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2013年3月28日木曜日

デジタル教育反対派への10の質問

■デジタル教育反対派への10の質問

橋下大阪市長が2015年にデジタル教科書の全市展開を宣言し、実証実験に動いています。2月には東京都荒川区の西川区長が2014年度に一人一台を区内全小中学校で実現する意向を表明しました。東阪ツートップの力強い動きを受け、地方都市でも今年内に一人一台を達成する自治体が現れそうです。
すごい。政府が2020年を目標に据えているのに対し、デジタル教科書・教材協議会(DiTT)は2015年の目標を掲げてきたことについて、そんなムチャなとあちこちから批判されていました。でもこうなると2015年達成もあながち夢ではない。そうでなくちゃ。自治体主導、現場主導で進めていきたいと思います。

しかし、なおデジタル教育に対する批判はあります。デジタルのメリットとデメリットの議論、やるかやらないかの議論を続けているのは日本だけだという揶揄を海外から受けておりますが、そうは言ってもまだ残ってる。ぼくはメリット99:デメリット1と見ているので、「やる」と決断して動いています。これに対し反対派は、デメリットばかりを拡大・指摘する傾向にあり、バランスを欠いていると見受けます。まぁそれはいいんですが、じゃぁどうするか、が不足しているんです。

これまでぼくらは、そのデメリットについて、そのリスクやコストについて、説明とか検証とか成果とかを求められ、質問を浴びてきました。でも、もうそういう段階ではない。やらないことのリスクや、やらないことのコストのほうが目立ってきています。これからは、反対派に対し、そのリスクやコストについての説明責任を問いたいと思います。こちらから質問をしていくことにします。

さて、そこで、よく浴びせられるデジタル教育批判に関して、10問ならべてみます。反対派のみなさん、お答えください。

1 デジタルによる学力向上の効果について、プラスの成果は日本にとどまらず全世界から報告されている。これに対し、非デジタル学習のほうが学力向上効果が高いという成果、評価を示してもらえませんか?

2 一覧性に欠けるなど、デジタルは紙のよさに勝てないのではないかという指摘について、紙には紙のよさがあり、鉛筆には鉛筆のよさがある一方、世界と瞬時につながり、映像も音楽も利用・生産できるなど、デジタルにしかできない効用があると思うが、アナログはその機能をカバーできますか?

3 デジタルがもたらすゲーム的なわかりやすさは思考力などと無関係ではという指摘について、では勉強へのインセンティブを高める点で何が問題なのか、インセンティブを高めることに関するアナログの優位性は何なのかを教えてもらえませんか?

4 デジタルを導入すると画一的な○×学習になるという指摘について、ネット授業は世界中の多様な考えの人たちと一つではない答えを教え合い学び合うことができるが、それに比べ紙のドリル学習のほうが画一的でないとする理由を教えてもらえませんか? つまり、問題はデジタルかアナログではなく、授業の内容だと思いますがいかがですか?

5 デジタルを導入すると読まなくなる・書かなくなるという指摘について、アナログ授業でも書かせなければかかないし、デジタル授業でも書かせれば書くし、つまり、問題はデジタルかアナログではなく、授業の内容だと思いますがいかがですか?

6 目が悪くなり姿勢が悪くなるという指摘について、その研究報告はまだないし、かつてテレビを見る赤ちゃんのほうが目がいいという研究もあったのですが、これに対し、本を暗いところで読んでいたぼくは目が悪くなりましたけど、それはデジタルかアナログではなく、授業の内容だと思いますがいかがですか?

7 先生方が使えないから問題だという指摘について、2歳児でもタブレットをすいすい使いますが、本当に先生が使えないと言っちゃって大丈夫ですか?韓国ではほぼ全ての先生が問題なく使ってますけど、日本の先生は能力が低いと言っちゃって大丈夫ですか?

8 コストがかかるという指摘について、確かにコストはかかりますが、日本の公教育/GDPは先進国中ほぼ最下位で、教育にもっとお金をかけていいという気がするのですが、例えば小中学生1000万人に1万円のタブレットを配ると1000億円、それは年間の道路予算10兆円の100分の1だから、365日のうち3-4日、道路工事を休んだらできちゃう規模で、工事4日休んで全ての子どもにタブレットを!程度の話なんですけど、そのコストは国家として投資すべきではありませんか?

9 やる必要のあるところだけ実行すればよいという指摘について、隣の学校では使ってるのにうちは使えないのは不公平という格差問題のほうが大きくなると思うが、それにはどう答えますか?

10 教育を産業にすべきでないという指摘について、産業領域としてボリュームがないと投資が行われず技術も進まないので、それでよいなら日本はアメリカや韓国の機械や教材を導入することになりますが、そのほうがよいですか? アメリカではPCを教育のためにと消費者に勧めており、韓国ではスマートテレビやタブレットを教育のためにと広告しているが、その姿勢が弱い日本が正しいのですか? 韓国はデジタル教育をODAで中央アジアやアフリカに輸出し市場開拓を国家戦略として進めているのであって、教育を経済手段にする貴国はダメだと韓国に言えますか? つまりですね、教育に多くの投資が集まり、GDPのうちの多くが消費され、教員を含む関係者の収入が上がり、教育産業輸出国家になることの何が悪いのでしょうか?

番外 要するに、デジタル教育はやめたほうがいいんですか? どうすればいいんですか? 推進する首長たちは、リスクを取り、コストを払い、説明も怠りません。一方、反対派は体を張ってでも止めるべきだと思いますが、そんな話は聞きませんよね? ごめんなさい、答えにくいかもしれないので、問いを変えます。デジタル教育をしないほうがいいとしている手本となる国があれば、教えていただけませんか? あの国ぐらい?

