁護士)
 岡本季正(おかもとすえまさ/座談会当時は国際文化振興会常務理事)
  青島健太(あおしまけんた/スポーツライター)
 大岡昇平(おおおかしょうへい/座談会当時は作家)
  林望(作家・日本文学者)
 今村均(いまむらひとし/座談会当時は旧陸軍軍人親睦団体・偕行社理事長)
  富野由悠季(アニメ映画監督)
 池田純久(いけだすみひさ/座談会当時は松竹株式会社顧問、歌舞伎座サービス会社会長)
  鳥越俊太郎(とりごえしゅんたろう/ジャーナリスト)
 徳川夢声(とくがわむせい/座談会当時は俳優・文筆家)
  立川らく朝(たてかわらくちょう/医師・落語家)
 有馬頼義(ありまよりちか/座談会当時は作家)
  島田雅彦(小説家)
 志賀義雄(しがよしお/座談会当時は日本共産党幹部・衆議院議員)
  田原総一朗(たはらそういちろう/ジャーナリスト)
 村上兵衛(むらかみひょうえ/座談会当時は評論家)
  市川森一(いちかわしんいち/脚本家)
 上山春平(うえやましゅんぺい/座談会当時は京都大学人文研助教授)
  山本益博(やまもとますひろ/料理評論家)
 会田雄次(あいだゆうじ/座談会当時は京都大学人文研助教授)
  江川達也(えがわたつや/漫画家)
 ルイス・ブッシュ(Lewis William Bush/座談会当時はNHK勤務)
  デイヴィッド・ディヒーリ(David d'Heilly/ジャーナリスト)
 扇谷正造(おうぎやしょうぞう/座談会当時は朝日新聞学芸部部長)
  松平定知(まつだいらさだとも/アナウンサー)

2010年7月28日水曜日

日本のいちばん長い夏、あらすじ

■ Buenos 日本のいちばん長い夏、あらすじ

ぼくが初めて役者として出演したテレビ番組+劇場映画「日本のいちばん長い夏」。
以下、あらすじです。
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平成22年(2010年)の夏、父の墓参りをするTV演出家の姿があった。
彼は父から戦争の話を聞いたことがない。
人生や生き方を語り合ったこともなかった。
昭和20年(1945年)に復員した父は、戦後どのような想いで生きていたのだろうか?

父の話を聞きたい……。

彼は今、終戦に関する“あること”を映像化しようとしていた。それは昭和38年(1963年)620日に催され、文藝春秋8月号誌上に掲載された座談会『日本のいちばん長い日』である。そこでは終戦時に政治や軍の中枢にいた者から前線の兵士、庶民まで28人が料亭「なだ万」の大広間にて一堂に会し、およそ5時間にわたり、それぞれが終戦について熱く語り合ったのであった。
一度は焼土と化した日本ではあったが、戦後奇跡的な復興を遂げ、昭和38年当時は高度経済成長を突っ走っている時期でもあった。団地が次々と建てられ、TVや電気冷蔵庫、車さえ庶民の手に届くようになった時代。翌年には東京オリンピックの開催も決定しており、まさに日本中が豊かさという御神体を担いだ祭りのような明るさの中にあった。

そんなときに、この座談会を企画したのは、当時文藝春秋編集部員だった作家の半藤一利氏であった。

演出家は半藤氏への取材を敢行し、同時に当時の座談会の再現を試みる。演じるのは俳優のみならず、現在第一線で活躍中の多くの文化人という異色のキャスティング。また撮影の合間には彼らにも取材を行い、それぞれの戦争観を問うていく。中には終戦時、まだ生まれていなかった者もいる。
ここで語られるモチーフは、「日本政府はなぜポツダム宣言を最初“黙殺”したのか?」
「ソ連を仲介とする和平工作の失敗から見えてくるものとは?」「ポツダム宣言受諾から815日の終戦までの経緯」「当時の庶民の生活や意識、また戦地の兵隊たちの想いとは?」さらには原爆投下、沖縄の惨劇など、議題は多岐にわたりながら、さまざまな立場、さまざまな世代による多角的な意見の交換は、やがて戦争の真実を露呈していく。

