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2012年8月30日木曜日

行こうよ、マル研。

■行こうよ、マル研。
  大阪、キタ。学生のころ毎日のように通った阪急かっぱ横丁と古書のまちを久しぶりに訪れました。変わりまへんな、ここは。でも、大阪駅がガラッと変わっていました。おびただしい数のサイネージに伊勢丹。川崎ゆきおが描いた昔の大阪はクサかったのに、近代的にならはって。ええもん残しながら発展しとくんなはれ。
 「マルチスクリーン型放送研究会」、通称マル研。在阪のテレビ局が中心となったコンソーシアムで、スマートテレビの実証実験を試みています。日本型の放送・通信融合モデルを作る。ラジオのIPサイマル放送「radiko」が大阪発でスタートし、全国に発展して行ったのと似た取組です。大阪から全国を変えるのは、橋下さんより放送局のほうが先や! (さっきゃ!、と読む。)ぼくはradikoの顧問を務めていましたが、マル研も顧問です。その総会がキタで開かれたのです。

 スマートテレビへの期待が高まっています。ぼくが関わったものだけでも、春のNHK放送記念日番組はスマートテレビ特集でしたし、民放連ネットビジネス研究会もそこに焦点を当てて1年以上議論してきました。今年の情報通信白書でも情勢分析をしています。
 でも未だ概念はハッキリしません。マルチスクリーン+クラウドネットワーク+ソーシャルサービスの交差点でテレビが叫ぶ解であるはずなのですが、それにしてはプレイヤーが多彩で、いろんな声が出ています。GoogleAppleが言うスマートも、NHKハイブリッドキャストのスマートも、「もっとTV」や「nottv」のスマートもみなまるで違います。
 いやその前に、日本型のスマートっぽいテレビもありました。ウェザーニュースは、BSもブロードバンドもモバイル通信網も使ってTVPCやケータイに番組を伝送し、さらに全国のユーザからケータイでお天気情報をアップさせるソーシャルでマルチスクリーンなモデルを作り上げています。ニコ動はブロードバンドで日本型オーバーレイ歌ってみた踊ってみた文化を築きました。
 チャンスだと思うのです。ブロードバンドや緻密な地デジの整備、映像産業力のテレビ局への集中といったメディア産業構造に加え、いやそれ以上に、ユーザのソーシャル力がハンパない環境がです。ツイッターのCEOが来日し、「バルスすげー」と吐露したスマートテレビ利用潜在力をかみしめたい。ウェザーニュースもニコ生も、だから初音ミクも、その力が生んだのです。

 で、マル研。今ぼくはこれに最も期待を寄せています。在阪の5局が束になって、具体像を作ろうとしてるんですよ。在阪5局って、あんがい仲良し。技術が仲立ちすると。今回のデモは、高校野球。番組中継は大画面のテレビのままで、手元のタブレットでは選手のデータや視聴者のメッセージが表示されています。テレビ画面は通常の地デジ。タブレットにはIPDCです。
 アメリカ、特にGoogleAppleはテレビの画面にネットが侵入するオーバーレイ型を志向しています。放送とネットのコンテンツが混在するというか、放送vsネットの構図。マル研はテレビ局主導なので、テレビ画面は汚さない。ダブル、トリプルのタブレットやスマホに新領土を築きましょうやというアプローチ。欧州もこのモデルを目指すんじゃないでしょうか。
 
 ちょい形は見えたものの、課題は噴出。総会でも議論百出です。
 まずは技術。テレビの動画とタブレットの情報を同期させる技術がポイント。これはNHKハイブリッドキャストでもコアだと聞きます。IPDCの規格作りに関わるテーマです。Wifi環境や端末の普及などビジネス基盤をどう構築するかも重要。マルチスクリーン上のコンテンツの権利処理も大変な問題です。
 さらに難しいのは、コンテンツ制作。マルチスクリーンを前提とした番組作りの手法です。これは世界的にも放送人の重要テーマになるでしょう。番組はこれまでどおりで、タブレットのほうだけ追加的に考えるという具合には行かない。SNSを使いたくなる番組ってどんなの?となるわけです。第一、そのマルチスクリーン・コンテンツを誰が作るのか。タブレット上のCMって本放送のCMと違ってていいの?スマホからecサイトに飛べるとしたらその番組責任はどうする?議論は拡散しっぱなし。
 そして、大前提となるのが、コストと収入のビジネス構造。マルチスクリーンは事業として成り立つのか。
 
