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2011年12月29日木曜日

カプリ・シチリア物語


Buenos カプリ・シチリア物語
オコゼのようなアンコウのような。みたこともない魚がいる。1kg3ユーロで生きたかたつむりばかり売ってる店がある。カジキマグロの頭。小ザメ。どうやって喰うのかな。イカ、タコ、あさり、魚屋の呼び声はみな甲高いカラスのよう。ここのしきたりか。
シシリア島パレルモ。地中海の民。

六本木の角に「シシリア」という店があり、上京してから通いました。ナポリタンとミートソース以外のスパゲティが日本にもあると知ったころで、そういうのはどうやってフォークを使うんだろうか、イタリア映画を真似して試したりしていました。バブル時代の背伸びの一種。
その後あちこち出かけては観察しました。アメリカ人は右手フォーク左手スプーンだったりするがイギリス人はフォークとナイフで切っては左手フォークの背に乗せて喰う。フランス人は猫舌でちょっと巻いて冷まして喰う。イタリア人はフォーク右手でたくさん巻いて口に運ぶ。
シシリアのおっさんはどうでしょう。場末の食堂で漁師風の人たちを見ていたら、それがカッコいいんです。赤ワインを水で薄めてゴックゴック飲みながら、大量にフォークに巻き付けテニスボール状にしたものを、犬食いで頭を近づけ、大口でかじる。かじる。かじる。かじる。4口ぐらいで一皿たいらげた!
学生のころ大阪のおっさんが丼をどう食うか観察していたことがあります。羽振りのよさそうな紳士をみていると、天丼やカツ丼を、がっつ、がっつ、がっつ、がっつ、4口ぐらいで仕留め、「ごっつぉさん」と出て行く。それが商人のしきたりか。カッコえ〜!

パリ滞在時、オフィスの近くにあった「ベットラ」という名のシシリア料理屋に通いました。マッシモ・トロイージばりに痩せたおっさんがいつも店頭でスパゲティをぷっつん、ぷっつん、指で引きちぎってました。「アルデンテを指に覚えさせているんだ。」通りかかると日本語で「タコ、タコ」と呼びかける。「いつもタコを煮てるのだがフランス人は喰ってくれない。オマエはいつも喜んで喰うからいいやつだ。」とシシリアなまりのフランス語で繰り返していました。
パリを離れて数年後に戻ってみたら、店が変わっていました。
シシリアのおっさん、どこ行ったかな。
ほかにシシリアとの接点と言えば、小学生の時に見たフィルム・ノワール映画「シシリアン」。ジャン・ギャバンのような人が住んでると思っていました。社会人になってから見たタヴィアーニ兄弟「カオス・シチリア物語」。衝撃でした。トルナトーレの「ニューシネマ・パラダイス」と「シチリア、シチリア」(BAARIA)。どれも、影があります。
混沌とした島に、長いあいだ抱いていた憧憬。50歳になるまでこらえて、やっとそれを確認しに来たのです。

混沌は歴史の産物。ギリシャからローマ。ビザンチンやアラブにも支配され、ノルマン、フランス、スペインの支配を経て、イタリア王国へ統合されたのが150年前。イタリアに属するというのも、うたかたなのかもしれません。
宿のテレビをひねると、アルジャジーラやチュニジア、トルコ、アルジェリア、ギリシャ、ロシアなどのチャンネルが入ってくるのもごく自然。
ノルマン王宮にあるパラティーナ礼拝堂は、11世紀のビザンチン建築にイスラムのモザイクが乗り、14世紀のキリスト教美術が一面に描かれています。ぼくのようなよそ者には絢爛で見事な文化融合に見えます。しかし現地に取ってみれば征服につぐ征服の刻印なのでしょう。上書きを繰り返して遺されたものは、破壊と建設の歴史より重い混沌を表します。

マッシモ・トロイージが撮影直後に亡くなった「イル・ポスティーノ」は、同じく南イタリアの島ですが、カプリの映画でした。星空の音を録る貧しくもささやかな愉しみ。そしてゴダール「軽蔑」が描く燦々とした光、光、光。退屈な上流の世界。切り立った山と、海、海、海。


ここも混沌としているのです。
青の洞窟を眼下に見る崖に、「頑張れ日本、頑張れ東北」と日の丸が描かれた横断幕が唐突にありました。船頭一同より。海の民から、海の民へ。どうもありがとう。
霞ヶ関で働いていたころ、虎ノ門の一角にあった「カプリ」というスパゲティ屋に通いました。うどんスパゲティ。砂肝のソース!なんかがかかってて、卵焼きが乗っかってる。混沌!融合!いま思えば、カプリとは何の関係もなさそうだな。でも妙にスキでした。あのお店も、もうないらしい。
カプリのおっさん、どこ行ったかな。

2011年12月26日月曜日

IT復興円卓会議ニコ生「ソーシャル」 -3/4


IT復興円卓会議ニコ生「ソーシャル」 -3/4

IT復興円卓会議「第4回:ソーシャル」、ミクシィ笠原健治さん、アジャイルメディア・ネットワーク徳力基彦さん、博報堂DYパートナーズ森永真弓さん、ニワンゴ杉本誠司さん、そして佐々木俊尚さん
菊池尚人さん中村伊知哉の続きです。

日本のソーシャル
(中村)海外では、ソーシャルメディアを起点として、革命やデモが起こっています。日本のソーシャルメディアはそのような社会活動の起点になるか?そこで再びアンケートです。

<アンケート>
皆さんがデモに参加するとしたら、どのテーマのデモに参加しますか?4択です。ではどうぞ。
  (選択肢:反原発 ・ 反格差社会 ・ フジテレビ韓流 ・ どれも参加しない)
—参加しない55% その他が15%強ずつ

