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2013年6月27日木曜日

続ホーリー・モーターズ:見えないこと、見ること

■続ホーリー・モーターズ:見えないこと、見ること


 レオス・カラックス監督「ホーリー・モーターズ」。感想、続編。 
 殺人鬼が逆にのど笛を刺され、瀕死に陥る。
 過ちを犯した美しい姪に看取られ、老人が事切れる。
 どこかで、大勢に、見られている。
 すぐに立ち上がり、次の芝居へと移動する。
 これは、見えない映画であり、見る映画。
 かつてカメラは人より大きかったが、小さくなって、もう見えなくなった、というセリフがかぶさる。
 カメラは、壁に、天井に、身の回りに、埋め込まれたのだ。
 それらが発する情報を、偏在する眼が凝視する。
 カメラと観客、どちらの姿も、ない。でも確実に、ある。

 これは現実だ。虚構とは既に肉体関係にある。
 恋人とカフェで語らう。電車でぼんやり窓の外を眺める。自室でパソコンをいじる。
 みな、見られている。撮られている。アップされている。ソーシャルで共有されている。
 24時間、365日。
 街頭の監視カメラへの不安は失せた。へちゃっらだ。
 見られることより、見ることの欲求が、押さえられない。むしろ。
 ボストンのテロ犯人が街を歩くシーンをコマ送りで地球上に共有させたカメラ映像は、安心を求める地域住民の願いを運ぶ以上に、次のスペクタクルを予期させるエンタテイメントの刺客だった。
 ならば、ホーリー・モーターズの主役が演ずる仕組まれたフィクションよりも、地上のあらゆる場所で紡がれる現実の営みをつなぐほうが、緊迫した作品たり得る。
 撮ることと、撮られることを意図したいくつかの虚構よりも、意図せずに撮り、無意識に撮られた無数の現実のほうが、豊かな映像たり得る。

 街中に4Kカメラがばらまかれる。
 全てが高精細で記録され、編集され、再生される。
 全ての生きる者が役者だ。全ての空間がステージだ。全ての行為が映画だ。
 編集された結果が映画なのではない。編集され得る連結したビッグデータの映像群が映画と呼ばれる。
 むろん街の眼は埋め込まれたセンサーカメラばかりではない。
 ギラついた意志を持つカメラが、街をうごめく。
 ウェアラブルなカメラが撮り、バーチャルなサーバにアップし、ウェアラブルなチップが受信し続ける。
 今から撮る、その意思表示は、かつてシャッター音が表現した。
 カシャッという、ぶざまな爆発音。
 だが、撮り続ける、その意思表示はもう要らない。
 ビデオの記録ボタンは、一度押せば永遠が手に入る。 
 ユビキタスは、いつでも・どこでも、ではない。いつも・どこも、なのだ。
 シャッター音は、いつでも、どこでも、撮られる、その合図。
 撮り続けるビデオは、いつも、どこも、撮られ続ける、その覚悟。
 
 映画のラストシーン。おびただしい数のリムジンが、ホーリー・モーターズに帰ってくる。
 それぞれのリムジンが、役者を運び、演じさせ、撮らせ、見させてきた。
 仕事を終え、リムジン同士が語らい合う。
 「人はもう、見える機械を望まない」
 「モーターを欲しがらない」 
 そうだ。これが主題だ。
 人より大きいカメラは、見えなくなる、そういうみんなの望みをかなえた。
 体より大きいスクリーンは、メガネの中に埋め込まれる。
 モーターを欲しがらない。
 モーターは革命だった。動力革命を支えた。だがどんどん小さく、静かになっていった。ウォークマンやビデオカメラに埋め込まれ、見えなくなり、秘かになり、主張しなくなった。コンピュータも同じだ、とネグポン師匠は言った。小さくなり、バラバラになり、静かになり、埋め込まれていく。そうなりつつある。
 モーターはスターだった。通天閣は長く「日立モートル」という宣伝だった。ぼくが生まれた年の「悪名」、八尾の朝吉っつぁんの相方は、「モートルの貞」ではないか。だがその田宮二郎は、タイムショックを経て、猟銃自殺だ。通天閣の宣伝はその後、日立エアコン、日立コンピュータ、日立ハイビジョンテレビ、日立ITソリューションと続き、形が消えていく。

 なぜ、かくも多くのリムジンがモーターズに集まるのか。
 見せたい演者が大勢いるからだ。
 見たい観客が大勢いるからだ。
 みんなが見せて、みんなが見る。
 その時が来た。わかってはいたんだが、時が来た。
 それを、他でもない、カラックスが描いてくれた。

