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2014年6月30日月曜日

著作権について思うこと。その4

■著作権について思うこと。その4

 著作権法ではなく、より広義のコンテンツ政策で解決する話を申し上げました。
 コンテンツ政策と言っても、法律で解決する手段もあります。2010年には通信・放送法制10本を抜本改正しました。電波の規制を緩和し、放送電波で通信を行うなど、世界一とも言える柔軟な制度に改めました。ぼくはその議論の急先鋒でした。2006年にスタートした議論で、ぼくは総務省の委員会に対し、通信放送のタテ割りをインフラ、サービス、コンテンツの横割りにして10本を1本の「情報通信法」に抜本改正する案を提出しました。
 これはかなり物議をかもし、あちこちから批判も受け、火だるまになりました。でも数年の論議を経て、ほぼその方向に結論は収束し、制度化に至りました。その頃から強調していたのは、それはコンテンツの流通と利用を促進する措置だということ。抜本改正時にしかできない規制緩和を断行して、情報の生産・流通・利用を活性化するという考えのものでした。
 制度論議の途中でも、実験措置として、ユビキタス特区を設けてもらい、地域限定で規制緩和による効果の検証も行いました。その後、ホワイトスペース特区も設け、制度的な枠を広げてもらっています。ケータイのwifiでテレビが見られたり、放送の電波を使って新聞紙面が送られてきたり、そうしたサービスが実現しています。
 逆にネックとなっているのが著作権です。著作権法上、通信と放送の扱いが異なるため、一つのサービスを通信・放送の両方で扱おうとすると、処理が厄介です。おおもとの通信・放送制度は大改正をしても、著作権法制度は動きません。著作権法の学会では何か動きはありますか?

 政策にはいろいろなアプローチがあります。文化庁や総務省といった行政ががんばるだけでなく、立法もあれば司法もあります。国会でルール化してもらったり、裁判で決着つけたりする。また、特区で実験したり、予算をつけて研究開発したりすることもあります。税制措置で企業を誘導することもあります。電波利用料などの財源を活用することもあります。
 ところが、著作権の世界だけは、著作権法の中で考えようとするクセがあります。録音録画補償金は典型ですね。ハードからソフトへの資金移動、権利者保護のための利益還元ということが狙いであれば、著作権制度を使わなくても、実証や基盤整備などの名目で、いろんな資金スキームが考えられるのに。
 逆に、著作権制度では、孤児著作物が最もホットなイシューになります。過去の知的資産をデジタル時代にどう活かすか、という大問題です。欧米は利用促進に向け自覚的に動いています。ただ、本件が難しいのは、国家vs Googleの構図になるという点。国家政策とグローバル企業との折り合いをどうつけるか。日本は裁定制度をどう使いやすくするかという改善策での議論になっていますが、これもそこにとどまらない基本戦略の問題です。著作権法のメタ問題。

 著作権制度の論議に参加してもう一つ思うのは、非科学的な議論が多いという点です。とてもデータが少ない。他の分野では、規制や制度を変更するときは、その影響を徹底的にデータでシミュレーションして、変更する公益が現状維持を上回るときに決断がなされます。でもぼくが参加した案件のほとんどで、そうした議論はありませんでした。
 制度変更を唱える側が、そうしなければ受ける損失、制度変更による市場の拡大、利用者にとってのメリット・デメリットなどを想定数値で出し、反対側が反証し、それを第三者が論議して決する、通常の行政現場で行われるそうした議論に出会うケースは少ないです。
 逆に、ある権利の強化を求める委員会で、結論を急ぐ業界代表に対して、その改正によってどれくらいコンテンツの流通が増え、市場はどれぐらい広がるのか問うたところ、「影響はわからない」と即答され、腰を抜かしたことがあります。
 著作権制度を議論する審議会に経済学者の姿は見られません。このところぼくもそうした場に足を踏み入れていないから現状は知りませんが、結局、違法ダウンロード罰則化によって、コンテンツはどう動き、市場はどうなり、事業者利益と利用者利益にどう影響があったのか、その検証ぐらいは終わってるんでしょうねぇ。

 さて、そんな話をブツブツしていたら、司会者から「そういうアンタはいつまでこの問題に携わってるんだ」という、ぼくにとって実に本質的な問いをいただきました。
 そうですよ。いつまでやってんだオマエは、ってことですよ。クールジャパンではボコボコにされ、デジタル教科書ではボコボコにされ、「文化省」設立を唱えてはボコボコにされ、それをまぁ10年ぐらいやっておるのですが、それでも攻める政策屋ってのは、ぼくの他にどれくらいいるんだろう。割に合わないですからね。いないかもですね。
 フォーラム参加のみなさん、やっぱりちゃんとした学者になったほうが食えていいですよ。

