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2025年2月27日木曜日

■AI対策は教育と行政だと思うんです。

■AI対策は教育と行政だと思うんです。



知財本部 構想委員会@オンライン。


気が小さくて何も発言せず終わったので、

できたら言おうかなと思ってたことをメモ。

 


1.コンテンツ周りの知財はAIへの向き合い方が最重要課題。

その点、日本は法規制に抑制的で、

契約や技術での対応を重視しているのは妥当だ。

が、より重要なのはAIを利用するためのリテラシーで、

AI教育が重要なのだが、

これについてはまだ対策がない。

高等教育でAIリテラシーを高める策を講じたい。



2.世界的にAIの規制策が論じられているが、

AIの利活用推進をトップ政策に掲げているのは重要。

デジタル敗戦の反省に立って、日本はAI利用促進に舵を切るべき。

その対策だが、AI教育の充実と並んで提案したいのは、

行政が自ら使うこと。

民間に向かって旗を振る前に、霞が関自らAIを使いこなしてもらいたい。

会議資料や議事録の作成、国会答弁の作成、政策の企画、

やれることはたくさんある。

その導入目標と成果が見える化されたら民間にも早く広がるだろう。

 


ところで2時間かけて委員の意見を順に聞いていく、

それで議事録を編むというこの手の会議はもう要らない。

ほとんどの委員は予め意見を持っているので、

slackででも出し合って読んでおいて、

会議では説明なしガチンコ討論にしたい。

そろそろ忙しく真っ当なかたは委員を引き受けてくれないと思う。

2025年2月24日月曜日

クールジャパン:コーヒー

クールジャパン:コーヒー

NHKクールジャパン「コーヒー」の巻。

 

私の体験では、海外ではなかなか口に合うコーヒーに出会わないんです。

アメリカン、エスプレッソ、ブラジル、モカとか、アイスコーヒーとか、こんなに色んなコーヒーがあって、喫茶店でもコンビニでもオフィスでもおいしく飲めるって、日本のほかにないのでは。

しかも、実は日本のコーヒーの総消費量はEU、アメリカ、ブラジルに次いで世界4位。コーヒー大国と言っていい。

 

「缶からショップまで」

明治時代に日本に入ってきて、大正のカフェ文化があって、戦後、喫茶店文化が広がった。

新しい飲み物なので、形式や呪縛がなく多様に進化した。コーヒーの種類もそうだし、ジャズ喫茶やマンガ喫茶のように店も多様化した。

一方で、ドリップコーヒーという日本独自のいれ方は、一杯ずつ手間をかけておもてなしする、茶道に通じるクールジャパン。

しかもそこからアイスコーヒーや缶コーヒーに広がりをみせたのは、コンビニや自販機という、日本的なルートが一役買っているわけで、これまたクール。

日本のコーヒーは広くて深い文化を作っている。

 

「コンビニ」

信じられないほどおいしいし、信じられないほど安い。コンビニのコーヒーは。

コンビニ各社がしのぎを削り、競い合ってきたからこそ生まれた。技術の結晶でもある。

ここにくるまでにはさまざまな失敗があり、改革があり、進化があったはず。

全国で一杯100円ばかりで飲めるおいしいコーヒー。

日本のコーヒー文化がここに凝縮されている。

 

「徳之島」

ジャマイカのブルーマウンテン、タンザニアのキリマンジャロという具合に、豆の産地にこだわるのも日本のコーヒー文化だが、そこに日本の徳之島というブランドが入っていくとなると痛快。

コーヒー豆も海外から長時間かけて輸入するより、新鮮な国産のほうが風味のいいものが作れる可能性がある。

おいしさを追求すると豆の栽培から始めるのは自然な考え方だが、何年も何年も作り続ける辛抱強さも必要。

外国由来のものを時間かけて高級な飲食の製品にしたのって、この番組でもウイスキーやイチゴなどを扱ったことがあるが、コーヒーもその仲間入りをしますかね。

2025年2月20日木曜日

■歴史の転換と公共経済学

歴史の転換と公共経済学



国際公共経済学会 大会@iU。

テーマ「歴史の転換と公共経済学」。

https://ciriec.com/conference/winter/1860-2/


会長あいさつ。

アメリカ同時多発テロで幕を開けた21世紀も四半世紀を経ようとしている。

この間、サステナビリティやダイバーシティが高らかに掲げられてきた。

しかし、現実の世界は至るところで格差と分断に直面している。

ウクライナや中東の戦火も続いている。終わりは見えない。

片や、AI時代の扉は開いたばかりだ。

今年、物理学と化学でAI研究者がノーベル賞を得たことは始まりにすぎない。

AIは社会も科学も文化も変える。

 

