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2013年7月29日月曜日

メディアとヒトのおつきあい、ふたたび。

■メディアとヒトのおつきあい、ふたたび。 前回(15年たって、ウェアラブル。)の続きです。
 ウェアラブルでユビキタスになる。90年代後半にはそう見られていました。
 メディアが人に近づき、友だちになる。コンピュータは環境に埋め込まれ、姿を消していく。
 ここにあるのは、99年5月にニューメディア誌に掲載したコラムです。「メディアとヒトのおつきあい」の巻から抜粋します。

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 技術の進歩は、じゃあどっちに行こうとしているのか。たとえば私の所属するメディアラボは、何を目指そうとしているのか。SFではなく、現実の開発動向に即して、少し強引に読み取る練習をしてみましょう。


 まず一つは、メディアがヒトに近づくという方向です。

 ウェアラブルという呼び名のとおり、コンピュータは服やメガネや手袋や靴に変身して、物理的に私と一体化します。紙のようなコンピュータも開発されています。より正確には、コンピュータの機能を持つインクなんですが、つまり、ぺらぺらで、端末機というイメージはなくなろうとしているんです。

 そして、映像から五感・体感へ、テリトリーを広げます。見聞きするだけでなく、握ったり、抱いたり、蹴ったりするものになります。触覚を通信するデバイスも開発されています。いずれニオイをかいだりナメたりすることもさせてくれるでしょう。

 さらにメディアは私の意思や感情を理解します。キーボードや言葉でこちらから指令するだけでなく、コンピュータが私の視線、表情、身振りを知覚し、体温や心拍を感じとるような技術も実用段階に来ています。ボストンマラソンで、チップを飲んだランナーが、おなかから体温の変化を発信するなんてこともやって ます。肉体のコンピュータ化!神経のビット化!

 考えるコンピュータは、対話する相手になります。私の行動、表現、感情の履歴をとっておいて、私以上に私のことを知っているヤツになります。私の記憶は、ネットワークを漂っているのです。これまで、私が指示するデキの悪い部下か、私に知識を与える教師かのどちらかだったコンピュータは、やっと友達になろうと努めているのです。友達なら、デキが悪くても、許す。だって友達じゃないか。

 そして、エージェントと呼ばれるソフトが情報の海を泳ぎ、私が喜びそうなニュースやウワサや知恵を編集して、ささやいてくれます。微笑んだり、なぐさめたりしてくれるかもしれない。せいぜい思考の道具だったメディアは、いよいよ情念を分かち合うためのものになろうとします。情念の交換。これがそもそも言葉やメディアを人類が産んだ動機だったわけです。

 もう一つは、メディアが自立するという方向です。

 服や靴だけではありません。家電、家具、カベ、クルマ、道路、そう、全てのモノ、全ての環境にコンピュータが埋め込まれていきます。私の身の回りにある モノはみなメディアです。いや、私じしんも肉体メディアなのでした。割礼みたいな儀式でチップを局部に埋めるのかな。ああ、またヘンなこと言っちゃった、 カット!カット!

 ヒトとモノは、ビットで理解し、共生します。これは、私とモノどもという二項対立を飛び超えて、モノとモノ、環境と環境がコミュニケートし、理解し合うという状況でもあります。事故の情報がクルマや道路から次々に連絡され、交通がいちばんスムーズになるように信号が自分をコントロールします。人形が他の人形にプログラムを伝えてダンスを仕込み、人形たちのコミュニティでポップな踊りが流行ったりします。

 テレビにカラー番組が出てきたころ、新聞のテレビ欄にもテレビ画面にもカラーという表示がありましたけど、ぜんぶがカラー番組になったら、もうカラー番組とは呼ばず、ただの番組になりました。同じく、あらゆる物体がメディアを備えるのなら、それはもうわざわざメディアとは呼びません。つまり、メディア技術の開発は、メディアと呼ばれるものををなくそうとする方向に進んでいるわけです。メディアをなくせ。

 こうして技術は、善悪を問うヒマもなく、わき目もふらずに完成を目指します。でも、同時に、メディアにとって大切なことは、美です。高速、知的、安価という技術に加え、エレガント、エロチック、カッコよさ、というのも条件になってきます。ウェアラブルにしろ何にしろ、技術が受け入れられていくには、そこが決め手になります。
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 どうですか。これも前回と同様、来てませんよね。
 日本では99年にimodeが出現、ケータイが耳と口のための電話機から、目と指のためのメディアに進化しました。世界はスマホの普及でやっとこれからという状況です。でも端末はなくならず、小型化はしたものの、存在感は増すばかり。そしてクラウドネットワークがぼくの履歴を記憶して、いろんなことを推薦するようになりました。でもそれは、友だちとしてではなく、商人としてです。友だちはリアルな友だちのまんま、その後登場したソーシャルメディアでつながって、むかしの友だちを改めて発見したりして、結局、メディアの向こう側でヒトの存在感が増しています。
 メディアが埋め込まれるのはようやく見えてきましたかね。センサーからデータが立ちのぼり、自販機やレジからもビッグなデータが集まってくる。マシン・トゥ・マシンが現実のものとなってきました。それが社会にどう作用するのか、その空想はまだできていません。15年前にすぐ来ると空想していたものがまだ来てはいないとはいうものの、次に何が来るか、空想し直したってバチは当たりますまい。またやってみようと思います。

2013年7月28日日曜日

15年たって、ウェアラブル。

■15年たって、ウェアラブル。



 この写真はグーグルグラスではありません。15年前、ぼくがMIT MediaLabにいたころ。24時間ウェアラブル・コンピュータを着用している研究員が何人もいました。インタフェースはメガネで、コンピュータへのインプットは手のひらのテンキー。こうしたウェアラブルやユビキタスは、デジタルに「いつも」オンになるもので、「いつでも」オンになれる「モバイル」とは一線を画すものです。
 だけど、人が慣れるのには時間がかかります。この研究員も、ネットでアクセスされると肩に装着した超小型サーバが温まってくるのが一番の快感というヘンな人だったのです。いくらMediaLabでも、ヘンなひと扱いだったのです。全ての人がそうなるには時間がかかります。
 だけど、ここに来てようやくグーグルグラスが注目されるのをみると、えっ、まだだったの?という感じ。確かに、まだですよね。15年たってるのに。
 ここにぼくが99年4月に書いた文章があります。ニューメディア誌に連載していたコラムです。「ウェアラブルをブームにする気?」の巻から抜粋します。

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 コンピュータの埋め込みってことで言えば、クルマだけじゃなくて、エアコンも、洗濯機も、掃除機も、冷蔵庫も、炊飯器も、身の回りにある製品は今どんどんコンピュータ化されています。これからは、家具、じゅうたん、カベ、道路、そして町ぜんたいにチップが埋め込まれていきます。さらにそれらがネットワー クでつながれ、通信端末となっていくのです。


 しかもコンピュータは、人の意思や気持ちを理解する方向に進化します。だから、人とクルマ、人と冷蔵庫、人と家、という関係の広がりは、人が指令する相手が広がっていくだけでなく、机が私にその日のスケジュールを語りかけ、クルマが私にとっておきの場所を教えてくれるようになります。さらに、モノ同士がコミュニケートをしはじめて、朝、照明器具がソファに電球が切れそうだとつぶやき、そのビットを靴が蓄積し、帰り道、スーパーを歩いていると、私のピアス はあの電球を買えと私にささやくのです。ナント暮らしやすくなることでしょうか。

 そして、その現実の姿として登場したのが「ウェアラブル・コンピュータ」です。ウェアラブルというのは文字どおり、身につけることができるということで、服、帽子、靴、メガネ、アクセサリ、といったものをコンピュータにしましょうという動きです。ずいぶん小型になったモバイルコンピュータをさらに分解して、ディスプレイや入力装置を衣服や肉体にくっつけてしまうという感じですね。

 これは私のいるMITメディアラボあたりが中心になって、2年ほど前からにぎやかなテーマになってきたんですが、日本でも98年、日本IBMや東芝などが試作品を発表したり、新聞社がシンポジウムを開催したりして、実用化段階に突入ということでやおら注目を集めるようになりました。サイバーパンク上陸というわけです。
 ウェアラブル・コンピュータを身につけた人を観察してみましょう。メガネ型のディスプレイやヘッドホンが表示装置になっています。かつてバーチャル・リアリティで話題になったゴーグル型のヘッドマウント・ディスプレイをつけている人もいます。入力装置には、音声入力、手のひらにあるボタン式装置、衣服に縫い込んだキーパッド、といったものがあります。

