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2013年12月30日月曜日

メディアの融合について市民講座

■メディアの融合について市民講座
今日は、ちょっとテレビとネットの融合について、公民館で開かれる市民講座風に、お話しましょう。

 「ウルトラQ」のDVD全集を買ってしまいました。仕方がないのです。カネゴンやガラモンやケムール人を無性に見たくなることがあるのです。
 しかし家人は「またそんなもの買い込んで」。漫才バトルやら往年のドラマシリーズやら、他にも家にはたくさんあります。テレビでタダで放映されたものを、わざわざおカネかけて買うなんて。しかも置き場に困るじゃないの。ビデオテープよりコンパクトになったとはいえ、全集なんて買われた日にゃぁ、ぶつぶつ。理解できない、というのです。
 お怒り、ごもっとも。簡単に手に入るものは買って場所を取らなくていい。本ならば図書館があるし、電子書籍も充実してきました。音楽もオンラインでだいたい手に入ります。映画もDVDが出そろっているから買おうと思えば買える安心感があるし、オンデマンドでいろんな作品が見られるようになりました。
 
 テレビ番組はそうはいきません。録画の機会を逃すと、あの特集、あのシリーズと思っても、よほど商品価値のあるものでないと、そうそう市場に出回っているものではありません。放送番組は9割が1度オンエアしておしまいで、DVDやネットなどで再利用する割合は1割にすぎません。
 番組が保存され、再利用されるのが少ないのは、そのための著作権処理が大変という面もあります。でも、デジタル時代が到来、テレビ番組という宝の山を活かさない手はありません。40年以上も前の番組の全集に飛びつくオヤジだっているのです。
 もちろん放送局は汗をかいています。1991年に「放送番組センター」が番組の収集、保存事業を始めて以降、努力が積み重ねられてきました。そして2008年12月、「NHKオンデマンド」がスタート。高速ネットで番組ライブラリを提供し始めました。開始当初は1000本で、その後年1000本をめどに追加されているといいます。そのころから民放もネット配信を強化しています。

 しかし、まだまだです。例えば、フランス。国立視聴覚研究所(INA)は、放送法に基づいてフランスの「全て」の放送番組をアーカイブしています。2006年にはネットサービスも開始。その番組本数は10万本。NHKオンデマンド開始時の100倍です。それを国が直接進めています。映像資産を蓄積し、公開することが国の文化・産業戦略とされているのです。気合いが違います。
 日本の政府も対策に乗り出しています。このほど取りまとめられた「知財ビジョン」には、「文化資産のテシタル・アーカイブ化の促進」という項目が盛り込まれました。放送番組や映画、音楽、ゲーム、写真などの蓄積と発信を推し進めるといいます。総合戦略です。
 実は日本は録画大国。家庭で番組を録画する人がとても多いのが特徴です。とすれば、みんながおうちに隠し持っているお宝映像をつないで寄せ合えば、豊かなデジタル映像列島ができあがります。ま、拙宅の場合は、それならムダに持っているビデオを早く処分しろと迫られるのですが。

 ネットがテレビ視聴を変えています。テレビとコンピュータは融合し、放送とネットは結合します。

 「4K」テレビが売れているそうです。画素数がハイビジョンの4倍ある、つまり、4倍キレイなのだといいます。地デジで十分キレイになったと思いましたが、欲は尽きないんですね。
 もっとキレイで大きな画像が欲しい。壁いちめんを美しいテレビにしてしまいたい。4Kテレビ向けの放送は来夏のサッカーW杯まで始まらないというのに。じゃあ何を見るの?ネットの映像だそうです。テレビというより、大きなパソコンですね。
 しかも、もうその次の、ハイビジョンの16倍キレイな「8K」というテレビも登場しています。放送の本格化は東京五輪のころだそうです。目の前に置かれた実物よりキレイってな具合の、映像の極致。家の壁よりも大きなサイズで見てみたい。家で見るより、巨大街頭テレビでみんなで騒ぎたい。テレビというより、映画ですよね。

 いや、しかし近頃どちらかというと、画面は小さいですよ。茶の間のテレビにはチャンネル権がなくて、オヤジはワンセグであります。トイレやふとんで秘やかに愉しむのです。ガラケーからスマホに買い換えて、少しばかり画面が大きくなったことに感謝致します。オヤジの大画面というのは、その程度であります。
 女子高生も、タブレットのことを大画面と呼びます。そう、画面の大きさはケータイが基本になっているんです。50インチのテレビなんて、チョー巨大なのです。手のひらサイズから、タブレット、中型テレビ、大型テレビ、チョー大型スクリーン。
 これをケータイやスマホ、パソコン、テレビや映画、と呼び分けるのは意味がなくなりました。どの画面も放送の電波を受け、ネットにもつながります。どの画面もテレビであり、コンピュータであります。

 んなこたあ、言われなくても、視聴者はわかってます。テレビで番組を観ながら、パソコンで検索し、スマホのソーシャルメディアでつぶやく。いくつものスクリーンを自在に使い分け、放送も通信もごちゃ混ぜにして、コミュニケーションをむさぼる。ウチの息子のことですが。
 こいつは大変だ。テレビ局は放送の電波でテレビに番組を送っていました。ネット会社は通信回線でパソコン向けのサイトを届けていました。通信会社はケータイ無線でモバイル情報を流していました。ところが受け取る個人は、その全部を同時に受け止め、自分で編集して楽しんでいます。
 すし屋とフレンチと餃子店が軒を連ねるフードコートで、自分好みのおかずでマイ定食を組み立ててるみたいなもんですかね。それだと、和洋中折衷のいい定食屋ができたら客をさらわれるかもしれません。
 メディア折衷の、やっかいな時代になりましたよ、という一席でした。

