■45年後の「巨人の星」
年越しはインド・コルカタでした。
宿のテレビをつけたら、「SURAJ」(スーラジ)が始まりました。インド版「巨人の星」。
前の週に開催された知財本部コンテンツ専門調査会の新ラウンドで、初参加された講談社野間社長が新しいクールジャパンのモデルとして紹介していました。
アニメ「を」売る、から、アニメ「で」売る。
そのスポンサーはスズキ、ANA、ダイキン、日清食品。
クルマや旅行、クーラーやインスタント食品。
昭和40年代にぼくらが憧れた暮らしを、アニメを通じてインドにも届けます。
SURAJは野球ではなく、クリケットの物語。
重いコンダラも、オロナミンCのCMも出てきません。
でも父親は食卓をひっくり返してくれるし、いきなり養成ギブスも出てくるし、長髪のライバルは高級車(スズキ)に乗ってるし、だとすればいずれ魔球も登場し、オーロラ三人娘も現れるかしら。
大リーグのオズマ役は、クリケットの本場イギリスからやってくるのかしら。
45年後の巨人の星。
日本での放映は68年~71年。
思い出します。
68年の夏。当時通っていた小学校の裏手にあった静岡商業高校、1年生本格左腕エース新浦寿夫。安倍川沿い、台風のたびに流されてしまうバラックの集落のヒーローは、甲子園決勝に進み、大阪・興国高校に1-0で敗れた。
事情があり、1年生で巨人軍に入団。
まるで巨人の星そのままです。
ぼくは学校の図画の時間、甲子園準優勝で市内パレードした新浦さんの絵を描いたことを覚えています。
そのとき背番号を甲子園エースナンバー1ではなく、飛雄馬の16にしました。
巨人の星は、身近な現実でした。
由紀さおりさん「1969」が米iTunesジャズチャート1位を獲得しました。
69年にデビューし、40年ぶりにそのまま世界に飛び出した。
それが喝采を浴びたのです。
巨人の星と由紀さおりさん。
同時代のアニメと歌謡曲、この日本メインカルチャーを代表する2ジャンルが今になって世界に出て行くのは偶然ではありますまい。
当時のギラギラしたエネルギーの発露が、もはや国内に置き所がなく、外に場を求め、外からも評価される。
それなら、まだまだネタはありましょう。
当時、ぼくらは夢を描いていました。
子どもは高度成長なんて言葉は知りませんでしたが、オリンピックや新幹線から4年後、八木治郎「大阪万国博覧会を再来年に控えてお届けする万国ビックリショー」というインド人が剣を飲み込む番組もこれあり、未来は明るく開かれている高揚感がありました。
ただし、オリンピックの年には、芦屋雁之助さんが飛び上がって「インド人もビックリ」というSBカレーのCMがあり、72年にはインドの山奥で修行するレインボーマンがオンエア。
子どもにとってインドは遠く、うさんくさい存在でありました。
45年の間に日本はアズナンバーワンに成長し、弾け、20年を失い、衰退と言われるまで浮き沈んでいます。
インドはどうでしょう。
バンガロールのITベンチャーのように、45年前の日本を凌ぐ世界最先端の輝きをもつ分野があります。
2030年には12億人と世界一の人口をもち、国際社会への発言力が増すことも予測されています。
一方、現実に転じれば、特にコルカタという特殊な街では、当時の日本にはもう見られなくなっていたすさまじい格差があります。
終戦直後のヤミ市でもここまではと思わせる壮絶な雑踏。
腕のない物乞いの老女。
足を切り落としたと思われる物乞いの子ども。
すわり小便をする男。
うろつく犬、犬、犬。
路上に生まれ、路上に暮らし、路上に死んでいく人が数百万人と言われるコルカタ。
歩道が住まいと化していて、人が寝たり談笑していたりするだけでなく、炊事も洗濯もおかまいなしなので、街を歩くには人様の住まいに入り込んでいくしかありません。
バングラデシュ難民が入り込み、インドの中でも最も雑然としたエネルギーを発散するコルカタです。