この歴史の転換において、公共経済学は何を公に問い、共に答えるべきなのか。

ダイナミックに考える機会としたい。

このたび当学会は社団法人化を実行した。

今後の発展に向けて弾みがつくことを期待する。

その移行期ということもあり、今回、異例だが

大会を2年連続でiUで開催することとなった。

ぜひお楽しみください。

 


デジタル政策フォーラムとの共催によるシンポでは、

谷脇康彦さん、坂村健さん、生貝直人さんらも加わって、

「AIガバナンスの枠組み」について議論。

ぼくは規制より教育、のスタンスを取りつつ、

行政は規制を考える前にまず自分で使え、という立場。

今は利用推進のガバナンスであるべきフェーズで、

使わせない規制より、使わせる振興法=基本法がほしいよ。

 

AI規制はEUも米国も盛んに議論しているけれど、

国家に対するエンフォースはどうなのか、が気になりる。

軍事規制と同じで、果たして世界は言うことをきくのか。

米(分断)、仏(総選挙)、独(連立崩壊)、韓(戒厳令)、

そして日本がいまの体たらくで、

核兵器にも似た破壊力をもつAIをどこがどのように手懐けるのか。

最重要テーマは中国の開発に対し民主主義国家がどう向き合うか、

ではないかと感じています。

 


特別シンポには池田信夫さんにお越しいただき、

西田亮介さんとご対決いただきました。

西田さんへのXのブロックを池田さんが解除するという

具体的なアクションを得たことが

今回最大の成果だったのではあるまいか。

ではまた。

2025年2月17日月曜日

学長くんガチョーン. 里中満智子さん

■学長くんガチョーン. 里中満智子さん


偉人、レジェンド、大立者。マンガ人材育成や政府コンテンツ会議などでご一緒する中で、「あなたもマンガ描きなさい」と叱られてきました。マンガは絵もストーリーもキャラもある総合表現で、いろんな入口があるよと。iUマンガを作って、ちょっと宿題を果たしたので、ガチョーン!

 

◆マンガ家デビュー

昔はマンガ家の先生に弟子入りするか、編集部に直接原稿を持って行ってみてもらうかくらいしかマンガ家デビューをする手立てがなかった。

1963年講談社が初めて新人マンガ募集を行った。当時講談社には週刊誌「少年マガジン」「少女フレンド」、月刊誌「ぼくら」「なかよし」というマンガ雑誌が4誌あった。この4誌が合同で募集した。全体の中から1作だけ入選を選びデビューさせるということで、すごくワクワクした。どうせだめだろうとおもいながら応募したら一等賞をもらった。デビュー。

1963年の暮れに募集締切、正月休みに審査、年明けに結果が出た。それがデビュー作として本に載ったのは1964年の夏休み。前のオリンピックのときにデビューした。そのまま連載や読み切りを描くということを「少女フレンド」誌上でやっていた。

 

◆職業:マンガ家

マンガ家そのものがあまり世間から認められた職業ではなかった。

中学の進路指導の時間にどこの高校を目指して受験勉強をするかというのを真剣に考えた。なにになりたいか決めないとどの学校に行きたいか決められない。

そこで思い切って、自分が好きな道・やりがいを感じる・やっていて楽しい・だけど世間から認められてないから応援したい道、マンガ家になりたいと学校の先生に言ったら、学校中の先生が大反対。親も大反対。隠れてこっそり描いた。

 

言ったからには後に引けないとおもって、周りに反対されているときから雑誌社に投稿をはじめた。いろんな出版社から返事をもらったが、大体同じような感想だった。プロの編集者がみればどこの編集部であれ大体同じようなことを考えるのだな、ということがわかり、自分が好きな雑誌に投稿をと続けた。

そんな中で新人募集があったので、親に隠れて描いてはいたが、しょうがないから開き直って描いて応募した。それがたまたま賞をもらった。

 