2013年12月26日木曜日

メディアの公共性について市民講座

■メディアの公共性について市民講座

 今日は、ちょっとメディアの公共性について、公民館で開かれる市民講座風に、お話しましょう。

 アツツツツ。芸人が熱湯風呂から飛び出した。ドラマのはしたないNG映像が繰り返される。テレビってお下劣です。ところが、すわ震災となれば全局でニュース特番が組まれ、CMも飛ばしてマジメな画面が延々と続く。放送の「公共性」というやつが顔を出すのです。
 放送法には、番組をちゃんとするための規則があります。風俗を害しないこととか、政治的に公平であることとか、報道は事実をまげないとか、そういうルールを守るよう、放送局が社内に審議機関を置くように求めています。

 実は、日本の規制は海外に比べてとってもユルいんです。アメリカやフランスでは、当局がテレビ局を処分したり番組を打ち切ったりすることがあるけど、日本は放送局や業界の自主性に委ねています。それでも、というか、だからこそ、やらせ番組などがあると「けしからん」という騒ぎになる。政治からも公共性を保つよう何とかしろという声が上がったりするわけです。
 一方、インターネットは無法地帯。テレビ番組のような映像も無数にあって、世界中の役立つ情報が行き交う一方、デマもエロも危険思想もごちゃまぜです。でも放送ではなくて通信だから、麻薬売買や著作権侵害など法に触れる情報を除き、そこは自由が保障されています。憲法が保障する「通信の秘密」、ネット空間の自由を守ることで社会全体の公共性を保つということでしょう。
 衛星には200を超えるテレビチャンネルがあり、ネットのように多様な情報が流れます。ネットでは選挙前に党首討論会が開かれるなど、テレビのように公益的な番組が組まれます。テレビは公共の電波を使うというが、ケータイのネットだって電波をたくさん使います。とても似ています。しかし制度上は、テレビは規制、ネットは自由。正反対です。

 放送と通信の距離が狭まり、「公共性」なるぼんやりした言葉の意味が改めて問われます。放送法は、「公共」放送局であるNHKに対し、豊かで良い番組が全国で受信できるようにすることを求めています。それはわかります。きちんと基本を守ってくれということです。
 同時に、放送の「進歩」に必要な業務や「国際」放送も求めています。うむ、新しい世界を切り開くのも公共なのですね。それなら、ネットにもネットなりの公共性があるということです。公共は放送の独占物じゃない。
 いい番組を増やすこと、イヤな情報を減らすこと、新しい技術を開発すること、海外に日本を発信すること。
 いいじゃないですか。この際、「公共性」を広く取って、放送にも通信にも、それをどんどん広げていってもらったらいいですよね。
 
 そんなことを考えていたら、民放連の番組コンクールに審査員として参加しろという指令が下りました。エンタテイメント部門だという。危険です。大学の教員に娯楽を審査させたりしたら、小難しい文句をたれて、全くエンタメっぽくない結果になるのがオチです。お望みとあらば、そうしてやろうじゃないか。
 ですが、会場でノミネート作品を見て、裏切られ感に打ちのめされました。お笑い芸人の熱湯風呂や、はしたないNG集などのかずかずを、上から目線で冷笑してやろうと思ったのに、下から感心してしまったのです。
 失われゆく風俗をタレントが切り取って惜しむドキュメンタリー。国語辞典を作るプロたちが集結してノウハウを語るバトル。ニューヨークの美術館をお笑い芸人が訪れてアートに触れるルポ。じ~んと来てしまったのです。テレビも、やるじゃないですか。

 テレビが「一億総白痴化」をもたらすと言われたのは56年も前のこと。半世紀以上たって、ぼくらはバカになったのでしょうか。多少、そうかもしれません。でも、そうばかりでもないんじゃないかな?昔は、ぼくらの周りは、もっと下品で乱暴じゃなかったですか?
 かつて小説は、不良の読むものでした。かつて映画は、不良の観るものでした。かつてギターは、不良の持ち物でした。ぼくは後ろ指を指されつつギターを弾いていました。今どき街頭でギターをむさぼり弾く青年は、目的意識がある学生の鑑であります。

 数年前、ある首相は「青少年がケータイを持つのは百害あって一利なし」とうそぶきました。百利あって一害あり、とすべきところ、言い損ねたのでしょう。大人は判ってくれない。子どもたちは安全で楽しくなりたいと思ってデジタル技術を使っているのですが、大人はデジタルで子どもが危険でダメになると思っていました。
 結局それから数年もたたず、全ての小中学生がデジタル端末、つまりケータイ的なもので勉強するよう学校を情報化することを政府が決定しました。逆に、もっと使わないと、バカになると思うようになったわけですな。
 デジタルになると字を読まなくなる、という大人もいます。でも、米カリフォルニア大学の調査によれば、パソコンやネットの普及で人はそれ以前より3倍も字を読むようになったといいます。確かにぼくも、紙で読む量が減った以上に、ケータイやパソコンでうーんと字を読むようになりました。使いようによっては、賢くなれるかもしれません。

 韓国でCMを見て驚きました。このスマホを使うと頭がよくなる。このテレビを買うと成績が上がる。教育のためにスマホや新型テレビを、というのです。そうだよね。コンテンツを作る側には、それくらいの自信をもって作ってもらいたいものです。