2014年6月26日木曜日

教育情報化、2014年6月の風景(下)

■教育情報化、2014年6月の風景(下)

 さて、地方や現場や民間の機運を受け、政府も動いています。

・「文科省「ICTを活用した教育の推進に資する実証事業」実証校募集」
 文科省、がんばってます。
 http://bit.ly/1hIhhE6

・「文科省、教育のIT化に向けた環境整備4か年計画を公表」
 4年間総額で6,712億円。実は予算はつけられているんですよ。
 自治体が使うかどうかなんです。
 この地方交付金を自治体が他用せず、きちんと使うかどうかがポイントです。
 http://bit.ly/1qxrtcf

・「文科省ICT活用実証研究、教員の9割以上「子どもの意識や理解が向上」」
 そう、成果はもう十分なのです。
 繰り返します。実証から実行に移りましょう。
 http://bit.ly/1gyTucN

・文科省「学びのイノベーション事業」報告。
 さて、そこで、小中学校など20校の児童・生徒約5700人に一人一台のデジタル教科書やタブレットを導入して3年間実証研究した結果が公表されました。関心あるかたは概要版で結構ですので、ぜひご覧いただきたい。
 http://bit.ly/1jzr5ne

 ICTによる一斉学習、個別学習、協働学習の実践。各教科ごとに指導方法とデジタル教材を開発したものです。
 8割の生徒が授業を楽しい・わかりやすいと肯定的に評価。8割以上の教員も効果的と評価したとのこと。意欲向上・学力向上にプラスと考えられます。
 教員がICTを授業で活用する能力は、開始当初51%が開始1年で77%に、という報告もあります。教員の活用力は、使わせればつくんですよね。
 学力検査では、低い評定が減少し、中学校では高評定グループがさらに高くなる傾向を見せました。
 これらを踏まえ、「学習意欲が向上し、知識・理解が定着し、思考力や表現力が向上した」という総括です。あたりまえ体操 踊れます。もう実証から実行の段階です。
 
 ところがです。
 さきごろ開かれた文科省の委員会で、学校情報化 一人一台政策の見直し論が出たといいます。おふざけかな、と思います。さもなければ閣議決定をひっくり返すというとてもパンクな所業だと思うのです。
 昨年の「世界最先端 IT 国家創造宣言」(閣議決定)「1人1台の情報端末配備・・デジタル教科書・教材の活用等、初等教育段階から教育環境自体の IT化を進める/2010 年代中には、全ての小学校、中学校、高等学校、特別支援学校で教育環境の IT 化を実現する」
 昨年の「政府知財ビジョン」(閣議決定)「すべての小・中学校において児童生徒1人1台の情報端末によるデジタル教科書・教材の活用を始めとする教育の情報化の本格展開が急務/課題を検討し、必要な措置を講じる。」
 これら内閣官房が発したIT系・知財系の両閣議決定は、担当省庁への指示であり、ひっくり返すなら内閣官房の議論からやり直さないといけません。ぼくは知財本部で受けて立ちますけれど。にしても、そんな議論ばかりしていてどうするの?って思うんです。
 この調子だと、10年たっても同じような議論をしていそうなかんじ。
 教育情報化は議論や検証の段階は過ぎました。実行、実行。そう思いません?

2014年6月23日月曜日

著作権について思うこと。その3

■著作権について思うこと。その3

 著作権政策は、もはや「行政」による「制度論」では限界がある。だから従来の行政モデルから脱却すべきと考えるのですが、そうは言っても危険もあります。
 フェアユースと同時に法制化された違法ダウンロード罰則化。これは政府が閣議を経て提出した法案ではなくて、議員立法でした。正確に言えば、政府提出法案に議員修正案が乗る形で立法化されたものです。
 それは関係業界のロビイングが功を奏した成果とされます。超のつく有名人が走り回って国会議員を口説き落としたと聞きます。三権を使おうよ、というぼくの立場からすればうるわしいできごとです。
 でも、音楽業界として喜んでいてよいのか。念願の法改正がサクっと実現した、その結果、収入は増えてはいません。逆にネット利用に対する規制が強まることで、利用者の音楽離れを起こしただけではないかとの指摘もあります。法制度の改正とその結果は、業界としてもアカデミズムとしてもしかと検証すべきでしょう。
 さらにぼくが気になるのは、ロビイングの力勝負になるということ。音楽業界がうまくやったんなら、IT業界はもっとうまくやるかもしれない。だって資金規模が1ケタ違いますからね。いや、外資がもっと強烈にやるんじゃないか。2ケタ違いますから。そうか、日本も行政=官僚国家じゃなくなって、国会を動かせば何とかなるぞ、とわかってしまえば、音楽業界に不利な事態がうんと起きる可能性だってあります。
 