(中村)日本ではソーシャルから社会活動というのはあまり感じられない。ゆるい使い方が主流なんですかね。

(森永)地域おこしのような使い方もある。ふと頭に思い浮かんだのはギャルママサーのコミュニティ。彼らは独自の生活を意地ながらも情報のやり取りをしている。暴力的、政治的というのが日本に出てこないからといって、日本社会の中にパワーを持ったソーシャルという活動がないかというと、そういう使用方法をされていないというわけではないと思う。

(菊池)社会を変える革命というのは、若者の多さに比例すると思う。高齢化社会と革命というのは反比例すると思っていたが、2ヶ月前に東電のデモを見た時に60〜70歳の集団を見て、リアリティを感じた。

(徳力)ソーシャルが社会を変えるかというより、若者が社会を変えようと思っているかではないか。若い人が多ければ、政治家も若者に振り向くし自分たちに社会を変えられる力があると思える。例としてはアメリカのオバマ政権を変えた若者とソーシャルメディア。残念ながら、日本の若者は企業、選挙、政治家などからターゲットにされていない。若者に期待していない構造のせいで、デモをしても何も出来ないと思ってしまいがちなのではないか。

(佐々木)ボリュームゾーンとして若者は決して少なくない。4070歳は総中流幻想の中で生きてきた一律の世代。同じような文化圏で生きてきた。今の若い人達は分断化が凄い。一律に今の若者を捉えられない。政治家もどう捉えて良いのかわかっていない。どう捉えていくかについては解決策も見えておらず受け皿がない。

(中村)ネットや携帯で繋がったスマートな若者が行動を起こすというスマートモブスという本があった。日本の若者は行動に起こすというところがギャルママサークル等に向いてしまうのだろうか。

(笠原)デモが起きるかどうかというのは社会情勢によると思うが、皆の力が結集してくるという事例でいうとあしあと反対の声がある。mixiの場合もあしあと反対コミュニティが25万人ある。会社前でデモをしようという話も過去にあり、決して力がないわけではない。基本SNSは拡散していきがちだが、mixiを変えたければミクシィ本社に行けば良い。Facebookを変えたければFacebook本社に行けば良い。現状では、政治・社会を変えたいとき、どこに行くべきか日本ではわからないのではないか。

これからのソーシャル
(森永)高齢者の話になるが、地域の高齢者にパソコン教室をやっている。普通のPC教室ではWordEXCELを押してるのだが、退職した高齢者にOfficeを教えても仕方がない。そのPC教室では、SNSを教えているそう。この教室では、そこでコミュニティを作って反映している。

(中村)ソーシャルサービスが国民全体に使われるようになるには何が必要か。

(杉本)情報のキュレーションをする人が増えたほうがよさそう。孫と話したい、でも話すために情報を入手しないといけない。話すためにリテラシーを高める。そのための前提条件としてキュレーターがテーマを教えてあげるという動きも必要である。

(笠原)mixiを高齢者に使ってもらう戦略としては、高齢者がしたくなることをmixiでもできるかどうかだと思う。孫とのコミュニケーション、近所づき合いのコミュニケーションとしての使いやすいアプリケーションやわかりやすいUIを考える必要がある。そこである程度、ユーザー数を取れれば普及していくだろう。

(中村)高齢者に限らず、50歳を超える世代はTVをよく見ている。TVmixiを合わせたサービスは何かできないか。

(笠原)どこまでわかりやすいインターフェイスを提供できるか、ユーザーに告知できるかだと思う。TV電話のようなコミュニケーション、写真共有サービスなどもあるかもしれない。

(徳力)TV番組との連動でWBSではFacebookとの連動がある。シニアが見ている番組でそういった取組をするのは有りだと思う。日本のソーシャルメディアはまだマスメディアとの連動が少なかった。今回のmixiページのように企業が使ってくれると盛り上がってくるのではないか。公衆の電波を使った宣伝をしてもらうことでもっと違ったユーザーにアプローチ出来ると思う。

(森永)技術的な繋がりはどんどん出来てくると思う。ソーシャルの狭い世界の中でだけ情報がキュレーションされているが、これが広まっていくことができればもっと情報の流通は上手くいくと思う。

(佐々木)TVとソーシャルメディアの流通はモデルとしては面白い。TVの仕事が水平分業してしまう。局としては本格的にやりたくないのではないか。いかにしてソーシャルメディアを使ってもらうかという議論はあまり意味がなく、繋がりのソーシャルメディアと情報のソーシャルメディアという話をした。今はまだ高齢者には繋がりのソーシャルメディアがなくても村社会の生き方がギリギリ世代的に残っている。一方で今の若者にはもうそれがない。そのためにソーシャルメディアがその穴を埋めている。どんどん村社会のような関係が薄れていくため、今後も繋がりのソーシャルメディアは使われるだろう。一方で情報のソーシャルメディアは無くても生きていける時代である。これは間違いなく格差社会への移行期である。しかし、あと10年ぐらいするとキュレーションは進化する。現在、自分が情報を得るためにキュレーターが必要であるが、この良質なキュレーターを探すのが非常に難しい。キュレーション・キュレーターをマッチングする技術がもっと進化するだろう。そこに至るまではソーシャルメディアの格差化が広がるだろう。

(中村)人の価値が高まる時代になってきたということか。

(佐々木)そう。Googleが検索を変えた。昔はPVが多いページが良いという時代もあったが。だんだんと良いページからリンクされているのが良いページという風になった。Twitterでも1万人相互フォローで人を増やしたユーザーより、質の高い千人をフォローしているユーザーの方がきっと良い情報をやりとりしている。そういったソーシャルメディアをどう使うかといった偏差値のようなものが判定できれば面白い。