2013年12月23日月曜日

「かぐや姫の物語」に寄せて

■「かぐや姫の物語」に寄せて
 高畑勲監督「かぐや姫の物語」。企画・製作8年。名作「ホーホケキョとなりの山田くん」から14年待ちました。前作は封切り日に観るためアメリカから帰国したことを思い出します。余白を多用する水彩タッチの日本アニメ、これを観たかった。
 今年は、25年前の火垂るの墓とトトロ以来、ジブリ作品が年2本公開される年、高畑さんと宮崎さん競演の年でもあります。前回の競演は、高畑さんが反戦、宮崎さんがファンタジーという対比でしたが、今回は高畑さんがファンタジー、宮崎さんが戦争関連というこれまた対比。そして今回は、高畑さんが野山をはう、質感のある「生」を描き、宮崎さんが宙を舞う、理想のみの「生」を描いた対比ともみました。

 かぐや姫の物語。
 花、鳥、風、月。そして野山の虫、獣の美。都での優雅な衣装の色彩美。横に、向こうに、こっちに疾走する人物の美。見事です。他のアニメでは決して見ることのできないパステル系の色彩と、太く荒い線、そしてゆったりと、ふわふわとしたたたずまいに割り込む、激しいスピード感。
 水墨画家や浮世絵師が西洋絵画ではありえない大胆な線や構図をドーンと使うことがありますが、それに似た、ドーンとした大胆さが随所に見られます。
 解説に、背景とセル画を別々に描く様式ではなく、背景とキャラを一体化して1枚の絵が動くように作った、とあります。技術面でもかなりの新機軸が投入されているのですね。

 穢れた地球に罰として落とされ、喜怒哀楽に生きることを課せられる。そこから脱したいと思ったとたんに連れ戻される。その背景、その事情はほぼ語られず、地上を駆け回り、泣き笑い、悩み、こらえ、成長する主人公が描かれます。これはおとぎ話としての「かぐや姫」、なのではなく、その「物語」なのです。
 喜怒哀楽に「生きる」ことの全肯定。「生き」ずに月へ連れ戻されることの後悔。
 家族をないがしろにして、殺人機械を冷酷に造り続ける「風立ちぬ」、その主人公とのコントラストはどうでしょう!

 声優の安定度が抜群です。かぐや姫の朝倉あきさん、相模の高畑淳子さん、媼の宮本信子さん。特に翁の地井武男さん。1年半前に亡くなっているのですがが、録音が先で、アニメが後の製作手法=プレスコだから実現したそうです。地井さん、いい作品を遺されました。
 地井さんは台本を読んで高畑監督に「これは地球を否定する映画か?」と聞き、「逆に、地球を肯定する映画です」という答えを聞いて、安心して音入れに向かわれたそうです。もし「風立ちぬ」の父親役に誘われていたら、宮崎監督に何と聞かれたでしょうね。
 劇中のわらべ唄は、高畑監督が作詞・作曲に当たり、久石譲さんに説明するため初音ミクでデモを作ったといいます。それ聴きたいです!

 氏家齋一郎さんが「となりの山田くん」が大好きで、高畑さんに作品を作ってほしいと言って実現したと鈴木プロデューサが語っています。大パトロンあっての作品なのですね。氏家さん、いい作品を遺されました。
 「ホーホケキョとなりの山田くん」。14年前の作品です。興業的には失敗で、酷評も目立ちました。でもぼくは、実に好きでした。こういう作品が生まれ続けるには、ムダにおカネを投じるお大尽が必要なんでしょうね。IT長者諸君、こういう仕事をお願い!
 エンドスクロールでまたもプロデューサ見習いとして川上量生さんの名前を発見しました。前作より本作のほうがうらやましいなぁ。
 
 これぞ、見せたいクールジャパン。
 

 ところで14年前、アメリカから「ホーホケキョとなりの山田くん」を観に戻ったころの模様の駄文がコラムに残ってます。アスキー24、1999年12月号。参考まで。
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『となりの山田くん』は天才のフルスイング