2013年3月25日月曜日

松田道雄さんの京都追憶

■松田道雄さんの京都追憶

松田道雄さん。1908年~1998年。京都出身の小児科医です。
梅棹忠夫さんの著書に、松田さんの本が紹介されていたので、2冊手に取ってみました。

「京の町かどから」1968年著。
 ぼくが幼いころの京都、それもなじみのある区域の様子が温かく描かれています。
 例えば「地蔵盆」。8月末の2日間、京都の子どもに許された夏休み最後の楽園です。スイカ割り、だるま落とし、くじ引き、幻灯。路地の奥で、大人たちが精一杯用意してくれたエンタテイメントを、町内の子どもたちが治外法権で遊びまくります。「三宅八幡」の縁日も登場します。比叡山のふもと、ぼくの出身小学校の学区にある神社の秋祭り。これも年に一度の、めくるめく楽しみでした。ひもを引っ張って景品を当てる屋台では、人体の神秘という、透明で内臓が見えるプラモデルが一番高額なブツで、当たらんと思いつつ引いてしまう。それより好きだったのは、串カツ。赤犬の肉と噂されていましたが、屋台のオッサンにそれを確かめる勇気はなく、でも、赤くて小さい肉っぽいものと粉っぽい衣の安っぽいあつあつのおやつを年に一度たらふく喰う、その非日常感が大好きでした。
 その前の時代の描写には、知らない話もたくさんあります。中京あたりの丁稚の悲惨さは、想像を超えるものでした。そして、同世代からみると丁稚どもが凶暴であったというのも、なるほど、想像してみればさもありなんと微笑まされます。ラオ仕替え屋、いさざ売り、焼き栗売り。昔は、うんと静かな街中に、さまざまな境遇の子どもたちや、さまざまな業種の商売人が、それぞれのトーンで声をたてていたんだろうと想像させます。町の音を聞いてみたい。そういえば以前、京都府が市街のいろんな音を、場所にひもつけて、市民から2.0的に集めてデータベース化するという素晴らしい構想を持っていたが、あれはどうなったかな。
 市立保育園の保母さんが労組を創る話も登場します。60年代でも、丁稚とまでは言わずとも、切実で過酷な労働条件だったのですね。1968年なら、ぼくが毎日、妹を松ヶ崎の保育園に迎えに行っていた。あのころ、まだみんな、暮らしは厳しかったのかな。西陣の診療所が、西陣のかたがたの互助組織として作られ、そこに共産党が乗ったという話もあります。なるほど、ぼくの祖母は西陣の共産党員で、長男(ぼくの叔父)を戦争に取られ、海軍少尉として死なせ、国家に抗う意識が強かったとぼくは見ていたのですが、案外、それよりも単に町内の互助活動をしていたところに利害の合う共産党が乗ってきたのが実態かもしれないと思いました。
 毎年上映された映画をみる会の話では、去年は「豚と軍艦」、「飼育」、「用心棒」。今年は「椿三十郎」、「雁の寺」。とあります。ああ溜め息。いいなぁ。こんなめくるめく作品と同時代を過ごすなんて。当時、黒澤さんや川島さんや今村さんの新作がかかる映画館に足を運ぶ興奮、ってどんなもんだったんでしょう。これらが後世にも燦然と輝く名作であることを、同時代の人たちは認識しながら観ていたんでしょうか。いま、そんな高ぶる経験をさせてくれる同時代コンテンツってあるでしょうか。

 分析にも目を見張ります。梅棹さんが説いていた京都語に関し、松田さんも自説を述べています。例えば、「お父さんがたたかはる」、と京都人は身内に敬語表現を使うとされるが、「はる」は第三者の行動の客体化であり、三人称単数のsと同様という。なるほど、これはすっきりします。
 京都論から派生して、日本文化論も。松田さんは、日本人は「唯一神」を信じられなかったことが文明開化の理由であり、頑強な形而上学を持たなかったからこそ、実学として西欧文化を移入し得たと言います。そう、思想にはかぶれなかったんですよね。そして、日本の親が子にソフトに対応するのは、家屋の構造に由来する。高温高湿な日本の家屋は虫かごのように開放的であり、西欧のように孤独にはなれない、と説きます。母親からいつまでも肉体的に絶縁しない風習があり、だから孤独の状態に置かれると、狐、狸、木や石の精、祖先の霊など、手を伸ばして届くところにあるものにつかまる、と言います。うむ、大人と子どもの境がないクールジャパンの源や、庶民のコミュニケーションを礎とする高いソーシャルネットワーク力の土台が、気候風土と家屋構造にあるとは思い至りませんでした。
 アメリカの社会学者リースマン教授という人がやってきたときの問答が掲載されています。「コミュニストではない急進主義者が日本にたくさんいるのはなぜか。」恐らく、日本にたくさんいたのではなくて、京大なんていう特殊なカルチェに来たからそう感じたんでしょうが、それに対し松田さんは「ビューロクラシーのないコミュニズムを信じる人は多く、アナーキズムの要素はあるが、個人主義なのにLonlyがキライだから連合する。」と答えます。小児科医の言うことかい。当時の知識人の教養レベルが半端なかったのか、フォーククルセダースを辞めて医者・学者としても大成した北山修さんのように、京都は特殊な医者を産む風土があったのか、その両方か。なんせリースマン教授の通訳は加藤秀俊さんというから恐れ入る。どうやら松田さんは久野収、末川博、桑原武夫、野間宏、水上勉といった巨人たちとつるんでいたようだが、ネットで知が連結した現在、そんな濃いコミュニティって日本にはないと思いませんか。

 こりゃあ、まずいぞ。そう思って、もう一冊。
「花洛」1975著。
 明治後期の京都の追憶。驚異の描写です。映像で記憶しておられるんだと思います。右脳に焼き付けておられたんでしょう、聖護院が、岡崎が、寺町が、その物売りが、遊びが、風俗が、暮らしが、輝くように文字で再現されます。思い出した。1995年に「脳内革命」で一世を風靡した春山茂雄さんも京都の医者の家に生まれたのですが、春山さんの話を聞いたことがあります。右脳に映像を焼き付ける家伝の秘技があり、それは教えられないんだが、それを使って受験などをくぐり抜けてきたので、東大医学部に進むときも半年だけ勉強、というか、映像記憶して、わけなく通った、と。京都の医者は、なんだかとんでもない秘密を持っているようです。
 昔の京都には、暗くて、暑くて寒くて、よそよそしくて、抹香臭く、陰気なイメージを抱いていたのですが、読み進めるうち、映像や音がわき上がり、行ってみたいなぁという憧れに満たされました。京都の市電はとうに廃止となりましたが、さらにその前に狭軌の「京電」というのが存在していたといいます。堀川通りを通っていて、どうも西陣の実家の脇を走っていたようです。生前、祖母に色あせた花電車の写真を自慢げに見せてもらったことがあります。おそらく、それだ。電車が日本で初めて走った町。初めて小学校ができた町。明治期に入って都を奪われた京都は、精一杯の負けじ魂を見せようとしたんですね。
 こちらにも知らない話がたくさん。京の女は小便桶に「立ち小便」をするのが日常だったといいます。それを大根売りと交換していたと。全く知りませんでした。てゆーか、実に見てみたい。学校では小説を読むと譴責を受けたそうです。当時のケータイ禁止令ですな。禁止しているほうは、それが正義だと思っているのは昔も今も同じ。

 松田さんは、どっぷり京都だったわけではなく、茨城出身の両親のもとで、家では関東語を話す二重文化だったそうです。だからどこか醒めた目で京都を観察できるのですね。ぼくは幼くして静岡から京都に移り、そこで重い文化転換を経験しました。別の視点から、だけどインナーとして京都を視るという感覚がぼくにはしっくりきます。
 登場する遊びも特徴があります。京都の遊びはみな特殊なメロディーを伴います。「どろじゅん」で泥棒と巡査を決める際も、一匹二匹あいのこ・取って逃げるはドロボの子、と歌いながら進めます。「下駄隠し」(そんな遊びよそにある?)の鬼も、げ~た~か~くしちゅ~ねんぼ~と歌いながら、何分もかけて決めます。はないちもんめは「たんすながもちどのこがほしい」です。だるまさんがころんだは、「ぼんさんがへをこいた」「においだらくさかつた」でした。"ハサミムシをみつけた近所の長やんが「これは男性性器をはさむ虫だ」とおしえてくれた"という記述があります。といいますか、あれは単に「ちんぽきり」という固有名詞です。
 その中に、スカ屁した犯人を決めつける遊びが紹介されています。わが同僚、菊池尚人さんが中学生のころ、同級生の室井祐月さんを陥れた怖ろしいオナラ事件のことを思い出しました。
 http://bit.ly/SiiviL

 長々と書き連ねましたが、申し上げたいことは1点。知らなかった昔の名著がポチっとAmazonで入手できる、そのありがたいこと。

2013年3月21日木曜日

4Kか? スマートか?