 視線を感じとって情報をコンピュータに入力するメガネなんてものもあります。視覚というのは、脳にインプットするだけじゃなくて、目からアウトプットする機能もあったんですね。表情やジェスチャーをデジタル信号に変換して相手に伝えるという方法も研究されています。さらに、体温や心拍を服が感知して、ビットとしてインプットする方式もあります。
 つまり、ウェアラブル・コンピュータは、人の意思や表現や肉体をコンピュータがどう認識するかという機能に重点を置いているんです。単純に携帯PCを分解したものとは性格が違うんです。人をコンピュータに近づけるというより、コンピュータを人に溶け込ませようとしてるんですね。そうですね、道具なんだから、当然の姿勢ですね。

 使い方も、普通のパソコンとは違います。パソコンは、使う時、さあ使うぞとエリをただして正面に座り、スイッチをオンして、OSがぐもぐもと立ち上がるのをかしこまってお待ちするわけです。が、ウェアラブルのスイッチはいつもオン。歩きながら、作業しながら、考えながら、その時々の活動や思考を補助するという使い方だからです。パソコンを使う時はそれが活動の全てであり、「ながら族」になるのはむつかしい。だけどウェアラブルは、「ながら」のために生ま れてきたわけですね。

 当面は特殊用途のためのものになるでしょう。工場や倉庫での作業だとか、高齢者の健康管理だとか。ただアプリケーションはいくらでも広がります。技術的には。難しいのは、コンピュータがこっちに溶け込んでくるという大変な事態に、人はいつごろ慣れるのかということでしょう。メディアラボにはもう何年も身 につけているというサイバーパンクな兄ちゃんがいますけど、みんながそれをヘンなヤツと思わなくなるまでにはかなり学習期間が要ります。

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 偉そうにレポートしておりますが、どうですか、全く今の状況のまんまで、進歩していませんよね。このころ、やっとブロードバンド、といってもADSLが解禁となり、iModeが登場したころですよ。アメリカにはまだモバイル・ネットは来ていません。デスクトップからようやくラップトップに転換されはじめたころ。ぼくがMITにVAIOを持って行ったらスゲーって人だかりができた、ニッポン最後のいい時代。
 それから、モバイルが「いつでも」デジタルを実現しました。デバイスは小型化し、スマホが現れました。ブロードバンドが普及して、クラウドが現れ、オンラインで全ての仕事がこなせるようになって、アトム→ビットが完成しました。
 15年たって、今度やっとビット→アトムが始まります。人がビットをまとうウェアラブルと、環境がビットを装着するユビキタスです。しかし、慣れる、つまりそんなぼくらがぼくらの姿をヘンだと思わなくなるのはまだこれから。まだ時間がかかりますよね。
 カッコいいウェアラブル。15年たっても、それがポイントです。

2013年7月25日木曜日

ええじゃないか運動を起こせませんかね


■ええじゃないか運動を起こせませんかね

 またかよ。どこかの重役が頭を下げています。何かの謝罪会見です。見飽きたね、このシーン。むかし重役といえば、吉田茂や社長シリーズの森繁みたいにえっらそうに反り返っているものでした。近頃は消費者に見せる頭頂部の申し訳なさが出世の条件のようであります。

 A航空の副社長も、B省の局長も、ハイヤーをやめて電車通勤しているそうです。エコで庶民的で、何よりです。でも、それがぼくらのお望みだったのか?重役が軽役に落ち込み、行動が大衆レベルまで下がり、運転手さんは職を失い、代わりに生まれたものは謝罪コンサルであります。


 「連想ゲームの男性キャプテンが出すヒントはわかりにくい。」「野球中継の解説者が、ど真ん中と言った。真ん真ん中と言うべきだ。」新聞の投書欄で、高齢者の苦言を読むたびに、自分も引退してヒマになったら、葉書に万年筆でそんなことをしたためるのだなぁと思っておりました。連想ゲームを心して視聴せねばと思っておりました。

 気がつけばネット時代。日テレ土屋敏男さんが、テレビが面白くなくなった理由の一つに、クレームの増加を挙げていました。切手代はらって葉書にペンでしたためてポストに持ち込まなくても、ケータイでピッ。それらに誠実に対応せねば、炎上したり、ガバナンスが問われたり、コンプラ委員会が動いたり。いきおい、制作が収縮してしまうのであります。


 参院選の最中、EXILEが出演した番組をNHKがオンエア中止する事態が起こりました。メンバーが候補者と並んで立つ様子が候補者ブログやフェイスブックに表示されていたので、 選挙期間中は政治的公平性に疑念を持たれないよう配慮し、そのような措置を取ったというてんまつです。

 ぼくもある候補者のサイトに登場していたため、選挙期間中の番組オンエアが延期されたり、録画した部分がカットされたりしました。プチEXILEとして、関係者にご迷惑をおかけしたことで謝罪しなければなりますまい。

 でも、そうなると、ネットにはいろんな有識者やタレントが政治家とからんだ映像がたっぷり残っているので、これから選挙のたびにオンエアできない事態が続出します。今回、自分が当事者だったので申せませんが、無関係だったら、「そんなのいいんじゃないの」、と言います。


 これはコンテンツだけのことではありません。全ての領域で、こうした収縮が続いています。それは明確なクレームを待つことなく、クレーム来るんでねえの、やめとけ、という重く垂れ込めた「空気」が支配しているのであります。

 やべえな。「まずいことが起きると、じゃやめとこ、締めてしまおう、となる安全志向。超自粛モードです。そして自縄自縛で動きが取れなくなる。そんな情勢が続いています。」ということを、2年前にブログに記しました。震災後の自粛ムードは去ったかに見えて、その病がまだ続いているのであります。
 「一億総びびり症」


 ぼくが手がける教育情報化にしても、学校にネットをつなぐとプライバシーが流出するおそれがある、ということで、多くの学校が外部に接続できません。ましてソーシャルメディアを使っている小学校はほぼゼロ。韓国がソーシャルメディアで学校と先生と家庭をつないで開かれた学校を達成しているのとは深々とため息が漏れる差がございます。

 次のチャンスと目されるビッグデータ。その中核である個人情報について、日本では公開に慎重な人が多いんです。日米英韓など6カ国で行われた「第三者への実名公開を許容できるか」というアンケート調査の結果、日本は「許容できない」と答えた人が57.3%に達し、最高だったといいます。縮こまってます。

 ネット選挙運動も医薬品ネット販売もマイナンバーも、自民党政権の一押しで、やっとこさ導入に至りましたが、これだけ遅きに失したのは、こんなことが起きちゃうかもしれない、という起きてもいないことへの心配でありました。

 コトを前に動かす、こうした政治の動きが出てきたことは慶賀に堪えません。ただ、社会全体を覆うびびり感はまだ重い。気がします。ホントはこういうことは、データで申し上げないといけないのですが、うまく数字が示せません。これを追認したり、あるいは逆だと示すようなデータがあればお教えいただきたい。
 

 申し上げたいことは現状分析ではありません。今どうすべきかであります。長い間の不況や停滞にソーシャルメディアが染み渡り、ネガティブなベクトルをみんなが共有している、のが現状でしょう。それを打開するには、ポジティブなベクトルを、ことさらに、打ち出していくのがいいんじゃないでしょうか。

 「それはダメだ。なぜなら、まずいことが起きるかもしれないからだ。」というネガティブに対し、「やったらいいじゃないか」というポジティブ情報をかぶせていく努力であります。幸いなことにというか、あらかじめ分かっていてそうだったのか、ソーシャルメディアには「いいね!」や「イイネ!」という意思表示の機能が組み込まれています。それをもっと声高に、使い込みたいところです。

 幕末、京の都、慶事の前触れとばかりに「ええじゃないか」と大衆が踊り巡った、そんな根拠のない元気が欲しいところです。景気の期待感をあおるアベノミクスは、それを狙ったものかもしれませんが、経済だけでなく、社会の空気を換えるやみくもな仕組みが欲しいと言いますか。「いいね!」を積み上げて、空気にしていって、社会としての「ええじゃないか」に持ち込めないものか。


 NHKEXILE中止は、苦渋の決断だったはずです。だからといって、そこに理解を示すより、やったら「ええじゃないか」と現場や経営を後押しする明示が必要なのではないでしょうか。