それは演出家にとって、果たせなかった父との初めての対話でもあった……。

2010年7月26日月曜日

日本のいちばん長い夏

Buenos 日本のいちばん長い夏
ぼくが初めて役者として出演したテレビ番組+劇場映画「日本のいちばん長い夏」。
いよいよオンエア+公開です。
2010年7月31日、20002150NHK-hiでオンエア。
87日から新宿バルト9、丸の内TOEI2ほか全国公開。
 公式サイトはここです↓。 概要をピックアップしますね。
 http://nagainatsu.jp/
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昭和38(1963)620日、東京の料亭「なだ万」に、日本を代表する知識人や政治家、官僚を含む28名の人々が集められた。
彼らは皆、戦争の過酷な体験を胸に秘めながら戦後の日々を生きていた。
そしてこの日、およそ5時間にわたって彼ら一人一人が語り明かしていく戦争の記憶は、ポツダム宣言に対する日本政府の対応から、原爆の投下、ソ連の参戦、そして終戦へと至る過程で起きた出来事を、それぞれの当事者たちの心理状態も含めて、次々と露にしていった。
時の日本政府がもっと慎重に対処していれば、広島と長崎の惨劇を免れることができたのではないか? ソ連の参戦を阻止することもできたのではないか? しかし、では、なぜそれが出来なかったのか? 28人それぞれから発せられる発言の数々は、そうした謎に応えつつ、聞く者を改めて痛恨の想いへと誘っていく……。

この一大座談会“日本のいちばん長い日"は『文藝春秋』8月号に掲載されるや、水面下で繰り広げられていた終戦の舞台裏を明らかにしたものとして大きな反響を集め、やがてこれを基に当時司会を務めた半藤一利氏(当時33歳・文藝春秋社員)の筆で、終戦秘話を描いたドキュメント小説『日本のいちばん長い日』が昭和40(1965)に出版(当時は諸事情で“大宅壮一編"として出版。現在は半藤氏の名義で“決定版"が再刊行されている)。翌年には、これを原作とする東宝“815"シリーズ第1作『日本のいちばん長い日』(岡本喜八監督)が公開され、大ヒットとなった。
やがて時が過ぎた平成19(2007)、この座談会は半藤氏の解説を加えて『日本のいちばん長い夏』(文春新書)として改めて出版され、終戦の真実を後世に語り継ぐ貴重な資料として再評価されている。

本作は、この座談会の再現を主軸にストーリーが展開していく。主人公はテレビ番組の演出家。彼は大胆にも、スタジオに建てられた料亭のセットに当代きっての文化知識人を一挙に集結させ、彼らを俳優として起用するという“文士劇"スタイルをもって当時の模様を再現しようと試みる。さらに彼は原作者でもある半藤氏や、集まった文化人たち個々にも撮影の合間を縫って取材を敢行し、それぞれの戦争観などを吐露させていく。

監督・脚本は映画『佐賀のがばいばあちゃん』を大ヒットさせ、日本中にブームを巻き起こした倉内均。戦後復員し、一度も戦争のことを語ることなくこの世を去った父への想いをこめて“日本のいちばん長い夏"を呼び起こし、その記憶を次世代へ受け継がせていく。
彼の分身ともいえる主人公の演出家=“私"に扮するのは名優・木場勝己。座談会司会の半藤氏を演じるのは『光の雨』『カナリア』など20世紀の日本を見据えた社会派問題作への出演も多い個性派・池内万作。そして座談会出席者を演じるべく一堂に会した文化著名人たち、その豪華な顔触れから醸し出される不可思議なリアリティは、単なる興味本位の域を優に越えた独特の映画的興奮として昇華され、画面から発散されている。

 親から子へとバトンタッチされていくべき戦争の記憶。そのバトンは今、私たちの手にある…。

2010年7月24日土曜日

安心ネット協 2010

Kids 安心ネット協 2010

 6月、安心協の総会が開催されました。
 アンシンキョウと言うと宗教団体に取られることもあるのですが、正しくは「安心ネットづくり促進協議会」。青少年が安心してネットやケータイを使える環境を整えるための産学連携の団体で、ぼくが世話人になって20092月に発足したものです。その顛末は3話にわたって以下に書きました。