 『ホーホケキョとなりの山田くん』を封切りの日に観るために帰国した。高畑勲監督もよくこんな映画つくったもんだ。ファンタジーより現実のリアリティーを表現したい気持ちはよくわかる。
 スコスコの水彩画面を作るために、もののけ姫を上回る作画枚数を費やす意味もよくわかる。CGなんていうテクノロジーはこういう具合に従えるべきものだっていう作家の気合いもよくわかる。でもホントにそれをフルスイングでやっちゃう根性ってのは、理解を超える。天才ってのは強烈なパワーが備わったアホのことを言うんだな。
 作品が浮揚感で統一されているのは、人類の宝・矢野顕子さんの音楽の力だ。この作品の音を作れる人はこの方しかいない。河原町三条のテーブルの下でオウオウ笑って(中村注:大学入学式をサボって一人で河原町三条の喫茶店に『がんばれ!!タブチくん!!』を持って入ったところ衝撃的に面白くテーブルの下に潜って笑いをこらえた件)からしばらくたって、私は坂本龍一さんにあこがれて、音を出すことに熱中して、その世界に人生を捧げようかとも思ったが、矢野顕子さんの音に打ちのめされて、やっぱこういうのは天才がやらなきゃダメだと悟り、断念して、役人になった。いや私のことはどうでもいい。天才が大切なのだ。
 よくこんな映画つくったもんだ、と唸るのにはもう一つ理由がある。マンガをアニメにするというのは、絶対に失敗する運命にあるからだ。マンガとアニメは根本的に違うメディアだから。マンガはとても柔軟な表現手段で、コマの大きさ、フキダシを含めた画像構成は作家の自由だ。ページをめくって読み進むタイミングは読者に委ねられる。聞こえてくる音の解釈も読者に委ねられる。
 しかしアニメは、定まった大きさのスクリーンに、定まった時間進行のもとで、音も含めて、作家が全てのイマジネーションを描き切らなくてはいけない。マンガの読者に許される解釈やスピード感の自由は、アニメでは奪われる。だから、オーディエンスにとって、マンガとアニメの味には必ずズレが出る。アニメのテクノロジーが進化するほどズレは際だつ。
 小説を映画にするのも同じ。たいてい失敗している。あたりまえのことだ。表現手段を変える難しさ、メディアを転換するのに必要なイマジネーションの重さ、を乗り越えるほど強烈なオリジナリティーを持ってこないと、原作に匹敵する作品はできない。
 インターネットでの新しい表現を模索しているアーティストも多い。が、マンガやアニメなど旧来型の表現をそのまま載せようとしても失敗するのは目に見えている。リンクやインタラクティブというインターネットの特性を活かしたものでなければ、意味がないからだ。それならマンガやアニメで表現する方がいいのであって、ムリしてインターネットでやろうとするのでは、無自覚な作家のたまり場になってしまう。
 そういう意味ではこの映画はかなり成功している部類だろう。正直いって私にはところどころテンポや音質の点で違和感があったが、スクリーンに表われるニッポンの日常は、私ごときの違和感など遠くにうっちゃってくれるオリジナリティーであった。おやじが酔っぱらってバナナを食うゆっくりしたシーンを、アメリカ人やフランス人や中国人に見せてやりたい。天才たちがぶつかりあって描くってのは、こういうことだ。
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 iモードが始まった年です。まだクールジャパンという言葉もなく、ぼくは30代で、エラそうなこと書いてるなぁ、と恥ずかしくなります。でも、今と言ってることは変わりなく、成長していない気もします。
 同じコラムに、「となりの山田くんを観る前に、秋葉原で伊藤穣一さんや猪瀬直樹さんらとデジタル放送に関するトークバトルに出演した。」「ドリームキャストの湯川元専務がいた。朝まで一緒に飲んでたというのにまた出くわしましたね。「何してんねんお前こんなとこで」「仕事でんがな」。楽屋には、いとうせいこう氏もいた。」とあります。当時と大きく変わったような、あるいは何も変わっていないような、そんな気がします。
 あと14年たって、また高畑さんの豊かな作品が生まれたら、また同じようなこと言ってる、そんな気がします。

2013年12月19日木曜日

海外マンガフェスタ2013

■海外マンガフェスタ2013

今年で2回目となる海外マンガフェスタ。
 10月20日、東京ビッグサイトで開催しました。
 ぼくは実行委員会の顧問を務め、事務局をぼくが代表を務める融合研究所が引き受けています。
 http://kaigaimangafesta.com/

 今年は世界のマンガ教育についてパネルを開きました。
 当日、このパネルに先だって、「アニメ・マンガ人材養成産学官連携事業統括委員会」を開催していました。ぼくが委員長を務め、モンキーパンチ先生にも参加いただいています。アニメやマンガの人材を育成するため、モデルとなる教育カリキュラムを作成し、普及を図るのがテーマです。既にマンガのカリキュラム案を作成し、大学や専門学校など教育現場への普及に入ろうとしています。
 パネルは、その議論を受けて、国際的な人材育成をどうするか、ということを論じました。在日フランス大使館文化部参事官ベルトラン・フォールさん、トロント・コミック・アート・フェスティヴァル代表ペーター・バークモーさん、日本工学院専門学校 クリエイターズカレッジカレッジ長佐藤充さんにご登壇いただきました。フランスからは政府、カナダはフェス代表、日本は学校という、3カ国の違う立場のかたがた。

 冒頭、ぼくが話したことをメモしておきます。

日本はマンガ大国です。
 出版物の64%、売上高の20%がマンガ。ドイツは1.6%、フランスは0.4%というから、20%という日本は異常です。だからこそ海外から高い評価を得ているわけで。先行して海外で人気を得たアニメの多くはマンガがベースです。マンガは日本文化の中心であり、増殖炉でもあります。
 クールジャパンという言葉が生まれたのは10年前のこと。それは日本が言い出したことではなくて、海外からそう言われて気がついたものです。日本は自国のマンガをどう捉えるのかが改めて問われています。
 マンガは国内で大切にされていたわけではありません。教育に良くないといって長く社会問題になっていました。しかし10年ほど前から、海外の評価も受けて、とても大切な文化であるとの認識が広がり、政府もメディア芸術として後押しするようになりました。
 10年前に政府は内閣官房に知財本部を置き、私はそのコンテンツ調査会長を務めています。そこでもマンガは中心的な位置づけとなっています。また、今年は政府にポップカルチャー分科会が設けられ、その議長も務めたんですが、そこでもマンガ原作者が委員となって、振興策を議論しました。いずれも、人材をどう育成するのかが中心的なテーマとされています。

 そして、文科省は人材養成の事業を実施しており、今日こうしてシンポジウムの開催に至っています。とはいえ文科省はじめ日本政府は、こうしたポップカルチャーの分野は政府主導ではなく民間主導で進めるべきという姿勢も明確にしています。われわれが自ら考えなければ。
 一方、アメリカのコミックスやカナダのマンガはもちろん、仏のバンドデシネや、アジアでも自国のマンガは大切な文化として認知されています。マンガという表現様式が、各国の文化に立脚して、多様で、深みのあるものに進化しているのは素晴らしいこと。各国のマンガ関係者が連携して、地球のマンガ文化を発展させたいところです。

 パネラーへ質問。
 こういう海外マンガフェスタのような場は意味があるでしょうか。
 仏:フォールさん「マンガのグローバル化は著しい。交流も盛んになってきて、互いに影響し合う面が増えています。さらに分野を広げ、フィギュアや映画など、他分野との交流も重要になります。作家同士が世界観をたたかわせる場も大切です。」
 加:バークモーさん「カナダのマンガ産業は日本ほどの規模はありませんが、フェスの雰囲気は似ています。作家や読者が参加して、互いに発見を重ねていくことが大切。しかし、こういう取組に日本もフランスも政府が支援しようとしているのはうらやましい。」
 日:佐藤さん「ファンが集まるという点が重要。クリエイターが刺激を受ける場を大切にしたいです。」