■4Kか? スマートか?
 
 高画質テレビ規格「4K」(フルハイビジョン)と「8K」(スーパーハイビジョン)が注目を集めています。昨秋のCEATECやInterBEEでも高画質モデルが展示されていて、スマートテレビと双璧をなしていました。1月には総務省が来年夏に衛星で放送する方針を示し、2月にはKDDIとJ:COMが4K、8Kの映像を圧縮伝送することに成功というニュースがありました。
 ぼくはIPDCなどスマートテレビに力を入れています。4K、8Kがキレイに見せる技術であるのに対し、スマートテレビはべんりに楽しむ技術。日本ではNHKハイブリッドキャストやマルチスクリーン型放送研究会などの動きがあります。最近はテレビをAndroid端末にする装置が盛んに宣伝されていますね。テレビにネットをつなぐ先駆者には、96年バンダイのピピンアットマーク、98年セガのドリームキャストがあります。ぼくはMITメディアラボ当時、ドリキャスの開発に関わったのですが、いずれの挑戦も早すぎた。ものごとには時期があります。
 キレイか、べんりか。両立させられるといいのですが、資源には制約があります。放送、通信、メーカ、ソフトウェア、コンテンツ・・・どのセクターがどういう資源をどう配分するか、そのスピード感はどうか、が大事です。

 というのも、ぼくには2つの失敗がありまして。
 最初は、ハイビジョンか多チャンネル(CATV)か、です。キレイか楽しいか。1980年代後半、今から25年前。ぼくは郵政省有線放送課の係長で、多チャンネルCATVの推進役。都市型CATVが全国に芽吹く時期でした。これに対し、NHKと家電メーカーはアナログMUSE方式のハイビジョンを推進。走査線1125本なので11月25日をハイビジョンの日と定めるなど、大々的なキャンペーンを張っていました。
 この両者を同時に推進するのは舌を噛みます。CATVは何十チャンネルも流せるのが売り。他方、ハイビジョンは高精細だが、1本流すのに6チャンネルを潰さないといけない。どちらを優先するのか。ぼくはNHK+民放数局の日本では多チャンネル需要を満たすことが先だと信じていました。でも、政界も業界もハイビジョンに傾きました。力関係ではそういうこと。負けです。
 逆にその後CATVは管理が強まるなど絞める政策が採られ、産業としての立ち上がりは5年遅れたと思います。ハイビジョンも結局その後、デジタル放送という、より大きなパラダイム変換が起こり、その波に飲まれていきました。

 キレイか楽しいかで張り合っていた頃、MITメディアラボのネグロポンテ所長が日本に対し、「それよりデジタルにしろ」と盛んに唱えていました。ネグポンが電通の会議に来るというので忍び込んだところ、こんな話でした。
「3:4だの9:16だの、走査線が何本だの、そんな議論はナンセンスだ。ディスプレイなんて四角でも丸でもいいんだ。大きさも、解像度も、ディスプレイの形も、ソフトウェアが決めればいい。ユーザが選べばいい。ハードウェアの仕事ではないし、国が決める話でもない。選べるか、選べないか、が問題だ。」
 選べる世界。その後みるみるうち、コンピュータとインターネットで実現する世界ですが、それまでアナログのハードな政策を見てきた一官僚には、ガツンと来ました。まさかそれから数年たって自分がMITに渡ることになるとは夢にも思いませんでしたが。

 もう一つの失敗。ISDNかADSLか。90年代初期のこと、ぼくは政策課の課長補佐でした。NTTが64KpbsのISDNを推進している最中、ADSLという技術を使えば、1Mbpsの映像伝送も可能だという話が入って来ました。電話網を映像ネットワークにできる。興奮しましたね。CD-ROM等を製造していたコンテンツ事業者や広告会社などと相談して、田舎の有線放送電話を使った実験を画策したり、推進するペーパを書いたりしていました。
 でもISDNとADSLは同じ電話網をデジタル化する技術で、両立しません。ぼくらの企みは、勝負を挑む間もなくプチッと潰されました。NTTの力たるやNHKの比ではなかったといいますか。それからもADSLを導入する試みは形を変えて続けられましたが、日本で最初に実験が行われたのは99年、長野の農協が有線放送電話を使って行ったものでした。6年前に始まっていたらどうだったろうな、と今も時々思います。

 地デジはキレイでべんりなテレビを実現するものです。ハイビジョンと、テレビのコンピュータ化を同時に達成するものです。それが整備されて現れた問い、「4Kかスマートか」。さて、どうでしょう。4Kは苦境にある日本のメーカーが再生する切り札だと唱える人もいます。総務省も期待しているのでしょう。これに対し、スマートテレビに関わるぼくは、スマートが先だと考えます。
 地デジでとりあえずテレビはキレイになりました。多くの家庭がテレビ受像器を買い換えました。そこですぐもっとキレイな4Kと言われても、というのが実態でしょう。さらにケーブル配信業者に聞くと、高精細HDの伝送は25%に過ぎず、旧来のSD画像がまだたくさんあるといいます。さらなる高精細のニーズは本当にあるんでしょうか。高精細にしても広告が増えないことは経験済みで、ハイビジョンの頃と違って銀行もメーカーも弱ってる中で、どう資金を投下するかも課題です。
 これに対し、地デジでべんりになったかというと、それがまだ達成できていません。デジタルならではの面白いサービスが開発されていません。その部分は、スマホやタブレットが単騎でニーズをくみ取っています。テレビとスマホを組み合わせて豊かなサービスを作り、テレビ広告以外の新ビジネスを組み立てる。こちらは次の市場とニーズが見えます。