 武雄市の図書館がCCCを指定管理者にしました。千葉市長が印鑑証明という「前時代的な」手段を見直すと明言しました。いずれに対しても強い懸念を表明する方々がいます。普通の首長であれば、その空気に潰されていたでしょう。

 でもぼくは今、こういう打開、こういうパンクを「ええじゃないか」と支持したい。やらないことでの現状維持より、危険をにらみつつ「やる」ことへの踏み込みに対して、リスク承知でいいね!いいね!を意思表示する。そんな心持ちを広げることはできないでしょうか。


 間もなく京都五山送り火です。2年前には被災地の薪を燃やすかどうかで、すったもんだがありました。結局、批判に押し込まれて、被災松の使用は中止となりました。ずいぶん小さな国になってしまったものだと思ったものでした。

 今年も送り火を眺めに戻ります。今年の空気はどうでしょう。
「ええじゃないか」川原で一人、踊ってきますかね。
 

2013年7月23日火曜日

政権にやってほしいのは3つだけなんです。

■政権にやってほしいのは3つだけなんです。
 選挙から一晩明けた昨日、参議院議員会館に行ってみたんです。がらーんとしてました。しーんとしてました。でも、2つあるエレベーターホールの1つはもう「引越専用」の札がかかっていて、さあみんな引越だぞ仕様になっていました。落選したひとは3日以内に出て行かないといけないんですと。民主党議員の多いフロアはしばらく賑やかになりまっせ、とのこと。運送業者のみなさま、おめでとうございます。
 昨日書いたとおり、V9時代のセリーグ状態となった政界ですけど、既に1強5弱を打破するため、野党は団結して二大政党を再興すべきという論調をみかけます。はあ?団結?何をもってでしょうか。他の野党は左だったり右だったりで共通項がありません。対アベノミクスにしろ憲法にしろ政策は一致しません。
 「与党になる」ことを共通項にするならば、右も左も飲み込んで「与党である」ことを共通項として組織を作った自民党と同じであって、であれば「自民党に合流する」ことが正解となりましょう。
 だから、野党団結で二大政党という大失敗した夢をもう一度より、一度夢と消えた「大連立」を目指す方が野党として戦略的ではあるまいか。こういう時期でなければ達成できない政策を進めるために。野党の中でも政策志向、改革志向の議員はとっとと与党に合流したいんじゃないですかね。ま、与党側が要らないかもしれませんが。
 といいますか、長々とすみませんが、そんなことはどーでもいい。政局はどーでもいい。野党がどうなろうがどーでもいい。ぼくは政策屋なので、政策をどうするのか、それだけが気がかりであります。

 この政権にぼくが期待するのは一つだけ。「空気を換えて」ということです。失った20年を民主党政権も引きずりました。自民が奪還してからもねじれ下でへっぴり腰でした。でもここから本気で政策展開ができます。この際、長く続く縮み志向から脱出させてほしい。ぜひ「一億総びびり症」の治療をお願いしたい。これも昨日書いたように、今の日本は1930年代初頭の不穏な空気も流れます。それを断ち切りたい。
 具体的には3つです。1)成長戦略、2)外交、3)情報化。これだけやってくれれば、ずいぶん変わります。次の総選挙は衆参同時かもしれません。それまでの3年間、この3つだけやっていただければと存じます。

 まず、成長戦略。空気を換える第一は経済。その徹底。既にメニューはあります。アベノミクスの名の下にいろいろと掲げられています。問題は、ホントにそれをやるのかどうか。踏み込んで実行するには摩擦も起こります。でも、それを断行すること。
 「医療」「農業」「教育」。かつて通信規制など経済規制を緩めた際、安全の名の下に社会規制という岩盤を作りました。それが日本を膠着させています。それら分野の岩盤規制を打ち砕く。大変です。パワーを集中していただきたい。
 「税制」。法人税の低さでもって企業を誘致できるほどの環境を整えてもらいたい。「ソフトパワーの発揮」。対外イベントを行うだけなら簡単です。でもインフラや制度を整備するのは大変です。本腰を入れていただきたい。
 今のところ成長戦略の多くは政策ではなく「アイディア」に過ぎません。政策は実行されて初めて政策となります。これまでは参院選の対策のためにメニューを並べて看板を掲げていればOKでした。いよいよ頭と口よりも、それを実行する足腰が問われます。

 二つ目は、外交。日本は国内のねじれを解消したけれど、対外的なねじれは放置しています。中国も韓国も、自民圧勝に身構えているでしょう。同時に、これから3年はこの体制であることが確定しましたから、それなりに落ちついた戦略も考えているはず。当方もどっしりした対応を願います。
 選挙前に、防衛省は背広組からなる運用企画局を廃止し、制服組からなる統合幕僚監部に自衛隊運用を一元化する方針を固めたという報道がありました。海上保安庁の新長官に初めて現場出身者を充てる人事を固めたという話もありました。いずれも小さなニュースですが、政権内部では大きな舵が切られているようにも見えます。ぼくも内部固めはそれでいいと思いますが、対外的にはどう出るのか。
 マルチでは、TPP交渉が本格化します。政府は「国益を守る」としか言わないけれど、もう個別具体的に決断していく段階となります。どうするのか。かつての自民党政権であれば、産業、提供者の利益を守れば世間も納得していました。でも今や、提供者よりも利用者の利益を重視しなければいけなくなっています。その際、国益という言葉に何を込めるのか。
 外交は、政権にしかできない。お願いします。

 三つめは、情報化。やりゃあいいことはハッキリしているので、これこそとっととやりましょう。安倍総理は「世界最高水準のIT利活用社会を」と宣言しました。それを実現してください。
 教育の情報化。2020年という民主党政権の目標はとっとと外し、あと3年で「全ての学校でのデジタル教育」を達成してください。できますとも。ネット選挙運動の不思議な制約はとっとと外してください。そしてネットで投票できるようにしましょう。できますとも。いくつかの地方選挙で特区的に試せばよろしい。
 オープンデータ。世界ランク19位を3年で1位にしましょう。できますとも。クラウドビジネスを縛っている著作権法。変えましょう。この検討は3年ぐらいかかるかもしれない。じゃあスグ手がけましょう。そして、勢いで「文化省」作ってください。

 これだけに集中していただけるとうれしいです。逆に、いらんことはせんでもらいたい。憲法、やらんでいい。集団的自衛権の処理だとか沖縄の基地移転だとか、差し迫った課題には対応してもらいたいですが、憲法は空気を換えてからでいいと思います。あるいは、クールジャパンと口では言いつつ、児童ポルノ法改正で締め付けるような政策ねじれ。やらんでいいことです。大勝して、正体を現したい欲望はあるでしょうが、まずは20年どんよりしてしまった空気を換えることに専念していただきたいと存じます。

2013年7月22日月曜日

「脱ねじれ選挙」の後の脱力感


「脱ねじれ選挙」の後の脱力感




○安全運転vs分散

 脱ねじれ選挙。ねじれを解消するために行われた、ワン・イシューの選挙でした。

 そこには特段の政策も政局もありませんでした。安倍政権の信任を確認する行為でした。だから、静かに、低調に、過ぎて行きました。

 強いて政策の争点を挙げるなら「アベノミクス」の是非。金融、財政、成長と三本くりだした矢に胸を張る与党に対し、野党は踏み込みが足りずに終わりました。民主党は円安に伴う値上げを叩きましたが、それは副作用批判であり、メインの政策対立ではありません。みんなの党や維新は規制改革の不足を突きましたが、それは「もっとやれ」という指摘です。共産党のように増税含め反対一辺倒ほどわかりやすくなかった。

 自民党は安全運転の横綱相撲に徹したということです。あえて投票率を上げずに浮動票を殺したようにも見えました。アベノミクス一枚看板を掲げる一方、憲法問題は途中から引っ込め、原発やTPPも争点からぼかした。野党が一枚岩でそちらを突けば盛り上がったかもしれませんが、軽く突っ張ったり脇にいなしたりと、右に左に分散したままでした。

 


○安倍政権はここから本番

 政局面では、1強5弱というV9時代のセリーグみたいなありさまが両院で定着。2009年の政権交代で夢見た二大政党時代は昨年の総選挙で泡と消え、今回、少なくとも3年はそれが固定されます。2016年は同時選挙かもしれませんが、それまでに野党はどう建て直すのか。

