■重慶という宿題。
宿題として残していた重慶。ようやく。
3200万人。世界一の人口を擁する、北京、天津、上海と並ぶ、省と同格の4直轄市の一つ。
まずは、大きい。
1938年、南京が陥落し、国民党が首都を移転して臨時政府を置く。
日本軍は無差別爆撃をかけた。この地と人を破壊した。
その町のことが気になっていた。
解放から80年、空気の高まりが気になる。
抗日作戦の堡塁跡地に置かれる解放碑、十八梯地区に遺す巨大な防空壕跡には、カップルや夏休みの家族連れが自撮り棒で記念を映し続けている。
「南京照相館」。
中国全国展開に先駆けて先行上映されていた。
解説「南京大虐殺の時代を舞台に、戦時中、写真館に避難した民間人たちが、日本軍による残虐行為を暴露する危険を冒す物語」。
身構えた。虐殺に対する国際非難を受け切腹する陸軍将校に向け、殺される中国人主人公が言い放つ「友達ではない」という台詞が辛い後味を残す。
映画として悪くないが、もう一つ話題の「731」と合わせ、これら民族史の再確認がどういう反応を引き起こすだろう。
映画館には若い女子3人がキャッキャいるだけであった。
どう受け止めたか、スクリーンよりも彼女たちの表情のほうが気になった。
ジリジリ、気だるいセミの声がまとわりつく。
ジリジリ、38度の湿った空気がまとわりつく。
不快指数は世界最高級だという。
路地の市には牛豚羊兎に川魚、得体の知れぬ肉のようなもの、臓物や頭が並ぶ。
獣、香辛料、得体の知れぬものの匂いから免れない。
男と女が至近で怒鳴り合っている。どうやら、普通の会話のようだ。
目も、鼻も、耳も、刺激を受け続ける。
現地のひとに日常の暮らしをご案内いただいた。
朝は羊肉麺、昼はカエルとナマズの鍋、晩は牛の胃と羊の腸の火鍋であった。
三食激辛であった。麻辣のラーよりマーが強く、舌と胃とケツがずっと痺れる。
晩飯はいつも火鍋だという。
道端には火鍋の調味料が積まれて売られ、ソフトクリーム売りは唐辛子を乗せている。
同じものばかり食うわけではないという。
みたことのない細長いブドウや丸太いバナナもいただく。
みたことのない虫やみたことのある虫もいただく。
多様性、といいたげだ。
だが男どもはみな同じ角刈りで、左手にスマホをいじり肘をつき、猫背前かがみで椀に口を寄せて、くちゃくちゃ食べる画一性を有する。
その食べ方がおいしいのだろうけれど、慣れるまで溶け込む自信がない。
現金は姿を消し、注文も支払いもスマホで完結し、ロボットとサイネージが活躍する先進都市としてはNYロンパリも凌ぐうらはらに、今よりも派手だった道頓堀や新世界を、ひとまわり賑やかにした町並みは、奇怪な場末というか、未開の大都会というか、ぼくの目にはコルカタやカトマンズの仲間に映る。
赤、黄、青、緑。くるくると面が変わる。
ビエン、ビエン、ビエ~ン。変、変、変~。
という大声の歌が、真面目な伝統なのか、笑かそうとしているのか、腑に落ちない。
器に茶を注ぐ芸、アクロバティックな男女の掛け合い、紐の奇術、あでやかな舞踊など、小劇場で十指ほどの出し物を楽しんだ。
やんや、やんや。
驚いたのはカーテンコールでの勢揃い。
全員で4人だった!
茶でも。と入ったカフェで切手を売っている。いや、どうやら郵便局がカフェを開いているようだ。国営カフェ?共産党珈琲店?日本郵政が茶店を出したらぼくは間違いなく通うが。脇には郵便火鍋なるものもある。脇の郵便局員に聞くとウチがやってるとニヤニヤするが、ほんとかよ。もっと中国語を勉強しないとホントのところがわからん。
いや、わかった。ここは異国である。異界である。
こうして、残り少ない宿題の一つをぼくは果たしたのです。