 一方、デジタルサイネージやオープンデータの推進役の立場としては、4K、8Kに期待しています。ビジネスはこの業務用から立ち上がるでしょうし、有望だと思います。スマートテレビ放送より業務4Kのほうが早いかもしれません。サイネージが超高精細を欲しがっているのは当然ですし、その表示技術も伝送技術もできてきました。課題だったコンテンツも、この数年でずいぶん充実しています。
 より切実なニーズがあるとすれば、映像のビッグデータ活用じゃないでしょうか。監視カメラに写るデータを、目視ではなく機械システムとして抽出、処理、分析できるほどの精細な映像を得ることができれば、利用は面的に広がります。8Kのような超高精細の映像は、人間より機械のほうがより強く欲しているのではないか、と感じます。

 要するに、4Kでもスマートでもどっちでもいいのですが、どっちにしろ国際的な新ビジネスを創出する方向での政策展開を望む次第であります。

2013年3月18日月曜日

梅棹忠夫先生の「京ことば」

■梅棹忠夫先生の「京ことば
 

「梅棹忠夫の京都案内」に登場する京ことばの解説、愉しく読みました。 
 そのとおりや、いう指摘や例示。
 "ふつうの物質名詞に敬語的表現が多い。"  ナス「おなす」、豆腐「おとふ」、醤油「おしょゆ」、まんじゅう「おまん」、お茶「おぶ」。  --- 四角いもんもま~るく呼ばれてるかんじ、しませんか。
 東京では「ひ」が「し」に転化する。しびや。 逆に、"京都では、「し」が「ひ」に転化する。" ”質屋の看板に「ひちや」とかいてある。”  --- ああ、たしかにそやったなぁ。「しましょう」は「しまひょ」。
 ”京都の名詞には一音節語がない。" 木「きイ」、葉「はア」、毛「けエ」。 "格助詞の大量欠落がある。" 本よむ、着ものきる。"特徴のひとつに短音化がある。" 早く行こう「はよいこ」。  --- これらは京都に限らず、関西だいたいそうなんちゃいます?
 "語尾の助詞がものすごく発達している。"  「いきますわ」の「わ」は男のことば、女だと「いきますえ」。  ---  女ことばに京らしさが強く表れます。女流文化性が強いんですな。
 「してごらん」は「しとおみ」、「おいで」は「おいない」、「おくれ」は「おくない」。  -- これは京都独特の言い方でしょうか。京都のひとは普通に使いますが、よそではあまり聞きません。
 バツといういいかたは、京都語には全くなかった。"バツ印をわたしらは、ペケといった。マルペケ式である。"  --- あっ、関東ではペケは使いませんか?

 文法的に解説されると、ふむ、そう整理されればそやな、初めて気イついた、いうもんもあります。
 京ことばの特徴「どす」は、東京の「です」、大阪の「だす」に当たる。動詞の肯定文は「どす」で終わる。だが、"形容詞肯定文は「おす」になる。" そら、よろしおす。  --- そやな。
 "修飾語の畳語的表現がある。” 形容詞又は副詞の同じ語を二度続ける。おっきい、おっきい犬。さむうさむうなった。 --- ああ、これ関西人の特徴なんですかね。ぼくも、二回くりかえして強調しますねと指摘されることがあります。笑い飯に、サイクリングセンターに行って、なっがいなっがい髪、とか、くっさいくっさい屁えとかボケ合うネタがおました。奈良の人もくりかえさはるんやね。
 "動詞の否定表現は未然形に「へん」がつく。" しまへん、いきまへん。 だが、"一段活用の動詞の否定形はちがう。「みる」は「みへん」ではなく「みいひん」となる。「へん」のかわりに「ひん」がつく。"  -- そやな。京都出身やない俳優さんが京ことばをきちんとこなそ思たら、たいへんな苦労があるいうのも仕方おませんね。
 京都と大阪は異なる。五段活用の動詞の場合、京都語は未然形「よまはる」「かかはる」、大阪語は連用形「よみはる」「かきはる」。 --- そう、違いがあります。「動かない」は京都では「動かへん」、大阪では「動けへん」。「動けない」は京都では「動けへん」、大阪では「動かれへん」。むつかしおす。

 そして、言葉が用いられる社会背景について触れたはります。
 「○○ちゃんがたたかはった」「おとうさんがかかはりました」。けんか相手や身内にも敬語的な表現を使う。 --- これは京都の大きな特徴ですね。ペットの犬のすることも敬語的に言うたりしますし。梅棹さんは、京都人の市民対等意識が強い点に理由を求めたはります。

(なお、本件について、松田道雄「京の町かどから」は、「〜はる」は身内に敬語を使っているというより、第三者の行為を客体化して示しているだけであり、英語の三人称単数で動詞にsをつけるようなものとする。She weepsは「泣かはる」「泣いてはる」以外に京都語に訳しようがない、とする。この説明は至極しっくりくる。)
 よそから京都の大学にきた先生がタバコ屋で「おい、タバコくれ」といった話。 "そういういいかたは、京都では絶対にありえない。「すんまへんけど、タバコおくれやす」となる。京都の町が無階層的、市民対等意識という基本原則に貫かれている"  --- ぼくもタクシーで「すみませんが六本木までお願いします。」などと言い、同行者に「丁寧すぎないか」と反応されることがあります。それは気の弱いぼくの処世やと思てたんですが、単に京都出身者のクセに過ぎないのかもしれません。
 ただ、帝や貴族以外の町民に対等意識があるとしても、他区域の者に向ける目線の冷ややかさは揶揄のサカナになることも多いですね。そのあたりは、京都のコアである西陣そだちの梅棹さんと、実家が西陣でも東山のはてで育ったぼくとでは感覚が違うかもしれません。京都のひとは初対面の相手に、小学校どこ?と聞くことが多く、現にぼくも前大阪大学総長の鷲田清一先生に会うたときにそう聞かれ、うわさすが京都人、と思たもんですが、それはとりわけ中京とか上京とか都のまん中に育ったひとに多いんですよね。
 「世界で美しい言葉は3つ、一つは仏トゥール地方のフランス語、北京の中国語、そして京都の日本語」という説を引いたはります。梅棹さん的には、パリは失格だそうです。 "うがいのときにしかださないような、ものすごい発音があったりする。"  --- Rがガに似た発音になる、いうことですね。Hは読まへんし。うちのスタッフのヒラタヒロコさんはパリではイガタイゴコと発音されたはります。
 京都のひとが「今から事務員さんが作ってくれはった栗ご飯をよばれます。」というメールをイガタさんに送ってきたことがあります。北関東出身のイガタさんは、およばれに行くんですね、と返事してました。ああ、ちゃいます。栗ご飯をよばれる、は、食べる、いうことです。事務員さんちに行くんと、自宅で食べるんとでは、全然ちゃいますね。実に、むつかしいですね。