 例えば民主党は子ども手当、農家補償など大きい政府の分配政策で失敗した後の軸が見えません。支持層である都市市民=非正社員と、労働組合=既得権者の内部ねじれをどう扱うのか。他の野党は1強に対し共闘・対抗するのか、連携するのか。あるいは潔く解党するのか。

 その間、いよいよ自民党は素顔を現します。2009年の政権交代後できなかった政策、ねじれ下では進まなかった政策が動き出します。安倍政権はここから本番です。

 では、医療、農業、保育などの規制改革を進めるでしょうか。今回の選挙戦向けポーズで幕引きでしょうか。憲法改正を持ち出すでしょうか。原発はぐいぐい行くんでしょうか。クールジャパンは続けるんでしょうか。児童ポルノ法は改正するんでしょうか。




○見えなくなる参議院問題

 ねじれが解消されると、「強すぎる参議院」問題もしぼみますね。衆議院と同じ動きをすることで、参議院の機能が埋没することも想定されます。

 参議院の選挙制度に関し、東洋大学松原聡教授が「小選挙区と、中選挙区が混在するのはおかしい。1人区の当選者と、5人区の5番目の当選者は、同等なのだろうか。」とツイートしています。1人区をいくつかまとめて中選挙区とするか、中選挙区を分けて小選挙区にしないと不公平というわけです。

 ぼくも選挙制度を改めてしかるべきと考えます。ただ、参議院を小選挙区にすると衆議院との差がより縮まるので、全国区+中選挙区(ブロック制)がよいのではと思うのですが、そういう議論が起きにくくなるということでしょうね。




○不穏な空気、ふたたび

 池田信夫さんがブログで「日本の現状は、1930年代のドイツと似ている。経済が疲弊する中で、無力な与党と分裂する野党が政争を繰り返し、何も決まらない現状に民衆がうんざりしている状況は、ヒトラーが登場する前のワイマール体制と似ている。」と書いています。


 これになぞらえて言うなら、ぼくは今の日本は、1931年末の日本に似ていると思います。満州事変で日中が対立し、民政党(緊縮財政・金融引締・円高)から政友会(積極財政・国債日銀引受・円安)に政権交代。ま、そうなるとそろそろテロ(5.15事件)が起きて軍事路線を突き進むことになる。不穏な空気というわけですが。




○盛り上がらなかったネット選挙運動

 さて、今回のもう一つのトピックは、ネット選挙運動でした。

 盛り上がりませんでしたね。昨年の総選挙での党首ニコ生は140万人が視聴したのに対し、今回は9万人、1/15にすぎません。

 ぼくは協力したんです。総務省のネット選挙運動動画コンテストの審査員を務め、ネット使ってね、と旗を振ってみました。社団法人成長戦略研究会ではネット選挙運動アプリのコンテストも開催してみました。

 でも、さほどネットが活躍した形跡はない。選挙自体が盛り上がらないため、ネットで投票率上げろったってどだい限界がありましたが、制度自体もわかりにくくて、メールはダメなのにLINEがいいのはヘンなんて「とくダネ!」で菊川怜さんに突っ込まれるありさま。炎上を警戒して、政治側もへっぴり腰でした。

 警察庁の720日の発表によれば、ネットを使った選挙違反の警告は23件で、多くがメール禁止違反であり、心配されたなりすましや改ざんはなかったといいます。ネット業者に対する削除依頼も報告されていません。盛り上がったのは東京ですずかんと山本太郎さんの支持者がやりあった局地戦ぐらいじゃないでしょうか。

 順調に運動が行われたというより、期待されたほどは使われなかったということでしょう。

 


○ネット選挙の宿題

 本格利用は3年後の総選挙。今回、さほど問題が起こらなかったことを幸いに、メール利用その他ややこしい制約を解いてもらいたい。これは宿題です。

 だから、今回は練習ととらえればいいのでしょう。練習はしました。「あべぴょん」は結構ぴょんぴょんするのが難しかったし、共産党がゆるキャラ路線で来たのも刺激的でした。候補者の9割がSNSを使ってはみました。党首の色もほの見えました。安倍さんはフェイスブック、橋下さんはツイッターを駆使し、海江田さんは「私は毛筆をこよなく愛します」と言います。

 民間側に宿題も残りました。

 EXILEのメンバーが立候補者と並んだ写真がネットに掲載されていることで、NHKが出演番組を延期しました。実はぼくも、立候補者のネット番組に出演した映像が残っていて、出演した番組が放送延期となったり、出演した箇所がカットされたりしました。

 政治的公平性への配慮ということですが、今回はまだ事例が少ないものの、総選挙となると大変ですよ。著名人が政府に協力して写った写真や動画が山ほどネットに残っていて、その大臣や高官がわんさか立候補しますから、期間中、番組カットばかりになりますよ。

 というのは一例で、政治・選挙とネットとの距離感を社会がまだ測りかねているということでしょう。もっと接近させなければ。

 なお、Yahoo!が選挙前にビッグデータ予測したところでは、自民67、公明9,民主20-21、維新8-10、みんな4-7、共産7。ニコニコ動画のネット世論調査では自64、公11、民16、維7、み8、共8。結果は、自65、公11、民17、維8、み8、共8。おお、案外、ネットは役に立つじゃないですか。政治とネットの距離を縮めること、これまた宿題です。

2013年7月18日木曜日

知財ビジョン

■知財ビジョン
 
 政府・知財本部が策定した「知財ビジョン」。過去10年の知財戦略を総括し、今後10年の戦略を立てるものです。
 http://www.kantei.go.jp/jp/singi/titeki2/kettei/vision2013.pdf
 とりまとめに当たり、WGの共同座長として、担当大臣・副大臣・政務官らに意見具申する機会があり、そこで申し上げたことを記しておきます。

 
 まず冒頭「はじめに」、今後十年の知財政策を語るメッセージとして、日本にとっての知財の位置づけと、その政策の位置づけを明記することを心がけました。「知的財産をその強みとして世界のリーダーシップを取っていくべき」というメッセージを出しました。
 資源も安価な労働力もない日本が、グローバルで連結した世界で自ら望む位置を占めるには、知財の生産と活用以外に道はないということ。知財の政策が全政策の中で最重要であるということをにじませたいと考えたのです。
 個人的には、知財戦略は国防、教育と並ぶ国政の柱だと思いますし、産業政策の面でも、農政、あるいは工業・商業の政策よりも重要になっています。TPP交渉でも、未来を担う分野として重視する必要があります。そうした視点を示したいと思いました。

 今回のビジョンには二つの背景があります。
1 ここ1-2年のメディア環境の変化。
 多様な表示デバイス、クラウドネットワーク、ソーシャルサービスといったメディアの刷新が起きているということです。

2 そして、危機意識。
 グローバル競争で他国に後れを取っている。競争力を活かせていない、という認識です。

 その中で、コンテンツ政策に2本柱を据えました。

「デジタル・ネットワーク化」と「ソフトパワー」。国内の基盤整備と海外展開です。
 その上で、3点について、大きな方向付けを行いました。 


1 政策転換
 第3の1:「生態系変化」に明記したとおり、ユーザが作成するコンテンツ、公共・教育、ビッグデータに力を入れる。
 これをトップ項目に据えたということです。
 過去10年、コンテンツ政策は、エンタテイメントのビジネスを中心に考えられてきましたが、これからの10年は、国民全体の問題として捉えるというスタンスが明確になっているということ。プロが作る作品だけでなく、みんなが生むコンテンツが主役になっていく。
 日本の強みは、みんなの力。子どもも大人も映像や音楽を産み出す創造力。これを政策で後押ししたい。
 今回、教育情報化にも踏み込んで対策を記述しています。私はデジタル教科書教材協議会の事務局も担当していますが、関係者からはこの記述が非常に注目されています。政府の本気度が問われています。
 これは同時に、コンテンツ産業の拡大から、コンテンツ自体の創造・利用へという広がりを見せているということでもあります。コンテンツ産業の拡大から、全産業への波及が重要という視線です。コンテンツ産業12兆円、IT産業85兆円から、GDP470兆円に視野を広げる必要があります。
 