 総会の模様を報告します。
 まずは1年続けた活動の総括。209の会員により、普及啓発と調査企画の2本立てで活動を進めました。
 普及啓発として、各種シンポジウムを開催。開催後の参加者アンケートでは、「保護者が自ら学ぶことが重要」「家庭でのルールづくりの認識」について、7〜8割の高い理解が得られた一方、「規制でケータイを持たせない」という意見は0〜1割にとどまり、国民一人ひとりが考えるという目的に沿った成果が上がりつつあると見ます。
 「もっとグッドネット」ポータルサイトも立ち上げ、Googleページランク7の評価を得ていますが、まだまだアクセス数が少なく、プレイアップが課題となっています。
 調査企画としては、暴力・いじめ、性行動、自殺、依存をテーマにした調査、児童ポルノ対策の検討、コンテンツレイティングの実証実験、コミュニティサイトの検証などを進めてきています。
 そして本年度の事業計画。
 ぼくが担当する普及啓発では、「もっとグッドネット」ポータルサイトの機能拡充と利用促進、情報共有・連携機会の強化、地域の啓発活動の増強を進めます。
 調査企画では、違法有害情報の分野別影響調査、ブロッキング策など児童ポルノ対策の検討、コミュニティサイトの検討を進めます。

 総会後、「デジタルネイティブ世代の教育論」と題し、パネル討論を行いました。
 日本PTA全国協議会の曽我顧問、新宿区四谷中学校の吉田校長、ソフトバンク社長室の嶋室長。ぼくが司会を務めました。保護者、学校、事業者という立場からのクロストークです。
 協議会の活動は及第なのか。保護者、学校、産業界の取り組みは十分なのか。出会い系、いじめなどの状況は改善しているのか。条例などの規制を求める声はこれからも続くのか。今後、何をしなければならないのか。
 議論を通じて感じたのは、こうした問題がクローズアップされて以来、産業界も、学校も、保護者も取り組みを強化しているのだが、3つのジャンルの連携が不足しているということ。これは安心協の仕事ですね。
 行政対応も、内閣府、総務省、経産省、文科省、警察庁と多岐にわたり、地方自治体や教育委員会も関係します。連携すべき面も多い反面、敢然と反論し、場合によっては施策を阻止する活動を行うこともあり得ます。
 世間を覆う不安感を安心感に転換していくのは並大抵の仕事ではありません。腰を据えて、時間をかけて進める運動です。
 また、同時に、デジタル教科書運動に代表されるように、子どもたちをデジタル環境、ネット環境に触れさせようとする動きも本格化してきました。こうした運動と安心協の活動を連動させることも本年度の課題です。

2010年7月22日木曜日

コミュニケーション能力ギャップ


Buenos コミュニケーション能力ギャップ

文部科学省「コミュニケーション教育推進会議」で配られた資料に気を引くデータがありました。
コミュニケーション能力が大問題、という提起です。
学生たちは対人関係に悩み、そして企業は採用に当たってコミュニケーション能力を最重視。
それに対し、コミュニケーション能力を高める教育が提供されていません。
役所の資料に珍しくピクっと来たので、ピックアップしてメモ。

○生活習慣(義務教育に関する意識調査)
平日の24時以降に就寝する割合は小学校6年で1割、中学校2年で5割。
休日にテレビやビデオ・DVD3時間以上視聴する子どもは小学生で4割、中学生で5割。
肥満傾向の子どもが増加しており、小学校6年では1982 7.1%→2005 10.2%。
痩身傾向の子どもも増加しており、小学校6年では1982 1.4%→2005 3.5%。

自己評価
「物事に積極的に取り組むほうだ、リーダーシップを取るのがスキだ、自分の欲望をコントロールするほうだ、よく勉強をするほうだ」を回答した割合が日本は米中より低い。(高校生の学習意識と日常生活調査報告書)
「自分に自信がある」と答えた小学生は1999 56.4%→2007 47.4%。中学生は41.1%→29.0%。(低年齢少年の生活と意識に関する調査報告書)
「勉強や進学について悩みや心配事がある」と答えた中学生は1995 46.7%→2007 61.2%。(低年齢少年の生活と意識に関する調査報告書)
「友達や仲間のことで悩みや心配事がある」と答えた中学生は1995 8.1%→2007 20.0%。(低年齢少年の生活と意識に関する調査報告書)