2013年3月14日木曜日

田原総一朗さんと和田中に行ってきた

田原総一朗さんと和田中に行ってきた 
 東京都杉並区立和田中学校。かつて民間出身の藤原和博さんが校長を務め、地域に開かれた授業「よのなか科」で一躍有名になった学校です。
 同じく民間出身の代田校長先生に呼ばれ、田原総一朗さんとともにデジタル教育の是非について討論する授業をやってきました。
 もちろんぼくは賛成派。これに対し、田原総一朗さんは「デジタル教育は日本を滅ぼす」という本を書かれ、反対派の代表でした。以前、ニコ生の番組でも二人で激論したことがあります。田原さんの主張は、デジタルにすると画一的な○×教育になり、先生が排除されるというものでした。いや田原さん、デジタルは電卓ではなく、twitterのように、多様な考えの人たちと一つではない答えを巡り、教え合ったり学び合ったりする手段です。紙や鉛筆をデジタルに置き換えるのではなく、紙や鉛筆とデジタルを使いこなすんです。そんな話をしました。その後、田原さんはぼくらの協議会に入って協力してくださっています。 


 でも今日はディベート。
 賛成派と反対派に分かれましょう。
 デジタル教育について、和田中の生徒たちと、賛成派中村と、反対派田原総一朗さんの討論。
 本質的な質問が多く素敵な時間でした。
 生徒からの質問とぼくの答えをメモします。




 

・カネがかかるだろ?
 カネをかけようよ。日本の公教育コスト負担/GDPは先進国ほぼ最下位。教育にお金を使っていない。小中学生1000万人全員にタブレットを配るには1千億円かかるが、道路予算10兆円の1/100。年365日のうち3-4日道路工事休めばできちゃうということ。安いよ!


・法律がネックでは?
 お、勉強してるね。そのとおり。デジタルを正規教科書にするには、3法の改正が必要。新聞によれば昨日、田原さんは官邸で安倍総理に会ってる。次に会うときにそれを頼んでもらおうぜ!


・出版や鉛筆業界の失業が増える?
 かもしれん。他方、新ビジネスが立ち上がる。4兆円産業になるだろう。でも、同時に国際競争が激しくなる。世界の教育産業を見据えなければいけない。


・デジタルだと目が悪くなるんじゃ?
 これは研究中。デジタルだから目が悪くなるという研究結果はまだない。他方、テレビを見る赤ちゃんのほうが見ないより目がいいという研究もある。本だって目が悪くなる。読み方や姿勢は大事な問題。授業や家で普段どう読むか、どう使うかによる。それはデジタルだからアナログだからというのとは違う。

 ここで田原さんのコメント。「君たちバランスが取れすぎてるよ。」「ぼくは中学時代は教員をいじめるのが楽しみだったんだ。」あちゃ~。こういうのどう引き取るんだろう。するとある生徒が「ぼくもこれから先生と闘います」と表明。おう、頼もしいね。どんどん手が上がる。ぼくの大学院の授業より手が上がる。頼もしいね。
 ぼくは田原さんの自伝「塀の上を走れ」を読んでいたので、学生時代の教員いじめの話は知っていました。でもホントはその後の人生も生徒たちにゆっくり聞かせたい。自伝に描かれる、朝ナマに至る破天荒な浮き沈みが痛快すぎます。右や左の政治家たち、革マルに右翼、安部公房にカルメン・マキ、孫正義に西和彦、土屋敏男に水道橋博士・・田原さん自伝は、登場人物もみな魅力的です。
 早稲田・大隈講堂のピアノを盗み出し、法学部にて反戦連合や民青、革マル、中核の学生たちの中で山下洋輔にピアノを弾かせるという69年のパンクな番組をやってのけた後「大学からは何も言って来なかった」という点に最も感動しました。ただその自伝は、ドキュメンタリーの撮影相手にセックスを強いられ、それが番組になったり、全身性感帯になる話だったり、義務教育に導入するにはちいと気が引ける。

 田原さんのコメント。「デジタルよりディスカッションだ。」「答えは一つじゃない。」デジタル教育を巡り、生徒たちは討論を重ねました。それぞれの意見をiPadで共有し、比較しました。その結果、授業の終わりに賛成・反対を尋ねたら、7:3という結果。まだ反対が3割残ったかぁ、くやしい。でも、ディスカッションしたよね、答えは一つじゃなくてバラバラだったよね、iPadというデジタルで共有したよね。これだ。こういう授業。

 前校長の藤原和博さんもお越しになってました。藤原さんは大阪の校長先生に民間人を入れることを進めています。その効果に期待したい。教育は、アナログやデジタルで変わるんじゃなくて、「人」で変わる。
 ぼくはその足で、大阪市教育委員会のお仕事に向かいました。教育情報化をテーマにした教員向けセミナー。大阪市教委は桜宮高校の体罰問題で大揺れでしたが、そのさなか、500人の先生方がお集まりくださいました。「人」が大事です。
 大阪市は全国に先駆け、2015年にデジタル教育を全市展開することを宣言しました。すると、この週、東京都荒川区が2014年度に一人一台タブレット環境を整える方針とのニュースがありました。これで東阪が揃いました。デジタル教科書・教材協議会の目標、2015年一人一台はムチャだとされてきましたが、あながち夢でもなくなってきたようです。
 でもあくまで使うのは生徒たちと先生たち。使う「人」に向き合って、進めていきたいと思います。

2013年3月11日月曜日

梅棹忠夫の京都案内

■「梅棹忠夫の京都案内」 

 梅棹忠夫さん。
 1920年、京都・西陣に生まれる。
 京大理学部卒。京大人文科学研究所教授、国立民族博物館初代館長。2010年没。
 ぼくは面識もかなわへんかった大先生。その文庫本がいまどき京都駅の売店に積んだあったんで、ペラペラめくってみたら、1951年から65年ごろの論稿をまとめたものやとか。
 えらい古くさいな。ぼくが生まれる前や生まれたころの暗ろ~て抹香臭い京都の観光案内かいな。
 ほんでも、市川崑の「鍵」や市川雷蔵の「炎上」や川島雄三の「雁の寺」あたりの京都のたたずまいを文字で確認するんもええかと思い、購読。
 千年の首都でありながら、明治の革命とともに政治・経済力がそがれてもうて、没落する京都。
 故郷への愛情とシニカルな視線が交錯してるくせに、東京はじめ外部へは意図的に向ける上から目線が、微笑みを誘います。
 西陣という京のまん中で育った梅棹さん。ぼくも実家が西陣なんで、時代は違えど空気ははんなりわかります。
 これは京都の外のかたがたに向けた案内書やおまへんな。あくまで京都人が京都人に書かはったもんでしょ。