2 プライオリティの向上
 第3の2:資源配分の重点化と政策資源の充実。
 コンテンツ政策、知財戦略が日本の政策に占める位置づけを高めることが重要です。農業社会、工業社会から情報社会に移行する、というのは小学生でも話すようなことですが、では 政策の優先順位はというと、その逆だったりします。日本は知恵で喰うしかなく、その政策の重要性はしかと位置付けたいと考えました。
 大臣がおっしゃっている「総理によるコンテンツ立国宣言」をぜひ実現してもらいたい。フランスも韓国も、コンテンツ政策を打ち出す時には大統領が自ら発します。日本もぜひそうありたい。
 

3 推進体制の整備
 政府の一体的な取組、総合的な推進体制。
 知財本部の議論も8つの省庁が一つの机で前向きに施策を出し合い、連携が進むようになりました。これが最大の成果と考えます。また、「クールジャパン推進会議」も設置され、私はその下に置かれた「ポップカルチャー分科会」の議長も担当したのですが、それらとの政策調整も重要です。
 そして、一層の連携が必要となっています。ビッグデータなどはIT戦略本部でも議論されていますが、ハードとソフトを一体にして考えるのは当然。90sウィンテルの時代には、ハードとソフトが分離されていましたが、AppleはiPhoneとiTunesを一体にしており、GoogleもAndroidでハード戦略を進め、アマゾンもkindleで攻めています。日本の戦略もITと知財を一体で考える必要があります。
 個人的な意見として、私はコンテンツやITの政策を結合して「文化省」を作るのがよいと思っています。それは荒唐無稽な意見かも知れませんが、韓国は新政権でIT政策や科学技術を統括する「未来創造科学省」を置くことにしました。国民を何で食べさせるかを端的に示しています。日本にもそのような腹づもりが求められます。

2013年7月15日月曜日

「パブリック」--新しいP2P

■「パブリック」--新しいP2P

 ジェフ・ジャービス著「パブリック」
  ずっと積んであった331ページの大著ですが、めくり始めたら一気に最後まで行きました。
 印刷機以来のメディア進化によって生まれたパブリックとプライベートの概念がネットで破壊され再構築される、という分析です。
 ぼくは筆者の位置に近い。PrivateからPublicへ。「新しいP to P」の時代だと思います。その視点がオーバーラップした部分を抜き出し、紡ぎつつ、頭を整理します。

●プライバシーとパブリック
 本書は、プライバシー過保護への警鐘と、個人によるパブリック・コントロールの重要性を説きます。
 情報をいかに秘匿するかより、パブリックにしないデメリットとコストを考える場面が来たということです。

 まずは「プライバシー擁護派は、僕に慎重になるべきだと言う。何もかもオープンにすべきでない、と。」でも、「僕はパブリックな存在だ。僕の人生は、オープンな物語なのだ。」なのに、「口を開けばプライバシーが議論され、未だかつてないほど僕らのプライバシーは保護されているように思える--おそらく過保護なほどに。」そこで「プライバシーについての感情的な表現や、根拠のない恐れや、漠然とした言い回しを避け、プライバシーについて語るときにそれがどういう意味なのかを検証してみたい。」と説きます。そして、「プライバシーに固執しすぎればこのリンクの時代にお互いにつながり合う機会を失う」と指摘します。ボストン大学のN・ヴェンカトラマン教授「かつて企業とは、顧客や商品と呼ばれる資産をもつ事業部の階層だった。今ではそれが、つながりと能力という資産をもつユニットのネットワークへと変化している。」そう、それは個人と国家の関係だけでなく、企業を含む全ての社会構成員の問題です。

 ただ、それはコミュニティにより相対的なものでもあります。
「たとえば、グーグルのストリートビューに近所の通りを移されるのを嫌がるドイツ人もいれば、みんなに見てもらおうとグーグルの車に写真を撮ってほしがるアメリカ人がいるのはなぜだろう?」「アメリカでは個人の財務情報は、おそらく医療情報の次に隠したいことだ。ノルウェーとフィンランドでは、国民の収入と税額が公開される。」「アメリカでは、被疑者の身元を公開し、ウェブに写真を載せ、プレスのカメラの前で連行する。ドイツでは、有罪になった犯罪者の写真にも、目の部分にグーグルマンが使ったようなモザイクがかけられる。」「2010年に、ドイツの連邦食糧・農業・消費者保護大臣であるイルゼ・アイグナーは、位置特定テクノロジーに顔認識機能を組み入れることを今後いっさい「タブー」とした。」「2011年の日本の地震と津波といった災害で、被害者の行方をたどったりできるのでは?それもトレードオフだ。」

 日本でようやく成立したマイナンバー法も、ドイツ型、北欧型、アメリカ型と制度を比べればかなり違う。それはプライベートとパブリックの認識が各地でさまざまだからです。「社会はパブリックになればなるほど安全になる。こう言うと、多くの人が不安がる。テクノロジーが政府を助けて、弾圧的な政権でさえも、僕らを監視し、僕らの行動を利用し、僕らの意に反してパブリックになることを強制するような恐怖を呼び起こすからだ。」ただし、「同時多発テロの日、僕はワールドトレードセンターにいた。・・・監視に対する僕の許容範囲は広い。今僕らは社会として許容できる共通の範囲を探っているところだ。」ぼくも9.11にはマンハッタンにいました。その筆者との共通体験がパブリックに対する認識を近づけているのかもしれません。

●パブリックの変化とテクノロジー
 「(17世紀までは)公的な地位にある男性だけが、パブリック=公人だった。・・アメリカで「プライベートスクール」と呼ばれる特権階級のための学校が、イギリスでは「パブリックスクール」と呼ばれるのはそのためだ。」「軍隊で「一兵卒、つまり階級を持たない兵士」を「プライベート」と呼ぶ理由もそこにある。」ローレンス・M・フリードマン「中世の人々には、プライバシーの概念がなかった。普通の人にはプライベートな空間がなかった。家は小さく、混み合っていた。プライバシーは美徳と考えられてはいなかった。」かつて松田道雄さんが、日本の家屋構造が非プライバシーの関係を育んだことを記していましたが、中世欧州もそうだったというわけです。

 そして、メディア技術がパブリックとプライベートを生んだといいます。
「テクノロジーは、歴史上のプライバシー騒動のきっかけをひとつに結びつける糸だ。」15世紀のグーテンベルクの印刷機、1870年代のマイク、1880年代の電話、1890年代の録音機とカメラがプライバシーを生んだ。「プライバシーが近代初頭のヨーロッパに生まれつつあったちょうどその時、パブリックネスもその姿をおのずと現し始めていた。・・印刷機はもちろん、舞台、芸術、楽譜、印刷された説教、地図といった新たな道具が、人々を家族や社会階層や職業の別なく、興味やアイデアの周辺に集わせた。」

 コンピュータとインターネットが再びこの状況を刷新します。パブリックを変容させます。パブリックがプライベートの向こう側にある他所ではなく、私たち個人の内側にあるものとなります。自らのパブリックに自ら参加します。こうしてパブリックは個人化し、拡張します。
「人々が新しいパブリックをつくる時、その概念もまた定義し直される。今では王は国家ではない。ニューヨークタイムズは世論ではない。政党は政治の中心的存在ではない。ハリウッドが文化ではない。」「昔も今も、新たなツールが人々を行動に駆り立て、パブリックな場での創造を促し、そこにパブリックな人々が生まれる。」「印刷機やカメラがパブリックとプライベートを生んだ。それをネット(グーグル、ブロガー、ツイッター、ユーチューブ、フリッカーといった奇妙な名前の僕らのツール)が破壊し、再構築する。」

 これに対し、既存メディアがパブリックの会話を吸い取れていないことも指摘します。
「(19世紀の初頭)ジャーナリストは自分たちをパブリックの代表、市民と国家の間の架け橋だと勝手に思い込むようになった。」コロンビア大学のジェイムズ・ケアリー教授「報道機関はパブリックに情報を与えるものではない。パブリックこそ報道機関に情報を与えるべきだ。ジャーナリズムの真の対象は、パブリックの内部で交わされる会話そのものなのだ。/メディアはパブリックの使い方を誤った/ジャーナリストは、自分たちをパブリックの上位におき、・・自分たちが客観的で、中立的で純粋だと思い込むようになった。」
 ただし、エリザベス・アイゼンステイン「グーテンベルク以降まるまる1世紀が経ってはじめて、新しい世界像の骨格が見えてきた」とも説きます。「インターネットがもたらした変化はすでに巨大なものに映るが、僕らはまだその革命の初期にいる。まだ何も見ていないのだ。」そのとおりです。