2013年6月24日月曜日

ホーリー・モーターズ:演じること、見られること

■ホーリー・モーターズ:演じること、見られること


  今年はこの1本で満足です。レオス・カラックス監督、「ポーラX」以来13年ぶりの長編。
 主役のドニ・ラヴァンがさまざまな人生をパリの1日で演じます。いや、演じる役を、演じます。富豪の銀行家、背の曲がった物乞い女、「汚れた血」を彷彿させるモーションキャプチャーの疾走、ペールラシェール墓地の怪人、揺れる年頃の娘を案ずる父親、13区チャイナタウンの殺人者、過ちを犯した姪に看取られ死に行く老人。一日の終わりの仕事は、自宅の主人の役。今夜の鍵を渡されて戻った自宅に待つ妻と娘はチンパンジー。
 美しく、激しく、速く、しなやかに。カラックス節、炸裂です。アイデンティティーを、人生を、くるくると交差させて、年齢も、性別も、乗り越えて、彼らしいアイロニーを貫きます。
 音がアクセントを添えます。怪人が墓地に登場する際は、伊福部昭さんの「ゴジラのテーマ」が荘重に流れます。娘を迎える父親の車ではスパークスの曲。インターミッションと称するシーンでは、アコーディオンの楽隊を編成して行進です。デパート「サマリテーヌ」の廃墟で昔の恋人に会うシーンはミュージカルに一転。鮮やかだなぁ。

 全編が、映画の撮影です。でも、カメラはありません。いや、見えません。どこかに、あるのです。そして、どこかで、大勢の観客が見ています。観客の姿も見えません。でも、演じ続けます。それぞれのラストシーンで死んでしまっても、すぐに起き上がり、次のアポへリムジン移動するのです。

 フィクションと現実。バーチャルとリアル。その境界を行き来し続けますが、その境界も判然としません。疲労困憊し、メシも食えずに、リムジンの中で蒸留酒とタバコをあおり、次のアポに向かいます。アイロニー。アイロニー。何の?ぼくの。あなたの。演じて、見られて、疲れて、回復するフリをして、演じて、見られる、ぼくたちの。
 カラックスはこの作品の出発点を「自分自身であることの疲労」、「新たな自分を作り出す必要」の2点だと話しています。自分自身であること。そんなものがあるのだろうか。あるとすれば、他者がみる自分というものの像をなぞることではないか。自分、なるものを演ずることではないか。それに疲れる。そのとおりだ。だから新たな自分を作り出す。それも何か別の人生を演ずること。つまり、ぼくたちの、日常。
 職場で折衝していても、なじみの街を歩いていても、友人と談笑していても、家庭でくつろいでいるときも、いや、一人トイレに籠もっているときだって、外からにせよ内側からにせよ、どこかにバーチャルな視線を感じ、大なり小なりの演技があって、いや、逆に全く演技のない自分自身の結晶というのはどういうことだろう、その演技混じりの姿を他者の眼が認める像、それが現代の自分。
 映画では、演技者でなく素の自分に戻るのは移動中のリムジンの中だけ。アポからアポに移る刹那、脱ぎ、休み、飲み、化粧し、着替える間、本人として語り、悩み、笑うことができます。だから、プロデューサーのような仕事の命令人と会うのも、わざわざリムジンの中。外に出ればみなフィクション。(だから元恋人が屋上から投身したシーンも、彼女の演技であって、フィクションだとぼくは解します。)だけど、リムジンの中だって、どこまでが自分自身なのか?

 冒頭、カラックス自身が登場し、映画館の扉を開けます。映画監督による、映画の映画であることを表します。フェリーニが「8 1/2」でグイドに託したことを、アレックス3部作でカラックスの分身として主演させたドニ・ラヴァンに託しています。3部作の3作目「ポンヌフの恋人」では、作り物のポンヌフから、現役だったサマリテーヌのハリボテ、豊かさの象徴だったデパートが見上げられていました。橋もデパートも盛大すぎるセットを建てたために予算が尽きて大変なことになったのは有名。あれから20年。サマリテーヌは潰れ、そのシーンでは実際の廃墟でロケが行われたそうです。眼下に実在のセーヌ川とポンヌフが映ります。20年の意趣返しですね。
 さて、13年ぶりの大作ですけど、カラックスもラヴァンもぼくと同い年。ぼくが生きているうちに、あと2本ぐらい、撮ってくれないかな、と思います。

(カメラが見えないこととみんなが見ていること、については、次回書きます。)

2013年6月20日木曜日

キッズクリエイティブサミット

■キッズクリエイティブサミット

 ワークショップコレクションで、「キッズクリエイティブサミット」が開催されました。
 子どもを対象とするワークショップコレクションの場ではありますが、これは大人のための会議であり、創造力を育む「クリエイティブ教育」について、世界を代表する専門家とともに考えようというものです。
 まず、スタンフォード大学教授のシェリー・ゴールドマン教授が基調講演し、それを受けて、KMDの稲蔭正彦委員長とぼくが交じって会場との意見交換を行いました。

 教育人類学者のゴールドマン教授は、学校内外での学習場面についての研究や、デザイン的思考やテクノロジーの学習場面への応用の実践を行っています。また、オルタナティブスクールやチャータースクールなどのパブリックスクールの設立にも関わっています。
 ゴールドマン教授からのメッセージは次のようなものです。