それでもどうやら成長しているようです。
70年代や80年代に書かれた旅行記には、野良牛やリキシャ(人力車)のことが数多く描かれています。
しかし、つい最近までいたという野良牛は姿を消していました。
牛は神聖で殺せず困惑していたところ、数が増えすぎ、行政が乗り出して、遠くに収容したそうです。
リキシャは97年に新ライセンスを停止し、いずれ消えゆく運命です。
代わりにレトロなデザインの黄色いおんぼろタクシーがあふれていました。近代化は進みそうです。

18世紀にはまだ虎やヒョウがいたというモイダン公園では、おびただしい数の人たちがクリケットに興じています。
大人に混じり、多くの少年たちが瞳を輝かせています。
SURAJを見て、プロ選手を夢見て、魔球を編み出そうとする、45年前のぼくらのような連中。
君たちは、開かれた高揚感を共有しているでしょうか。
コルカタのシネマテークでは、子ども映画フェスタが開かれていました。
海外の優れた作品が上映され、子どもの視線を開いていました。
子ども博物館には、世界の人形が展示され、これも外に目を向けさせていました。
しかし、TIMES of India紙の元日号では、一面で「21世紀生まれがティーンズ入りしてフェイスブックに参加、社会に軋轢が起きるだろう」と論じています。
デジタルはここにも急速に浸透します。
巨人の星が45年かかったのと対称的に、ITは瞬時にして、インドも日本も同時に若い世代を塗り込めます。
インドは巨人の星を消化し、成長を謳歌するでしょうか。
デジタル化が近代化を促すでしょうか。
あるいは、グローバル化や民主化の圧力が混乱と社会不安を増長するでしょうか。
ぼくにはわかりません。
ただ、45年後とは言わず、数年後、インドの子どもたちにとって、日本が遠く、うさんくさい存在になっていないことを願います。
年越しはインド・コルカタでした。
宿のテレビをつけたら、「SURAJ」(スーラジ)が始まりました。インド版「巨人の星」。
前の週に開催された知財本部コンテンツ専門調査会の新ラウンドで、初参加された講談社野間社長が新しいクールジャパンのモデルとして紹介していました。
アニメ「を」売る、から、アニメ「で」売る。
そのスポンサーはスズキ、ANA、ダイキン、日清食品。
クルマや旅行、クーラーやインスタント食品。
昭和40年代にぼくらが憧れた暮らしを、アニメを通じてインドにも届けます。
SURAJは野球ではなく、クリケットの物語。
重いコンダラも、オロナミンCのCMも出てきません。
でも父親は食卓をひっくり返してくれるし、いきなり養成ギブスも出てくるし、長髪のライバルは高級車(スズキ)に乗ってるし、だとすればいずれ魔球も登場し、オーロラ三人娘も現れるかしら。
大リーグのオズマ役は、クリケットの本場イギリスからやってくるのかしら。
45年後の巨人の星。
日本での放映は68年~71年。
思い出します。
68年の夏。当時通っていた小学校の裏手にあった静岡商業高校、1年生本格左腕エース新浦寿夫。安倍川沿い、台風のたびに流されてしまうバラックの集落のヒーローは、甲子園決勝に進み、大阪・興国高校に1-0で敗れた。
事情があり、1年生で巨人軍に入団。
まるで巨人の星そのままです。
ぼくは学校の図画の時間、甲子園準優勝で市内パレードした新浦さんの絵を描いたことを覚えています。
そのとき背番号を甲子園エースナンバー1ではなく、飛雄馬の16にしました。
巨人の星は、身近な現実でした。
由紀さおりさん「1969」が米iTunesジャズチャート1位を獲得しました。
69年にデビューし、40年ぶりにそのまま世界に飛び出した。
それが喝采を浴びたのです。
巨人の星と由紀さおりさん。
同時代のアニメと歌謡曲、この日本メインカルチャーを代表する2ジャンルが今になって世界に出て行くのは偶然ではありますまい。