 ただ、ぼく的には、問題は1つに集約されます。「行くのか、行かんのか」です。
 百の「むつかしい」があります。十の「行けそう」があります。では、一の「行こう」があるか。ここです。
 メディア融合論議の20年、「むつかしい」の声に停滞してきました。スマテレは、「むつかしい」念仏を唱えている余裕がありません。課題は、ある。わかった。でも、解決策もありそうです。それを見極めています。
 「むつかしい」から「行けそう」は、ゼロを一にする厳しい作業ですが、どうやらそこまでは来ています。ここは「行けそう」を「行こう」に転化する場面です。行きましょう。マル研は、その声を内側から絞り出そうとしています。

 なんか総括せい、というので、こう言いました。
「ダイナミックな変化の場面が近づいている。6局あったとして、A社は東芝やNTTと提携、B社にはGoogleが出資、C社はAppleと同盟を結び、D社はmixiが買収、E社とF社は合併。それぐらいあっておかしくない。」
 あれっ。
 コラおまえナメたこと言うてんなよ。
 となるべき場面だが、静かだ。
 しかられない。
 少し前なら確実に叱られたところなんだが、業界が変わってきたということだろうか?、いやいや、これは、ちょいと元気が足りないということなんじゃないの〜?
 ちょっとちょっとナニワのおじさんたち、叱って下さいよ、で、その勢いで、「行こう」。飲みに。かっぱ横丁でええから。

2012年8月27日月曜日

「ケソン小学校」のソーシャル学習

「ケソン小学校」のソーシャル学習
  人工芝の校庭。
 4年生の25人が体育の授業でフリスビーを投げています。生徒たちはGALAXYのタブレットを持ち、パートナーの投げ方を動画撮影。あらかじめ先生が投げ方のモデルを示した映像と各自の投げ方を比較しながらフォームを直しています。
 教室に戻り、みんなで撮った動画を黒板にシェア。教室ではタブレットにキーボードをつけて作業する子も多い。それぞれのフォームにコメントをつけるのですが、ダメ出しが多いのはソウルっ子気質?
 EvernoteGoogleドキュメントを使って、活動の感想をメモして共有。そこから議論が始まります。「メモ出しは今日じゃなくてもいいの?」先生に質問を送る子もいます。この端末は学校に据え置きですが、家のPCで作業するということです。
 クラスのSNSサイトに各自が今日の写真をアップする。韓国製の教育向けSNSCLASSTING」です。連絡事項も先生がSNSで投げます。先生はFacebooktwitterも使っているといいます。
 黙々とネット作業が続く中、終業時刻が来ました。先生が一斉にネットをシャットダウン。集中が切られ、「あ〜っ!!!」悲鳴のような怒号が飛ぶ。もっとやりたい!という意思表示。そうだよね、もっとやりたいよね! 
担任のCho Kee-Sung先生に伺いました。
これって体育の授業なんですよね?
「この授業は体育を行うだけでなく、みんなのフォームを共有したり、それを元に話し合ったりしているのだが、これにより、自分の姿勢を客観的に見たり、友だちとの教え合ったりすることで体育としての効果も高まった。」

 授業でSNSを駆使していますが、サービスの使い分けは?
CLASSTINGは子ども中心のサービスで、友だちだけが見られる設定にしてある。
 Facebookはそもそも14歳以下が利用禁止であり、先生たちや卒業生とのコミュニケーションに利用している。ケソン小学校は韓国で初めて学校として利用を始めた。
 Twitterは学校のIDを持って学校組織として利用している。
 Evernoteは家でも予習・復習できるように導入している。
 先生はCLASSTINGに授業のサマリーも載せる。宿題をやっているときに「ここがわからない」と問題の写真を撮ってSNSに送ってくる。それに先生はきちんと答える。
 親もスマホやPCCLASSTINGEvernoteを使って授業の内容をリアルタイムにチェックしている。」

 ソーシャルサービスの導入の効果は?
「授業が効率的になったというより、学校が開かれたという効果のほうが重要だ。いつでもどこでも学べる環境が実現している。」
 それは先生にとって大変だ。モンスターペアレントの問題は?
「学校を開いたことで、親たちは信頼してくれるようになり、静かになった。スマホやチャットで親たちも気軽に話しかけてくるようにはなったが。」
 タブレットを導入したことで仕事が増えたのでは?
「今は教材や授業を作っている最中だから負担は増えている。しかし、先生方の教材を共有していくので、これから楽になっていくはずだ。国は120人の先生を選び、デジタル教科書を先生たちが次々に改良していくという「デジタル教科書をみんなが作る」プロジェクトを推進している。」