「未来に向けたこどもたちの教育とはどういうことなのか。めまぐるしく変動しグローバル化する社会において、われわれはテクノロジーや科学、健康、政治、経済などといった予測できない変化に直面している。
こういった変化はこれからも続いていくということは確かなことだ。」

「そういう未来のために子どもたちを教育するにあたって、私たちは、彼らが生涯を通して学習し、予測不可能な問題を解決することができるような生産的な大人になるような教育を提供したいと考えている。
教育や学習に対するわたしたちのビジョンを発展させ、実行するために、未来のために子どもたちには何が必要なのかということに意識を向ける必要がある。」

「私たちは、急速に変化する昨今の状況から、イノベーションや創造性、批判的思考、問題解決能力、コミュニケーション能力や協調性などといったことに対する関心が、未来を視野に入れた子どもたちにとって必要不可欠であることが分かってきた。
昨今の学習場面でのテクノロジーや、デザインに基づいた学校教育の動向について触れた上で、予期できる未来について考えてみよう。
」

「そして、「教師としてこれからの変化のために、どのような準備が必要なのか」といった疑問や、「まず、学校はなにをするべきか」、「どのようなかたち で新しいテクノロジーや学習体験をこどもたちに提供すればよいのか」、「イノベーションを視野に入れた教育を取り入れないと、どういったことになるのか」 などといった質問について考えたい。」

 これを受け、ぼくは以下のようなショートプレゼン。

「日本の子どもたちがデジタル技術を使いこなす力はとても高い。10年以上も前から女子高生たちは親指でメールを打っていたが、他国ではみられない光景だった。2007年にテクノラティ社が調べたところでは、世界中のブログで使われる言語の37%が日本語で、英語の36%を抜いて首位。2013年2月にアドビ社が調べたところでは、モバイル機器を使った情報発信量では、日本は世界平均の5倍で、これも首位。日本の若い世代は他国に増して情報を生産し、発信している。」

「ワークショップコレクション会場でもあちこちで目にするように、子どもたちはデジタル技術を駆使して創造力や表現力を発揮している。国際デジタルえほんフェアの会場では、2歳児たちが競うようにタブレット端末で遊んでいた。誰も説明などしていないのに。そうしたデジタル基盤、デジタル教材、ワークショップの充実度という点で、日本はすばらしい環境にある。」

「しかし、これを公教育に持ちこむことに関して日本は遅れを取っている。ウルグアイが2009年に全ての子どもに配布したネット端末はMITが開発したものだが、その元の設計図は私のグループが2001年に描いてMITに提案したものだ。同じ年、日本政府にも提案したが相手にされなかった。デジタル技術と社会との距離という点で、日本には課題が残る。」

「2011年の京都大学入試カンニング事件では、ケータイで試験問題をソーシャルメディアに送り、他人の答えを答案用紙に書いた受験生が逮捕された。しかし、彼のしたことは、文部科学省が教育情報化ビジョンに高く掲げた “教え合い・学び合い” だ。デジタル時代の教え合い・学び合いの力をアナログな入試で発揮すると逮捕される。この事態をどうとらえるか。デジタル技術も若いユーザの利用力も先に進むが、それを大人の社会がどう受け止めるかが問われている。」

 会場には中国や台湾から来た研究者たちからも質問が飛び、デジタルネイティブ世代のための環境をどう整備するのか、熱い議論がたたかわされました。
 デジタル時代の子どもの創造力・表現力を高める祭典、ワークショップコレクション。
 日本が設けたその場で、デジタル化が急激に進展するいま、国際的な観点から大人たちが意見を交換し、共有した意義はあったと考えます。


2013年6月17日月曜日

イノベーション・オブ・ライフ?

■イノベーション・オブ・ライフ?
クレイトン・M・クリステンセン、ジェームス・アルワース、カレン・ディロン著「イノベーション・オブ・ライフ」。
ハーバード・ビジネススクールの看板教授、「イノベーションのジレンマ」の著者による最終講義だそうです。
ハーバード・ビジネススクール卒業生の多くが陥る不幸や苦悩に端を発して、家族のこと、友人のことをはじめ、人生の設計や戦略はどうあるべきかを語ります。企業を対象とする理論を、人生にも当てはめるというものです。
いろんなレビューでチョー高評価。べたほめです。
大病を患い、過酷な試練を経た教授の言葉の数々。先生のファンが聞けば、最終講義であることの感激もあいまって、沁みるのでしょう。

でもね。
「自分を犠牲にしてでも幸せにしてあげる価値があると思える人を探す」
「子どもは学ぶ時期が来れば学ぶ」
「自分のなりたい自分を考える」
いやいや。
教育論としても、人生訓としても刮目する点は感じず、先生には申し訳ないが、ぼくは流行の自己啓発本の棚に置いてしまいそう。
高評価レビューを見ていると、ぼくのライフがイノベーティブじゃないということか、と自分の感受性が低いことを責めそうになってしまうのが、いけませんや。