当時のギラギラしたエネルギーの発露が、もはや国内に置き所がなく、外に場を求め、外からも評価される。
それなら、まだまだネタはありましょう。
当時、ぼくらは夢を描いていました。
子どもは高度成長なんて言葉は知りませんでしたが、オリンピックや新幹線から4年後、八木治郎「大阪万国博覧会を再来年に控えてお届けする万国ビックリショー」というインド人が剣を飲み込む番組もこれあり、未来は明るく開かれている高揚感がありました。
ただし、オリンピックの年には、芦屋雁之助さんが飛び上がって「インド人もビックリ」というSBカレーのCMがあり、72年にはインドの山奥で修行するレインボーマンがオンエア。
子どもにとってインドは遠く、うさんくさい存在でありました。
45年の間に日本はアズナンバーワンに成長し、弾け、20年を失い、衰退と言われるまで浮き沈んでいます。
インドはどうでしょう。
バンガロールのITベンチャーのように、45年前の日本を凌ぐ世界最先端の輝きをもつ分野があります。
2030年には12億人と世界一の人口をもち、国際社会への発言力が増すことも予測されています。
一方、現実に転じれば、特にコルカタという特殊な街では、当時の日本にはもう見られなくなっていたすさまじい格差があります。
終戦直後のヤミ市でもここまではと思わせる壮絶な雑踏。
腕のない物乞いの老女。
足を切り落としたと思われる物乞いの子ども。
すわり小便をする男。
うろつく犬、犬、犬。
路上に生まれ、路上に暮らし、路上に死んでいく人が数百万人と言われるコルカタ。
歩道が住まいと化していて、人が寝たり談笑していたりするだけでなく、炊事も洗濯もおかまいなしなので、街を歩くには人様の住まいに入り込んでいくしかありません。
バングラデシュ難民が入り込み、インドの中でも最も雑然としたエネルギーを発散するコルカタです。
それでもどうやら成長しているようです。
70年代や80年代に書かれた旅行記には、野良牛やリキシャ(人力車)のことが数多く描かれています。
しかし、つい最近までいたという野良牛は姿を消していました。
牛は神聖で殺せず困惑していたところ、数が増えすぎ、行政が乗り出して、遠くに収容したそうです。
リキシャは97年に新ライセンスを停止し、いずれ消えゆく運命です。
代わりにレトロなデザインの黄色いおんぼろタクシーがあふれていました。近代化は進みそうです。
18世紀にはまだ虎やヒョウがいたというモイダン公園では、おびただしい数の人たちがクリケットに興じています。
大人に混じり、多くの少年たちが瞳を輝かせています。
SURAJを見て、プロ選手を夢見て、魔球を編み出そうとする、45年前のぼくらのような連中。
君たちは、開かれた高揚感を共有しているでしょうか。
コルカタのシネマテークでは、子ども映画フェスタが開かれていました。
海外の優れた作品が上映され、子どもの視線を開いていました。
子ども博物館には、世界の人形が展示され、これも外に目を向けさせていました。
しかし、TIMES of India紙の元日号では、一面で「21世紀生まれがティーンズ入りしてフェイスブックに参加、社会に軋轢が起きるだろう」と論じています。
デジタルはここにも急速に浸透します。
巨人の星が45年かかったのと対称的に、ITは瞬時にして、インドも日本も同時に若い世代を塗り込めます。
インドは巨人の星を消化し、成長を謳歌するでしょうか。
デジタル化が近代化を促すでしょうか。
あるいは、グローバル化や民主化の圧力が混乱と社会不安を増長するでしょうか。
ぼくにはわかりません。
ただ、45年後とは言わず、数年後、インドの子どもたちにとって、日本が遠く、うさんくさい存在になっていないことを願います。





