 日本政府もわれわれDiTTも、デジタル教科書、情報端末、教育クラウド、この3点セットを教育現場に普及させるべく推進しているのですが、ケソン小学校の取組は、「ソーシャルサービスを軸に組み立てていること」「家庭や保護者にもオープンでつながっていること」の2点で、一つ先のモデルと言ってよいでしょう。

2012年8月23日木曜日

ロンドンオリンピックは風が吹いていたね。


ロンドンオリンピックは風が吹いていたね。
 
 
 今回はNHKも民放も本格的なネット中継を断行しました。ネットがテレビを食うのではなく、補完関係が成り立つとの認識がようやく成り立ったようです。
 昔の日記をめくってみたら、「アトランタはマルチメディアの五輪になる」という記述がありました。96年の五輪ではネットが駆使されるという期待。でも、そんな青い思いは実現しませんでした。シドニーでも、アテネでも、北京でも、具現化しませんでした。
 それから16年。ドッグイヤーでいえば100年。技術が現れてから、環境が整い、社会に受容されるまで、それほどの時間がかかる。こともある。逆に言えば、技術的に必然ならば、いつか必ず来る。
 まだ来ないよ、と見るか、いつか来るよ、と見るか。その心持ちが大切だと思います。
 今回は初ソーシャル五輪と言ってもいいでしょう。メディアや観客だけでなく、選手たちも現場から大いに発信していました。2大会連続3冠という伝説を築いたウサイン・ボルト選手はマンUでプレイしたいとのツイート。すると香川がトップ下か?夢がふくらみます。
 次回はスマートテレビ五輪でしょうか。

 今回はジャッジも物議をかもしました。日本選手が関係したものだけでもたくさんあります。
 ボクシングの清水聡選手は2回戦アゼルバイジャンの アブドゥハミドフ戦でのおかしな判定に不服を表明したところ、判定が覆って勝利。その後、銅を獲得。フェンシングでは準決勝のドイツ戦延長で太田選手が2度ビデオ判定で結論をひっくり返し、銀を獲得。体操の男子団体では、最後の内村選手があん馬の着地で見せた演技を巡りビデオ判定を求め、4位から銀へと浮上しました。 
 圧巻は柔道。男子66キロ級の海老沼選手と韓国のチョ選手との準々決勝で、いったんチョ選手にあがった青3本の旗判定に審判員「ジュリー!」が異議を唱え、旗の挙げ直し。3本とも白にひっくり返り逆転。その後、海老沼選手は銅を獲得。 
 柔道でのビデオ判定は、シドニーでの決勝で篠原現男子柔道監督が大誤審で銀に泣いた後に導入されたものです。当時ぼくはある雑誌に、行司の下した審判を地 底からせりあがる親方衆が覆す大相撲のシステムは、多神教の高度な技であり、一神教じゃ真似できまいと揶揄しました。でもそれを真似したんですね。結果、 やっぱ運用がぎこちない。
  ビデオを見ないとわからないギリギリの判定ならともかく、2分も観察した3人の判定に異議を唱えるのもどうかと思うし、言われて旗の色を変えるほうもおか しいっしょ。ぼくなら何度ジュリー!に注意されてもいったん青あげたら、青さげないで白あげない。日本が勝ったからいいってなもんじゃなく、元祖日本とし てはきちんとしたシステム作りに動くべきと思います。

 にしても銀と銅を量産しました。
 選手団は金15個を目標に据えていましたが、結果は7個。金を獲らずに銀と銅をかき集めるというのは、控えめに振る舞って実を取るという世界戦略なのかもしれません。
 特に銀。14個は過去最高です。柔道、重量挙げ、体操、フェンシング、卓球、水泳、女子サッカー。ただ、その中身は、決勝での完敗がほとんど。ギリギリ惜しくて銀、というより、がんばったよくやった銀、満足の銀。
 それだけ金は遠いんですね。1位を獲りに行かないと獲れないものなんでしょうかね。「2位じゃダメなんですか。」レンホウの呪いは効いていたんですかね。
 まあいいです。金の数が少なくても、ボクシング・ミドル級で村田諒太選手が獲りましたから。その1個で満足です。東京の桜井選手以来48年ぶりという評価がされていますが、ミドル初と言ってもらいたい。桜井選手のバンタムでも、さらにフェザーでもライトでもウェルターでもない、ミドル。ハグラー、ハーンズ、レナードファンのぼくは、ヘビーよりミドルと思ってるので、格別であります。

