■Buenos 反省、2010年
賀正。
2010年は大がかりな年でした。身の回りを振り返ってみます。
この年は、「原口ビジョン」で明けました。原口一博 前総務大臣が2009年12月に打ち出した政策案への対応です。
2020年に全世帯でブロードバンドサービスを利用することを目標とし、電子行政推進、利活用一括化法制定など野心的プランが打ち出されました。小泉政権下、竹中総務大臣が進めた通信・放送融合路線(松原懇による推進策)が時計の針を5年進めたとすれば、原口ビジョンはさらに5年進めるものです。
その中でぼくは特に「デジタル教科書を全ての小中学校全生徒に配備(2015年)」「ホワイトスペース等を活用した市民メディアの全国展開(2015年)」に響きました。前者は役所を辞めて以来12年間メインテーマとしてきた事項、後者は20年追いかけてきたメディア融合の積み残しに当たるからです。
無論それらは融合法制を仕上げることが前提となっています。松原懇以来、5年間 論議されてきた法体系は、紆余曲折を経て、秋の国会で「放送法等一部改正法」として成立をみました。地デジ後、PC/ケータイ後のメディア環境を整えるための山を越えました。当初、最も反対していた放送業界が、最後には最大の支持勢力になったことがこの問題の複雑さと状況の変化を物語っています。
電波を巡る政策論議にタブーがなくなったのも進展でした。「ホワイトスペース」の議論が解禁されただけでなく、その開発・利用が「推進」されるようになり、特区も整備。「電波オークション」の議論もフラットに交わされるようになりました。
融合法制を先取りして技術・ビジネスが試行される「ユビキタス特区」も成果を挙げつつあります。3月に福岡特区の視察ツアーを組んだところ、参加者70名。新ビジネスへの期待を感じました。4月に参加した韓国の政府系会議では、日本の融合法制や電波開放策に矢継ぎ早の質問を受け、海外の視線の熱さに驚いた次第です。
同じく新ビジネスとして注目高まるデジタルサイネージも、6月の「デジタルサイネージジャパン」には13万人の来場者。いよいよ離陸期へという雰囲気。家庭内のフォトフレームにネット配信する「パーソナル・サイネージ」、教育・医療・行政など広告・マーケティングメディア以外で利用される「パブリック・サイネージ」という「2つのP」が2010年の特徴でしょう。
コンテンツに関する政策も動きました。知財本部コンテンツ調査会の会長を引き受け、最初に取り組んだのが、自民党政権下で進めてきた政策の転換。「国内産業の総花メディア的振興」を、「海外展開、ネット中心、インフラ整備」に切り替えることで合意を得ました。
一方、電子書籍元年とも呼ばれる中、アメリカの攻勢に対処するため、総務省・文科省・経産省の3省懇談会が開かれたのも一つの流れを示しています。政権交代後、「日本版FCC」論議が高まり、これに対しぼくは真っ向から反対、タテ割りの弊害を増す規制強化策より、「文化省」を設立し大幅規制緩和を断行せよと主張しました。
これはあっちからもこっちからも叩かれましたが、結局政府としては日本版FCC論議は葬り、3省合同で政策を立案するなど融合的な対応をせざるを得なくなっていたのだと考えます。その成果が問われるのは2011年以降のことでしょう。
コンテンツでは、7月、パリ郊外で開かれた「ジャパンエキスポ」も注目を集めました。10年前に3000人でスタートしたイベントは今回、18万人の人出。アニメのコスプレだけでなく、女子高生コスプレやガングロたちも目立っていました。業界がタコツボ的にブースを出す状況を脱し、アニメ・ゲームやファッション、食、家電などハード・ソフトを組み合わせたビジネスのプロデュースに視線が移りそうです。
11月に呼ばれたフランクフルトの学会では、日本のポップカルチャーに関するとても濃密な論議がヨーロッパの研究者たちによって繰り広げられていました。そろそろ日本が世界規模で自ら体系的な情報発信をすべき段階。
その意味で、3月に沖縄で開催された吉本興業プロデュースによる「沖縄国際映画祭」は意欲的でした。ぼくは映画祭のスーパバイザーとして、「World Wide Laugh」というお笑い映像を集め、世界発信するプロジェクトを担当。日本のお笑いも、世界へ。
さて、2010年の新プロジェクトは「デジタル教科書」。原口ビジョンで火がつき、文科省が「学校教育の情報化に関する懇談会」を立ち上げ、IT本部も知財本部もその計画に明記するなど、一気に政策マターに躍り出た本件の受け皿を民間として用意すべく走り回り、7月末に設立しました。年末までに100社を超える企業が参加し、各種委員会やWGの立ち上げ、アクションプランの策定、政府関係者との意見調整などを進めています。
4月に刊行した「デジタルサイネージ戦略」から間を置くことなく「デジタル教科書革命」を石戸奈々子さんと10月に出版。これに対し田原総一朗さんらが批判書を出版するといった動きもあり、対応に追われました。結果として、田原さんらとの対談のネット中継を通じて普及活動に注目が集まった面もありますが。
2月に慶應義塾大学日吉キャンパスで開催した「ワークショップコレクション」には3万5千名の参加を得ました。前年の倍以上。子どもの創造力・表現力を育む活動には注目度が増しています。文科省は「コミュニケーション教育推進会議」もスタートさせ、こうした分野の教育に力を入れていますが、デジタル教科書を整備する動きと合わせて、学習・教育内容や手法を開発することも一層、重要となっています。
ぼくがこうした活動を始めた原点、MITメディアラボの「MIT Okawa Center」を収容する建物が、構想から12年を経てようやく完成。オープニングに参加してきました。しかし、ぼくたちの100ドルパソコン提案から10年、もはや世界のデジタル環境は次のステージに移っています。新しい教育環境を設計したいところです。
プライベートもちょこちょこと。NHK「となりの子育て」で子どもとデジタルについてお話したり、NHK「クールジャパン」で相変わらず日本のクールを紹介したりするのはプロジェクトがらみですけど、映画「日本のいちばん長い夏」に元外務次官役で出演したのは勢い余ってのこと。でも、自分にとっては厳しい挑戦でした。
50を目前にして、アイデンティティーを見直してもみました。幼い頃を過ごした静岡に足を運び、家があったはずの場所とその周辺を歩き記憶をたどりました。8月には西安を訪問。京都人として長安を見る宿題を果たすべく。中学のやっかいな時期に夏を過ごした十津川村も訪れてみました。体内で、それらがじんわり化学反応を起こす気配がしています。
そして、西陣で木工職人をしていた祖父を想いつつ、形見の袴など、和服をまとう機会を増やしています。2011年は、新しい自分のモデルを作ってみようかな。などと。