対人関係
高校を中退する理由。「人間関係がうまく保てない」7.6%>「学力不振」7.3%。(児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査)
大学における相談内容。「対人関係」79.3%>「進路・就職」29.9%>「経済的問題」12.5(大学、短大、高専における学生支援の取組状況に関する調査)
高専における相談内容。「対人関係」86.9%>「進路・就職」42.6%>「経済的問題」3.3%(大学、短大、高専における学生支援の取組状況に関する調査)

新卒採用
20103月新卒採用:選考に当たって重視した点
 コミュニケーション能力 81.6%>主体性60.6%>協調性50.3%>チャレンジ精神 48.4%>学業成績 5.4%(!)>出身校 3.9%(!)
(経団連アンケート調査)

2010年7月20日火曜日

ドン!ドル!ドン!

■Buenos ドン!ドル!ドン!
 青々と広がる田んぼ、点在する沼、ゆっくりと横切りかいがいしく働く牛たち。垂れ込めた湿気の中たくさんのコメが育つ。
 ハノイの街に入る。オペラ・ガルニエを模した劇場。ノートルダムに似た聖堂。喧噪に不似合いな洋風の住宅。フランス統治の名残がところどころ。
 自転車リヤカー「シクロ」に乗ってみる。2ドル。4万ベトナム ドン。
 歩道にはしゃがみ込むように低いイスに腰掛け、ベンチに置いた弁当を食う若者たち。地べたに尻をついて炊飯器を囲む家族。コメ食うひとびと。犬。猫。歩道は彼らに占拠され通れない。見上げると、おびただしい電線。一部が切れて地面に落ちているのがある。



 向こうから押し寄せる無数のバイク。無意味なクラクション。横を駆け抜けたバイク3人乗りは子どもじゃなかったか?ベトナム戦争の記録映画でよく見る傘をかぶり、肩にかついた棒で前後のカゴを運ぶ老女。中には大きな瓜とパパイヤ。
 アジアだ。
 低く濃灰色の雲が被うホアンキエム湖の周りはマラソン大会。緑色の制服を着た大勢の警官が沿道で所在なげに突っ立っている。その横には、太い竹パイプに火をつけて、吸っては吐く老人たち。通過する走者たち。赤、青、黄のユニフォームをまとった走者たち。その半数は裸足だ。走れ、走れ。



 異国に来ると、街のサイネージやマンガ・アニメを点検して回るのが仕事だが、今回は解説すべきこともないので、少年タケシ「それでもポップか!」風にスケッチします。

 ハノイ在住のアインさんは言う。
「日本? 知ってるよ。ドラえもん、ドラゴンボール、コナン、ナルト、ポケモン。ファイナルファンタジー、ドラクエ。」
 すらすら出るね。テレビドラマは?
「うーんと。 おしん。ぐらいかな。韓国ドラマのほうが見るね。」
 有名な日本人って誰だろう?
「ヒデトシ・ナカタ。誰でも知ってるよ。」
 そうなの?ぼくが10年前にモロッコ行ったときも、ナカタナカタって現地の若者が寄ってきたけど、まだ日本はナカタで食ってるのか。10年間、ヒーローを生んでないってことか。

 路上の市場は一人通るのがやっとだ。
 そこをおかまいなしにバイクが侵入し、音をたてて客を蹴散らす。
 モロッコの市場、狭い通路をロバの楽隊が全速力で駆け抜けていたことを想い出す。
 彩とりどりの果物。
 ドラゴンフルーツ、ライチ、ドリアン。
 水をなみなみと張った桶には、スズキ、雷魚、うなぎ、ナマズ、スッポン。
 ウズラ、カエル、豚足。
 果物も野菜も魚も獣も、目の前で鮮やかにかっさばく。
 皮をむき、ぶつ切りにし、そのまま買われていく。
 高温多湿の空気、天井をなすようにうっそうと上部を被う熱帯樹が作り出す影の下、それらがみな新鮮で、みずみずしく、清潔で、元気。

 いいぞ、アジア。

 もう晩だというのに、家電店には大勢の人だかり。
 炊飯器売り場がやたら広い。たくさんのコメが食べられる。
 スーパーの入口にはアッパッパーを着た60前後のおばさんたちが大声でもめている。
 ドン!ドル!ドン!ドル!ドン!