 さて、ロンドンは開会式でイギリスの成り立ちを表現しました。田園から産業革命、戦争を経てロックミュージックへと。女王陛下が睥睨する中で、Sex pistolsを流すことのできる豊富な資産と深い懐にうなりました。そして最後にティム・バーナーズ・リーを登場させるなんてニクい、ズルい。閉会式もモンティ・パイソンのエリック・アイドルが登場したかと思えば、The WhoMy Generationで締めるとは。
 東京もまた招致に精を出すようですが、成功した暁に、東京が世界に表現するコンテンツは何でしょう。ロンドンに対抗できるとすれば・・マリオとピカチュウと風雲たけし城にお出ましいただいて、トリは水木一郎師匠にスキヤキ歌ってもらうかな・・・いずれにしろ、曙の土俵入りや伊藤みどりのコスプレではないと願います。

2012年8月20日月曜日

「シンド高校」のスマート・ラーニング

■「シンド高校」のスマート・ラーニング
  スマート・ラーニングを標榜する「シンド高校」。1クラス30人、学年当たり330人の公立校です。韓国の学校は校長の裁量が大きく、この学校も建築やデザインはじめさまざまな面で独自の展開をみせています。KIM JEONG IL校長は、校長は教育省で情報化を担当したこともあり、KERIS(韓国教育学術情報院)にも設立当時から関わっていたというだけあって、情報化には相当な意気込みを見せています。
 スマートルームには8つのプロジェクター。それぞれのテーブルでグループ討論が行われ、各スクリーンの内容が正面の電子黒板にも投影されます。生徒は7インチのLGのタブレット。重さで選んだといいます。電子ペンで紙に字を描くと黒板にシェアされるとともに、その子が何時何分に何を書いたかの記録もサーバに残る仕組み。
 この部屋は全科目で使いたい先生が使えるシステム。普通の教室は電子黒板止まりだが、全ての教室をこういう形にしていくそうです。
 しかし、キム校長は断言します。
「これらは全て道具にすぎない。教育そのものが重要だ。」
 同意します。
 先生や生徒は使いこなしていますか?
30分の研修だけで先生は授業OK。子どもは何も教えなくてもすぐ授業OK。全く心配いらない。最初は珍しいという反応だったが、目新しさはすぐに消える。いかにわかりやすいに変えていくかが大事だ。タブレットは読む調べる、が中心。作るは別のツールを使う。」

「韓国の教育情報化はeラーニングからスマート・ラーニングへ、即ちPCベースからモバイル、タブレットベースに移行している。
 それは同時に、先生が知識を伝達する授業から、自ら悩み検索する学習とグループシンキングとに移行することでもある。
 インタラクティブで交流型の学習となる。先生は正解を知らない、という立場。オーガナイザーの役割となる。
 このため、教員養成カリキュラムには大変化が生じる。これについては研究・議論の最中だ。全世界が同じ悩みを抱えているはずだ。」
 教育システムを変えると、従来型の学力が下がる、との指摘があるのでは?
「そんなのは日韓だけで起きている保護者の反応だよ。」
 ほう。
「東大とソウル大出身者が国を潰しているんだ。」
 ハッキリとおっしゃいますな。
「日本を含め世界有数の国が教育のせいで沈没を始めている。日本も既に沈んでいる。」
 北斗の拳みたいですな。てゆーか笑えない。
 「ソウル大を頂点とする従来型の人脈ではもうたち行かない。ソーシャルなネットワークが重要であり、そのための学校であり、そのための勉強だ。
 成績第一主義から多様性重視へ。日韓が特殊なだけだ。数年で変わる。
 韓国の教育は100年変わらなかった。成績順に大学に行き、それで人生が決まってきた。これが変わる。今は創造力、問題解決力、ユーモア力が重要だ。」
 
 言葉が刺さります。一番刺さったセリフは、最後におっしゃった以下の二つでした。
 「やるかやらないか、の段階ではない。どうやるかだ。」
 「PCで不幸が始まった。だが、後戻りはできない。進む以外にない。答えは、ない。」
 校長、こんど酒のみに行きましょう。

 ところでPCも電子黒板もみな韓国製だなぁ。
するとキム校長、
ふと食堂の手洗い場でみかけた石けんを入れる布を示して
「これは日本製だよ。」と教えてくれました。
そうか。日本製は、石けん袋か。
日本ももめばまだまだいい泡が出ますよ、
みたいな切り返しをひねり出そうと思ったが、
口ごもりました。