 もう一問。ぼくはマンガ家になりたかったけど、なれませんでした。どうしたらいいかさえわからなかった。マンガ家を育てるには、あるいは、マンガ家が育つには、何がポイントでしょうか。
 仏:フォールさん「パッション! 情熱です。」
 加:バークモーさん「ノートを常に持ち、描け、ということでしょう。」
 日:佐藤さん「小さいころから絵を描かせることが大事です。ただ、それだけではダメ。マンガ産業を拡大させ、メシが食えるにならなければいけません。その両方が重要です。」
ですね。以前、マンガ人材育成に関して「先生はパラパラマンガをほめろ」と書いたことがありますが(http://p.tl/XlZW)、描かせて、ホメて、パッション!を維持すること。そして、産業基盤を形成し、才能ある若い人たちがこの分野に身を投じようとすること。この両輪ですね。

シンポ後、ちばてつや先生や松本大洋先生らもご一緒に記念撮影。関係者の努力は続きます。

2013年12月16日月曜日

本当に始まるのね?V-Lowマルチメディア放送

■本当に始まるのね?V-Lowマルチメディア放送

マジ1? 狼少年か! AM局が参入断念したのでFM局も止めたんじゃなかったの? くわっ ついに・・・本当に始まるのね?「V-Lowマルチメディア放送開始!!」という刺激的な1面広告。CEATEC2013の場で読んだ電波タイムスの8面です。CEATECに足を運ぶ業界人はニヤリとするかもしれませんが、一般には何のこっちゃわからんCMでしょう。
 V-Lowマルチメディア放送というのは、地デジが整備されてテレビ局が引っ越したアナログ周波数の跡地のうち、1-3チャンネルで使っていた90MHz~108MHzの電波、つまりVHFの低い(Low)ほうを使って新しい放送サービスを展開するものです。
 同じアナログ跡地でも、既にV-High(207.5MHz~222MHz)はNOTTVがスマホ向けに有料テレビ放送をスタートしています。フジテレビなどテレビ局各社とNTTドコモのジョイントです。通信会社とテレビ局とが組んで、スマホ向けエンタテイメントを提供しています。
 これに対し、V-Lowの方は、方針がハッキリしませんでした。ラジオのデジタル化に活用する、地域の新しい防災メディアとする、さまざまな議論と調整が重ねられました。結果、FMラジオ局を中心に、これまでにないメディアを創り出す方向に舵が切られ、制度作りが進められることになったというのです。

 政府の計画によれば、地方ブロックを7つに分け、マルチメディア放送を行わせる。マルチメディア放送というのは、テレビやワンセグケータイだけでなく、スマホ、タブレット、カーナビ、デジタルサイネージなどにも、いや、どちらかというとそういう新しいマルチスクリーンを主軸にしたサービス。広告つき無料サービスも、課金型の有料サービスもOK。
 参入見込みの事業者は、ぼくがコンソーシアムの代表を務める「IPDC」を採用します。放送の電波にIP(インターネットプロトコル)という通信技術を重畳し、通信も放送も横断してマルチスクリーンに情報を流す手法です。テレビやラジオというより、ネットです。放送チャネルというより、アプリです。
 これまでIPDCコンソーシアムでは、放送の電波を使って街角やバスのサイネージに情報を伝えたり、新聞や雑誌の紙面をテレビやタブレットに送ったりする実験を繰り返してきました。放送局が通信業を行うための規制緩和も求め、ユビキタス特区や通信・放送融合法制の提言などもしてきました。制度的にも技術的にもそれらはケリがつき、地デジも整備されて電波の都合もつき、ようやく動き始めたのです。
 
10月4日、CEATEC会場でシンポジウムが開催され、総務省南俊行官房審議官、FM東京藤勝之取締役らによるトークの司会をしました。
全国7ブロックを6社で請け負い、それぞれ9セグメントの放送を行う。電波を発射するハード事業と、コンテンツを編成するソフト事業とを分離するハード・ソフト分離型。
中心的な役割を担う予定のFM東京は、ネットワーク整備のため400億円を調達。総務省は急ピッチで制度を整え、早ければ2014年夏にはサービスインの見込み、ということが明らかになりました。
制度やネットワークのことはわかりました。問題は、端末じゃないですか?対応する受信機が少ないと立ち上がりが大変ですよね。これに対し、FM東京藤さんから衝撃的な話がありました。wifiチューナーを5年で100万台、無償配布するというのです。100万台!30億円になります。「社長にも黙って言っちゃった。」ってことで、会場にいた東京FM社の役員陣ものけぞっていましたが、言っちゃったものはしょうがない。100万台です。
 チューナー+wifiルータの機能があれば、その周囲はV-Low放送をwifi受信できる環境になります。スマホでもサイネージでも、チューナーなしでV-Lowが見られる。チューナーなし、wifiで放送にアクセスする「ゼロTV」ですね。さらに対応デジタルサイネージも2万4千台を全国配備するそうです。
 総務省南さんも呼応し、全国2万4千の郵便局を活用する案を提示しました。東京五輪に向け、4K8Kでのパブリックビューイングを津々浦々に整備していく。そこにV-Lowも乗せ、安全・安心サイネージの機能を持たせる。おお、総務省が郵便局にかけあってくれるなら、サイネージ業界としても歓迎です。