 本願寺、御所、金閣寺、賀茂川、祇園。そないな観光名所を並べて軽う解説したはります。それはよろし。
 でも、そこに挟み込まはったエッセイが面白い。そんなん知ってるけど、あえて言われたらおもろいな、いう話と、へえ知らなんだ、いう話が転がってます。
  おもろい話。たとえば、"京都にはふしぎな店がある。清水の七味唐辛子、祇園のお香煎(シソの粉)屋など、いずれもそれだけしか売っていない。ひどく専門 化したものである。" --そうどす。西陣の呉服屋で和服えらんだとき、ハカマ屋、帯屋、下駄屋、足袋屋、羽織のヒモ屋、関係ないのに和菓子屋もきて、一 人の客=ぼくの相手をして、小あきないの専門店が「アテらみな400年続いてますねん」言うたはりました。はいからに言うたら、モジュール経営でんな。
  辛気くさい町です。「聞香」という、香をたいて、その種類をあてる香道いう芸の紹介がおます。"いかにも京都らしい、閑なあそび"。"暇人がたくさんいま す。"  --貴族と、坊主と、ブルジョワ商人と、学者。ぼく、大学のころ祇園でバイトしてましてんけど、ロールスロイスで乗り付けてくるお金持ちいうたら、お坊 さんかお医者はんでした。ところで、うろ覚えですけど、「家畜人ヤプー」の未来帝国イースにも香の文化があったんちゃいましたっけ。

 芸 妓・舞妓は京都のブルジョワが金に糸目をつけずに念入りに育て上げた、とあります。徳川時代、お金をもうけても、海外貿易は禁じられ、投資対象は多くな く、"けっきょく、みんな女に投資した"。 --ええこっちゃがな。京都の姉妹都市ボストンに住んでたころ読んだ「Memories of a Geisha」いう本、旦那はん松下幸之助さんやいう噂でしたけど、そういうことでんな。現代、ブルジョワが少のなりました。ブルジョワはんらは、ビジネ スに投資するばかりやのうて、文化に盛大お金使てください。
 ベンチャー育成は文化政策や思いますねん。1億円のベンチャー100社つくるんやっ たら、任天堂はんや京セラはんみたいな大きい会社が100億円積んだらええことですわ。経済としては。それよりベンチャー増やそいうんは、もうけた独裁の 創業者が芸事やら骨董やら女やらにお金まかはるいうことでしょ。文化ですねん。やってほしことは。京都人が流れて興した大阪・船場の血イ引くCSK/セガ の大川功さんが夜ごと芸者衆におひねり渡したはったんは、それわかったはったからどす。
 "岡崎公園は、むかし白河上皇が院政をとられた法勝寺の あったところである。"  --その名をもろた左京区岡崎法勝寺町に、ぼくがいたスタンフォード日本センターがおました。NHKクロ現の国谷裕子さんのご両親が大家さんでして。え らいお世話になりました。2006年、ぼくの契約が切れるときにスタンフォード大学は家賃が必要なその建物を手放して、同志社大学の中に移設したんでっけ ど、もったいのおしたな。
 いや、そら同志社かて、向かいは御所やし、ヨコに冷泉家はおますし、ウラは金閣・銀閣の親玉の相国寺ですし、そこに雁 の寺もおますし、ええ土地ですけどな、法勝寺から出てくことおませんやん、借金かかえたわけでもなし。そのへんの塩梅はなんぼゆうたかてアメリカはんには わからんわなぁ、いうて、ガバナンスやらコンプラやらいう西洋の呪文に、はぁスキにしなはれ、言うたんどす。

 "市民はみんな比叡山にの ぼったものだ。"  愛宕山は愛宕神社に、鞍馬山は鞍馬寺におまいりするためだが、比叡山は、"ただ、のぼるためにのぼった"。"修学院からまっすぐに急坂をのぼる、元気な 子どもたちは、みんなこの道をあがったものだ。"  山のうえでは、"おばけ屋敷などという施設が、まいとしひらかれた。”
 西陣から北白川に移 り住まはった梅棹さん。ぼくは実家が西陣やけど、小学校は北白川のもっと北の修学院で、小学校の行事で毎年その修学院から坂のぼって比叡登山させられてま した。その小学校の同級生、保育園経営日本一のJPホールディングス山口洋代表も元観光庁長官ヘンタイ溝端宏も、2コ下の前原誠司先生も、そうでした。う んと下のチュートリアルの2人もそうやったと思いますよ。
 友だち同士でケーブルでヒエザン登って、おばけ屋敷行くんは楽しかった。ウラののれん くぐって入ったらタダでんねん。バット持って、出てくるおばけどついたったら、立命か産大のバイトの兄ちゃんのおばけが真顔で「どついたろか」いうて追い かけてくる、ほんま怖いおばけ屋敷やったんです。そんなガキどもばっかりでしたけど、もうつぶれましたかな、あそこ。
 "東京、大阪では、「なん だ、学生か」とあしらわれても、京都へくれば依然として「学生はん」である。" 自由主義の温床。その思想は急進的であり、その行動は矯激である。そう書いたはります。60年安保前の文章ですもんね。でも、なんも変わってへんと思いま す。こないだ、ホンマ久しぶりに時計台のイベントに呼ばれて大学行ったら、総長の名前書いて、「○○打倒」いう看板が正門に立ってました。ぼくが学生の時 は時計台に「竹本処分粉砕」書いたあって、まだヘルメットとマスクがいたはりましたけど、2012年末ででっせ、学長打倒いう看板を正門に置いたあるて、 慶應ではえらい問題になりますな。京都では屁エでもおませんな。そのへん、スキです。京大、西部講堂、残しといとくんなはれ。

 知らなんだ、いう話もあります。
  京都の人は今の京都駅のことを、山陰線の二条駅に対して、七条駅と呼んだといいます。京都弁らしく「ひっちょえき」と発音する。"山陰線に乗るのに七条の 停車場までゆくのは、いなかものときまっていた。" --確かに、西陣界隈のひとびとは二条駅を使てましたけど、京都駅をいなかものの場とは思てませんで した。それは、かなり、深い京都人ですね。ほんでも、わからんでもないわ。それより、「しちじょう」を「ひっちょ」と読む京ことばづかいは、改めて稿を起 こします。
 御所の周辺にある京菓子店では、「売ってくれ」などといってはしかられるという話。"  「チマキのこってましたら、わけていただけまへんか」といわなければならない。御所上納ののこりものを、人民がいただくのである。" --そうなんや~。
  茶屋四郎次郎という大資本家・貿易商は、17世紀、ベトナムには大量の武具を輸出していたという話。高校の山川の日本史に名前はありましたけど、そこまで は出てませんどした。首都の工業力は軍事産業に発揮されていたということと、海のない京都に強い貿易商がおったいうことの2点を改めて感じました。
  で、皇居を移転して、儀典都市としての京都に、天皇を戻せ、という提案が出て参ります。政府みたいなやっかいなもんはいらんさかい東京に残しといたるけ ど、帝は戻しとくなはれ。上から目線と慇懃が溶け合った京都らしい提案ですな。首都機能移転より楽しく議論ができるお話やと思います。
 羅城門を再建しろ、いう提案もされてます。映画や小説であこがれたラショウモンを見に来た外国人に、「もう1000年ほどまえになくなりました」というのでは "かっこうがつきません。" なるほどなぁ。京都の先人はこういうことにこだわらはったんどすなぁ。
 ぼくもこの際、何か提案してみよかな。
 う~ん、「京大入試はスマホ持ち込みアリにしろ」でどやろ。