2012年8月16日木曜日

あえて、HowよりWhat


■あえて、HowよりWhat

 「ノマドばやり」です。ビジネススタイルもライフスタイルも、遊牧的な行き方が脚光を浴びています。ぼくも十数年ノマド的で、自分のIT環境を適合させようと苦労してきました。(「ぼくのデジタルノマド」http://bit.ly/Kz96IL)。ここんとこ牢獄に定住しているホリエモンも以前はノマドでしたし、チームラボ猪子さんも家を捨てるほどのノマドだったりします。
 でも、今のノマドばやりには違和感を覚えます。ハウツーばかりで中味がないから。ホリエモンも猪子さんもアウトプットあってのノマドです。ぼくにしたってノマドがステイ型よりアウトプットが1/10に落ちるなら話になりません。ノマドで「何をするの?」が大事。
 同じ違和感を「社会起業ばやり」にも覚えます。社会に貢献する活動を起業すること自体にあまり意味はありません。もちろん、それが活発になることは素晴らしい。そのための環境も整えるべき。ぼくはそのために汗をかいています。でも、起業はあくまでアクションであり、ハウツーです。大事なのは、What。それで何をするのか。社会をどう変えるのか。その中味とボリューム。あくまで成功したかどうかが肝心です。起業家個人は業績で評価しないとね。

 例えばぼくはNPO、社団、会社、コンソーシアムなど10個以上「社会起業」してますが、子どもワークショップ、デジタル教科書、デジタルサイネージ、メディア融合など、成功したのもあればトホホな失敗もあり、それをスッ飛ばして起業したこと自体だけで評価されるのは困ります。ところが風潮は、社会起業ドヤ顔で、オール礼賛なのが気味悪い。
 松下幸之助さんやジョブスさんがビジネスを通じて社会を明るくした、それは大いなる社会貢献。 世界の衣生活を一変させたユニクロ柳井さんや、ぼくが社外取締役を務める保育園経営のJPホールディングス山口代表の功績を社会起業の観点で正当に位置づけたうえで、NPO立ち上げましたドヤ顔の坊ちゃん嬢ちゃんを可愛がるぐらいの評価軸がほしい。
 ベンチャー起業にしろ、社会起業にしろ、経済社会へのインパクトが乏しい段階で、自伝や啓発書が出版されて注目を浴びる、その評価法ってのは健全じゃないなぁと思う、というか、そういうのがあっても賑やかでOKなんだけど、そういう言説が社会の真ん中に居座るとジャマだなぁと思うわけです。肝心なところでパワーが出なくなりますんでね。これはそのプレイヤーの問題じゃなくて、それを持ち上げてトレンド稼業を企む大人の側の問題です念のため。

 端的に言えば、虚言が跋扈してると思うんです。
 ボリュームのある中味、現実世界に影響を与えるアクションが伴わない口先三寸や自己プロデュースがウケてることに対するじれったさ、WhatよりHowに重きが置かれることへの年寄りの貧乏ゆすりです。
 ITが広がり、引きこもっていても社会との接点が多くなり、実名でも匿名でも口を出せるようになった。社会学や思想書が注目されている。社会ヒエラルキーが崩れ、就職して叩き上げられる人生スタイルの価値が急落した。参加するコミュニティや帰属する組織を流動的に変えられるようになった。こうした社会変化と軌を一にするものでしょう。

 これはITが威力を発揮した証しであり、うるわしいことです。しかし、今日はあえてHowよりWhatに着目したい。普段ぼくはWhatよりHowが大事だと強調しています。きちんとしたWhat=すべきことがあり、それをアイディアで終わらせず実現するためには、What10倍、どう遂行するか=Howが大事だということです。
 でも今日言いたいのはその逆で、そもそものWhatを見る目が曇っていて、ヘンテコなHowがのさばってるよ、という現状。Whatがゼロなら、いくらHow10倍にしても、アウトプットはゼロですから。
 繰り返しますが、そういう言説があふれててもじぇんじぇん構わない。でも、それがこの社会の中心をなすようになるのはどうでしょう。かつて誰かが言ってました。引きこもって無常をつぶやく吉田兼好の徒然草を教えるよりも、同時代の政治を動かしていた道元の正法眼蔵を教えるべきではないかと。まぁそういうことです。

 黙れ年寄り! 