計画性のある「意図的」戦略と、偶然を活かす「創発的」戦略とが語られます。
クリステンセン教授は、編集者になることを意図的に目指し、起業し、創発的に教授になった。それ以後、教授職を意図的戦略に変えていったんだそうです。
なるほど。でも、そんなもんだと思うんです。
ぼくはロックミュージシャンを目指し、挫折して官僚になり、それも創発的に飛び出していま教授を名乗っておりますが、だからといって、人さまに語る人生理論はございません。単に、音楽やら法案やらプロジェクトやらを行き当たりバッタリ創り続けているだけのことでして。
年とってきたんで、人生訓を求められたり、婚礼のスピーチでそれっぽいことを期待されたりもするのですが、人生の秘訣だとか円満のコツだとか、どうにも気恥ずかしく、話すのはむろん、聞くのも苦手なので、いけませんや。


この書物の持ち味は、そうではなくて、やはり教授の本業にあります。
人生訓に転換される前に披露される、さまざまなビジネス・ケースの分析。これがすこぶる面白い。個人的に。
いくつか挙げてみましょう。

ディズニーランド・パリの失敗。
他のディズニーランドの例をコピーし、お客さまは平均3日の滞在、という仮定でビジネスプランを立てたことが敗因という。
- - - ぼくは開業間もない90年代前半にパリに赴任し、その債権者会議によく出席していました。バブルの日本資金が開業に大きく貢献したのですが、当初、目論見が大きく外れ、日本の銀行団がしょっちゅう対応策を検討していたのです。ぼくは30歳過ぎでしたがパリで郵貯・簡保の外債運用に携わっていて、フランスの大蔵次官に会える立場だったので、そういうヤバいミーティングにもちょこんと座っていました。
周りのホテルも日本のカネで建ててしまった損がデカいとか、フランス人が電話かけても英語で出るのが不人気だとか、冬が寒すぎて人が来ないとか、日本のエリート銀行員たちからトホホな話をたくさん聞きました。

ホンダ・アメリカの成功と失敗。
大型バイクを意図的戦略として売ろうとしたが失敗、スーパーカブが創発的に成功したという話。
- - - ぼくのおじがですね、むかしホンダ・アメリカの社長をしてまして。失敗した方を担当してたのか、成功した方なのかは知りませんが。
そのおじは帰国し引退した後、貿易商となり、レーズンバターに着想を得て、レーズン豆腐を創ると言いだし、干しぶどうをたくさん輸入したのですが、あのビジネスはどうなったでしょう。創発的に失敗したかな。

デルがエイスースへアウトソースした結果、エイスースがノウハウを吸収し、ひとりでできるもん、になったこと。
ネットフリックスがブロックバスターの逆のビジネスモデルで立ち上がったこと。
ブロックバスター、USスチールが総費用より限界費用を重視して新興企業にやられたこと。
ピクサーが監督にアイディアを渡して制作させるのではなく監督自身のアイディアを磨かせる企業文化であること。
イリジウムが500gの端末で失敗したこと。
インテルのアンディ・グローブが低価格プロセッサでローエンド市場に参入したこと。
どれも面白い。

教授の人生訓に沁みるわ~となるか、
ビジネス事例をピックアップして企業戦略を考えるか、
どちらでもいいと思いますが、どちらもというのは、欲張り過ぎな読者である。ってコトですかね。

2013年6月13日木曜日

デジタルえほんアワード 2013

■デジタルえほんアワード 2013
 ワークショップコレクション9の会場で3月9日、デジタルえほんアワードの受賞作品の発表と表彰式が行われました。第2回の開催となります。
 デジタルえほんアワードは、スマートフォンやタブレット、サイネージや電子黒板など、テレビ・PC以外の新しい端末での子ども向けのデジタル表現すべてを 「デジタルえほん」とし、応募作品の中から優秀な作品を表彰するものです。
 われらがNPO「CANVAS」、われらが株式会社「デジタルえほん」の共催です。


 昨年の第一回の模様はコチラ。
 http://ichiyanakamura.blogspot.jp/2012/05/blog-post.html
 

 募集部門は「企画部門」「作品部門」「ブックウォーカー特別部門」の3部門。全体の中から大賞を選出します。審査委員は以下のかたがた。
・いしかわ こうじ  絵本作家
・角川 歴彦  株式会社角川グループホールディングス取締役会長
・香山 リカ  精神科医・立教大学教授
・きむら ゆういち  絵本作家
・小林 登  東京大学名誉教授・国立小児病院名誉院長
・杉山 知之  デジタルハリウッド大学学長
・水口 哲也  クリエイター・プロデューサー
・茂木 健一郎  脳科学者、ソニーコンピュータサイエンス研究所シニアリサーチャー、慶應義塾大学特任教授