2011年12月22日木曜日

太陽がいっぱい


Buenos 太陽がいっぱい

 まぶしくて目が開けられないのは、ルネ・クレマン「太陽がいっぱい」の舞台だからでしょうか。ナポリを見て死ね。人はそう言います。だからずっと来ませんでした。でも、もういいかな。そこで、来てみました。
 ズタ袋を背負って前傾で歩く人々。顔は黒いが目がギラギラと白い。だが北アフリカ、パキスタン、中東、みな出身地は違うようだ。旧市街、薄暗い路地では子どもたちがボールを蹴っている。両脇の壁を仰ぐと、大漁旗のように窓窓から洗濯物がはためく。それは貧しさではなく、そんなに布を持っているぞという豊かさの誇示ではないか。
 チャオ。チャオ。声をかけてくる商店主。佐久間のチャオ、長いこと食べてないな。で、人生で最もうまいピザを路地で食べた。3ユーロ。レモンチェッロは1ユーロ。丘に登って、はるか向こうにヴェスビオ火山がどしりと座り、たゆたう海面がギラギラと輝く、こちら側の丘には家並みが連なり、赤紫とオレンジの屋根にベージュの壁、緑の窓枠。アテネやリスボンのたたずまいに似るのは当然だが、ハノイやマラケシュに通じる気を感じた。
 ナポリに、来てみました。

 ここでサミットが開かれたのは94年7月。サミット開幕日に金日成主席が逝去し半島情勢の変動が予測され、ロシアが政治協議に正式参加することとなってソ連封じ込めというサミットの性格自体も変更を余儀なくされるという危機感のなか、村山総理は体調不良で倒れたりして、政治は大丈夫なのかい?という季節。今とホントそっくりです。
 94年と2010年が酷似していることは既に書きました。日米で政権交代があった後にメディア情勢が大きく動いた2つの年です。94年はアメリカの情報ハイウェー構想に日本もマルチメディア戦略で呼応していました。それがPC/インターネットとケータイの爆発的な普及につながるのですが、当時はネットと国家の距離感や国家間の政策ヘゲモニーといった綱引きが横たわっていて、今はないスリリングな緊張感が漂っていました。面白かった。

 サミットに少し先立って、チェコで開かれたインターネット世界大会に、スパイのぼくは本国の指示もないまま潜入。その場はアメリカvs EUの折衝の場となっていました。日本のプレゼンスがないまま話が進むことを警戒し、「民間主導・基盤整備・1兆ドル市場」とメモを書いて、EUの代表とおぼしき人を捕まえて、日本から来た、この日本政府のスタンスをプレゼンしてくれと頼みました。彼はセッションで発表してくれました。EUの代表の顔を見たときフランス人だと思ったのでたどたどしいフランス語で頼んだのが功を奏したのでしょう。英語だったら無視された気がします。そんな具合で当時ぼくはよく働いていました。それがよかったかどうかはわかりませんが。

 ナポリからサレルノに出て、アマルフィに向かいます。バスはすし詰め。若いイタリア兄ちゃんがぼくの顔をみるなり「ナカムラ!」と叫ぶ。え、知ってるのか?なぜだろう。と頭を巡らせていると、続いて、「ナカタ!」「スシ!」「トーシバ!」「ヒロシマ!」と来た。そうか、シュンスケのことか。シュンスケもナカタもセリエAで活躍してましたからね。
 今から10年前、モロッコの市場を歩いていると、シャッキシャン、シャッキシャン、と子どもたちから声がかかる。何だろうとよくよく聞いてみると、ジャッキーチェンのフランス語読みなのでした。あぁ、東洋人を初めて見かけたのね。20代の若者は、ナカタナカタと声をかけてきました。イタリアで活躍していた彼の映像がヨーロッパの衛星経由で北アフリカにも流れていたのです。
 この界隈は、ナルト、ワンピースよりも、ナカタ、ナカムラなのでしょう。すばらしいキラーコンテンツ。「ナガトモ!」と呼び止められるのはまだ先でしょうか?

 さて、もっと大事なことは、ナポリタンです。ジェノバでジェノベーゼを喰い、ボローニャでボロネーゼを喰ったぼくは、やはり本場ナポリでナポリタンを喰うべし。しかし、やはり見つかりません。甘いケチャップにウインナーとタマネギ。ナポリのかたがた、これはどこで喰えますか。

2011年12月19日月曜日

IT復興円卓会議ニコ生「ソーシャル」 -2/4


IT復興円卓会議ニコ生「ソーシャル」 -2/4

IT復興円卓会議「第4回:ソーシャル」、ミクシィ笠原健治さん、アジャイルメディア・ネットワーク徳力基彦さん、博報堂DYパートナーズ森永真弓さん、ニワンゴ杉本誠司さん、そして佐々木俊尚さん
菊池尚人さん中村伊知哉の続きです。

ソーシャルの作用
(森永)よく通信と放送の融合というが、インターネットはプライバシーを守る方に進むベクトルと拡散する方に進むベクトルを持っている。これは佐々木さんの仰った話と似ていて、日本のインターネットがどっちのベクトルに進むかということになるのではないか。またSNSはネット上に全てログが残っていてコミュニティの中で言いづらい情報や全ての情報をシェアしていたりするということで、昔の村のような状況になっている。一方でTwitterSNSと違って1対他の関係が持てて都会的である。蛸壺のような村で物凄い細かい情報共有はされているが、その真否が怪しいという狭い世界が沢山できている。こうした情報が通らない状態は日常時は問題ないが、震災のような非日常になると怪しい点もあった。

(笠原)TwitterSNSではないのかもしれない。ソーシャルには2つ価値があって、混ざっていると思っている。情報を拡散していく、セレンディピティ的な、Twitterのようなもの。あるいはFacebookmixiのようなよりクローズドな知っている人たちでコミュニケーションする場。そこが混ざっているので、分けて整理したほうがいいとは思っている。