 今日はあえてそう言われることを覚悟しているのですが、ふだん若いのばかりと飲んでいるぼくが、そろそろ引退し始めた先輩方と飲んでいて、世代つなぎ役として言っとかんといかんと思ったからなんです。
 つうのも、ぼくらの先輩、ぼくらが仰いで見ていたものは、うんと骨太だったから。ベンチャーといえばソニーやホンダでした。思い切り世界でフルスイングしていました。体制に行かずベンチャーにも行けないドロップアウトは、学生運動で火だるまになり、社会起業=革命で山荘に立て籠もったり海外で乱射したりしました。Whatのスケールや気迫が違っていました。
 そのスケールやリスクを取り戻せ、つうのは無責任すぎます。おマエどうなんだ、って話ですから。ただ、少々光の当て方を変えてみたい。バランスを引き戻したいと思います。
 とはいえ、ぼくができることは、論述ではありません。自分のプロジェクトを推し進め、それで社会を変えていくことで実証すること。それが役割だと思っております。

 今日はエラそうに、すみませんでした。

2012年8月13日月曜日

大丈夫か、エリート


■大丈夫か、エリート

 近鉄奈良駅。吉野行き特急を一枚。するとぼくと同い年ぐらいの窓口のオッサン、「今の時間やと○○分に西大寺でて橿原神宮に○○分に着きまっさかい乗り換えて吉野着が○○分ですわ、はいオツリ」とたちどころに答えた。
 さすが近鉄、この道一筋とおぼしき叩き上げの オッサンの頭には、全時刻表と料金表が収まっている。近鉄といえば小川亨も大石大二郎も石渡茂も高校出たてをしごいて筋骨隆々に仕立てて闘わせる叩き上 げ、いや実際はみな大学出てるんだが、そういうイメージをぼくが抱くのは本業から来るものでしょうか。
 いやJRだって、和歌山駅で切符を頼んだときも、高校を出たばかりのおネエちゃんから新大阪の乗り換えや東京着の時刻がスラスラと出てきました。国鉄のDNAなのでしょう。ぼくがいた郵便局だって仕事は高卒の叩き上げたちが支えていました。郵政省20万人は巨大な叩き上げ集団でした。叩き上げは、しかと文化を築き、維持しています。

 どの分野にも叩き上げはいます。沖縄国際映画祭で「映像作家になるには」をテーマとするシンポの司会を引き受けました。映画、テレビCM、ゲームなどのクリエイターにプロになる道を指南いただいたのですが、パネリストの一人、品川祐さんの話に聞き入りました。
 彼は品川庄司としてM1ファイナリストを飾るパフォーマーであり、ヒナ壇芸人の代表。それが小説も当て、映画も「ドロップ」と「漫才ギャング」の2本を立て続けにヒットさせています。監督としての腕も確か。順風の天才と呼んでいいでしょう。
 とりたてて映画の勉強はしていない、いきなり創作した、といいます。その点、北野武さんと通じます。だが、驚いたのは、「ずっと、いつか映画監督になろうと思っていた」という告白。長い長いフリーター時代、年300本の映画を見続けていたといいます。明確な将来像を描き、漫才師、タレント、作家というステップを踏んできたのだといいます。
 そうか、この人は一種のエリートなんだ。新しい種類のエリートだ。自らドロップしていた時代に底を見ているので真逆のようだが、新しい表現を産み出すエリートというのは、専門学校、映画専科を経た叩き上げよりも、こういうルートから舞い降りるのかもしれません。
 品川さんの場合、山野愛子さんの孫という持っ て生まれた環境も手伝ったのかもしれないが、いや、恐らくは彼の信念と偶然とがかみ合ったもの。真似ができません。手本にしにくい。逆に見れば、クリエイ ター・エリートを育てるルートが見えないことにぼくは考え込んだわけです。
 
 一つの分野で修練を積み重ねていくのが「叩き 上げ」とすれば、「エリート」は別の高等教育機関や英才環境に育ち、組織に降り立つ者とも言えるでしょう。その点ぼくは自分を叩き上げと規定していて、と りあえずギリギリ試験に通って官僚にはなったが、ロックしかやっておらず、行政知識がまるでないから、ゼロから叩き上がるしかない。
 ロックだって、エリートつうのは坂本龍一さん のように音を一度聞いたらそのまま演奏できちゃうような人のことをいい、憧れたってどうにもなるもんじゃない。官僚から学者になったところで、アカデミズ ムの高みから降りたんじゃなくて、脇からよじ登ったんだし。常にぼくの周りには、先を行く誉れ高きエリートがいました。
 で、今更エリートが気になるわけです。じゃあこれからのエリートは大丈夫なんだろうかと。
 芸術やスポーツのことはさておき、企業や役所のことを考えてみましょう。東大法学部を卒業し、官僚や一流企業に就職、スクスクと出世して頂点を極める。そんなエリート像は崩れ去りました。
 官庁はかつてのパワーを失い、官僚がエリート 然とできません。一流企業だって、都市銀行はみんな名前が変わってしまうし、東電さえも国有化です。だから、トップクラスの連中は外資に入っていずれ起業 だとか、財務省や経産省を踏み台にして学者や政治家を目指すとか、日銀や電通を入口にして国際機関に移ったり、なんてことを言います。
 上のほうから舞い降りてきて、その組織で出世していくという構図はありません。既存の組織が値崩れを起こし、その中を駆け上がる魅力がなくなったので、踏み台として利用してとっとと転身していくのがスタイルになっているのですね。
 政治もかつての自民党の派閥が養成機構を持 ち、党人も官僚出身もしのぎを削るコースがありましたが、二世、三世ばかりが幅を利かせるようになり、その弊害、つまりエリート重視たることが原因で政権 が移り、片や民主党政権はあちこちから寄り集まった一年生が多くてまだ出世コースが見えてこない。やっと松下政経塾出身の首相が登場しましたが、それが今 後の1コースを形作るかどうか。
 ヒエラルキーが壊れて、偏差値神話も崩れて、フラットになるのは結構なことです。能力ある人たちの進路が多様化するのも結構。定まった出世コースがなくなって、かつてならエリートとされた人もそれぞれの進路で転がりながら叩き上げていく世の中は健全です。 以上。