 今回の結果は以下のとおりです。
●大賞
 みんなでつなげっと(スマートエデュケーション)
●作品賞
 めがねはちょうちょにあこがれる(竜海中学校 宇野侑佑)
●作品賞・審査員特別賞
 ひとりぼっちのりく(りく企画)
●企画賞
 話せる絵本~どうぶつほうもん~(佐藤ねじ)
●企画部門・審査員特別賞
 おっきの ちっさいの(アマゾンラテルナ)
●ブックウォーカー特別賞
 ケロロとるるるるる!だいさくせん(絵本であります)(相沢いさな)

 なんたって注目は、作品賞に輝いた現役の中学生、宇野くん。
 部活で作成したというデジタルです。メガネがきれいなチョウチョにあこがれて、いろんな方法で蝶になろうとするお話。いま宇野くんは文化祭に向けて3Dのカーレースゲームを制作中だといいます。機能が豊富なので英語の勉強をかねて英語版のソフトウェアを使っているそうです。たくましいなぁ。
 今回、慶應で表彰式が行われるため、仲間から「慶應大学おめでとう」というメッセージを受け取ったというお話を引率の先生がされていました。冗談じゃなくて、慶應に来てくれるといいな。

 ブックウォーカー特別賞は、新設です。角川書店と協力し、ケロロ軍曹をモチーフとしたデジタルえほんのアイデアを募集したものです。受賞した相沢さんは、絵本作家になるのが夢とのことで、それに一歩近づいたと話していました。
 デジタルえほんはこれから開発され、発展していく分野。そこで活躍する人を見出し、応援することもこのアワードの大事な役割です。

 審査委員からコメントをいただきました。まずはデジタルえほんの可能性に着目するメッセージ。
 香山さん「そもそもデジタルえほんなるものを操作できるのか心配だったが、スグにその世界に引き込まれた。」杉山さん「デジタルえほんは、新しい表現メディア。スマホ、タブレットの枠からも飛び出し、子どもから大人まで楽しむものが出てくるだろう。」
 水口さん「親が参加して初めて完成するえほん。新しい仕組みのものが出てきており、多様化している。」角川さん「そしてこれからますます広がっていく。ジョブスもエラいが、この分野を切り開いているみんなもエラい。」
 小林先生からは、さらなる宿題をいただきました。「産声を上げた赤ちゃんはまず周りを見回す。情報を求める存在。情報は脳や心の栄養。受賞者はその仕組みを研究してほしい。日本はアメリカや韓国に教育の情報化が遅れている。日本の将来のためにも「子どもが情報をとらえる力」を考えてほしい。」

 絵本作家のいしかわさん。「デジタルえほんは、絵本をデジタル化したものじゃない。屋外でケータイ使ったフィールドワークものや、ドリル学習えほんなど、それならでは表現メディア。 90年代にマルチメディアが期待されていたころは、結局は定着しなかった。キーボード主体だったからだ。スマホやタブレットは、デジタルだがアナログ的なツールが出てきたことが大きい。中学生の受賞はうれしい。作る喜びをそこに見出すことができる。」
 同じく絵本作家のきむらさん「そのとおり。絵本をデジタル化したものではない。全く違う発見があった。だが、まだまだ可能性がある。3年後は審査員ではなく、受賞者側に回りたい。」
 最後に、茂木さんから、ハッパをかけられました。「”デジタル”という言葉は誤解されている。絵本は紙じゃなきゃダメだという意見には根拠がない。デジタルとはインタラクティブのことだ。考えてみれば、紙芝居はインタラクティブだった。それが進化したものだ見ればいい。しかし、日本はその対応が遅い。20年間眠っている。スピード感が必要だ。動画のYouTubeはアワードなんてなくてもスゲー、という存在になっている。デジタルえほんも、こんなアワードがなくたってスゲーとなるようなものにならなければ。審査員が選ぶというスキームではなく、みんなが選ぶといった手法で広げていきたい。」
 がんばります。がんばりましょう。

2013年6月10日月曜日

ぼく目線で野中広務回顧録を読んでみた

ぼく目線で野中広務回顧録を読んでみた

 御厨貴/牧原出著「野中広務回顧録」。ぼくが京都から郵政省に就職するのと同じ頃に京都から国政に出られて以来、郵政族のドンとなっていく野中さんを眺めていたので、個人的に響くことの多い書物でした。

 政策屋として政治には興味がありますが、政局に関わったり、ましてや政治家になったりすることはご勘弁なので、距離を置きながら、観察していた対象。そのオーラルヒストリーです。

 知らない話もたくさんあります。

 国鉄時代、大阪鉄道局の上司だった佐藤栄作局長にハンコを押し直させた。町議会議員当時、田中角栄郵政大臣に郵便局改修へのサインを迫り実行させた。国家公安委員長当時、犯人に仕立てられた河野義行さんに詫びた。こうしたお会いになったかたがたとのエピソードがしごく生きています。もっと聞きたい。

 例えば細川内閣が瓦解するころ、野中さんが渡辺美智雄さんに呼び出された話。ぼく訳あってそのマンションのその部屋に住んでます。役所を辞めた後、ミッチーの事務所だった部屋に転がり込んだんです。
 →ブログ 「ワケあって。」 http://bit.ly/Qf4a35