(徳力)mixiとかFaccebookが始まった時の当初の機能はMLのようなもので、あまり新しいものではなかった。それが一個のIDで出来るようになったことで、便利にはなったとは思っていた。今までMailでやっていたものが便利になったものである。先ほどでの例でいうと人間社会なんて蛸壺のようなもので、同じようなものである。Twitterは一方通行なやり取りもできている。それが面白い。アメリカではTwitterは芸能人や政治家などがやるものというイメージが強い。

(佐々木)TwitterFacebookのフィードやTL型はセレンディピティも生まれやすく、情報流通には適している。ウォール型の場合は濃密な関係を求めたりすることで情報が蛸壺化しやすいし荒れやすい。2chのユーザーは40代技術者。収入は高い。

(杉本)2chみたいなものは日本の中でやってみたい人は多かった。ウォールのような蛸壺化は怖くて手を出しづらかったユーザーが、Twitterが流入したことで日本の多くのユーザーが流れた。一回蛸壺化したものをバラバラにするのは難しい。

(佐々木)企業が村社会化しているので、発言がしづらい。実名と匿名のどっちがいいのかというのは散々話しがあったが、一次情報には実名が求められるが、その一次情報に基づいた議論に対しては、実名制は特に必要ない。そういうことを考えると実名・匿名はどちらでも良いと思う。一方でペンネームのようなものは今までのペンネームでの発言が蓄積されていくので、その人を判断するアイデンティファイになる。その議論する人が東京のどこに住んでいるという話はどうでもよくて、何を言ってきたかということは知っておきたい。

(笠原)mixiはある程度名前をセーブしているので、本当に繋がりたい人と繋がれる。蛸壺化というとそうかもしれないが、Facebookとの差はそこにあると思う。蛸壺の中ではペンネームであろうと誰が誰かはわかっている状態である。

(佐々木)匿名だから空気を突破できるという点は確かにある。震災後のデマや震災問題に過激な発言をしている人は多い。震災後の動きを見ていると、実名・匿名の議論はガラポンになっている気がする。

質疑応答
Q—震災後にTwitterのアカウントは増えたとは思う。ただ、日常時は使わないというアカウントも増えていないか?

(徳力)無理に使わなくても良いと思う。やっぱりある程度、友達と一緒に動いていくものだと思う。一般の人はインターネット上で発信がしたいというわけではないと思う。自分にあっている使い方をすれば良い。まぁ、あえて使うというのであれば情報収集ツールと割り切るのが面白いのではないか。普段、見ることができない人たちの一日を終えることが出来る。

Q—震災のあとソーシャルサービスが、日本に役立つとか精神的に落ち着かせたかとかどうか?

(徳力)人によって全然違うだろう。この手の議論をして思うのは、人間社会だからそういうものではないか。皆が悪いことしようと思ったら、そういうふうになる。理想的にソーシャルメディアが広がることで人間社会において良い影響があるという風にも考えることも出来るし、性善説に立つか性悪説に立つかでそれぞれの見方があるのではないか。もちろん一人ひとりは努力する必要がある。

(森永)使うのは人であるということがある。日本国民は地震に対する知識が多いので、地震に対するデマのようなものは少なかった。一方で慣れていない放射能に対する不安感は多かった。どんなものであろうと使う人次第ではないかな。

(佐々木)問題の立て方が間違っているのではないか。TVや新聞というマスメディアは皆が同じものを見ている。それを読んでいる人々にどういう影響を与えたかということを一様に判断することは可能。一方でソーシャルメディアは人によって見ているものが全然違う。だから、誰がどういう情報を得ているかは人によって違い、それぞれにとってどういう影響があるかというのは異なる。つまり、これは情報の格差化が広がるということ。人によって流れてくる情報が良質なのか悪質なのか全然違う。同じ社会に生きてきても全く違う情報に接している。これが3.11後のソーシャルメディアが引き起こした最大の転換点ではないか。

Q—どんなときに震災にmixiを使ったのか?

(笠原)みんなが震災をどんなふうに感じているのか。社員がどうなっているのかという風に使っていた。

Q—ソーシャルメディアが災害時に使えるような対策があるか?(電源とサーバーが必要とか)

(笠原)サーバーの負荷分散等は考えている。都内にサーバーが集中しているので、分散させていくことを考えている。

2011年12月15日木曜日

魂のチネチッタ

Buenos 魂のチネチッタ 

 ローマとは何ですか。いい質問だ。

 フェリーニで言えば「甘い生活」ヴェネト通りの退廃であり、「フェリーニのローマ」が描く古代から今に至る高貴な猥雑であり、「魂のジュリエッタ」の描く混沌。「カサノバ」のヴェネチアとは厚みが違う。パゾリーニで言えば「アッカトーネ」「マンマ・ローマ」の苦悩であり、「テオレマ」のミラノの乾きとは違う。ヴィスコンティで言えば「家族の肖像」であり都会の代表「若者のすべて」ミラノとは違う。ローマにはローマの顔があり、去勢された「ローマの休日」をローマなどと考えてはいけない。

 日本、フランスと並ぶ三大映画文化を誇るイタリア。ヴェネチア映画祭は1932年にスタートしていて、1946年のカンヌより歴史が厚いのです。そして、ムッソリーニが国策としてローマに建設したスタジオや学校を含む映画都市が「チネチッタ」です。ここからロッセリーニ、フェリーニ、アントニオーニ、ヴィスコンティなどが産まれて行きました。デ・シーカ、セルジオ・レオーネ、タヴィアーニ兄弟、ベルトリッチ、ジュセッペ・トルナトーレ、ナンニ・モレッティ、ため息の出る創造ライン、そのエンジンです。
 しかし、イタリアも他国と同様、ハリウッドの嵐に飲み込まれ、興行面では苦労してきました。三国同盟の仲間ドイツほど戦後打撃を受けたというわけではないのですがね。ドイツ映画はナチス国策色が強すぎたという特殊事情がありますし。——なお、ファシストを追放して連合側についてから終戦を迎えたため、自分たちを戦勝国だと信じ切ってるイタリア人が多いのには驚きます。国がガタガタしても幸せでいられる技法には学ぶところ多し。