16歳のお姉さんが描いた作品です、という引き文句で本に載った。あとからわかったが、あ!っと気づいてくれた同世代の人たちが多かったらしい。マンガを描くのは一部のプロがやることだとおもっていたが、女の子が選ぶ職業としてアリだということに気がついた、とあとで同業者になった人たちからいろんなことを聞いた。そういう意味で刺激になったのならよかった。

 

16歳の女の子で大人や男の人に混じって一等賞を取れたのはなにかの間違いだろうとみんなおもったらしいが、それが本に載って、その後一生懸命に仕事をしているのを見ると、よし、自分もと思った人がすごく多かったらしい。当時はそういう反応はわからなかったが、あとになって、かなりの数の同年代の人からあれが衝撃的だったときいた。みんながその気になってくれて、そういうきっかけになったのなら、すごくよかった。

 

◆描く原動力

生きている限りいろんなものから刺激をうける。みたもの・きいたもの、全てが参考になっている。音楽を聴いて浮かんだ情景を物語にするとどんな設定が可能だろう、などつい考える。

 

60年描いている。ジャンルは決まってない。少女マンガの中でも恋愛ものが多かったが、コメディ、SF、少年誌、青年誌、大人の女性誌、幼稚園の雑誌。全世代に向けていろんなものを描きたい。唯一ギャグは全然別の視点で描かないといけないので描けなかった。

いろいろ描きたいとおもったのは、憧れていた手塚治虫先生が様々なジャンルを描いていた。マンガ家ってこういうものだと思いこんで育った。どんなジャンルもオールマイティーにいろんなドラマを描ける。それがプロのクリエイターだとおもっていた。

 

描いても描いても満足できない、ああまた失敗しちゃった、もっとうまくできたはずなのにと後悔ばかり、いつか満足できるものを描けたらな、という夢がずっと描き続けられた原動力。そういうふうに言う人が結構いる。仲間内であれがよかった!これは代表作だ!と言われても、次の作品こそ代表作にする!と。それで頑張るという人が多い。

 

◆人材育成・業界発展の課題

若い人たちにチャンスはより多く与えられるべき。ところが、若い人たちが自分はだめだ、こうしなければ今の時代認めてもらえない、と勝手に思い込んで幅を狭めていることが結構ある。その思い込みを解いていきたい。

いちばん大事なのは、どうしてもこれが描きたいというおもい。それが強い人ほど力を発揮できる。自分は不本意ながら、こういうやり方じゃないと今は通用しないからと、計算づくでやってしまうと絶対成功しない。変に大人としての知恵がついたり、周りの大人が変なアドバイスをすると、こうしなきゃいけないと、そこが一番落ち込みやすい泥沼。

 

各業種とも商業利用として市場は確立しているが、その中で契約を勘違いしてそれに縛られて息苦しくなっている若い子が多い。自分の作品を自分で自由に活かせるような環境づくりは考える。

 

◆ひとりひとりが発信

デジタル時代になってひとりひとりが自力で発信できる時代になってよかった。

ユニークな作品を描く若い子がいるが、既存の出版社の基準や編集者と相性が合わないことがある。昔だったら弾かれていた。

いまなら自分ひとりでアップして、誰かに見てもらって、そこから評判になって本になるという順番で世に広まっていく道もできてきた。

デジタルに注目し始めた、最初の頃からおもっていた。これが実現してきてよかった。様々な気づかれ方が増えた。自信を持って描いて、なんでもいいからとにかく人に見てもらう。

自分ひとりで描いていてもどうにもならない。人に見てもらえる手段はどんどん使った方がいい。

 

デジタルスキルはある程度必要。いの若い子は当たり前のように持っている。

デジタルツールの中でマンガに特化したものにどれだけ協力していけるか、ということもこちらができること。

 

◆マンガ「を」教える・マンガ「で」教える

特に小学生に。5ページくらいでいいから3人以上の登場人物が出てくる身になるものを描く。各登場人物が違った思いを抱くからこそドラマが生まれ、それがぶつかる・合致する・協力する・反発し合う。別の人間が別のことを考えて意見を戦わせ合う、という設定を考えるだけで、子どもにとって他者の意見に寄り添う・知りたい・自分とは違う意見が間違っているということではなくて、相手が主人公だったらどうなるかを想像するきっかけになる。これがマンガ「で」教えるということ。

 