 自社さ政権の頃、同じマンションで竹下さんらと麻雀してたという記述もありました。どの部屋だろうと調べたら、最上階に金丸さんの麻雀部屋があったんだって。へえ、住んで14年目にして初めて知った。

 京都・蜷川共産党政権でも、総務部長と財政課長と地方課長と教育委員会管理課長は東京の官僚をもらっていたという何気ない話もビックリ。民主党政権の「脱官僚」よりよほどしたたかです。だから共産党なのに28年も知事に君臨したんだな。そこに人材を送り込んでる自治省もさすが旧内務省っていうか。

 知ってる話もいくつか。
 93年、自民党の野党転落後に役所とのつきあいに気を遣った話はぼくにとっても生々しい。「役人のうまい生き方を見せられたのは、郵政だったな。」多くの役所・役人が与党になびく中での郵政省幹部の振る舞いはよく覚えています。

 確かに、新しい与党にも野党にもそれなりにつきあった郵政省は、全国の郵便局をバックにしたぶ厚い政治対応という点で、他の役所とは肌合いが違っていました。霞ヶ関でドンパチやり合ってた通産省は、当時は内紛で大変でしたし。

 97年、橋本行革の省庁再編。通信・放送行政は、独立委員会プランが官邸から打ち出されたのに対し、運輸通信省や産業通信省などの構想が巻き返しを図る中、総務省に落ち着いた。

 本書ではこれを総務庁が決めたように書かれているが、違いますよね、野中先生ですよね。橋本総理と話すときに江田憲司秘書官を部屋から追い出した話も書かれています。これは野中先生から直接聞いたことがあります。

 通信放送2局が総務省入りで決着したのは、日本メディア政策史の重要局面です。ぼくは裏方で運輸通信省を求める自民党議員たちの声を集めつつ、最終的に総務省入りにならないものかと祈っていたので、最終的な政治裁定が出たときには永田町に向かって頭を下げました。
(同時にそれは時の首相に逆らった結論を出してもらったことでもあり、ぼくは担当としてクビだなと覚悟した瞬間でもあります。なお、その後これを郵政省時代と同じ3局に戻したのは竹中平蔵総務大臣。これも記録しておいていい政策史。)
 
 小渕首相のブッチホンは始末に困ったという話。ぼくはそのホンで15年間蝶ネクタイをさせられていたんですが、他にもそういう目に遭った人がいたのかな。

 自自公政権の官房長官に就任した際に、大蔵省が任期半年の秘書官から野中さんの地元の税務署長経験者にクビをすげかえた恐ろしいやり口だとか、自自公時代の選挙担当として公明党との協力は党本部ではなく創価学会とやっていたというヤバめの話がしれっと出てくる。ヤバい。

 2001年自民党総裁選、小泉vs橋本で小泉さんが地方票で圧勝し首相になる直前、橋本陣営を仕切っていた野中さんと、これも訳あって寿司屋で2時間、二人きりで話し込んだことがあります。てっきり橋本さん返り咲きと思い込んでいたら、「それがなぁ、小泉が強いんや。」とつぶやかれていた。

 その際「あんた選挙出えへんか?」との誘いがありました。とっさに「先生ぼくイナカ京都なんです」と返したら、「そらあかんわ」で終わりました。ああ京都出身でよかった助かった。胸をなでおろした10年前のお話です。

2013年6月6日木曜日

ワークショップアワード 2013

■ワークショップアワード 2013

10万人参加のワークショップコレクション。
 当日は創作ワークショップを表彰するアワードも行われました。第3回目です。
 審査員は、NTV土屋さん、カヤック柳沢さん、季里さん、CANVAS石戸理事長と、ぼく。去年・一昨年の模様はコチラ。
 2012
 http://ichiyanakamura.blogspot.jp/2012/07/2012.html
 2011
 http://ichiyanakamura.blogspot.jp/2011/06/2011.html
 http://ichiyanakamura.blogspot.jp/2011/06/2011_09.html
 http://ichiyanakamura.blogspot.jp/2011/06/2011_16.html

 さて、今年の受賞作から。


●グランプリ
「宇宙服で英語の夢を乗せた傘袋ロケットをつくろう!」
 グロ☆スタ  協力JAXA
(提供者メッセージ)
「グローバルに活躍したくて、宇宙が好きなみんなを待っています!簡単な英語を学び、英語で宇宙を知り、夢を英語で書いてみよう。「英語を学ぶ」のではなく、 「英語で好きなことを学ぶ」楽しさを「宇宙学習」で体験してもらいます。最後は宇宙服を着て、その夢を載せるための傘袋ロケットをつくろう!
 JAXA協力の下、英語で宇宙について学ぶと共に、英語で夢を書き、夢を貼った傘袋でロケットを制作し、飛ばすことの出来る特別なイベントです。経験してもらいたいことは、英語を目的として学ぶのではなく、英語を通じて子供の興味のあることを学ぶこと。可愛いキャラクターたちが、子供たち に楽しい環境を提供します。
 小中高生対象グローバル人材教育のIGSと可愛い雑貨を日本全国に展開するパスポートが共同で行う4歳 から親子で始める新時代の教育アプリ「GLOSTAグロスタ」。美しい英語で話せ、英語で楽しいスタンプ会話ができるアプリです。宇宙教育に関し、 JAXA様から、多大な協力をワークショップにいただいております。」