 でも、ちょっと待てよ。ふと考えるのです。ホ ントに全部そうなって大丈夫かと。エリートを「育てる」必要は薄れたかもしれないが、エリートが「育つ」環境は依然、必要ではないかと。特にいま日本は若 いリーダー層の出現が求められているのですが、それがどう育つのかが見えないわけです。品川さんが偶然現れてよかったね、ばかりでは済まない。品川さんが 必然的に現れる環境を用意しておきたいじゃないですか。
 社会構造が液状化して、待ち望んだ方向に進むとしても、スピードが速すぎると歪みますよね。大勢を食わせるには大きい会社や組織はやはり大切で、それを率いる層のボリュームが必要なんですけど、その層の確保がないがしろにされている気がしましてね。
 これまでのエリート養成機構が崩れる一方、新しいエリートが育つ機構が間に合わない。でも、これまで以上にリーダー層が必要だ。さて、どうしましょう。「いや、それを用意するのが大学の役割だろう。」というツッコミは、最初から聞こえておりますが。

2012年8月9日木曜日

Creative Japan


■Creative Japan
「世界一クリエイティブな国は日本、クリエイティブな都市は東京。」20124月にAdobe社が発表した国際アンケート調査結果。5年ぶりの衝撃的なレポートでした。いい意味で。
 5年ぶりというのは、2007年4月、Technorati社が発表した「世界のブログで最も使われているのは日本語」という調査(http://bit.ly/96oxNY)。世界中のブログを総計した結果、日本語サイトが37%を占め、英語36%を上回ったというものです。
 日本の若い世代がケータイで猛烈に情報を発信している状況がデータとして表れ、日本人がシャイでもコミュニケーション下手でもなく、世界のトップを行くアップロード社会たることが示されたのでした。

 今回の調査は、米英独仏日の各1000人、計5000人の成人に聞いた結果です。日本以外の国で日本が最もクリエイティブと評価されたのはうなづけます。ポップカルチャー、ファッション、食べ物、ケータイ文化、どれも日本は抜きんでています。アメリカは金融、IT、ハリウッドなど多くの分野で世界を引き離し、ビジネスの創造力をみせつけていますが、表現文化を一部のクリエイターだけでなく国民全体で創出する点では日本が勝ると思います。
 2000年ごろにはMITメディアラボでもガングロやギャル文字の意味を教授陣が盛んに説いていましたし、2002年にぼくが帰国して子ども創造力のNPOCANVAS」を立ち上げたり、日本ポップカルチャー委員会を発足させたりしたのも、アメリカより日本のほうがワクワクさせてくれると思ったからです。


 オヤっと思ったのは、東京が他の都市を抑えて一位という結果。うれしいね。東京は銀座、渋谷、アキハバラ、いくつもの極が異彩を放っています。どこに出かけても地上最高規格の便所が用意されているホスピタリティ。コレはウマいという店を探すのはNYでは難しいけれど、コレはマズいという店に東京ではでくわしません。どの国の料理もハイレベルで食えます。こんなにイタリアやフランスの国旗を掲げている都市もないんじゃないか。気がつきゃホームのベンチでゴロ寝、でもサイフがスラれていません。この環境で放たれるクリエイティビティに注目が集まるのは必然です。
 かつて東京は憧れでした。東京ラプソディ、東京の花売り娘、東京ドドンパ娘、東京だよおっかさん、ウナセラディ東京、仰ぎ見る歌がありました。だけど、クールファイブの東京砂漠や沢田研二のTOKIOのころから東京は揶揄の対象となり、全国のプチ東京化が進んで、フラットな日本が目指されました。
 ぼくはバブル期の東京一極集中是正の政府方針に異を唱えていました。逆に東京への集中を強化し、NY、ロンドン、パリ、上海、ソウルに対抗しなければ、日本が沈下する。そう、東京は、その後も独り気を吐いて、六本木ヒルズ、赤坂サカス、丸ノ内再開発、東京ミッドタウン、渋谷ヒカリエ、次々と開発を続けています。東京、エラい。