 チネチッタ。90年代前半、パリ滞在中、何度か訪問を申込みました。でもかないませんでした。ダメだダメだと。何やら相当な機密があるに違いない。
 あちこち書いたことですが ---- 当時、ガットウルグアイラウンド最終局面で、映画を巡り米欧の対立がありました。映画を産業とみて市場開放を迫るアメリカ・クリントン政権に対し、映画は文化だとしてハリウッドの進出を食い止めようとするヨーロッパの代表はフランス・ミッテラン政権。イタリアもドイツもフランスに同調しつつ、敗戦国としては民族文化を前面に出しにくく、フランスの背後でそーだそーだ状態だったのですが、その狭間で態度を決めることができない日本からパリに派遣されていたぼくは、ヨーロッパのコンテンツ政策に肉薄したいため、あの手この手でウロウロしていたのです。文化省などフランスの関係者には飲ませたり喰わせたりしてある程度動きは聞き出すことができていましたが(同じ仕事をしていたアメリカの駐在員は95年になってスパイ罪で国外退去処分になり、そこで初めてぼくは自分がスパイであることを知った!)、イタリアはとんとムリ。通信政策にしろ郵便局民営化にしろ、イタリアという国は調査しようとしても上から下まで言うことがテキトーで要領を得ず、決まったことがスグひっくり返り、とにかくぬるぬるとつかまえようのない先進国でありました。あーあ、でもチネチッタには行きたかったなぁ。

 そのチネチッタが突然、2011年の夏から秋にかけて公開されるという報に接しました。ホントかよ?疑わしいなぁ。でもこの機会を逃すと死ぬまでに入れるかどうかわからない。と思い、かけつけました。
 なんのことはない、「入れ入れ」入ることができました。「ゆっくり遊んで行ってね〜」だって。なんじゃいな。
 しかし改めて感激。ここで「甘い生活」も「8 1/2」も「アマルコルド」も撮られたのですね!とセットを見て回りました。おお、「カサノバ」の金星人のセットがある! ところで8 1/2は今の若者はハチトニブンノイチなどと発音するのでしょうか可哀想に。ハッカ1/2と呼ばなければグイドもサラギーナも憮然とするぞ。
 チネチッタには博物館があり(思い切り公開してるがな)、その床は投影型のサイネージ。さすが洒落ております。長年の宿題を一つ果たしたなぁ。

補足


 チネチッタにたどり着くのは結構たいへんだったんです。チネチッタのバス停に降りてから、場所がなかなかわかんなくて、4人の人に聞いたんですが、やっぱみんな言うことがいいかげんでアッチ行ったりコッチ行ったり。しかもですね、スペイン広場から地下鉄で一本のはずが、ストか何かですかね急にテルミニ駅で降ろされて、乗客は「またかよ」てな風情で誰も文句を言うことなくトボトボとバスに乗り換え、ぼくもついて行って何とかなりました。まぁおかげで地下鉄と駅とバスのサイネージを観察できましたが。   ローマやのう。

2011年12月12日月曜日

IT復興円卓会議ニコ生「ソーシャル」 -1/4


IT復興円卓会議ニコ生「ソーシャル」 -1/4
IT復興円卓会議「第4回:ソーシャル」。
 笠原健治さん(株式会社ミクシィ 代表取締役社長)
 徳力基彦さん(アジャイルメディア・ネットワーク 代表取締役)
 森永真弓さん(博報堂DYパートナーズ メディア環境研究所上席研究員)
 杉本誠司さん(株式会社ニワンゴ 代表取締役社長)
 佐々木俊尚さん(ジャーナリスト)
 そして菊池尚人さんとぼくがモデレータです。
KMD永田晃さんのログに基づいて4回メモします。

はじめに
(中村)前回のテーマは「通信・インフラ」でした。レギュラー陣に加え、「インターネットの父」村井純さん、「iモードの生みの親」夏野剛さん、ソフトバンク社長室室長の嶋聡さん、NTT東日本福島支店長の澁谷さんをゲストにお招きして、被災地の復旧と次世代ネットワークのあり方について議論しました。
 前回は、村井さんから「復興の鍵は『北極』だ」と、ものすごい大きな話がでてビックリしました。温暖化で北極に光ファイバーを通せるようになった、これを日本がやらなきゃいけないという話でした。嶋さんからは「電力と通信の融合が復興のキーワード」という提言をいただきました。澁谷さんからは「現場の技術者の力」の大切さのお話がありました。今後5年間で4割の現場技術者が退職するという状況をどう乗り越えるかと問題提起がありました。夏野さんからは、「都市再興に向けて予算のITへの徹底傾斜配分」という提言をいただきました。夏野さんは「Wi-Fiを無料開放しなさい」とも言っていました。

(菊池)北極にファイバーを通さないと駄目だという話は衝撃だった。また澁谷さんの現場力という話も濃かった。

イントロダクション
(中村)それでは、第4回目の今日は、「ソーシャル」をテーマに議論を行います。震災のとき、皆さんもネットを通じて情報を得たと思いますが、ここに、総務省が出した今年の情報通信白書があります。私が編纂委員長を務め、佐々木さんにも委員になっていただいているのですが、今年の白書ではソーシャルメディアが大きく取り上げられています。震災時のソーシャルについてどう書いてあるのか菊池さんより紹介を願います。

(菊池)今回の震災ではマスメディア、国、地方自治体、個人、団体など多くの機関/個人がSNSを通じて情報発信した。反面、誤った情報が一部に広まった。ソーシャルメディアを使いこなせるというリテラシーの課題が必要だともされている。