 司法もそう。クラウド事業の参入を著作権制度が萎縮させている問題についても文化庁で議論が始まりました。「まねきTV」と「ロクラクⅡ」が最高裁でテレビの著作権侵害とされたことで、テレビ局は司法の争いに勝利し、コンテンツ二次流通の資格を得ました。目の前の侵害問題を司法で解決するというのはあるべき戦術でしょう。
 しかし結局、クラウド事業が日本ではできないという萎縮状態をもたらしました。その結果、GoogleやAppleなど海外サーバによる海外事業者にマーケットを持って行かれているわけです。局地戦で勝って戦争に負けてるといいますか。
 権利を強化するか否かとか、三権のどれを使うかとか、そんなことじゃなしに、そもそも何を守るかを根本的に考えなおさないといけません。著作権法の1、2レイヤ上位にある、メタレベルの問題設定が必要ということでしょう。

 てなことをつぶやく「学」はどうなんでしょうね。
 口には出しませんが、著作権は、どうしてそんなに学者が多いんだろう、と思っています。こうした会合(この話をしたシンポ)などに来ても、著作権を専門とする学者や研究者がたくさんおられる。だからコンテンツ政策の議論をするとすぐ著作権制度論になります。実はコンテンツ政策上、著作権制度は小さな話だとぼくは思っているのです。
 知財と両輪をなすITを考えてみると、通信法の学者なんてあまりいません。ぼくが通信自由化を担当した30年前は、理論的バックボーンが薄くて困りましたが、その後、たくさん通信の制度を専門とするかたがたが生まれました。
 でもその後、急激な規制緩和があり、自由化され、制度スキームよりもビジネスや利用の環境が重要となり、制度屋の役割は薄まったんだと思います。いい仕事をして、問題を解決したから、大勢で当たる必要がなくなってきたんでしょう。
 これに対し、著作権は制度論が解決しないから、いや、ますます制度論に傾くから、学者の食い扶持が保たれてるんじゃないか、という気さえします。などというとこの場におられる関係者に殴られそうですが、ぼくはグズグズした制度論は放っといて、政策として解決していく、ことにしたい。

 著作権法じゃなくてコンテンツ政策で解決する。一時、着メロや着うたが大きな産業を形成しました。ケータイに音楽を提供することに権利者側は当初、躊躇を見せていました。著作物の管理に神経質でした。でも豊かなサービスとして成立しました。その際、著作権法は改正されていません。なぜ音楽が提供されたのか。もうかったからです。先発企業がもうけたから他の企業もコンテンツを出した。カネが動けば実態は動きます。契約で、実態で解決していく、まずそれでしょう。
 テレビ番組の二次利用を促進することが長い間、政策課題になっています。日本の放送番組の二次利用は13%程度だと聞きます。映画や音楽は60-70%が二次利用のビジネスです。テレビだけ進まないのは、制度のせいじゃないですよね。ビジネスモデルの問題です。著作権処理のシステムや契約で解決していく。権利処理をスムーズにする機関であるaRmaの設立を政府が応援する。正しい政策だと思います。
(つづく)

2014年6月19日木曜日

教育情報化、2014年6月の風景(上)

■教育情報化、2014年6月の風景(上)

 教育情報化、デジタル教科書の運動を続けてきました。
 はじめは政府・国会に対し、さまざまな提言をしてきました。議論は高まりました。政府も動きました。ただ、速いとは言えません。日本は他国に比べ劣後しています。ですが、1年ほど前、地方自治体や教育現場の動きが高まり、空気が変わりました。そして近ごろ、商機とみた民間企業が改めて活発な動きを見せています。報道も重なっているので、列挙してみます。