●パブリック・コントロール
 改めて、プライバシーとパブリックの関係が問われます。
「(プライバシーとパブリックは)相反するものではないからだ。プライバシーとパブリックは相互に作用するものだ。プライバシーを「パブリックでないこと」とは定義できないのだ。」アラン・F・ウェスティン「プライバシーとは個人、グループ、組織がいつ、どのように、どこまで、自分たちに関する情報を他者に伝えるかを決める権利である。」ダナ・ボイド「プライバシーとは、情報へのアクセスをコントロールすることだけではなく、それがどのように使われ、どう解釈されるかをコントロールすることです。」エリック・シュミット「もし誰にも知られたくないと思うなら、最初からしなければいい。」プライバシーとは秘匿するだけのものではなく、利用し管理する権利であり、そのプライベートをパブリックにするかどうかのコントロールは可能だというのです。

 プライバシーを確保するコストが増大しているという事情もあります。サム・レッシン「プライバシーが欲しければ、現金、時間、社会資本、その他もろもろを一緒に払わなくちゃいけなくなった。」「プライバシー設定を管理するための努力と煩わしさというコスト。あえてパブリックにもソーシャルにもならないことで失われるチャンス。」善し悪し、というより、損得、が変化を加速している面があります。これに対し筆者は、「パブリックであることの倫理とは・・透明であること、オープンであること、コラボレーションを促すこと、リスペクトにつながること、価値を与えること」といった規範を持ち出しています。
 ピュー・リサーチ・センターの調査によれば、「自分についての情報がどのくらいネットで公開されているかを心配するのは、ユーザーの33%にすぎない。この割合は低下傾向にある。」のだそうです。個人はよりパブリックであることを求めるのかもしれません。(なお、同じ調査で「ネットユーザの42%がそれ以外の人よりもよく公園に行く」という結果がありました。ネット民は引きこもりではなくアクティブで、リアル面でもパブリックなのかも。)

 ここで筆者は制度を要求します。「政府は公開をデフォルトとし、必要な時にだけ秘匿すべきだ。」「情報を秘匿したい場合は僕らの許可を求めなければいけないような法律だ。」ぼくも携わっている「オープンデータ」は、それに向けた運動です。政府・自治体の中にも、その効用と必要性を認識しているかたがたはいます。官民での取組が大事です。「ベス・ノヴェックは、「コラボレーション型政府」を望んでいる。「オープンガバメント」という言葉はあまり好きじゃない。」そう、オープンはルールであり、決めればできる。官の対応にすぎない。これが市民と混じり合ってコラボレーション型に進化するには努力が要ります。

 最後に小林弘人さんの解説があります。本文の前に、こちらを読むことを薦めます。そこに、こう記されています。
「チュニジアのジャスミン革命やアラブの春のような独裁や強権による専制に対する反政府活動にソーシャルメディアが用いられたことは知られるところだが、日本では国難とも呼ぶべき未曾有の被災において、一般の人々がモバイルやソーシャルメディアを駆使して災害へ対応し、あるいは被災者やコミュニティのために協働した。パブリックネスの扉が自然と開かれたのだ。」
 パブリックに対する欧米のアプローチが示される本書を読み解く日本の視座を与えてくれています。
 

2013年7月12日金曜日

いま100億円あったらどう使う?

■いま100億円あったらどう使う?かつて麻生政権のころ、「アニメの殿堂」予算が批判を受けました。
正式名称:国立メディア芸術総合センター。
んで、民主党政権になって、ポシャりました。
ぼくは、ポップカルチャーに100億円を投ずること自体は悪くないと思うんです。
当時の道路予算の1/1000。1日工事休めばひり出せるカネですわ。
で、一休みして、自民党政権となり、改めてクールジャパン政策とかポップカルチャー政策に光が当たっています。
成長戦略とかで。
歓迎する声もある一方、批判もあります。
それは、おカネを使うかどうか以前に、その政策の具体像がまだ明確じゃないからですね。
ポップカルチャー政策と言っても、殿堂作り、制作現場の労働環境改善、業界への資金提供、特別減税、著作権制度改正、海賊版対策、教育の拡充、イベント支援、技術開発、TPP交渉・・・まあいろいろあるわけです。
そんな中、やはりハコ作り、拠点作りをという意見があるんですが、ぼくはあえて「ハコからヒトへ」を主張します。

おカネは使えばいいと思います。
日本の文化予算は欧州や韓国に比べ、大きく見劣りします。10倍増したっておかしくない。
問題は、使い方。
「アニメの殿堂」はハコでした。予算案117億円は用地取得費用と建設費でした。メディア芸術ではなく土建に回るカネ。
必要なのは、そこじゃない。
100億円でセンターを一つ建てても、せいぜい地方都市の美術館程度の賑わいだったでしょう。(地方都市の良質の美術館は、そこそこ家族連れで賑わっています。)
そうではなく、4年前、100億円を1000万円×1000件に分けて、クリエイターやプロモーターやサイト主催者やワークショップ提供者に配っていたら、どんなに賑やかになっていたことでしょう。

ハコや拠点はいっぱいあります。
各地の美術館、資料館、大学、廃校の小中学校、ネット上のアーカイブ。
イベントもいっぱいあります。
コミケ、コスプレサミット、ニコニコ超会議、沖縄国際映画祭、JAPAN EXPO。
みんなの力を活かせばいいんです。
集中より分散。

1988年、竹下内閣のころ、「ふるさと創生事業」というのがありました。
全国の市町村に1億円ずつバラまいて、好きなことをさせました。
当時3000以上の自治体がありましたから、3千億円。
宝くじでスッた自治体もあれば、温泉を掘り当てられなかったところもあれば、金塊を買って観光資源にしたところもあれば、高金利時代、全額預金して着実にもうけた自治体もあります。
大分はパソコン通信ネットワークを建設するという先見の明を示しました。
賛否ある大盤振る舞いでしたが、全国で知恵がしぼられ、みんなが政策に参加して、賑やかなことになりました。
どうしていいかわからんときは、みんなの力を頼りに、エイヤっとおカネつけてもいいんじゃないですかね。

さて、そこで、もしも、改めて100億円がポップカルチャー政策に用意されたら、どう使います?
100億円でハコ建てるか、10億円を10個に分けるか、100万円を1万件に分けるか。
それとも、やはりそんなカネは不適当で、地方道路の拡張工事に回しますかね。

2013年7月11日木曜日

IT「を」からIT「で」への政策転換

■IT「を」からIT「で」への政策転換

 ブロ-ドバンドアソシエーション主催のシンポ「どうなる? 新政権のICT政策」にて、総務省柴山昌彦副大臣、谷脇康彦官房審議官、イブシ・マーケティング研究所野原佐和子社長とともに講演をしてきました。ぼくの大要は以下のとおりです。
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 デバイス、ネットワーク、サービスというメディアの3構成要員が、マルチスクリーン、クラウドネットワーク、ソーシャルサービスへと移行する状況で、IT政策も刷新されなければなりません。
 特に日本は、ユーザのリテラシーに着目して政策を考えるべきです。世界経済フォーラム(WEF)によれば、消費者洗練度(新たな商品開発のニーズ等を引き出し得るユーザーの能力)で日本は1位。これが日本の強みです。
 シスコの調べによれば、日本のモバイルユーザが発信する1人当たり情報量は世界平均の5倍でダントツ世界一。情報を生産し、発信する国なのです。それはもう10年前にハワード・ラインゴールド「スマートモブス」が渋谷の親指族を世界最先端と驚きをみせ、最近でもバルス!のツイート世界記録で世間を驚かせたことでも示されています。
 これに対し、課題は3つあります。1) ITの公共利用が低いこと、2) 企業経営の認識が低いこと、3) 社会の認識も高くないこと。
 IT利用に関し、シンガポールと日本とを比較すると、電子商取引や交通・物流の分野ではひけを取らないものの、教育、行政サービス、企業経営の分野では大きな差がみられます。昨年度の情報通信白書でも、公的機関とのネットやり取りの点で日本は調査18か国中最下位でした。
 一橋大学深尾教授によれば、IT投資の対GDP比率は米英韓が5%で、2003年から増加しているのに対し、日本は3%で、しかも2001年から減少しているといいます。経営者がITの意味をわかってなんです。
 しかも、マッキンゼーによれば、この10年間に蓄積された情報量は、日本は北米の1/9に過ぎません。一人当たりの発信量が多くても、社会として貯めていない。だからビッグデータも活かせない。若いユーザは進んでいるのに、社会全体の認識に問題がある、ということです。