(中村)一方、海外では、チェニジアやエジプトなど、ソーシャルメディアを起点にした社会革命が起こっていますし、アメリカでは反格差社会の抗議活動もソーシャルが大きな役割を果たしています。この流れも踏まえながら、今日は日本のソーシャルメディアについて議論したいと思います。

震災時のソーシャル
(中村)「さて、番組内で皆様から何回かアンケートをとって行きたいと思います。まず最初に、皆さんがよく使っているソーシャルサービスは何かお聞きいたします。ニコ生は皆さん使っていると思いますので、それは外して、twitter mixi facebook mobage/GREE(ケータイ系ということです)の4択でお願いします。

<アンケート> 「皆さんがよく使うソーシャルサービスは何ですか?(ニコ生除く)」
twitterが一番、mixiFacebookmobage/GREEと続く

ソーシャルの作用
(中村)震災時に活用されたソーシャルメディアとしてTwitterはよく取り上げられているが、他のソーシャルメディアでは何が起こっていたのか伺ってまいりましょう。

(笠原)mixiについては、震災当日はボイスのアクセスが8倍。翌日以降日記やボイスの数は普段の2,3倍になっていた。友人・知人等の安否確認、コミュニケーションの場になっていた。精神的な安心感を与えていたのではないか。避難所のコミュニティもあり名簿を載せてあったり、炊き出し情報などの実利的な使用もされていた。5月以降も高い状況は続いている。増えたトラフィックはある程度残りコミュニケーションツールとして定着していった。

(徳力)twitterが印象に残る。Facebook,mixiはなかなか外に見えてこない。震災の安否確認に会社ぐるみでFacebookを導入したところもあるようだ。やはり震災となると、実際の家族や友人との繋がりがあるサービスじゃないと意味が無い。Twittermixiのどっちに知り合いが多いかというところじゃないか。誰かと話をしないと気が滅入るというような方はmixifacebbokのように双方向なものが良いと思う。一方でTwitterは拡散性が高く、フォローワーが多い人は情報を拡散するのが当たり前というのがなかなか特徴的だった。デマやチェーンメールのようなものもあったが、情報を広げてくれという雰囲気を感じた。メディアの人が言うソーシャルネットワーク的な使い方はTwitterが多いのではないか。

(森永)私は匿名制というのもなかなか、意味があると思っていた。近所の母親同士コミュニティなどをみるとデマがどうだこうだという指摘をし辛い環境にあった。一方で匿名の2ch等はしっかりとした情報の叩き合いがあった。お互いに実名だと言いづらいという空気もあって、匿名性というものに対しては見直している。

(杉本)震災時はWebサービスが役に立ったという話は多い。震災に関連する動画というとTV等の公式なものではなく、自分で撮った動画などは1万件ある。それに対して視聴数を見ると多いものは数万〜数十万のものがある。ソーシャル的な要素がニコ動的にあるのであれば、NHKを見てコメントするというより震災のテーマに合わせた動画単位でコミュニケーションをしていた。TV放送が配信されたというのも象徴的であったが、あらゆるセグメント別に色々な動画でコミュニケーションされていたということのほうがソーシャルの要素をしっかりと掴んでいたのではないか。

(佐々木)そもそもソーシャルメディアの定義が明確になっていない。杉本さんが皆でNHKを見ることがソーシャルか?という話を出した。また自分の友だちの安否確認をmixiでしていたという話があった。クローズドな人間関係の中でインターネットの役割は2つあり、クローズドな世界で強い関係を持つということと弱い人間関係で情報を得るというものだ。日本で言うとmixitwitterがそれぞれを代表するものになる。日本で言うとやはり人間関係の繋がりを強めるものとしてのサービスが大きかった。(mixi,昔のGREEmobage)一方で情報流通のためのソーシャルメディアは少なかったが、震災を基にTwitterが情報流通の強さを特徴としてきた。Facebookmixiも近年、情報流通のために企業ページなどを作ろうとしている。クローズドな世界で強い関係を作るSNSは情報が狭い。一方でたくさんの情報が流れるTwitterはそこまで強い友愛性がない。(ストロングタイズとウィークタイズの比較)クローズドな方が自分の存在意義を確認できることは間違いない。

2011年12月8日木曜日

尊敬するひと「チャンバラトリオ」


Buenos 尊敬するひと「チャンバラトリオ」

「女子高生に“尊敬するひと”って聞いたら、櫻井翔くんと答えられて困ったよ」と同僚が話していました。翔くんの父親はぼくの役人時代の先輩で、同じ官舎の上に住んでいました。幼稚園のころ、いつも礼儀正しく挨拶する彼に、もうすぐ小学校だねと話しかけたら、「慶應に行くんです」と答えたので、さすが幼稚舎、しっかり選んでるなと思った記憶があります。まさかうんと後になってぼくも慶應の門をくぐるとは思いませんでした。だから翔くん尊敬してていいじゃないですか。
 「いや男子高生に聞くと、AKBのメンバーを挙げたりするだよ」といいます。ははぁ、なるほど、昔タイプの尊敬するひと像が失われて、アイドルを尊敬するひとリストのトップに上げてしまう彼らの視野の狭さに困惑しておられるのですな。確かにそれは危ういことかもしれない。彼らの問題というより、尊敬するひと像を提供できていない大人社会の問題でありましょう。現在の総理大臣から何代も遡って、尊敬するひとリストにランクインしそうな方がいますでしょうか。
 