・「学問にICTあり」
 2020年に向けて企業による教育情報化対応が本格化しています。
 http://bit.ly/1kHgFAJ

・「デジタル時代、変わる学び 授業も家庭学習も」
 教育情報化はこの1年で学校、自治体の取組に加え、民間企業のサービスが格段に充実しました。いよいよ本番です。
 http://www.asahi.com/and_w/interest/TKY201403100012.html?iref=com_fbox_u06

・「キッズ向けコンテンツ戦線が過熱 キーワードは“知育”と“安心”か」
 通信会社もLINEもです。
 http://www.zaikei.co.jp/article/20140331/185997.html

・「タブレットを使った学習サービス、通信教育など注目5社を徹底比較」
 取組が厚くなってきたのは、競争が激しくなることでもあります。いいことです。
 http://resemom.jp/article/2014/03/17/17622.html

・「タブレットで学習する進研ゼミの通信講座がスタート、入学式を開催」
 このベネッセ入学式、ぼくも参加してきました。
 http://www.advertimes.com/20140327/article152776/

・「教育へのタブレット導入で、学びを通じて人と人とがつながる社会へ」
 おっしゃるとおりです。
 http://benesse.jp/news/kyouiku/trend/20140306080023.html

・「教育分野タブレット市場、2018年に128万台・759億円規模へ」
 これタブレット端末+α市場ですよね。ネット、クラウド、コンテンツを総計すると一ケタ以上でかくなると考えます。教育をビジネスにするな、という声が日本には根強くありますが、ビジネスにならなければサービスも環境も充実しません。教育が日本最大の、かつ国際競争力のあるビジネスになればよいと思います。
 http://resemom.jp/article/2014/03/07/17475.html

・「コンピューター使った問題解決能力、日本は3位 12年OECD調査」
 使う能力は高い!だがPCを使う経験は下から2位! 使わせてあげてよ!
 http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG0102J_R00C14A4000000/

・「配慮は十分か」といった心配が先立って「導入しない」「一人にも機会を与えない」というのがこれまでの日本の態度。配慮をしたうえで導入する、というのが武雄市の挑戦。後者を支持します。
 http://bit.ly/1gRukqb

(つづく)

2014年6月16日月曜日

著作権について思うこと。その2

■著作権について思うこと。その2

 著作権政策に関するお話、最初の問題意識に立ち返ります。物事を解決するアプローチのことです。まず「行政」重視について。
 著作権行政では、権利側と利用側の利害を調整するスタイルがとられます。文化審議会の場で、延々と時間をかけて意見調整が図られます。これはそもそもムリだろうと思います。著作権ルールが生煮えで、互いの土地が柔らかい時期はよかったかもしれませんが、時間をかけてあれこれ努力した結果、しきたりはできあがり、地面は硬くなっていて、それをさらに個別に掘り返して線引を変えるなんて、小さな案件でもコストがかかります。

 ぼくが通信や電波の行政に身を置いていたからそう感じるのかもしれません。その世界では、たとえNTTやKDDIやソフトバンクが猛反対しても、実施すべきと考えれば総務大臣は断固決定するからです。無論ユーザが反対しても決断することもあります。それらが実行できるかどうかは政治=国会を舞台に力勝負となりますが、行政の決定は大臣の意思として行います。
 著作権行政はコンセンサス行政が基本です。だからまどろっこしい。それなら民民の契約に委ねるスキームとするか、司法に判定してもらうか、立法で多数決取ってもらうか。そのほうがよくね?というケースが増えています。

 典型例が録音録画補償金。簡単に言えばハードウェアからコンテンツへの利益還元策です(という見方はよく否定されますが、ぼくはそう見ています)。その制度が死に体になっていて、どないするかの議論のためさきごろ文化庁にWGが設置されました。これも従来の方式では展望がありません。
 議論はもう10年近く続いています。2005年の文化庁の会議にはぼくも参加しました。そのときには、ハードディスクなどを対象とする政令改正がギリギリまで煮詰められ、改正文案までできていました。
 その最終局面でぼくは、それでダメなら、権利者側は行政を蹴飛ばして、行政訴訟を起こすか、議員立法に立ち向かうか、小学校で習った行政と司法と立法の三権を使いこなすのが大人ではないかと迫ってみました。