マンガ「を」教える、はマンガ家になりたい子がどうやったらうまく描けるかとくる。

その子しか持ってない素晴らしい個性の部分を本人が気づいてなくても、気がついてあげることが大切。意外と本人は気がついていない。自分にできないことばかり気になって自信をなくすことが多い。

その人にしかないものに気づいて伝えてあげることが大切。そこをいかに早く見つけるかが最初の勝負。

 

マンガ家になりたいと勉強して、結局マンガ家にならかったとしても無駄ではない。

複数の登場人物のいろんな思いを俯瞰的見られる人間は他の社会でも十分使える。人間としての大きさにつながる。

 

◆キミたちへのメッセージ

なにかやりたいことがあるが、すごく気が短く、ちょっとうまくいかないと自分には向いてないと決めつける人が多い。向き不向きはある程度やらないとわからない。向いてないともうことでも、面白いなとおもっているうちにこなせるようになることもいっぱいある。

早とちりは損。

向いている・向いてないというが、そんなお誂え向きのオーダーメイドみたいな道はない。向いてようが向いてまいが、とにかくこの道を歩いてみようという好奇心が一番大事。

2025年2月13日木曜日

炎上したって使うぜ AI

■炎上したって使うぜ AI



以前のツイートがバズってる/炎上してるので自己レス。

AIで「コンテンツの生産量が爆発的に増え、情報のほとんどがAIが生成するものになって人が生むものはごくごく一部になる。」

というツイートなのだが、これを望んでいるわけではなく、技術の帰結としてそうなるということ。

「そのときにビジネスや権利のありかたはどうなるのか」とも発言した。備えろということ。

 

AI学習はフリー。日本はそういう制度改正をした。だが、生成されたコンテンツの権利は厳しく守る。当然です。この技術・契約が課題です。政策としては「生成物の権利を守る」ことに力を入れるべし。制度を小さくバックラッシュするより、技術や契約を整えて備えたい。

 

AI利用促進に軸を置くぼくは、生成AI反対派から批判されています。

ぼくは一貫して、コンテンツや創造を支える基盤として、技術の発展・利用を促す立場です。

AIも然り。逆に技術を規制することはコンテンツや創造の停滞を招くと考えます。

 

これまで辿った道でもあるなぁと微笑ましく思い返しています。

ネット、通信放送融合、デジタル教育、ずっとそう。

 

ネットが登場したころぼくは「インターネット自由を我等に」という本も書いて、万人がコンテンツを得るだけでなく万人がコンテンツを発信できる意義を強調した。だが新聞はじめ文字メディアは反発した。官僚だったが強いプレッシャーを受けました。それから30年、どうなった?

 

通信放送融合。つまりテレビのデジタル化・ネット化の旗を振った。そのほうがコンテンツ力を発揮できるから。放送局は反発し、ぼくは民放連を出禁になりました。いまは民放連の座長を務めています。

 

デジタル教育。PC一人一台にデジタル教科書の旗を振ったのは2011年。紙至上主義の教育界や文科省からポコポコにされました。コロナで急遽、一人一台が達成され、ポコポコにした人たちは今なぜか手柄のように振る舞っています。

 

他にもいくつも技術とコンテンツを巡る対立があって、その仲立ちをする機会も多いのですが、なぜ対立するかなぁってことが多いです。

例えば地デジのDVDコピー制限や海賊版対策もそうだったのですけど、技術側=ITやメーカとコンテンツがこじれて話が進まない。もじもじしていたら海外のプラットフォーマーがガツンとやってきて市場を根こそぎ持っていく。

 

かつて、東芝がEMIを持って、松下がユニバーサルを買って、ハードとソフトは両輪の、仲睦まじいはずだったのだが、デジタル時代になってハードやITやメディアと、コンテンツの対立構造がみられる。この点、日本の通信会社もコンテンツの扱いはうまくない。うまくやっているのはソニーと任天堂ぐらいか。

 

話がズレました。でも「デジタル敗戦の日本がAI敗戦したら後がない」という、これも批判されている発言ですが、そう思うのです。デジタル敗戦はデジタル生産ではなくデジタル利用の負け戦です。AIも利用の勝負です。利用抑制に舵を切れば海外勢が制します。

 

とはいえ人のことに構っている余裕はない。大学だってAIを使うの禁ずるだの腰が定まらず学校によって方針がバラバラ。

iUは明確です。「利用を推奨する」。7文字の方針を定めました。がんばって使います。