■心に残るマズかったもの上位3つ。
1. ハーバード大学博物館のパーティーで出されたクランベリースパゲティ。
2. ロンドン、コヴェント・ガーデンのパブのブラックプディング。
3. 北京、場末の地下街で出された素性の知れない川魚の水煮。
米英中、3つとも仕事での食事でありました。思い起こします。
1.
セガ大川会長がMITに37億円の個人寄付をしてメディアと子どもの研究センターを作ることになり、ぼくはプロジェクト担当として客員教授に就任、皮切りにMITに世界から子どもを招いて「ジュニアサミット」を開催することになった。1998年11月。歓迎食事会がハーバード大学の博物館ホールでおごそかに開かれた。米側はMITヴェスト学長、メディアラボ ネグロポンテ所長ら。日本からは大川軍団たる秋元康さん、西和彦さんら。
ぼくはヴェスト婦人と秋元婦人に挟まれて着座した。まだ住まいを探している最中で、ヴェスト婦人は懇切に相談に乗ってくださった。秋元婦人も美しい気さくなかただと思ったが、宴会後、高井麻巳子さんという超有名なかたと知った。上級の民が集い、米国が威信をかける荘厳な場である。
宴が始まり、個性のないスープに次いで、それは現れた。白地スパゲティの上に、とろりとしたショッピングピンクが乗った一品であった。荘厳に口に運んだ。なんか甘い。何のソースですか?ヴェスト婦人「クランベリー。」田舎者に含めるように、いつものおいしいやつよ的に教えてくださった。なるほどコレがボストンのおいしいやつなのだな。上級の威信だな。ぼくもおいしいと思うぞ、思うことにするぞ。
少し離れた席で、大川さんの三男がつぶやいている。「コレは、本気か?」「ホンマにこの味 出しとうて こうなったんか?」笑いながらの関西弁なので、周りの上級アメリカ人はにこやかにしている。王様は裸だ、言うたはるんやんか。そうか、そうやんな。本気の威信で、マズいんや。
以後、クランベリースパゲティを見つけるたび、注文する。コレは、本気か?と笑いながら喰う。
注:ナパのワインがとても美味しかったのも覚えています。たぶん大川さんの畑のブドウ。
2.
2007年1月。政府・知財本部の調査団で渡欧した。通信・放送融合を阻害する日本の制度を直すための海外比較調査のため。当時もう欧米ではテレビのネット配信は本格化していたが日本はまだどこも動いていなかった。融合を唱えるぼくは民放連出禁をくらっていた。ネックの一つが放送と通信を厳密に区別する著作権制度で、どうにかしたかった。調査は綿密に済んだが、NHKが同時配信を可能とし、著作権制度も変えるには、それから10年以上を要した。
それよりメシである。まずミラノやローマの食堂で、前菜・メイン・デザートをぼくはパスタ・パスタ・パスタで攻め上機嫌となり、パリで仔牛の腎臓や頭を満喫して、ロンドンに入った。中華やインド料理がウマいことは知っている。でもせっかくだから、イングランドでしか食えないものがいい。マズいもの一択でよかろう。
そこで調査団員のみなさんと、いかにもマズそうなパブを見極めて入った。そして、めいめい違うものをオーダーし、一等マズいものを頼んだヤツの勝ち勝負を挑んだ。ビーフパイ、フィッシュ&チップス、ソーセージ、焼きトマト、豆のどろりとしたやつ、いろいろマズげな面々がいたが、コレはと睨んでぼくが攻めたブラックプディングが一等マズかった。てゆーか、いちばん味がなくて、パサパサほげほげとおかしげな食感だけが主張する。同じ 血のソーセージでも、フランスのウマいブーダンノワールとなぜ違うのか。他の品はまぁまぁ食えてしまった。どや、堂々たる勝利である。
以後、英国でブラックプディングを見つけるたび、注文する。ホテルの朝食ビュッフェではそればかり喰う。オレ様が一等マズいと胸を張る。
注:タリスカーがとてもマッチしたのも覚えています。その後タリスカ隊を結成し、東京でずいぶん飲みました。
3.
これも2007年。翌年、北京五輪が開かれる。鳥の巣と呼ばれる北京国家体育場は完成が遠そう。周りも工事ばかりだが、工夫の動きは鈍く、タバコ吸ったり道に座っていたりやる気が感じられない。ゆるいかんじ。国の首脳と人民の温度に差があるのだろう。
盧溝橋の中国人民抗日戦争記念館を訪れた。日本軍はかくも悪辣、残虐なことを中国にしでかした。鬼畜!ということを示す絵画や写真が所狭しと埋められ、オドロオドロしい気が漂っている。この国の子たちはこういう教育、洗脳を浴びて育つ。やれやれ。
出口の売店に行くと、パアッとした気が漂っている。馴染のある品が並んでいる。テニプリのキーホルダーやキティちゃんのグッズ。などなどなど。なんだ!諸君は、スキなのね。日本は悪い軍事から、憧れの産業から、スキな文化の国に移行した。諸君は、人民は、わかっているのね。首脳はどう見ているのかね。
気を良くして同僚とメシ。だがB級しばりの私としては場末がよい。地下街に入り、老夫婦が営む店に入ってみた。むろんメニューは中国語だけで、写真などない。簡体字で、だいぶわからない。エイヤで頼んでみる。何が来るやら。闇鍋のようなものだ。でも北京だ。ウマいはずだ。
現れたのはアルミ鍋。大ぶりの、フナのような、スズキにも似た、黒めの魚が一尾、悠然と水に入っている。何か野菜もあったかもしれないが覚えていない。オヤジが火にかける。超シンプルなアクアパッツァだ。煮えたので、食ってみる。アハ、超シンプルな無味だ。清い水だ。出汁もない。川魚の臭みしかない。
塩。通じない。ソルト。通じない。塩という字を書いてみる。通じない。振って、ナメて、しょっぱい仕草。通じない。奥から奥さんも出てきたが、わからない。まぁいいや、店内にある酒を片っ端から頼んで、流し込む。
中国にはその後何度もとびきりのガチ中華をいただいたが、コレが最も心に残った。
その後大学の事情でぼくは中国語を学び始め、今後はこのようなことは起こるまいと思う。
注:安物のコーリャン酒がパンチありすぎで、魚はチェイサー代わりと位置づけられました。
こういう貴重な経験は、フランスやイタリアやスペインや日本では得られないものです。ありがたいことです。
でもこれを超える体験をどこか待ち望んでおります。