 結局その際、権利者側は、ぼくのような子どもの意見は聞かず、「より大人」な態度を見せ、最後までケンカを通すことなく収めました。要するにメーカー=経産省の勝ちです。ぼくはその時点で本件は未来もノーチャンスと見て、議論の場から離れました。
 それから議論は延々と続き、権利者とメーカーとの訴訟も起き、結局行政は議論の場を与えることを続けています。またしてもWGの設置。文化庁の態度は実に正しい。10年でも20年でもその行政需要を殺さなければ、いつまでも仕事が続きます。役所のビジネスモデルです。
 要するに時間コストがかかりすぎる。これが著作権制度を巡る最大問題です。じゃあ行政での解決はムリか。そんなことはないと思います。知恵はあるはずです。この件については改めて話します。

 電子書籍をめぐる出版社の権利も議論になりました。知財本部でも長い時間をかけて話し合われました。本件はようやくコンセンサスに至り、文化庁が出版権を認める方向で法改正に至りました。ぼくは「契約」で解決すればいいと考えていましたが、法制度としても契約をベースにする制度案とする方向となり、いい解決に向かった例だと思います。それでも電子書籍元年から4年、時間がかかりすぎています。制度に頼るからだと考えます。
 フェアユースに関しては、2012年に法律が成立しました。ただ、これも知財本部の議論から文化審議会の議論を経て、やっと制度として実現したのは、映り込みの処理など、もともと裁判などでもフェアとされていたものであり、限界事例を追認したにすぎないとされています。中山信弘先生は「骨抜き」と痛烈に批判しています。これもコンセンサス行政だから仕方なくそうなるという実例でしょう。構造上の問題だと考えます。
(つづく)

2014年6月12日木曜日

十年ぶり、シンガポール。(下)

■十年ぶり、シンガポール。(下)

旅行記の続きです。



シンガポール目的3.
サイネージチェック。
これはいつものとおりベタにスケッチします。
まず空港での応対をタッチパネルが聞いてきました。




迫力のあるサイネージがけっこうあります。



でかすぎて画面がよく見えないのも。
アルマーニ。
日本企業に聞くと、シンガポールでは急速に普及してるけど、システム的にもレベル的にもまだこれから、だそうです。







小さいのも。
日本の鍋スープと調味料売り場。
確かにまだネットワーク型は少なそう。 






メトロではX-MENのCM。









竹芝がらみで、水とデジタルを探していたら、PRADAが水の流れる美しいサイネージを見せていました。








街と水とサイネージ。竹芝の参考まで。 




他の都市でもそうですが、タッチパネル・サイネージが目立ちました。




それでもシンガポールはタッチ型が多いんじゃないですかね。









地下道の商業施設が多くて、デジタル地図で案内してくれないと、わからないですもん。









外に出ると暑すぎますしね。
この案内サイネージは高機能。









で、はやりのビットコイン。
はやってない?










温かい食べ物が出てくるサイネージつき自販機。
これは初めて見た。
収穫です。






最後に、世界で一番大きいというSuntecのLG製サイネージ。
うん、デカい。




でもこんなコンテンツばかりで、デカい必要あるのかな?



シンガポール目的4.
シンガポール国立大学NUS。
KMDとの共同研究機関「CUTEセンター」。
テクノロジー☓ポップの研究をしています。



CUTEでは現在20人の研究員が常駐。
うちシンガポール人は2人だそうです。
KMDとはバスのサイネージを研究したりしています。



NUSは1つの豊かな街ですね。
住居も食もスポーツ施設も完備、そして都会も近い。
これだけ充実した環境の大学の例を知りません。



シンガポールはカネがある。
世界中の頭脳、日本などの産業・技術を引き寄せる。
その戦略の中心にあるのがNUSだといいます。
気合いを感じます。



日本にとってシンガポールは市場であり、テストベッドでもあります。
所得が高く同じビジネスモデルが試せるうえ、国の主導力が強くてトップダウンで素早く仕組みが導入できるといいます。 



学生の施設も充実。
シンガポールはデジタル教育でも世界最先端です。
国の姿勢が明確で、マイクロソフトなど国際企業もかなり投資しています。





屋外のテーブル・ベンチに電源。
だよねぇ。
やる気でるよねぇ。

2014年6月9日月曜日

著作権について思うこと。その1

■著作権について思うこと。その1

 東洋大学で開かれた情報通信政策フォーラムに呼ばれ、著作権政策について話しました。ぼくは知財本部の議論とりまとめ役として、どの政策を重視して担当官庁に解決させるかを差配します。だから個々の著作権問題の白黒に踏み込むことを避けています。このため著作権問題のスタンスがわかりにくいと指摘されることもあります。このフォーラムでは普段と違ってできるだけ踏み込んだので、4回に分けてメモしておきます。