 南さんによれば、デジタルラジオはイギリスではニッチ放送市場を狙い、多チャンネル化に使われているそうです。ゲイチャンネルなんかもあるそうで。アメリカではアナログ放送の同時並行放送で補完的に使われているとか。これに対し日本は、通信・放送融合サービスや安心・安全確保など新しい情報サービスとしての役割が期待されています。
 FM東京はV-Lowを念頭に、家庭向け置き時計型の小型端末も開発しています。時刻、天気などのデータに加え、防災情報を表示する宅内サイネージです。
 V-Low周波数帯の利用には、wifiなど通信利用に開放する提案もあり、紆余曲折を経た結果、現在のプランに落ち着きつつあります。この結論でよかったのかどうか。それは、来年にスタートする新サービスがまずは答えを示すことになります。

2013年12月12日木曜日

CEATEC2013

■CEATEC2013

これがCEATEC会場とは・・自動車教習所みたい。
 変貌を遂げたCEATEC2013です。

 過去4年のレポートを先に貼り付けておきます。
2009
2010
2011

2012

   さて、今年。
 大型テレビやケータイ新機種というかつてのモードから、1)スマートテレビなどのメディア融合、2)クルマのIT化に代表されるモノのネット化、3)スマート社会という新たな利用面の提案、に力が入っているように見えました。

1) もちろん4K8Kは注目されているんですが、メーカーの動きとは別に、テレビ局はスマートテレビでの新サービスに力を注いでいます。ラジオもV-Lowによる新展開を提示。まずは新しいビジネスを組み立てて、地デジコストの回収と、ネット時代の展望を得なければ。

2) 日産、トヨタに加えホンダも本格参入。クルマショーの様相です。ITは家電から、モノ全般に拡大していきます。ユビキタス、楽しみ。他方、クルマが家電化することは、コモディティ化の道でもあり、怖ろしくもあります。不可避だとすれば、ハードウェアだけでないクルマのソフトウェア・サービスを開拓しておくことが必要ですかね。なんて気楽に書いてますが、大変ですよね。

3) スマートライフ、スマートシティ、スマートハウス。技術展示より、それを使った社会変化が強調されています。ITは開発から利用にシーンが移りました。でも、どこか懐かしいなぁ。90年代のマルチメディアブームのころって、こういう提案がたくさんありました。未来像のビデオとか。20年たって、マルチメディア、つまりデジタル化が実現し、当時の未来像がだいたい現実になって、さて、次、って場面ですね。マルチスクリーン、クラウドネットワーク、ソーシャルサービスも定着して、その次、ですよね。そろそろガツンとくる新機軸が現れそうな気もします。

 では、写真レポートをお送りします。



4K勢揃い。
放送よりも業務用・サイネージとして期待しております。








さすが8Kには黒山。
これもぼくは放送メディアとしてよりIPメディアとして期待します。



 




次世代放送推進フォーラム(NexTV-F)は元橋事務局長が直々にご説明。
おつかれさまです。









それよりぼくは通信放送融合、スマートテレビが気になります。
NHKハイブリッドキャストスタート。






民放のハイブリッドキャスト対応も進展。
これはTBS。
左が放送、右画面が通信。
通信画面はフィルタリングがかかっているという工夫。





北海道テレビ。
腕時計の脈拍計データを吸い上げてテレビで可視化。
みんなのドキドキ度を共有!






タブレットではアナウンサーの脈拍と比較し、シンクロさせ、相性診断!  
やるなぁ。








来年にサービスイン予定のV-Low。
IPDCでデータが蓄積。
クーポンが貯まっていく。
視聴するほどトクする放送です。









去年に続き、今年の目玉、クルマ。
ITは、家電・PCから、モノ全般に拡張します。








昨年に続き参加、トヨタのwinglet。
あれば欲しいヨ。









日産は自動走行を実証。
一般道を走るのはいつか。
4年前、ぶつからないロボットカーを出してきたときはビックリしましたが、早くもここまで。





そしていよいよホンダ登場。
二足歩行ロボットで先行したホンダ、ITをどう料理する?








ホンダは既にアプリ事業者の顔を発揮。








東芝。 
今年もう一つのテーマ、スマート社会。
技術の展示より、その利用法の展示、それによる生活・社会の提案が目立ちました。








シャープのスイートホーム。
暮らしが変わる、イメージの共有。











シャープ、ヘルスケアサポートチェア。
健康で豊かな人生のサポート、とあります。











ドコモ、ずばり、スマートライフの提案。
ぼくにはケータイ新機種の披露より面白いです。  



 


トヨタ、スマートハウス。
個人認証、部屋温度設定、カスタマイズ情報提供など。








というわけで、
1)メディア融合、
2)ITのモノ化、
3)利用提案、
の3点がポイントでした。ぼく的には。









ケータイ新機種とか大画面とか3Dとか競っていたころより、うんと面白かったです。
 

2013年12月9日月曜日

炎上芸能人で学ぶ炎上儲けのからくり

■炎上芸能人で学ぶ炎上儲けのからくり
「有吉ゼミナール」という日テレの新番組記念スペシャルに出演しました。
 デヴィ夫人や川合俊一さん、ボビーオロゴンさんらとご一緒。
 テーマは、「炎上芸能人で学ぶ炎上儲けのからくり」。
 炎上のトラブルが深刻化していますが、炎上を逆手に取ってもうけたり、知名度を上げたりしてやろう、という芸能人の生態をえぐります。
 炎上をあおるわけではないのですが、したたかにネットを使う根性や手口ってのも興味がありますので、企画含め参加した次第。

オンエアではカットされているところがあるかもしれませんが、ぼくがからんだ部分のメモ。

有吉さん
 中村さん、炎上事件ってそんなに増えてるの?

