■学長くんガチョーン. 里中満智子さん
偉人、レジェンド、大立者。マンガ人材育成や政府コンテンツ会議などでご一緒する中で、「あなたもマンガ描きなさい」と叱られてきました。マンガは絵もストーリーもキャラもある総合表現で、いろんな入口があるよと。iUマンガを作って、ちょっと宿題を果たしたので、ガチョーン!
◆マンガ家デビュー
昔はマンガ家の先生に弟子入りするか、編集部に直接原稿を持って行ってみてもらうかくらいしかマンガ家デビューをする手立てがなかった。
1963年講談社が初めて新人マンガ募集を行った。当時講談社には週刊誌「少年マガジン」「少女フレンド」、月刊誌「ぼくら」「なかよし」というマンガ雑誌が4誌あった。この4誌が合同で募集した。全体の中から1作だけ入選を選びデビューさせるということで、すごくワクワクした。どうせだめだろうとおもいながら応募したら一等賞をもらった。デビュー。
1963年の暮れに募集締切、正月休みに審査、年明けに結果が出た。それがデビュー作として本に載ったのは1964年の夏休み。前のオリンピックのときにデビューした。そのまま連載や読み切りを描くということを「少女フレンド」誌上でやっていた。
◆職業:マンガ家
マンガ家そのものがあまり世間から認められた職業ではなかった。
中学の進路指導の時間にどこの高校を目指して受験勉強をするかというのを真剣に考えた。なにになりたいか決めないとどの学校に行きたいか決められない。
そこで思い切って、自分が好きな道・やりがいを感じる・やっていて楽しい・だけど世間から認められてないから応援したい道、マンガ家になりたいと学校の先生に言ったら、学校中の先生が大反対。親も大反対。隠れてこっそり描いた。
言ったからには後に引けないとおもって、周りに反対されているときから雑誌社に投稿をはじめた。いろんな出版社から返事をもらったが、大体同じような感想だった。プロの編集者がみればどこの編集部であれ大体同じようなことを考えるのだな、ということがわかり、自分が好きな雑誌に投稿をと続けた。
そんな中で新人募集があったので、親に隠れて描いてはいたが、しょうがないから開き直って描いて応募した。それがたまたま賞をもらった。
16歳のお姉さんが描いた作品です、という引き文句で本に載った。あとからわかったが、あ!っと気づいてくれた同世代の人たちが多かったらしい。マンガを描くのは一部のプロがやることだとおもっていたが、女の子が選ぶ職業としてアリだということに気がついた、とあとで同業者になった人たちからいろんなことを聞いた。そういう意味で刺激になったのならよかった。
16歳の女の子で大人や男の人に混じって一等賞を取れたのはなにかの間違いだろうとみんなおもったらしいが、それが本に載って、その後一生懸命に仕事をしているのを見ると、よし、自分もと思った人がすごく多かったらしい。当時はそういう反応はわからなかったが、あとになって、かなりの数の同年代の人からあれが衝撃的だったときいた。みんながその気になってくれて、そういうきっかけになったのなら、すごくよかった。
◆描く原動力
生きている限りいろんなものから刺激をうける。みたもの・きいたもの、全てが参考になっている。音楽を聴いて浮かんだ情景を物語にするとどんな設定が可能だろう、などつい考える。
60年描いている。ジャンルは決まってない。少女マンガの中でも恋愛ものが多かったが、コメディ、SF、少年誌、青年誌、大人の女性誌、幼稚園の雑誌。全世代に向けていろんなものを描きたい。唯一ギャグは全然別の視点で描かないといけないので描けなかった。
いろいろ描きたいとおもったのは、憧れていた手塚治虫先生が様々なジャンルを描いていた。マンガ家ってこういうものだと思いこんで育った。どんなジャンルもオールマイティーにいろんなドラマを描ける。それがプロのクリエイターだとおもっていた。
描いても描いても満足できない、ああまた失敗しちゃった、もっとうまくできたはずなのにと後悔ばかり、いつか満足できるものを描けたらな、という夢がずっと描き続けられた原動力。そういうふうに言う人が結構いる。仲間内であれがよかった!これは代表作だ!と言われても、次の作品こそ代表作にする!と。それで頑張るという人が多い。
◆人材育成・業界発展の課題
若い人たちにチャンスはより多く与えられるべき。ところが、若い人たちが自分はだめだ、こうしなければ今の時代認めてもらえない、と勝手に思い込んで幅を狭めていることが結構ある。その思い込みを解いていきたい。
いちばん大事なのは、どうしてもこれが描きたいというおもい。それが強い人ほど力を発揮できる。自分は不本意ながら、こういうやり方じゃないと今は通用しないからと、計算づくでやってしまうと絶対成功しない。変に大人としての知恵がついたり、周りの大人が変なアドバイスをすると、こうしなきゃいけないと、そこが一番落ち込みやすい泥沼。
各業種とも商業利用として市場は確立しているが、その中で契約を勘違いしてそれに縛られて息苦しくなっている若い子が多い。自分の作品を自分で自由に活かせるような環境づくりは考える。
◆ひとりひとりが発信
デジタル時代になってひとりひとりが自力で発信できる時代になってよかった。
ユニークな作品を描く若い子がいるが、既存の出版社の基準や編集者と相性が合わないことがある。昔だったら弾かれていた。
いまなら自分ひとりでアップして、誰かに見てもらって、そこから評判になって本になるという順番で世に広まっていく道もできてきた。
デジタルに注目し始めた、最初の頃からおもっていた。これが実現してきてよかった。様々な気づかれ方が増えた。自信を持って描いて、なんでもいいからとにかく人に見てもらう。
自分ひとりで描いていてもどうにもならない。人に見てもらえる手段はどんどん使った方がいい。
デジタルスキルはある程度必要。いの若い子は当たり前のように持っている。
デジタルツールの中でマンガに特化したものにどれだけ協力していけるか、ということもこちらができること。
◆マンガ「を」教える・マンガ「で」教える
特に小学生に。5ページくらいでいいから3人以上の登場人物が出てくる身になるものを描く。各登場人物が違った思いを抱くからこそドラマが生まれ、それがぶつかる・合致する・協力する・反発し合う。別の人間が別のことを考えて意見を戦わせ合う、という設定を考えるだけで、子どもにとって他者の意見に寄り添う・知りたい・自分とは違う意見が間違っているということではなくて、相手が主人公だったらどうなるかを想像するきっかけになる。これがマンガ「で」教えるということ。
マンガ「を」教える、はマンガ家になりたい子がどうやったらうまく描けるかとくる。
その子しか持ってない素晴らしい個性の部分を本人が気づいてなくても、気がついてあげることが大切。意外と本人は気がついていない。自分にできないことばかり気になって自信をなくすことが多い。
その人にしかないものに気づいて伝えてあげることが大切。そこをいかに早く見つけるかが最初の勝負。
マンガ家になりたいと勉強して、結局マンガ家にならかったとしても無駄ではない。
複数の登場人物のいろんな思いを俯瞰的見られる人間は他の社会でも十分使える。人間としての大きさにつながる。
◆キミたちへのメッセージ
なにかやりたいことがあるが、すごく気が短く、ちょっとうまくいかないと自分には向いてないと決めつける人が多い。向き不向きはある程度やらないとわからない。向いてないともうことでも、面白いなとおもっているうちにこなせるようになることもいっぱいある。
早とちりは損。
向いている・向いてないというが、そんなお誂え向きのオーダーメイドみたいな道はない。向いてようが向いてまいが、とにかくこの道を歩いてみようという好奇心が一番大事。