 今でこそ政府8省庁が知財本部の席につきますが、以前は重視されてはいませんでした。ぼくが郵政省の官房にいた十数年前、著作権法の改正案が文化庁から回ってきても、放送担当がテレビ局に意見を聞いて、文句が出なければスルー、ぐらいの扱いでした。
 それがこの10年で、ネットやPC、ケータイといったデジタルの進展とともにコンテンツの重要性が高まり、著作権にも注目が集まるようになりました。著作権が産業の源泉になることが認識される一方、コピーと流通を管理することで権利を保護するアナログの仕組みが、コピーと流通のためのデジタル技術の普及によって問い直されてきたわけです。

 しかし、10年たっても問題は解決しません。ますます複雑に入り組んでいきます。その最大の原因が、著作権の問題を「法制度」の枠に押しこめ、「行政」で解決しようとする基本姿勢にあるとぼくは考えます。それによって「時間コスト」がかかりすぎるのが問題だと。
 ぼくは著作権法の専門家ではなく、政策屋です。著作権には関心がありますが、権利に関心があるのであって法律に関心はありません。著作権はコンテンツの提供と利用、生産と消費のインタフェースです。その当事者は対立します。議論して調整するなんてムリってもんです。本来、ビジネスや契約で決めるべきもの。そもそも制度に話をもっていくのが間違ってる、と思うことが多い。

 ところが、それを覆す事態が起きてしまいました。TPPです。アメリカは生産と消費のバランスを生産側に持って行こうとしています。アメリカの政策はビジネス主導ですし、コンテンツが輸出超過ですから、当然の動きです。知財はマクロ政策の中の一項目だし、外圧での制度論なので受け止めざるを得ません。
 ただ、保護期間の延長問題はぼくはさほど深刻に受け止めてはいません。日本にとって損であり、国益に合致するとは思えませんが、逆に、被害もさほど深刻ではないと思います。8年前にこの問題を議論するプラットフォーム「ThinkC」を立ち上げる際、ぼくは福井健策さんや津田大介さんらと世話人を務めたのですが、ぼくの立場は、「こんな話よりもっと大事なことがあるだろう」というものでした。
 だいいち保護期間の問題ってデジタルとは関係がない。デジタルの進展で取り組むべきもの、たとえば二次利用とか、クリエイターへの対価還元とか、デジタル・アーカイブとか、電子書籍とか、電子教科書とか、目の前に切迫した課題があるのに、著作権法の学者や福井さんや津田さんら大事なかたがたの時間を何年も使ってロスしないでもらいたい。貴重な頭脳はもっと大事な問題に活用してもらいたい。

 これに対し、「非親告罪化」は深刻だと考えます。政府はクールジャパンに力を入れていますが、日本の表現パワーはプロのクリエイター以上に、国民みんなの創造力に立脚しています。それを殺すには、国民みんなの二次創作力を削ぐことです。
 その国内生態系を崩して導入するなら、アメリカが決して他国に要求しようとしない「フェアユース」をコレでもかというレベルまで同時に導入するバランス感が働くことになるでしょう。ぼくは日本のユーザは非親告罪化を座して受け入れてオシマイにはならないと見ます。

 TPPは多国間交渉ですし、最後は政治決断。帰結はわかりません。でも、知財のプライオリティは確保したい。農業のために知財を売るような事態だけは未来のために避けたい。にしては知財側の声が小さいんです。
 同時に、話はこれっきりではない、ということも胸に留めておきたい。昨年3月、アメリカのマリア・バランテ著作権局長は保護期間が長すぎると言及しましたし、MITスローンスクールのブリニョルフソン教授も著書でその旨を表明しました。米国内の有力者から、制度のアンバランスさが指摘されているわけです。別方向の議論が生じてくる可能性もあるでしょう。
(つづく)

2014年6月5日木曜日

十年ぶり、シンガポール。(上)

■十年ぶり、シンガポール。(上)
  旅行記です。今回のシンガポール、目的は1.街のしつらえ、2.クールジャパン発信、3.サイネージチェック、4.シンガポール国立大学NUSの4点です。


シンガポール目的1、
街のしつらえを視察しました。
というのも、竹芝プロジェクト推進に当たり、水とデジタルの融和した街を参考にしたくて。
(Marina Bay Sands)





浜松町から海に進んだところにある竹芝をデジタル・コンテンツの街に。
今月からデザインを開始します。
(Marina Bay Sands)