 じゃぼくはどうだろう。子どものころには西郷さんなんて言ったりしてましたが、真剣だったわけではありません。今のほうがうんと西郷どんを尊敬していますが。あとは?強いてガチで挙げるなら、郵政省官房長のまま1999年に亡くなった高田昭義さん(追悼文をhttp://www.ichiya.org/jpn/column/newmedia/12.html に掲載しています)、2001年に亡くなった大川功セガ会長(追悼文をhttp://www.ichiya.org/jpn/ASCII24/okawa.PDF に掲載)、MITニコラス・ネグロポンテ教授、・・・と思いを巡らせていたら、ふと思い出しました。
 週刊アスキーの創刊ゼロ号で「憧れるのはチャンバラトリオ」というぼくのインタビューが掲載されていたことを。
 確かにそう答えました。
 チャンバラトリオ。吉本興業所属の芸人です。今はもうメンバーの形が変わっていますが、ぼくが指す全盛期のチャントリは、カシラ:故・南方英二、リーダー:山根伸介、結城哲也、伊吹太郎の4名。4人でトリオというところからもう ひざカックンのカッコよさ。カシラとリーダーがいるガバナンス不明もステキ。

 ぼくがあこがれたのは「自在性」です。
 まず、伝統と破壊。チャントリは、彼らの出身母体である東映時代劇の「型」がキッチリしたチャンバラが基本の芸。舞台での立ち回りだけで拍手がわく力量を持っています。それをグダグダのコントで一気にバラす。伝統芸を壊して自由形で表現する。つまり、正統パンクなのです。
 同時に、構成やセリフのしっかりした「芝居」を「即興」のボケやツッコミで崩しても行きます。険しい表情と所作で時代劇を展開しているところに、急にカシラがカン高い叫び声をあげ、しゃーないしゃーないとみんなで芝居を降りてハリセンを始める、毎度お約束のパターンも、故・桂枝雀師匠の「緊張と緩和」をチャントリにしかできない落差で崩すというモデル。(そういえば昨晩、大阪の飲み屋で枝雀師匠のご子息にお目にかかりました。)
 4人のキャラがどっしりとそびえているのは当然なれどそれぞれがボケ+ツッコミを併せ持つ実力。カシラはヤクザの親分が似合う強面だが女の子のような奇声でボケをかます。リーダーは殺陣の中心だが、直線的に力みすぎるのが芸の域に達し、イジられてボケと化す。哲っちゃんはいつも気合いが入らずどこか他人事で脱力ダンスの太っちょボケなのだが役回りはツッコミ。伊吹さんはツッコミなのに舞台の最後はハリセンを受ける役という鉄板ボケギャグを持つ。
 そしてチャントリがすごいのは、個々人の力量があるため、それぞれピンでも舞台を回せるうえ、各モジュールが自在にユニットを組める点。4人で殺陣をすることもあれば、ABCABDACDBCDの組み合わせでトリオのコントも、AB/AC/AD/BC/BD/CDで漫才を行うこともできるのです。自在です。バンドでもビジネスでも、こういうユニットが組めれば最高でしょう。

 カルテットでは、玉川カルテットや先代のおやじさんがいた横山ホットブラザーズの例がありますが、楽器が介在する音楽モノという性格が成立させているのであって、チャントリのようなスタイルはちょっとお目にかかりません。
 その真骨頂を世界に伝えたのが北野武「ソナチネ」。ぼくは90年代前半、パリで観ました。カシラが演じる無言の殺し屋は、アジアの男がカッコいいことをフラットに示してくれたのです。ぼくはシャンゼリゼの映画館でカッコいーっ!と叫びました。
 もっとスゴいのがビートたけし「みんな〜やってるか!」です。監督はコレを失敗作と断じているようですがぼくは大好き。チャンバラトリオの面々をこの上なくうまく使ってくれているから。特に哲ちゃんが親分の頭にリンゴを乗せて二つ切りにするワザを「これを名付けて、赤いリンゴがまっぷたつ〜」と称するシーンなど、だれも映画では突っ込まないから、客席から「まんまやんけ!」と突っ込んだのは関西人の礼儀というものであります。

2011年12月5日月曜日

KMDフォーラム2011

■KMDフォーラム2011

9月22日(木)の午後、「KMDフォーラム」を開催しました。
開校4年目の慶應義塾大学メディアデザイン研究科=KMDがその成果を世に問うイ
ベント。
会場は話題の六本木「ニコファーレ」。
ドワンゴ様にご協力をいただいて、360℃サイネージ空間でのニコ生放送という挑戦。
そもそもKMDは、
・メディアイノベーターをデザイン、テクノロジー、マネジメント、ポリシーの4つの力で育てる
・国際性を追求する
・産学連携:リアルプロジェクトを軸に進める
という3つの挑戦を進めており、その情報を発信するには今いちばん尖った場所だと思いまして。

プログラムは4つ。
1 KMDアップデート(プロジェクト報告)
2 プレス発表
3 パネル討論「どうする?ニッポンの大学」
4 プレゼン合戦「未来デパート」

パネル討論は、ぼくがコーディネイターで、孫泰蔵さん、夏野剛さん、茂木健一郎さんを迎え、KMDからも稲蔭・石倉両教授に登壇いただきました。MITメディアラボの伊藤穣一所長も動画で参加。この模様は別途報告します。

プレス発表では、KMDからのニュースとして9件を発信。
まず稲見教授×トヨタの共同研究案件。
それからKMDとmixiの共同開発案件。ぼくはmixiの社外取締役でもあるので、学の立場と産の立場の双方で接点があります。
そして、ぼくから7件を発表しました。
1) スマートテレビ研究会、ニコ生Ust中継

    スマートテレビ研究会が10月、ネット中継で問題提起をしていく。
2) ITUデジタルサイネージワークショップの開催

    12月13〜14日、国連機関ITU(国際電気通信連合)、総務省とデジタルサイネージコンソーシアムが途上国・新興国の主管庁や通信事業者、米欧の標準化団体関係者などを集めた国際会議を開催。
3) 地理メディア開発プロジェクト開始