 ただ、今回のレポートでとても気がかりな点が2つあります。

 まずは日本の自己評価が低いこと。他国が日本を評価しているのに比べ、日本のみが自分をクリエイティブだと思っていません。自らがクリエイティブだと考えている比率もダントツの最下位。アメリカ人は52%が自分をクリエイティブと思っているのに、日本人は19%。
 ずっとそうなんです。日本語37%レポートのそのまた5年前にも衝撃レポートがありました。ジャーナリストのダグラス・マッグレイ氏が2002年、フォーリン・ポリシー誌に「Japan’s Gross National Cool」を掲載、日本のポップカルチャーを高く持ち上げました。いわゆる「クールジャパン」の嚆矢となったレポートです。当時ぼくらも盛んにこうした自己評価を発信していましたが、海外からの1レポートによる評価のほうが浸透力が高かった。ハーバード大学のジョセフ・ナイ教授がソフトパワー論で後付けしたのも効きました。
 だからこれを自らのエネルギーに転化するのにてこずっています。ポップカルチャーのパワーを発揮する自家発電力がなかなか湧いてこない。今回の調査でも、自分の持ち物を正当に評価できないさまが見て取れます。

 それ以上にマズいのは、「創造力が経済成長のカギになると答えたのも日本が最下位」という結果です。そうなの?じゃみんなは何で食って行こうと思ってるの?資源も、低廉な労働力もないんですぜ。資源はアラブやロシアや中国で、労働力は中国やインドで、じゃあぼくらはどうしますか。知恵しかないんじゃないですかね。資源を取りに行って敗戦、労働でいったん天下取ったが追いつかれ、残りはクリエイティブしかないでしょう。
 アメリカは80年代、クルマや家電のクリエイティビティで日本に負けたけど、90年代以降、ITのクリエイティビティで巻き返しました。日本はどのクリエイティビティを発揮していきますか。

 Let’s Create Creativity.

2012年8月6日月曜日

モスクワのサイネージ


■モスクワのサイネージ
 モスクワのサイネージ見物記。ギョッとするのは少ないけど、そこそこあります。 
大きな交差点の角には大きすぎるLEDの電子看板。
東南アジアでよく見るタイプ。 
ペプシ専用の動画電子看板。
こういう専用CMモデルは今や懐かしい。



モスクワは10億ドル以上の資産を持つ大富豪の数がNYを上回り世界一なんですと。
おみそれしました。 






戦勝記念ディスプレイ。
 1945年、ベルリンを落とすまで攻めました愛国サイネージ。





偉人像とサイネージ。
ミスマッチ。
ロシア人は10数えるのに「マルクスはえらいひと」と言います。
ウソ



電車に乗ってみよう。 

映像の案内板。
さっぱり言葉が通じないんで、頼りです。




 
地底深く潜り込んだ先、メトロのホームにも立ち並んでいます。








駅にもたくさん。
でも切符の行列待ちに2時間かかりました。
でも結局買えず。




こんなんあったよ








健康志向か、モスクワはスシ屋さんだらけで。 
デブ専の楽園と思い込んでいたのに、若い人はけっこうスリム。





カフェのチェーン店にもディスプレイが広がっていました。






高級カフェにはデザインにおカネのかかったサイネージが。





 
タバコ自販機のサイネージ。
タバコにカネかけますね喫煙率が高いですからね、特に女性の。 
人差し指と親指で大事そうに吸うくせに、乱暴に道に捨てる。




工業技術博物館。
見学の子どもたちがサイネージの案内に集中。

勉強しろよ。




 
工業技術博物館。
サイネージとリアルモデルの組み合わせ
誰も見学していないけど、素敵な展示でした。





 
赤の広場ヨコのワシリー寺院。
ここもサイネージ+リアルモデルの組み合わせ。 
世界的にこれからの傾向でしょうね。






タッチパネルの案内板もたくさんありました。 






 
 
圧巻はこれ。
サイネージでの説明と、上部肖像画のライトアップの連動演出。