■ Buenos カプリ・シチリア物語
オコゼのようなアンコウのような。みたこともない魚がいる。1kg3ユーロで生きたかたつむりばかり売ってる店がある。カジキマグロの頭。小ザメ。どうやって喰うのかな。イカ、タコ、あさり、魚屋の呼び声はみな甲高いカラスのよう。ここのしきたりか。
シシリア島パレルモ。地中海の民。
六本木の角に「シシリア」という店があり、上京してから通いました。ナポリタンとミートソース以外のスパゲティが日本にもあると知ったころで、そういうのはどうやってフォークを使うんだろうか、イタリア映画を真似して試したりしていました。バブル時代の背伸びの一種。
その後あちこち出かけては観察しました。アメリカ人は右手フォーク左手スプーンだったりするがイギリス人はフォークとナイフで切っては左手フォークの背に乗せて喰う。フランス人は猫舌でちょっと巻いて冷まして喰う。イタリア人はフォーク右手でたくさん巻いて口に運ぶ。
シシリアのおっさんはどうでしょう。場末の食堂で漁師風の人たちを見ていたら、それがカッコいいんです。赤ワインを水で薄めてゴックゴック飲みながら、大量にフォークに巻き付けテニスボール状にしたものを、犬食いで頭を近づけ、大口でかじる。かじる。かじる。かじる。4口ぐらいで一皿たいらげた!
学生のころ大阪のおっさんが丼をどう食うか観察していたことがあります。羽振りのよさそうな紳士をみていると、天丼やカツ丼を、がっつ、がっつ、がっつ、がっつ、4口ぐらいで仕留め、「ごっつぉさん」と出て行く。それが商人のしきたりか。カッコえ〜!
パリ滞在時、オフィスの近くにあった「ベットラ」という名のシシリア料理屋に通いました。マッシモ・トロイージばりに痩せたおっさんがいつも店頭でスパゲティをぷっつん、ぷっつん、指で引きちぎってました。「アルデンテを指に覚えさせているんだ。」通りかかると日本語で「タコ、タコ」と呼びかける。「いつもタコを煮てるのだがフランス人は喰ってくれない。オマエはいつも喜んで喰うからいいやつだ。」とシシリアなまりのフランス語で繰り返していました。
パリを離れて数年後に戻ってみたら、店が変わっていました。
シシリアのおっさん、どこ行ったかな。
ほかにシシリアとの接点と言えば、小学生の時に見たフィルム・ノワール映画「シシリアン」。ジャン・ギャバンのような人が住んでると思っていました。社会人になってから見たタヴィアーニ兄弟「カオス・シチリア物語」。衝撃でした。トルナトーレの「ニューシネマ・パラダイス」と「シチリア、シチリア」(BAARIA)。どれも、影があります。
混沌とした島に、長いあいだ抱いていた憧憬。50歳になるまでこらえて、やっとそれを確認しに来たのです。
混沌は歴史の産物。ギリシャからローマ。ビザンチンやアラブにも支配され、ノルマン、フランス、スペインの支配を経て、イタリア王国へ統合されたのが150年前。イタリアに属するというのも、うたかたなのかもしれません。
宿のテレビをひねると、アルジャジーラやチュニジア、トルコ、アルジェリア、ギリシャ、ロシアなどのチャンネルが入ってくるのもごく自然。
ノルマン王宮にあるパラティーナ礼拝堂は、11世紀のビザンチン建築にイスラムのモザイクが乗り、14世紀のキリスト教美術が一面に描かれています。ぼくのようなよそ者には絢爛で見事な文化融合に見えます。しかし現地に取ってみれば征服につぐ征服の刻印なのでしょう。上書きを繰り返して遺されたものは、破壊と建設の歴史より重い混沌を表します。
マッシモ・トロイージが撮影直後に亡くなった「イル・ポスティーノ」は、同じく南イタリアの島ですが、カプリの映画でした。星空の音を録る貧しくもささやかな愉しみ。そしてゴダール「軽蔑」が描く燦々とした光、光、光。退屈な上流の世界。切り立った山と、海、海、海。
ここも混沌としているのです。
青の洞窟を眼下に見る崖に、「頑張れ日本、頑張れ東北」と日の丸が描かれた横断幕が唐突にありました。船頭一同より。海の民から、海の民へ。どうもありがとう。
霞ヶ関で働いていたころ、虎ノ門の一角にあった「カプリ」というスパゲティ屋に通いました。うどんスパゲティ。砂肝のソース!なんかがかかってて、卵焼きが乗っかってる。混沌!融合!いま思えば、カプリとは何の関係もなさそうだな。でも妙にスキでした。あのお店も、もうないらしい。
カプリのおっさん、どこ行ったかな。