    パスコ社との共同研究。地理空間情報(GIS)を活用して新しいメディアのサービスやビジネスを開拓するプロジェクトを開始。
4) 街中こどもテレビプロジェクト5000面突破
子どもたちがデジタルサイネージ向けコンテンツを制作する「街中こどもテレビプロジェクト」の上映ディスプレイが全国5,000面を突破。
5) ワークショップコレクション×デジタルえほんアワード
CANVASとデジタルえほん社が共同で進めている「デジタルえほんアワード」の表彰式を2月のワークショップコレクションで開催。審査員:MITメディアラボの伊藤穰一所長、角川グループ角川歴彦氏、精神科医の香山リカ氏、国立小児病院名誉院長小林登氏、デジタルハリウッド杉山知之学長、ゲームクリエイター水口哲也氏、脳科学者茂木健一郎氏、絵本作家のいしかわこうじ氏。
6) J-Pop番組、NOLIFEでのオンエア決定
KMD学生が音楽製作者連盟に協力し制作したJ-Pop番組をフランスのテレビチャンネル「NOLIFE」が合計48回オンエアすることが決定。
7) 電通との「未来デパート」
電通のコンセプト・プラットフォーム「未来デパート」にKMDも参加して、共同研究。

産学連携のリアルプロジェクトを柱に据える大学院として、こうしたニュースが数多く産み出されることを示す試みでした。

で、最後の「未来デパート」のプレ活動として、プレゼン合戦を行いました。新テクノロジーで夢と感動を創造する新しい商空間プロジェクト「未来デパート」。KMD リアルプロジェクト5 組がプレゼンテーションを行い、ゲストに叩いてもらいます。ゲストはチーム★ラボ猪子寿之さん、ライゾマティクス齋藤精一さん、食のなでしこ生井みずきさん、そしてKMD稲見昌彦さん。

ぼくのチームも「デジタル寺子屋」を提案しました。

デパートの子どもフロアを学びの場にする。江戸時代の寺子屋のように、異なる年齢の子どもたちが個別に教え合い学び合う場をデジタルで復活させる。
デパート空間に360度のサイネージを整備。日本が世界をリードするサイネージ技術を投入。教材やツールを開発。デジタル教科書で開発中のノウハウを全面的に投入。創作ワークショップを開発。実際に商業施設で実施している創作WSを導入。
年間コスト1億円。一人当たりコスト5000円。NT○グループ、パ○ソニック、ベネ○セ、マイクロソ○トをスポンサーにして共同経営。
というもの。どうだったかな。

KMDによるこの情報発信の試み、
ニコ生来場者数:76191人、コメント数:50623でした。
予想の倍以上だったので、ホッ。

2011年12月1日木曜日

NHKらくらく塾


■YouGo    NHKらくらく塾
 
中高年のためのらくらく「パソコン塾」と「デジタル塾」。
今年出演したNHK 教育chEテレのシリーズです。
このところ毎年、トピックとなるお仕事を1本ずつしています。06年(今も)NHKクールジャパン、07年スーパーモーニング、08年 太田総理秘書田中、09NHK私の一冊、10年 日本のいちばん長い夏、そして今年はコレです。
「パソコン塾」は今年の1〜3月、12回シリーズでした。パソコンに音楽を取り込んだり、写真を取り込んだり、それらを組み合わせてスライドショーを作ったりできるようにしていく。
お相手は柴田理恵さんと阿藤快さん。
どちらも全くのPC/ネット初心者。ですが、とても前のめりに使い込んで行きます。柴田さんは愛犬・春太郎くんの写真を自宅でも整理したり、壁一面のCDPCに取り込んだりしていたそうです。阿藤さんは精悍な学生時代の写真や悪役の頃の恐ろしいフォトをサクサクとアレンジして表示するまでになりました。
ぼくはピンクレディーのウォンテッドを歌わされたり、昔のパンクバンド時代の映像を持ち出されたり、アレやコレやイジられ、ヘンテコなイメージがついたかもしれませんが、スタジオは画面以上に爆笑の連続でした。
阿藤さんがシャンソン好きという話になり、「一節うなってよ」「セ・シ・ボン」「そういや世志凡太っていたよね」「いやまだおられますよ」「プロダクションの社長じゃん」「そういや浅香先生に会ったときさぁ・・」ここで浅香先生というのは世志凡太さんの奥様である浅香光代さんのコトですが、そんなのおかまいなしにゲタゲタ話をする3人をカメラ回して撮ってる。番組としてはじぇんじぇん使えません。NHKも大変ですな。

そして今年の6月~7月は「デジタル塾」。8回の新シリーズでした。
今回はパソコンじゃなく、1.地デジ、2.スマホ、3.タブレットの3デジタル機器。攻めるNHK
お相手は、奈美悦子さんと渡辺正行さん。どちらも絵が得意で。奈美さんは犬を鉛筆でプロ級に描きます。ナベさんは絵本も出版しているぐらいです。アナログ表現ならお任せの2人がスマホやタブレットを持つとどうか?
実はそれが今回はそう簡単ではなかったのです。
いろんなアプリを試しましてね。地図、レシピ、ゲーム。お絵かき、楽器。そしてTwittermixi。それだけでも大変。
しかもNHKなので、iPhoneAndroidを通信キャリアも分けて使います。機種によってインタフェースも違うし、「私の端末にそのアプリないよ?」「ぼくのはどこにあるの?」現象も起きます。統一的な説明がしにくい。
パソコン編はネットは有線でしたが、今回は全て無線。3Gだったりwifiだったり。場所や環境によって無線状況が不安定になることも。
つまり、パソコンという15年ほど練り込んだ機械ではなく、この1−2年で広がってきた発展途上のマシンにチャレンジした難しさ、ということです。
でもその現場の難しさを画面上は陽気なノリに編集してみせたテレビのプロの腕はさすが。
この番組のおかげで、高齢者のかたがたから「パソコン先生」と声をかけられることが増えました。ぼくは子どもにデジタル環境を届けるのが本業なのですが、ま、今年のトピックということで。