※傘袋でロケットを作る。飛ばす。デジタルのアプリで学ぶ。宇宙服を着る。アナログとデジタルをうまくミックスしたワークショップ。宇宙ブームですしね、ハマりますわね。


 ぼくは、下記の2点を推して、コメントを付しました。

●優秀賞
「アナウンサーになってニュースを伝えてみよう!」
 TBSテレビ&ラジオ 
(提供者メッセージ)
「特設スタジオで、アナウンサーになりきってテレビカメラに向かってニュースを読んでもらいます。アナウンサーの気分が味わえます。テレビの番組がどんなふうに作られているのかということも、リアルに体感することができます!
 『5秒前、4、3、・・キュー!』アナウンサーって難しそう?でも、アナウンサーって楽しいかも?
 テレビカメラに向かってニュースを読んで、アナウンサー気分を味わってみて下さい。なかなかできない体験です。この緊張感にハマっちゃうかもしれませんよ!」

※ぼくのコメント
 教室が特設スタジオになりました。アナウンサーになりきってテレビカメラに向かってニュースを読んでもらいます。アナウンサーの気分を味うだけでなく、テレビの番組がどんな具合に作られているのかということも体感できます。
 子どもが座るアナウンス席には、テレビでおなじみのプロのアナウンサーも一緒に番組を進行。カメラ、照明、画面をスイッチングするディレクター、カンペを出すフロアディレクター・・みなプロフェッショナルが脇を固めます。
 ぜいたく~!!
 テレビ局が、その本業を、本職のかたがたによって、子どもたちに伝える。これぞ社会貢献のモデルだと思います。
 アナウンサーだけじゃなくて、カメラや照明やディレクターなども体験できるような常設のスタジオが欲しいなぁ、なんて、もっとぜいたくなことを考えてしまいました。


●来場者投票賞
「日本美術を体験・体感・発見!おもしろびじゅつ教室」
 公益財団法人サントリー芸術財団 サントリー美術館
(提供者メッセージ)
「江戸時代につくられたやきものの最高峰「鍋島」のデザインは、今みてもクールでカッコイイ! 
 今回のワークショップでは、サントリー美術館が持っている鍋島焼をもとにタブレット型PCをつかって、オリジナルの鍋島をデザインしてみよう!日本美術を体験・体感・発見!
  ともすれば「難しい、とっつきにくい」と思われがちな日本の古美術。でもお皿や茶碗などのやきもの、屏風などの美術品は、昔の日本人の生 活で実際に使われていた「生活の中の美」でした。今回のワークショップが日本美術の面白さ、素晴らしさを体験・体感・発見いただくきっかけとなることを 願っております。
 サントリー美術館では日本の古美術を中心とした展覧会活動と共に、次世代に向けた教育普及活動を実施。 中学生以下入館料無料、鑑賞支援ツール「おもしろびじゅつ帖」配布等のほか、2012年夏にはデジタルとアナログを駆使した参加・体験型展覧会「おもしろ びじゅつワンダーランド」展開催等、積極的に取り組んでいます。」

※ぼくのコメント
 江戸の焼き物?「鍋島」?
 子どもから見ると、古くさくて難しそうな題材。ところが、間近で見てみると、その色づかいもデザインも、圧倒的にキレイでカッコいい。
 それを元に、タブレットで自分の皿をポップにデザインする。そして大型スクリーンに展示して、みんなで鑑賞する。さらに、プリントアウトして持ち帰り。
 古美術とポップ。参加と鑑賞。個人とみんな。アナログとデジタル。
 抜群です。恐れ入りました。
 私は昨年、サントリー美術館を訪れ、この参加・体験型展示に心を揺さぶられたのですが、そのしつらえをワークショップとして教室に移設してくださったことに加え、プリントアウト土産という工夫も加えられたご努力に敬意を表します。

2013年6月3日月曜日

田中角栄というシステム

■田中角栄というシステム

早野透著「田中角栄」。これまでも角栄本はたくさん読みましたが、改めて田中政治って何だったのかなと考えるきっかけになりました。生前のうちに肉眼で拝んでおけばよかったと思う人であります。
毀誉褒貶のチャンピオン。金権政治、官僚操縦、数々の議員立法を通した政策マン。評価はさまざまですが、一つの型というか、システムを作られました。
それは、イデオロギーよりもリアリズム、理念より実利を求める政治の型であり、その手段としての集金・分配と数のメカニズムであり、それを代表する「党人」という立場だった、と思います。