竹芝拠点のオープンは2019年。
翌年の五輪を見据えて、クール&デジタルを集積したいと考えています。



東京は海のある首都。
米英仏伊西露中韓どの国も首都に海はない。
海を活かそう。
シンガポールはその参考なんです。


竹芝は空(羽田)からの入口で、東京湾の出口。
そこをどうデザインするか。




展示機能も必要ですし。
(ArtScience Museum)



ライブ会場も重要ですし。
(Espranade Theaters on the Bay) 



しかしこんな壮大なものをよく作りました。
Gardens by the Bay.
国家の勢いを目の当たりにします。



シンガポール目的2.
クールジャパン。
稲田朋美担当大臣、知財本部内山事務局長ほか日本側関係者と、シンガポール側関係者との意見交換を行いました。
(明和電機の巨大ポスターをみつけたよ) 


K-Popに押されていたが、J-Popの巻き返しが強まり、改めて人気が高まっているそうです。
深み、広がり、実力がありますからね。
(LINEのブースで記念写真を撮る連中、多数)


シンガポールで すし職人を育成している福江誠さんによれば、育てればすぐに職はあるそう。
ただこの国はマネジメント志向が強く、職人層が薄いんですって。 
(この「およげ!たい焼き」が誰の著作権も侵していないことを祈る)




福江さんによれば、問題は日本側の人材だそうで。
教える側の海外志向とか語学力とか。
どの業界も同じですね。
しかも育てるには時間がかかる。
(ミントおもちゃ博物館にて。ずらり) 


大臣が「課題は何か」と聞かれるので、「自信」と答えました。
力はあり、海外から認められてもいるが、縮こまっているので、自信をつけさせてください。
(円谷とピープロ。お宝やなぁ)


 もう1つは、海外に出て失敗するリスクの処理。
失敗してもそれが勲章、みたいに評価法を変えないと引きこもりが続く。
ここは大臣所管の「再チャレンジ」の課題です。
(キャプテンウルトラ。売ってくれませんかね)


シンガポールでもアニメフェスタが大人気。
主催者のかたと、連携して広げようという話になりました。
(遊星仮面人形、宇宙エースバイク、おそ松くんカー、スーパージェッターのパラライザー銃。誰が持っていたんだろう・・)



彼によれば、シンガポールでは家族で「進撃の巨人」コスプレをしてる人が多いそうです。
人を喰う話なんですけど、いいんですかね。
(いろんな色のブースカ。どういうことだ・・・)



「初音ミクとレディ・ガガがワールドツアーで共演するんだよ」とのこと。
うちの社会人学生が携わってる件なんですが、ミクはぼくたちのもの的ドヤ顔だったので、それはスゴいとだけ返答。
(こういう日本風喫茶もウケるかなぁ)


ところでその喫茶店のメニューがコレ。
ドリアにナポリタン、明太子パスタ。
クールジャパン。
ぼくは水出しアイスコーヒー(ダッチ冷コー)をいただきました。







西洋のパスタを和風にしておはしでどうぞ、って、典型クールジャパンですよね。
アニメもゲームも西洋技法を和風にして海外展開。
ロリータもJ-POPもそう。
まだまだあるんじゃない?
(つづく)

2014年6月2日月曜日

メディアの発生

■メディアの発生
加藤秀俊「メディアの発生」。
 ヒトやモノ、事象を「むすぶ」のが「カミ」の役割。そしてカミとヒト、ヒトとヒトをむすぶ聖職者、遊女、旅人らを「メディア」として日本各地を探訪するフィールドワークの集大成です。「梁塵秘抄」「平家物語」「太平記」などの古典を題材にしつつ、それらがいかに土俗と結ばれ、現代の文化に連続しているかを説く。それを社会学や文化人類学というよりメディア論としてとらえる。素敵です。
 冒頭、西洋に学んだ社会学の大家である加藤先生が、西洋の学者の本を難解・稚拙な日本語で注解する日本の社会学を「ぶざまで情けない」「幕末の蕃薯調所のような」「インチキ」とバッサリ斬っているのが痛快です。まず社会学からの反論を聞きたい。
 にしても加藤さんのいたころの京大人文研といえば、今西錦司、桑原武夫、梅棹忠夫、上山春平、米山俊直ら錚々たるコミュニティ。ぼく教養で米山先生の単位をもらったんですが(授業は出てない)、当時助教授だったよな。ぼく自身、こうした集大成を鏡に、自分の得てきた知見を問う時期なのでしょう。本書をテキストに、自分のコメントを加えていきたいと思います。