中村
 日本は炎上大国。炎上事件が世界で最も多いんです。原因は日本人の国民性にあります。
 協調性を重んじる日本人は面と向かっての批判をためらうので、匿名で発信できるネットで批判しがち。
 普段押さえているから爆発しがち。
 そもそも個人の発信量が世界平均の5倍もある発信大国です。
 だからツイッターの世界記録「バルス祭り」も起きる。
 炎上は日本独特の文化なんです。

○ここで新山千春さんのVTR。
 1月348万アクセスという記録をもつブログを運営。
 愛娘・小春ちゃんがスーパーのコロッケを食べちゃった画像をアップして、アクセス数が5倍に。
 炎上を連発。
 その後、小春ちゃんは「小学一年生」のレギュラーモデルに抜擢。
 炎上は売名行為ではないか?  
 というあおりビデオです。

新山さん
 これは事務所の戦略なんです!

中村
 新山さんは「家族売り型」の炎上。
 自分が叩かれても娘を売り出そうとする。
 ネット住民は攻撃性が高くて、燃やしたがっている。
 生け贄として、飛んで火に入る夏の蛾。です。

新山さん
 炎上させても一つも良いことはないですよ!

中村
 家族売りで金儲けもできますよ。
 トム・クルーズの娘スリちゃんは、生後4ヶ月からセレブでオシャレな服を着て、たびたび登場することで有名になりました。2009年には経済誌「フォーブス」の「お洒落なセレブリティ」で1位を獲得。今年5月には7歳にして「SURI」というブランド立ち上げのオファーがあり、2億円の巨額契約にサインしました。
 新山さんも348万アクセスあるんなら、毎日炎上させていれば広告月額は200万円に上るでしょう。
 年2000万円。
 炎上ママから炎上セレブへの道も開かれます。
 ただし、キケン。
 悪意のあるネット住民がブログの写真などから居場所を探ってさらしたりします。
 小春ちゃんのプライベートなことを公開すると危ないですよ。

○松居一代さんもブログが炎上したことがある。
 ご主人(船越英一郎さん)が沢尻エリカさんとドラマ共演することを書いたら、ヤフーニュースのトップ記事となり、炎上。 
 ただしこれは計画的で、ドラマの視聴率アップを狙ったもの。
 ただ実際に炎上すると、自分でも開くことができなくなり、ビックリした、といいます。

中村
 松居さんのは、ほどよい燃え具合。「内助の功型」の炎上。
 使いこなしていますね。

○大桃美代子さんのVTR。
 2010年、ツイッターで元夫の不倫を激白、大炎上しました。
 その後、仕事の幅が広がったそうです。
 同情と共感を得て、レギュラー出演が続々決定し、グラビアにも初挑戦とか。
 ツイッターのフォロワー数も伸び、ツイッターを柱にする番組のMCにも抜擢。

中村
 大桃さん、ツイッターを始めてどれくらい?

大桃さん
 半年も経っていない初心者でした。

中村
 なるほど。大桃さんは「無知型」の炎上ですね。
 初心者は自分の発言が一瞬で世界に広がる怖ろしさを知らずにツイートしてしまう。
 それが炎上の大半です。
 ただし、大変なおかねを取られることもあり得ます。
 バイトの人が飲食店の冷蔵庫などで非常識な写真を撮って、ネットにアップして、閉店に追い込まれたりしています。
 あれこそ無知型の炎上。
 だけど無知では済まないで、バイトに対して損害賠償として2000万円請求するなんて話もあります。
 炎上で2000万円かせぐ可能性もあれば、2000万円失う可能性もあるんです。


炎上させてでもどうにかしようという芸能人ではないみなさま、気イつけなはれや。

2013年12月5日木曜日

Tokyo Crazy Kawaii Paris、クールジャパン大臣がやってきたよ。

■Tokyo Crazy Kawaii Paris、クールジャパン大臣がやってきたよ。


Tokyo Crazy Kawaii Paris、最終日。
テーマは総合力と参加型の2点でした。













マンガアニメゲームに加え、ファッションとフードというリアルビジネスを結合した「総合力」を発揮したいと考えました。









ファッション、フードがコンテンツ以上に主役となり、バーチャルとリアルの総合力発揮は成功したと思います。










もう一つのテーマは「参加型」。
企業、アーティストに加え、オタク、ロリータ、そして一般の親子連れという消費者のかたがたに参加してもらう場を作ること。














ジャパンエキスポはかなりオタク主導ですが、TCKPはフツーのフランス人のみなさんに楽しんでいただけたと思います。














DeNA愛ちゃんと、ひとりでできぬもんBetchも登場。人だかりがしてました。え?どちらもぼくの教え子です。

















結構クリエイティブな人たちも集まってくれました。














クールジャパン担当、稲田朋美大臣登場。
特注のゴスロリで記者会見です。大臣、体を張って、クールジャパンです。







色んな層のかたがたに参加いただきました。
後ろのでかい警備の人がナーバスでした。













ブラックダイヤモンドというギャルの集団に勧誘を受けました。












ねぇ大臣、こんなイベントですけど、来年以降も必死でやりますんで、見捨てないでください。










ゴスロリ着物の大臣と串カツを喰う。まだ広がっていない食べ物にもかなりチャンスがあると思うんです。てゆーかカッコいいです大臣。









というわけで、主催者チームでおつかれさまショット。また来年、やろうぞ。

2013年12月2日月曜日

ネットのもたらしたもの -- 京都での国際対話

■ネットのもたらしたもの -- 京都での国際対話
蹴上から北を望むと、右側に浮かぶ南禅寺の山門を緑の東山が覆い、その向こうには比叡山。そこから左へ濃い青の北山がたなびきます。その全体が天に向かってもやっている。落ち着きます、故郷は。
 先日、ここで開催されたStanford Trans Asian Dialogue。青木昌彦先生はじめスタンフォード大学のみなさんと、中国、インド、シンガポール、マレーシアらからの参加を得て、デジタルメディア、特にインターネットが国際社会に与える影響について議論しました。ぼくもスタンフォード日本センターからのご縁でテーブルに着きました。