イデオロギーや理念先行型の政治は、官僚出身者に多かった。吉田(外務)、岸(農商務)、池田(大蔵)、佐藤(運輸)、福田(大蔵)、大平(大蔵)、中曽根(内務)、宮沢(大蔵)。官僚出身の総理は、やりたいことが先にぷんぷん漂っていました。
これに対し、田中は、日本列島改造論や日中国交正常化など、総理になるころに打ち出した政策は理念的に見えますが、基本は、ドブ板の選挙と集金・分配を通じて、地域が求めるものをゴリゴリと実行していった政治家だと思います。理念的にやりたいことよりも、民衆から求められることをやった。
議員立法を重ねたことから、理知的な法律家という評価もありますが、基本はその党人的な手腕と魅力で官僚システムをこき使い、民衆から求められる制度や予算をしつらえていったのが実態ではないかと見ます。
ぼくは、これが自民党政治の幹であり、迫力の源だったと思います。イデオロギーよりも民衆のリアリズムに立脚し、ひたすらそれを実現する。足腰と耳の政治です。

戦後の党人総理は実質、田中に始まり、鈴木、竹下、海部らを生みました。官僚派vs党人派という暗闘もあったと聞きます。エリートと大衆ですね。しかし、党人系脈が太い型として育つ前に、自民党政治は世襲にスタンスを変えました。
橋本、小渕、小泉、安倍、福田、麻生。理念と実利、帝王学と大衆というバランスを取るための一つの型と言ってもいいでしょう。民主党は、この型に対抗しようとしたはずですが、理念型に偏り、大衆から離れ自滅しました。

72年、田中は毛沢東国家主席、周恩来首相と談判し、日中国交正常化にこぎつけます。同年の沖縄返還に次いで、戦後処理を仕上げました。オイルショック後はエネルギー政策も転換しました。それがアメリカの不興を買い、後の失脚につながったとする説もあります。これらも確固とした理念というより、リアリズムに従った政治だったのだとぼくは思います。
その後、国運をかけた政治判断はありませんよね。湾岸にしろイラクにしろ、戦争参加の判断とはいえ、よそごとでしたし、バブル処理も国鉄電電郵政民営化も国運をかけたわけじゃありませんしね。TPPの判断に手間取ったのも仕方ありませんわね

さて、田中政治との関わり。ぼくの住んでるアパートの向かいの部屋が大番頭・金丸信の元オフィスで、金塊やらワリチョーやらが出てきたんで有名になってしまったのですが、会ったことはありません。その子分、小渕恵三には副総裁当時、初めてお目にかかったときに蝶ネクタイ着用を命ぜられ、以後15年間、クールジャパンに関わって和服に転換するまで、そうさせられるハメとなりました。郵政族のその後を負った野中広務には、アンタ選挙出えへんかと誘われましたが、先生ぼく京都でっせ、そらあかんわ、で終わり、事なきを得ました。それぐらいです。ありがたいことは全くありませんでした。

おじょうさま。会ったことはありません。でも、「デジタル教科書はいらない」という本をポプラ社から出されまして、弱りました。反論は簡単なのですが、怖い。ご主人とは東日本大震災の直後に一緒に被災地を回りましてね、あちこちで丁寧に頭を下げ気を配っておられる姿に接し、なんていい人すぎるんだろうと思ったんですが、カミさんは怖い。だから反論は孫正義さんの担当ということでお願いしておりましてね。
田中真紀子文部科学大臣が発令されたときには、デジタル教科書推進一派はもはやこれまで、と覚悟しました。ところがおじょうさまときたら、大学新設を認可しないわよとか言い出して、おじょうさまどないしまんねんと思っているうちに政権交代となり、ホッとすると同時に、どうせならデジタル教科書撲滅とか宣言してもらって、ぼくらが次に運動する反発パワーをもらっておきたかったなと思っている次第。

本題。ぼくが田中角栄を評価するのは、史上最大のコンテンツ政策を遂行したからです。テレビ局の一斉開設です。1957年。岸内閣で39歳で郵政大臣に就任した田中が民放34社に一斉免許を与えました。これがテレビ産業の拡大をもたらし、日本コンテンツの大本となる産業を成立させました。
腰を抜かすほどの電波開放。コンテンツ政策には長く関わっていますが、未だこれを超える政策はありません。89年、通信衛星を放送に使えるようにした制度改正、つまり多くのプロダクションが放送局になる道を開いた政策がこれに次ぐものですが、なんと言っても地上波開放のインパクトが大きかった。
現在のコンテンツ政策も、それくらいのダイナミックな政治力が求められています。ちかごろコンテンツ政策には政府も肩入れしていますが、粒が小さすぎる。こういうガツンとしたオヤジが欲しいと思います。ぼくは文化政策、通信放送政策、家電・ソフトウェア政策、IT・知財政策を合体した「文化省」を提案しているんですが、田中角栄文化大臣だったら何を企画してくれるだろうという空想に捕らわれます。

「女は砥石である」。田中の名言です。磨いて磨いて磨いてもらう。鋭くなって、働きは増す。けれども、その分すり減る。ご苦労なされたんでしょうね。