 踊り念仏は200人もの素っ裸の集団が一遍上人のオシッコを浴びたり飲んだりしながらのトランス状態だった。-- カルトは昔も今も大差ないのかもしれません。
 旅館でも料亭でも全て接客は女性であり、女将を頂点とする女性組織が握る。サロンの場を仕切るホステス=遊女は、遊芸と洗練された会話の持ち主で、ヒトをむすぶメディア。---日本は女性のメディア機能が高いんですね。
 「巫女」はカミ・ホトケに奉仕し、神意をヒトに伝達するメディア。聖職者たる巫女がヒトの俗世間とかかわる距離が近いと「遊女」と呼ばれた。--- 聖と俗が融合するところにメディアがあるのですね。
 「稀代のプレイ・ガール和泉式部」が芸能集団の守護神となり祀られるのが新京極の真ん中にある誓願寺で、そこがセンターとなって巫女や商人たちが全国に情報を伝播していった。-- 何百回も通ってながらお参りしたことがおません。参ります。

 語り物である「平家物語」が大ヒットとなり、これを演奏する琵琶法師たちがギルド「當道座」を結成して、著作権・演奏権などの知財権を独占した。JASRACの祖型。-- いえ、芸団協もレコ協もその他もろもろ合わせたようなもので。
 琵琶法師に検校という三位の中将と同格の官職が与えられ、平家語りの盲僧が宮廷音楽士になった。鍼灸などの医療、金融業も手がけた。73の階層を設け、検校に出世するには江戸時代で700両を要した。---異界の強力な権力機構です。
 検校には天皇・皇室、武家は厚い庇護を施し、補助金も与えた。その勧進興行には多くの観客が集まった。---貴族・武家文化と庶民文化が一体だったことがわかります。これはポップカルチャー形成の重要ポイント。
 ギルド「當道座」の祖神、人康親王は京都・山科の四宮に祀られている。---へえっ、山科が盲人の総本山とは知らなんだ。(今のぼくの実家がありまして。)
(ところで笑福亭鶴瓶師匠に慶應で留学生相手に日本語で落語を打ってもらう、というムチャな授業を企画したことがありました。やってもらったんですがね。そのときの演目が「錦木検校」。大名の跡取りが友人の盲人を最高位に出世させる人情話です。言葉がわかるはずがない留学生が泣き笑いしているのに驚きましたが、それよりも、このネタは、日本人学生に教養として聞かせなければと思いました。)

 琵琶法師、踊り念仏衆、巫女や瞽女。カミ・ホトケとヒトをむすび、ヒトとヒトをむすぶメディアはみな住所不定の非定住者。動き続けることがカミ・ホトケに近づく方法。--- ノマドのヒトがビットであり、メディアとなる。
 文字をつづるのは高度な識字層の特権で、紙・筆などハードウェア量も限られていたので、文字文芸は京都に限定されていたが、旅人による音声の文芸は各地で共有・伝搬された。--- 原始、ソーシャルメディアは文字ではなくオーラルだったわけです。
 著作権もなく、脚色、改ざん、なんでも自由自在だった。--- 千年前に著作権法があったら、貴族文化は発展したとしても、ポップカルチャーは発展しなかったでしょうねえ・・
 ゼロの焦点、寅さん、水戸黄門。いずれも「諸国漫遊の漂泊性」が身上であり、演歌も旅愁に支えられている。越境する生命力。--- ぼくも今年はあちこち越境する所存です。

 メディア史上、文字の出現はごく新しいことであり、人類はついこのあいだまで文字以前の世界で生活していた。-- コンテンツの発生は音楽、絵画、文字の順。近代メディアはその逆、印刷機、写真、レコード、の順なんですよね。
 ノンフィクション文学「太平記」の執筆者、恵鎮の本拠、平安神宮そばの岡崎法勝寺かいわいを復元する運動があったが立ち消えになった。--- 1000年前の羅生門を復元する提案もあります。京都復元プロジェクト、参加したいです。
 岡崎法勝寺にあった九重の塔は80m、義満が建てた相国寺の七重の塔は109m。現存する東寺五重塔は55m。南北朝~室町の京都は高層都市だった。-- 今は低層都市をウリにしてますけどね。550年前、先の戦争(応仁の乱)で焼けたのを逆手に取るしたたかな京都です。