2013年3月7日木曜日

テレビ局化するユーチューブ

■テレビ局化するユーチューブ

 日本経済新聞電子版に「テレビ局化するユーチューブ」という記事がありました。
 http://www.nikkei.com/article/DGXNASDD290MJ_Q3A130C1000000/
 ユーチューブがチャンネル編成化し、動画を増やし、広告を強化する、という3つの策についての記述です。
 FM東京から電話がかかってきまして、ラジオ番組用にこれに関してコメントを求められました。あわてていたので、間違いもあるかもしれませんが、できるだけ平易にと思って話しました。メモしておきます。

1 この記事に思うことは?
 総合編成のテレビ型ビジネスになってきました。2005年のサービス開始から8年。PCベースのメディアがテレビに本腰を入れてきました。テレビ業界との競合が激しくなると同時に、連携も強まるでしょう。関係業界の動きに注目です。
 もう一つのポイントは、スマホ対応。
 この数年、世界のメディアは構造変化の波に飲まれています。一つはユーチューブのようなソーシャルサービス。みんなが参加して作るメディアが普及したこと。そして、クラウドネットワーク。ブロードバンドと地デジで、通信も放送もデジタルネットワークになったこと。もう一つがスマホに代表されるマルチスクリーン。一人が数台のPCを使う。ケータイはスマホというPCになり、テレビはスマートテレビというPCになる。
 ユーチューブの動きは、この流れに対応する戦略です。

2 背景は何か?

  必然です。PCベースでスタートし、ここ5年でスマホやタブレットが普及、そしてこの1~2年はテレビのスマート化がホットになってきた。このメディア変化に対応するものです。また、広告最大の領域であるテレビ広告2兆円にもビジネスの焦点が定まる環境になってきた面もあります。
 それ以上に競争の激化があります。アメリカのテレビ局が作った映像配信サービスhuluや映画配信のNetflix、さらにアップルも力を入れてきます。日本でもテレビ局がサービスに本腰を入れてきました。サービスを束ねるプラットフォームの座が争われています。いち早くそれを確立させるということでしょう。

3 TBS、テレビ朝日、フジテレビなどがユーチューブで動画配信を始めた。今後、テレビとネットの関係はどうなる?
 テレビとネットの連携、通信と放送の融合は、20年以上議論がされてきたものの、日本は動きが遅かった。アメリカはユーチューブが急拡大した2006年に一気に進みました。NHKオンデマンドが始まったのは3年後。スピード感には3年ぐらい開きがありました。
 でも、ここに来てテレビ局は踏み込んでいますし、ラジオもradikoやどこでもFMなど、もっと踏み込んだ動きを見せています。
 テレビ局にも事情があります。
 地デジが完成しました。テレビを買い換えさせられました。でも、正直どうよ?キレイにはなったけど、すごくよくなったか?デジタルならではの、便利で面白いサービスが求められているわけです。ネットもスマホも使おう、という方向です。
 競争も激しくなってきました。かつては黄金のビジネスだったので、ネットに手を出すのは戦略から外れていたのですが、広告市場は縮小し、ビジネスをネットやソーシャルメディアに持って行かれる。守りから攻めに転ずる段階になりました。

4 利用者が視聴した広告だけ広告主に課金する「成果報酬型」は機能する? 

 すると思います。広告主が賢くなっています。もう視聴率だけでは簡単に広告を出しません。どういう人が見ているか、視聴質も問われます。テレビCMを引き上げてネットだけでCMを打つ、別手段のプロモーションを行う、という企業も増えていますし、特に国際的な企業にはそうした傾向が強い。見られた時間や回数がきめ細かくわかる手段は広告主に寄り添ったものです。

5 テレビ離れにどう作用するか?

  わかりません。ただ、何もしないとテレビは死ぬ、ということは明らか。テレビ局がよいサービスを開発できるかどうかです。
 テレビ画面は見られ続けるでしょう。でも、テレビ番組をリアルタイムで見ることは減り、マルチスクリーンを同時に使うことは増えます。録画した番組、ネットのコンテンツ、ソーシャルサービスなど、多様化が進む中で、テレビ局のコンテンツがどれだけの位置を占めるか。
 悲観はしていません。日本のテレビは面白い。力があります。
 ラジオもそうです。radikoやケータイ配信によって、それまでラジオ離れだったリスナーが、ラジオを再発見して、面白いという評判が少し戻ったといいます。それはラジオ局がネットにチャレンジしたからです。テレビもそうではないでしょうか。
 テレビは番組だけでなく、電波もあります。デジタル化したものの、同じように番組を送っているだけで、うまく使えていません。新聞、雑誌、ソーシャルメディアなど、デジタル回線としてもっと色んなことに使えるんです。ビジネスを広げられます。そちらにも力を入れてもらいたいですね。

2013年3月4日月曜日

「黄金のバンタム」を破った男

■「黄金のバンタム」を破った男
  京都駅の書店でタイトルを見て、即買いしました。
 だって、「黄金のバンタム」って書いてあるんだもん。エデル・ジョフレ。古いボクシングファンなら知らぬ者はない。史上最強の呼び声高いブラジルの王者。72勝50KO2敗4分け。
 その2敗を記録したのがファイティング原田さん。以後、敬称略にします。
 F原田の現役当時、世界チャンピオンは世界にわずか8人。現在は17階級、4団体に増え、70人ほどいます。値打ちが全く異なります。その中で、フライ、バンタム、そして不正判定がなければフェザーの実質3階級を制覇。フライ、バンタム両階級の制覇は今も原田一人しかいないそうです。今であれば6-7階級の統一王者と見てよいでしょう。日本人ボクサーとしてアメリカのボクシング殿堂入りを果たしているのも原田だけだといいます。一途で、努力型で、謙虚、誠実、明るい性格もあいまって、国民的な人気を誇りました。