 政策の切り替えが必要です。これまでは提供政策が中心でした。谷脇さんやぼくが役所に入った30年前は、通信自由化まっただ中、ニューメディアブームでした。毎日、通信業に関するニュースが紙面を飾っていました。以来、IT政策は通信ネットワーク整備、地デジ整備、競争環境整備が中心課題でした。そして、それはほぼ達成されました。
 このところ新聞を読んでも、そういうニュースは目立ちません。ある一週間のIT関連の記事を取り出してみると、教育情報化、コンテンツ転送の著作権問題、サイネージの災害時の運用・利用法、ネット選挙解禁、医薬品ネット販売の行方、医療機器ソフトの解禁、ネット通販の拡大、といったネタばかり。
 ITの提供問題ではなく、すべてITの利用問題です。いかに「整備」するかから、「使える」ようにするか。重点はこちらにシフトしました。役所や病院や学校で新しいメディアが使えるようにする。全ての子どもがデジタル環境で学べるようにする。ネットやケータイで安心して商品やサービスを買えるようにする。つまり、提供政策から利用政策への転換。
 それは、IT「を」どうするか、ではなく、IT「で」社会や経済をどうするか、の視座。産業政策でみれば、IT産業85兆円をどうするか、よりも、それを使って、GDP 470兆円をどう拡大するか、という問題となります。

 これに対し、安倍政権が発するメッセージは、というと、割にいいんです、これが。
 3月、 IT戦略本部で安倍総理が発言した「3つの課題」。1) ITの利活用による新しい成功モデル。2) IT社会の実現に当たっての規制改革、ルールづくり。3) 公共データの民間開放。ITの利用促進に向け、環境を整えようという姿勢が明確です。
 同じく山本IT担当大臣が産業競争力会議に示した資料では、1) IT利活用の裾野を拡大し、世界最高水準のIT利活用社会を。2) 規制・制度改革:オープンデータ、3)人材育成・教育:1人1台の情報端末配備、とあります。オープンデータや教育情報化など、私が関わる政策を挙げて、利用促進を前面に出します。
 これらを受け、総務省が進めている政策メニューも、1) オープンデータ、2) 利活用:規制・制度改革、3) ICTを利用した社会インフラの管理、4) スマートタウンという項目が並んでいます。かつてのNTT再々編、競争促進、通信産業拡大という路線とはさまがわりです。
 ぼくが担当している内閣官房・知財本部の政策メニューも、「デジタル・ネットワーク社会に対応した環境整備」として、1) クラウドサービスなど新産業形成に向けた制度整備、2) ビッグデータビジネスの振興、3) 文化資産のアーカイブ化、4) 教育情報化の推進、という具合に、ネットを利用した知財戦略が中心となっています。全体の方向は合っています。

 問題は、それらはまだ実現していないということです。政策は実行されて初めて政策になるのであって、発動されなければアイディアにすぎません。実行力に欠けた民主党政権からこの政権に変わって期待するのは、断行力です。
 例えば、上記メニューにある政策にしても、ぼくはデジタル教科書を実現する運動を続けていますが、政府の動きは未だ力強いとは言えません。これに対し、大阪市、東京都荒川区、佐賀県武雄市のように、政府計画を5年以上前倒しで進めようとする自治体が登場するなど、事態はローカル、現場主導で動き出しています。政府の本気度が問われます。
 オープンデータもそうです。内閣官房、総務省、経産、国交、そして地方自治体などみな前のめりになり始めたことは評価できますが、公共データをフルオープンにしたり、それを民間ビジネスに結びつけたりするなどの成果が渇望されている段階です。
 利用政策で言えば、ネット選挙の円滑実施、医薬品ネット販売の決着、医療情報化、マイナンバーの導入、炎上問題への対応、ソーシャルゲームの健全化・・・メニューはいくらでもあります。いま一度、IT政策のプライオリティーを上げること、特にIT利用政策の重要性を認識することが大事です。

2013年7月8日月曜日

わかりあえないことから

わかりあえないことから


 平田オリザさんの著書。批判的に読もうと構えたんですが、意外にもwいいことが書いてある。メモします。

○子どものコミュニケーション能力の低下が叫ばれているが、社会変化により喋る必要がないから子どもは「単語で喋る」ようになった。
 →周囲に他者がおらず分かり合う環境で育つ中で、伝える切実な欲求・能力が育っていないのは当然でしょう。

○リズム感、音感、ファッションセンスなどは子どもの方が高く、若者たちは表現力もコミュ力も低下していない。
 →ぼくはむしろ高まっていると思います。ただ、従来の企業組織で円滑に生きる術が欠けているのでは。

○「つい十数年前までは、「無口な職人」とはプラスのイメージ / いつの間にか無口では就職できない世知辛い世の中に」
 →企業や社会が求めるコミュ力を規定・デザインし直すべきです。

○「世間でコミュニケーション能力と呼ばれるものの大半は、スキルやマナーの問題 / それは教育可能な事柄」
 →論理的に文章を書いたり、表情豊かに話したりする「表現力」とコミュ力は別であり、コミュ力は技法化できるということですね。

○「きちんと自己紹介ができる。必要に応じて大きな声が出せる。・・・「その程度のこと」でいい。」
 →そして、「その程度のこと」が実はとても大切になっている、ということでしょう。
  そういえば、むかしビートたけしさんが「以前はちゃんとあいさつする子が”いい子“だったんだが、近頃は勉強できる子を”いい子”って呼ぶんだよな」と言うのを聞いてヒザを打ったことがあります。あいさつする子を「いい子」ってホメよう。

○「求められるコミュニケーション能力は、せいぜい「慣れ」のレベルであって、これもまた人格などの問題ではない。」
 →そう捉えれば、気も楽になります。

○学校教育は短期的な記憶のみを問うてきたが、試験で問われているのは「学力」ではなく「従順さ」と「根性」だった。
 →富国強兵を通してそうした人材が求められていたということでしょう。

○演劇に対する「芝居がかった」胡散臭い感覚は、強弱アクセントによって感情を表現する欧米の演技法を輸入したせい。
 →なるほど、語順が自由で単語の繰り返しもいとわないという日本語の特徴を殺してきたということですね。

○演劇を言語教育に導入することへの疑問は、演劇のことばが臭くわざとらしいという認識から来ている。
 →だとすると、教育より先に演劇側が変わってメソッドを確立しなければ。

○「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」を聞くだけで夕暮れの斑鳩の風景を思い浮かべるハイコンテクスト性が日本をアジアで早く近代国へと導いた。
 →説明不要でコトが運ぶ効率性ですね。加えて、映像把握力も一要素だと思うんですが、ぼくはまだうまく説明できません。

○日本の国語教育は「きちんと論理的に喋れ」と冗長率を低くする方向だけを教えてきたが、必要な言語能力は冗長率を「操作する」力。
 →たどたどしく、ムダな感嘆句などを挟む方が「伝わる」ことがあります。それを完璧に操作できれば名人落語家。

○平田さんが鷲田前総長から阪大に誘われた時、業績審査で最後に聞かれたことは「関西弁は大丈夫ですか」「タイガースのファンになれますか」の2問。
 →ぼくが鷲田先生に初めて会ったとき聞かれたのは「小学校どこ?」。京都人やなぁ思いました。

○エレベータで見知らぬ人と挨拶するアメリカ人はコミュ力が高いのではなく、自分が相手に悪意を持っていないことを示さざるを得ない社会のせい。
 →そう思います。それをせずに済んできた日本は幸せだった。

○イヌイットは雪を描写する言葉を数十も持つ一方、日本語は色彩に関する表現では世界有数の語彙を有する。
 →日本は「色の国」なのです。www.colordic.org/w

○「コミュニケーション教育は、人格教育ではない。」
 →つまりスキルであると。であればメソドロジーがある。それを作り上げることが第一。

○「せっかく作られた総合的な学習の時間を減らすという愚挙が行われた。」
→メソドロジーが確立されていないのに、教育をあきらめるのは、まさに愚挙。それはぼくも含め、メソドロジーを作る側にも責任があります。

2013年7月4日木曜日

沖縄国際映画祭 2013

■沖縄国際映画祭 2013
ここのレッドカーペットは、世界一長いんだって。初日のレッドカーペットには芸人、監督など550人が歩き、5.3万人の客が押し寄せたといいます。
8日間に渡るとても長いイベント。スポンサー企業は57社。期間中に9カ国からの74作品が上映され、コンペには20作が参加。144人のよしもと芸人が出演し、観客動員は過去最大の42万人!