 元気だなぁ。アジアだなぁ。
 近づいてみると、つぶさに声が聞こえる。
「えーこれドンちゃうの!」
「ドルや言うてるやんか!」
「ドンやないと使われへんみたいやで!」
「そやからドル換えとき言うたやんかドンに!」
 ありゃ。
 大阪のおばさんたちでんがな。

 ドンならんな。

2010年7月18日日曜日

初めての日本語YAOI -2

■Pop  初めての日本語YAOI   -2
BDは今でも作家一人で作り込むんですと。
でも日本マンガは漫画家と編集者の共同作業で作ります。
今から50年前、サンデーやマガジンという週刊マンガ雑誌が登場しました。
だから日本では、出版サイクルがとても短い。しかもマンガ需要が高かったから、作品を爆発的に量産します。
そのクォリティを保つために、プロの編集者が入って、共同作業で大量生産するシステムができあがってきたんですね。

そんなシステムが、マンガ喫茶のような派生文化も生んでいます。
ソルボンヌ大学のそばにできた、フランス初のマンガカフェをのぞいてみました。
主人、日本に来たこともなく、空想で、マンキツを作ったそうです。
どうりでちょいとヘン。壁にイラストが描いてあって、エロっぽいソファが置いてあるオープンスペース。
ま、いいか。
にしても、ほとんどの商業単行本がフランス語訳されてるんじゃね?
「闇金ウシジマくん」やら「ボボボーボ・ボーボボ」やら。こんなのフランス人読むんですか?
主人、それには答えず、日本のオリジナルマンガコレクションをみせびらかそうとする。
いやいやそっちはオレら毎週読んでるんだけどさ。自慢したい気持ちは受け取るけどさ。
なんだかフランスと日本って近いものがありますね。

ぼくはパリに住んでたことがあります。33歳から35歳にかけて。
オランダ人のゴッホも33歳から35歳までパリにいたんですと。
その年頃の人っていうのは、そういう怪しい街に惹かれるものなのかもしれない。
彼が広重の模写で見せた構成と輪郭線。日本にあこがれていたんだなぁと思います。
37歳で死んじゃうんですが、10年の画家生活で、油絵900点、デッサン1100点、合計2000作品を残しています。
2日で1枚! 爆発力あるなぁ。
スペイン人ピカソに至っては、92年の生涯で、13,500点の油絵素描100,000点の版画34,000点の挿絵300点の彫刻陶器を制作したといいます。単純に合計15万点。生涯1日平均4点を超える。すさまじい。
爆発力。
日本にしろフランスにしろどこにしろ、それは文化の重要なポイントなのですな。

2010年7月17日土曜日

初めての日本語YAOI -1

Pop 初めての日本語YAOI    -1
 エッフェル塔をはさむセーヌ沿い、パリ市立近代美術館。
 美しく修復されたフレスコ壁画「電気の精」を見上げる。
 爆発的なビジョン。ポップでカラフルとってもスキ。
 ラウル・デュフィが1937年の万博を記念して描いてから70年余り。
 電気は水のように流れ、おかげでテレビもネットもケータイもゲームも行き渡りました。

2010年7月15日木曜日

ユビキタス・サイネージ

Net ユビキタス・サイネージ
 今、街はデジタルサイネージで埋め尽くされようとしています。銀座。「ニコラス・G・ハイエック センター」吹き抜けには、28台のディスプレイが縦4列に配置されています。「シャネル・ビル」は、壁面全体にアート表示。雨の日は傘が降ってくるといった映像を放映しています。お台場のパナソニックセンターでは、壁が一面ディスプレイになっていて、身振りで操作できるインタフェースを備えています。