 本書は、F原田を軸に、白井義男からの戦後日本ボクシング界を描写しています。焼け跡から立ち上がり、権謀術数にまみれた世界の拳闘界の中で、根性と鍛錬と運で身を開いていく男たちの物語。そうですそうです、と確認しつつ、ゆっくりゆっくり読みました。
 ただ、ぼくがリアルタイムで原田の試合をテレビ観戦して記憶に残っているのは、フェザーに移った晩年のこと。もともとぼくは原田のようなファイター型より、アウトボクシングのボクサー型が好きなので、スタイルとして余り印象は強くありませんでした。だから本書にうなづいた多くの記述は、後年ぼくが本やビデオで得た知識です。
 最近はそれほど熱心に見ることはなくなりましたが、ボクシングは好きでした。ぼくが関心を覚えたのは、沼田義明、小林弘、西城正三、大場政夫、柴田国明といった世界に誇る日本人パンチャーが同時に王座を占めた1970年のころ。すぐ後に輪島功一が続きます。
 そして、より熱を入れるようになったのは、1980年ごろ。アレクシス・アルゲリョ、マービン・ハグラー、シュガー・レイ・レナード、トーマス・ハーンズ、ロベルト・デュラン、サルバドール・サンチェス、ウィルフレド・ゴメス、アーロン・プライヤー・・・きら星のごとき中量級の天才ボクサーたちが世界のリングを飾った時代。
 しかし、原田が黄金のバンタムを破ったのは、成長に沸き立つ日本、だけどまだ国際社会に胸を張りきれない日本、その期待を一身に受け止め巻き起こした奇跡として、当時の日本人にはとてつもない事件だったのでしょう。
 読み進めながら、一つ一つをネットでチェックしました。すると相当マイナーな映像も今はアップされていることに驚きました。おおっ、この試合もあるか、と喜びつつ視聴したり本に戻ったりしていたので、1時間で読もうと思った文庫本は数日を要することになりました。

 原田の師匠、「槍の笹崎」笹崎僙とピストン堀口の世紀の対戦なんてのも映像が残ってるんですよ。ちなみにわが融合研究所の監事を務める金村公一長崎シーボルト大学准教授はプロボクサーの資格を持ち、リングネームを「しばいぬ公一」といいますが、笹崎ジム所属で笹崎会長の薫陶を受けた人でして、原田の弟弟子に当たるんですよねー。
 本書はボクシングファンならずとも、戦い抜く男たちの物語として読者を引き込みますが、ぼくはどうしてもボクシング界のネタに絡め取られてしまいます。
 同ジムの友人であるがゆえに、原田との対戦を避けるため、東日本新人王戦を辞退・棄権した斎藤清作の話が出てきます。引退後コメディアンになり、海に死んだ「たこ八郎」です。その新人王戦の決勝は、天才「海老原博幸」。協栄ジムの金平政紀会長と海老原、師匠一人に弟子一人でのしてきた。「あしたのジョー」の丹下段平と矢吹丈は、金平と海老原の二人をモデルにしていると記されています。へぇ、そうだったのか。
 原田は白井義男さんがフライ級タイトルを失って8年後に戦後二人目の王者となりました。その間に立ちはだかった王者パスカル・ペレスに挑戦して敗れた、ないしは挑戦できなかったかたがたの物語もいい。三迫仁志は後に輪島功一を育て、米倉健志は柴田国明とガッツ石松を生み出したというのです。
 そして矢尾板貞雄。長くボクシング解説者を務めましたが、本書はこの人を非常に高く評価しています。ボクサーとしても、人物としても。ペレスvs矢尾板戦はテレビ視聴率92.3%!非公式ながら日本史上最高視聴率だということはぼくも役所の研修で知りました。矢尾板は本書の裏主人公たるジョフレ、そしてロープ際の魔術師ジョー・メデルとも闘ってるんですよね。

 矢尾板がタイのポーン・キングピッチへの王座挑戦直前にジム会長との確執で引退し、その代役がF原田だったとの記述があります。そういうつながりだったんですね。1962年の原田vsキングピッチ戦、11ラウンド原田KO勝ちの試合を今回改めてYouTubeで確認しました。スリリングでシャープな試合です。
 それよりも、本書に記されていたことが気になる。キングピッチは正しくは「ギンベッド」と発言するが、タイ語を英語表記する時に綴りを間違えて日本ではそう呼ばれているって話。キングピッチとギンベッド。ぜんぜんちゃうやん。それから、原田の前にキングピッチ戦に名乗りを上げた関光徳は女性ファンが多く、「ちあきなおみが芸能界に入れば関光徳に会えるかもしれないと思って歌手になったのは有名な話だ。」ぜんぜん知りませんでした。
 同じくタイのジュニア・ウェルター王者、センサク・ムアンスリンが ライオン古山戦で見せたダーティー・テクニックの記述があります。ムアンスリン!懐かしいなぁ。とんでもないボクサーでした。月曜の晩にYKKの提供でオンエアしていたキックボクシングの解説を務めていた寺山大吉が何かで話していたんですけどね。彼はムエタイからプロへ転向して3試合で世界タイトルを獲得。試合前もコーラをがぶがぶ飲んでゲップゲップしてて、試合中の口をすすぐ水もがぶがぶ飲んで、でもガッツ石松を6回KOで倒した後も元気すぎて、トルコ風呂を3店もハシゴしたんですって。今回調べたら、その後の暮らしがメチャクチャで2009年に亡くなったそうです。

 さて、黄金のバンタム、エデル・ジョフレ。これが本書のクライマックス。1965年の原田戦もYouTubeで確認できます。4ラウンド、原田の右アッパーが有名だったので、ぼくは圧勝したんだと思っていました。僅差で、どちらの手が上がってもおかしくない試合だったんですね。翌年の2戦目は差が開いていましたが。
 でもジョフレはすごい。その後73年にはフェザー王者に返り咲きます。その初防衛戦でメキシコの英雄、ビセンテ・サルディバルをKOしているんですよ。サルディバルは1970年に(ぼくが一番スキな日本人ボクサー)柴田国明と対戦し、柴田がメキシコで王座を獲得しています。しびれる試合。そのビデオをぼくは初任給の1/10を使い、渋谷の場末にあった怪しいビデオ屋で買いました。コロナビールのテレビCMがガンガン流れるこれぞ海賊版。今回それもネットで見かけました。いい世の中になった、と言っていいんですかな。
 メキシコは同じ階級にすごいチャンピオンを生んでるんですよね。ルーベン・オリバレス。金沢和良との死闘は世界拳闘史に輝きます。かつてビートたけしさんが最高バウトに推していた対戦です。このビデオも若い頃ウラで買ったんですが、今回ネットでも見ることができました。カルロス・サラテもいます。ルペ・ピントールもいるんですよね。ルペ・ピントールといえば、引き分けた村田英次郎は3回も世界戦引き分けだぞ!

 フライ、バンタムからフェザーへとコマを進めたF原田。ラウル・ロハスに照準を定めていたが、ロサンゼルスで無名の若い日本人、西城正三が破る大波乱。改めて68年の試合をYouTubeで確認しました。すさまじい試合であります。でも、西城が勝ち名乗りを上げたリング上に原田もいて、にこやかに祝福している。いい人なんだなぁ。
 69年にシドニーで実現したジョニー・ファーメション戦は、ボクシング史上に残る明らかに不正なジャッジで、原田の3階級制覇は成りませんでしたが、世界のファンが認める実績です。「原田は27歳で引退するまで童貞だった。」と記されています。試合のたび十数キロも減量したといいます。甘いものを体に寄せ付けない。輝く業績は、修行僧も逃げ出す精神空間を生き抜いた証として残されているのですね。