毎年来てるんですが、これまで参加した時のメモはコチラ。
http://ichiyanakamura.blogspot.jp/2010/04/blog-post.html
http://ichiyanakamura.blogspot.jp/2011/05/3_19.html
http://ichiyanakamura.blogspot.jp/2011/05/blog-post_26.html

ボローニャから戻ったその足で、今年も顔を出してきました。


実行委員長である吉本興業の大崎社長は言います。「毎日歌って踊ることを沖縄の産業にしたい」。そう、かなり沖縄色が強い祭になっています。会場の宜野湾市だけでなく、県内の41市町村を巻き込んで、沖縄の魅力を世界に発信しています。当初は本土からやってきた催しという見方もあったようですが、5回を経て、地元の信任を得た模様。今年から映画の鑑賞を全て無料にしました。賑わいも当然ですね。
 

ただ映画を上映するだけのイベントじゃないんですよね。マーケット機能や展示会場もあり、「ラフピータウン」には50の企業がブースを出しています。ブースも年々、本格的になってきていて、業界人だけでなく、親子連れで賑わうようになっています。
今年から人材発掘のプロジェクトとして「クリエイターズファクトリー」を開始しました。監督、カメラ、俳優などの新星を見出そうとするもの。最優秀賞に輝いた「おだやかな日常」の杉野希妃プロデューサ+女優は、その次回作の制作を吉本興業が全面サポートすることとしています。

世界中のコンテンツを日本に集め、発信する。基地問題で揺れる地域の活性化を図る。マーケット機能を創り出したり、人材を育成したりする。
これって、国の仕事じゃないですか?
「スポンサーはついてくれてるけど、正直、ン億円の赤字でね。それでも、社員教育やと思たら安いもんなのかもしれん。みんなで作り上げてる催しなんで。」(大崎社長)。 いやいやいや、社長、十分高いですよ。頭さがります。
浜辺に打ち立てた26.65m×14.76m、世界最大のスクリーンは、スイスから船で運んで来たんだそうです。そりゃコストかかりますわな。


ビジネスも作っています。サイバーエージェントのオークションアプリ「パシャオク」を使って、レッドカーペットをノンスタイルの2人と歩く権利を売り出したんですと。石田さんには10万円、井上さんには12万円がついたんですと。井上の方が高かったことに若干フにオチない点はあるものの、いい値がついて、ファンの女性が堂々と世界一長いレッドカーペットを歩いた。それを吉本興業は子どもダンス活動に充てるよう宜野湾市に寄付したんですと。
ええ話や。でも赤字になりますわな。デカいもん船で運ぶし、上映タダにするし、寄付するし。

コンペティション部門の審査委員長、バットマン・フォーエバーのジョエル・シュマッカー監督は、「こんな映画祭は他にない」と言います。映画祭の多くは、賞を与えておしまいの、芸能界の作り物っぽいものだが、沖縄は違うというのです。芸人も監督も業界も観客も、みんなで学芸会のように作り上げているお祭りです。映画もあれば、音楽も演劇も、ニコ動もパチンコもある。

8日間だけの催しでもありません。同時に沖縄小学生映画祭というのが開かれ、7本の作品が上映されていたのですが、各地の学校を はんにゃやスリムクラブらが訪問してサポートして作ったものだといいます。郷土の魅力CMを作ろうという「JIMOT CMコンペ」というのも開催されました。これは、46都道府県+沖縄県41市町村から募集した1000を超えるアイディアの中から、87のプランを選定し、芸人たちとともに制作をするという企画。地域に密着して、時間と情熱をかけて、作り込んでいるわけです。


そんな中、驚いたのは「にーびち映画祭」。ぼくは知らなかったのですが、沖縄の結婚式では、新郎新婦を祝う余興ビデオはハンパない作り込みをされるらしく、一つの文化になっているとか。それを讃えちゃおう。にーびちというのは結婚のことだそうで。出品された結婚式の余興ビデオから厳選10作品が上映されたんです。
新郎新婦の同級生なんかが作るしろうと映像ですからね。まあね。第一、知らない人の結婚式のビデオですしね。行きがかり上みるだけ観てみるか。
と思いきや、面白かったんですコレが。ハンパなくて。ほんの一時、酔っぱらった列席者にみせる余興に、こんなに愛情を注いで作るのか、オマエたちは、と。結ばれるカップルを祝うために、シナリオや大道具小道具や音楽やあれやこれやを用意して、何日も何日もかけて作ったのかオマエらは、と。
映像っつうのは、解像度が低くても、音が割れていても、まっすぐに愛があふれ出ていると、突き動かされるものなんだな。と、ウルっと来てしまいました。

発見があるなぁ。
また来年。

 (追記:楽屋でもらったピース印のおにぎりがすこぶるおいしかった。)

2013年7月1日月曜日

ボローニャ雑記帳2013

■ボローニャ雑記帳2013

 ボローニャからベネチアに向かう電車です。
 出発がうんと遅れましたが、冷たくそぼ降る雨の中、プラットフォームで待つ人々は悠然として、ま、あたりまえ。イタリア。だもん。ぼくも、あたりまえ体操をして待ちました。

 ボローニャの仕事は、Children's Book Fair。児童書展です。
 実際は、世界絵本博とでも言ったほうが正確。各国の絵本が集結しています。
 まず、併催されたTOC:Tools of Change for Publishingに顔を出しました。
 デジタル時代の子どもと出版について、出版関係者が熱く議論しています。
 出版社がどう技術と共存していくのか、どのようにコミュニティを築いていくのか。
悩んでおります。
 思い出しました。ぼくは95年、パリでスパイをしていたころ、東京からの指令に応じ、イタリア・トリノで開催された出版業界の世界大会に潜入したところ、日本代表が欠席っつうことで、各国の大立て者の前でデジタルとコンテンツについて講演させられたのでした。大勢の人前で英語で話す初めての機会でした。中身は全く覚えていません。立食パーティーのおつまみがやたら豪勢だったことはハッキリ覚えています。

 昔話はよろしい。絵本博のこと。
 本業、デジタルえほん社の戦略を練るためにも、こちとら真剣です。
 昨秋にフランクフルトのブックフェアを訪れたときも感じましたが、欧州出版界の集まりは、客層がよろしくて、実に気持ちがいい。上品で美しく。でも、デジタル技術によってグーテンベルク以来550年ぶりに刷新されようとする状況に対し、苦悩は深い。その表情を凝視して回るだけでも楽しい。

 以下、写真メモ。

しつらえ、展示法が優雅なんだよね。









こういう空間を作りたいんですよ。
 








 
世界中から。これはアフリカのえほん。 








 
デジタルの展示はまだ少ないんだけど、アナログと美しく融合している企業もあり。











デジタルコーナーってのもあります。
ただ、これは過渡期の姿。
すぐ消えるでしょう。
どのブースもデジアナ融合しますから。 





 
これ、ジェスチャーで操作するデジタルえほん。
ぼくらもこういうの作ってますが、これは、なかなか。






日本からは、講談社。
 












デジタルの出版を引き受けますよ、という台湾のコーナー。
いえ、ぼくらがやります。BF9







デジタルの顔をつくるアプリ。
ぼくらの「tap*rap つくるへんしん」に似てる。
けど負けないよ。







欧州風の原画4点。
キレイだから見て。

 
















 










 











ついでに、幼児教育のメッカ、レッジョエミリアなど、いくつかの町を訪れました。 
 











 




パルマで、パルマハムとパルメザンチーズ。







ボローニャで、ボロネーゼ。
 











 
 





すみません、ほかに仕事もしてます。
これはボローニャのデジタルサイネージ。
町のエコ情報などを掲示。





ボローニャの人型サイネージ。
コイツが実働してるのを、初めて見ました。
 

京都の祇園に、めくるめく甘さの「ボロニヤ」というパン屋があります。
一時、新橋にも出店していました。
これまで、たくさん食べました。
ボローニャを訪れるに当たり、その本店があるかとチェックしてみたところ、京都のボロニヤはボローニャと関係はなく、ネーミングの元は、「ボロもうけしてニヤっと笑う」という意味だと知りました。
なぜか阿藤海さんの顔が思い浮かび、なんだかなぁ、と思いました。