 ヨーロッパではこうした建築物の表面を使ったビデオ映像による表現が「メディア・ファサード」いうジャンルを形成しており、アートフェスティバルも開催されています。建築の一部としてサイネージが組み込まれ都市の景観を形作っていくというのが当たり前になるでしょう。

 屋内も同じ。台所もメディア化します。冷蔵庫もオーブンもみなディスプレイを備えるサイネージとなります。調理台の上にはCG映像が投影され、スープに入れるニンジンのきざみかたを教えます。グラタンをオーブンから取りだす手袋は温度を感知して焼き加減を声で知らせます。

 スーパーでは、電子POPに「ラム肉が入りました」と掲示されます。ラム肉が入荷されたことをシステムが知っていて、私がラム好きであることも知っていて、私が来たことを感知したからです。バーでは、以前ボルドーを注文した私に、新入荷のボルドーがあることをカウンター上に表示します。トイレでは糖分とりすぎ注意という警告が便座のヨコに映し出されます。

 ウェアラブル・コンピュータで、目の前にあるレストランに空席のあることがメガネに表示されます。目の前にいる人の顔をカメラでとらえて、ネット上のデータベースから、その人のプロフィールや、過去に受け取ったメールや、関連ウェブサイトを示します。えっと、どちらさんでしたっけ、というバツの悪い思いはしなくて済むようになります。

 行き着く先は、「デジタルサイネージがなくなる」ということです。すべてのメディアがデジタル化すれば、デジタルと呼ぶことはなくなります。電気冷蔵庫が普及して、氷の冷蔵庫がなくなると、電気が取れて「冷蔵庫」となりました。白黒テレビがなくなると、カラーテレビは単なる「テレビ」となりました。デジタルサイネージはいずれ「サイネージ」とだけ呼ばれます。
 
 そして、すべてのモノがメディア化し、五感サイネージとなります。そうなると、もはやサイネージはサイネージとして意識されなくなります。今は「目立つ」ためのメディアですが、いずれは人間社会に自然に溶け込んで「目立たなく」なっていく。長期的には、そのようなことも模索されていくはずです。

2010年7月14日水曜日

五感サイネージ

Net 五感サイネージ
 デジタルサイネージは、映像だけが相手ではありません。音も扱います。タッチパネルは触覚も扱います。嗅覚や味覚も対象となり得えます。五感を対象とするメディアなのです。

 案外、音はサイネージにとって重要です。超指向性の音響装置を使えば、ここだけあなただけの聴覚サイネージができます。店の中で「今日は卵が安いよ」とフトささやかれたら、立ち止まるのは確実。映像で見せられる以上に効果があるでしょう。

2010年7月12日月曜日

ディスプレイとインタラクティブ

Net ディスプレイとインタラクティブ
 デジタルサイネージの技術は、特にディスプレイとインタラクティブの面で進展が著しい。
 ディスプレイ技術としては、巨大LEDや極小バッジ大の画面の開発。大きくしたり小さくしたりするほか、超薄型のパネルやフィルムも開発されています。円柱型で360度から見られる画面、めがねなし立体表示、自販機向けタッチパネル装置など、着々と実用化されています。

2010年7月10日土曜日

化粧した北京-2

Buenos 化粧した北京-2
 工場から仕事を終えた制服の女工が行列で出てきました。
 ツバを吐く女。若いスッピンの女。道ばたに座り込む女。
 満たされない昭和30年代を連想します。
 しかし道路には、ワーゲンが走り、トヨタが走り、FIATが走り、シトロエンが走ります。
 ケータイの巨大な電波塔があちこちに見られます。
 五輪のため街を化粧して化粧して。きれいになりました。

2010年7月9日金曜日

化粧した北京-1

Buenos 化粧した北京-1
 父だろうか。肩車をされている。
 日の丸の小旗を振っている。
 目の前を、聖火ランナーが左から右に走っていった。
 家に戻ると、飼い猫が死んでいた。
 これがぼくの最初の記憶。
 1964年、昭和39年、東京五輪の少し前。3歳でした。