 円卓会議や公開シンポで、ぼくも質問を浴びました。会議は英語だったのでヘロヘロです。お題は「ネットのもたらしたもの」。IT政策の変化、思考力への悪影響、新聞とネットのジャーナリズム、日中韓政治関係への影響、個人番号制度への不安、メディアがあふれる汚染問題、ネット右翼への懸念、復興への功罪などなど。東京の会議だとITをテーマにすると産業経済関係が多くなりますが、京都だとこうなります。
 ぼくの回答はいつものとおりですが、メモまで。

○IT政策の変化は?
 30年前に担当した通信自由化以降、IT政策は市場競争や電波配分など「提供」政策が中心だった。通信・放送会社やメーカなど提供側が主要な行政客体だった。国内政策が中心だった。だが、デジタル通信・放送網の整備が完成し、「利用」政策にシフトしている。セキュリティ、プライバシー、電子商取引、著作権、教育・医療・行政。しかもそれらはボーダレスな国際問題。根本的に変化している。

○個人番号制度への不安は?
 日本はようやくマイナンバー制度をようやく2016年に開始する。アメリカは社会保障番号を民間活用しており、さらに北欧は個人年収までオープンだが、ドイツは行政の利用さえ厳しく管理するなど、さまざまなモデルがある。日本はドイツに近いモデルから始めると考えるが、長期的にどの線に落ちつくかは不明。世界標準はないのだが、どこに線を引くかは利用者主導で考えたい。

○ネットは誰の味方か?
 為政者の味方であり、テロリストの味方でもある。ナイフのようなもので、メスにもなればドスにもなる。グーテンベルクの活版印刷が産業革命・市民革命をもたらすまでに3世紀かかったが、グーテンベルクは自分の発明がもたらす未来を空想はしていなかっただろう。われわれは空想すべきだ。ITの空想は3世紀は必要あるまい。ただ、落ちつくまでに1世代、30年はかかるだろう。ネット出現から20年なので、どこに落ちつくかを見通すまで、あと10年いただきたい。

○日中韓への影響は?
 尖閣、竹島問題はネットで加熱し、互いに愛国心の増殖炉になった面はある。一方、中国でも韓国でも、日本のアニメ、マンガ、ゲームなどのファンが増加し、それもネットで育っている。尖閣問題に揺れるころ北京大学を訪れ、博士課程の学生たちに、知っている日本人は誰かと聞いたところ、三位宮崎駿、二位ドラえもん、一位蒼井そら、であった。二位が日本人かどうか釈然としないが、ここに政治家や経済人や学者の名前が登場しないことが問題。ネットの問題ではない。

○メディアがあふれる汚染問題は?
 デジタルサイネージが空間を覆っていく。サイネージの公共空間への設置制限には、日本は中国や韓国より厳しい面があるが、タクシーやデパートなど私設空間は自由。将来、メディアがあふれることへの規制論はあり得るが、あふれると広告効果も下がる。規制よりも経済が解決するだろう。それよりも、消費者の情報リテラシーが問題となろう。

○復興への影響は?
 95年、阪神淡路大震災の際は固定電話が使えなかったがケータイは使えた。3/11ではケータイが使えずネットは生きていた。核戦争を想定して作られたネットの有効性が不幸にも証明された。だが、文字ベースが映像ベースに、P2PがM2Mになると、次の大震災ではネットはもたないのではないか。震災や原発を想定した次世代のネットワークを構想する時期だ。

○新たな国際問題は?
 著作権にしろ青少年保護にしろプライバシーにしろ、問題は国家間の対立ではなく、国家vsグローバル企業の対立。日本など国家がグーグルやアップルを規制できず、それを国家間で調整できなければ、新たな調整スキーム作りに汗をかくか、回線をブチ切るか、ということになるのでは。

○新聞とネットの関係は?
 学生が新聞を読まずテレビも持たないというビックリ話はもう飽きた。スマホ・タブレットだけで新聞も番組もサイトもというリアリティーをメディア業界人はとうに持っていると思いたい。LINEなどソーシャルメディアを軸にそれらコンテンツがどう消費されるかを展望されたし。
 ぼく自身、メディア接触態度が変わった。10年前は朝起きたら、1.新聞を開き、2.テレビをつけ、3.PCでニュースをチェックした。今は、1.フェイスブックで友だちを確認し、2.ツイッターで追いかけ、3.ウェブサイト、4.テレビのニュースを見て、5.新聞を読む。全く逆になっている。
 以前は、信頼性の順に見ていたということだろう。今は身近な順、速報性のある順、そして信頼性の逆順で、最後にゆっくり確認する感じ。そう考えれば、どのメディアもぼくには存在価値があるけど、それは紙とかメディアとかの媒体の問題じゃないということだ。

 
 会議後のレセプションに見えた門川京都市長のお召し物は、それはそれは上等で、さすがやなぁ。「いやぁ、雨降ってるからゆうてポリエステルの袴とか着けて集まり行くと、"ええもん着たはりまんな” 言われんねん、かなんで。」と市長。あははは、さすが京都、旦那はんらの目が肥えてて、口がいやらしい。東京ですと、なんちゃって和服でも大丈夫ですわ。
 また今度、京都らしい集まりを見つけて、寄せてもらいます。