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2010年8月31日火曜日

インタラクティブサイネージ

■Net インタラクティブサイネージ

 デジタルサイネージで進化するのは技術だけではありません。
 新しい表現手法もどんどん取り入れられます。
 特に、インタラクティブの取り組みはたくさん事例があります。

 東京ジョイポリスの床には3m四方の映像が投影されています。
 カエルやオタマジャクシが泳いでいる。
 子どもたちが容赦なく踏みつける。
 カエルは泡になってしまう。
 オタマジャクシは赤いカエルに変身して逃げていく。
 プロジェクターで床に映像を投影し、上からのセンサーに反応して画像が変化しる仕組みです。

 銀座の「資生堂」本社ビルにあるシステムでは、テーブルに触れたり、引き出しを開けたりすると、資生堂のもつ豊かな映像アーカイブ作品が映し出されます。
 人が近付くと、スクリーンセーバーのような模様を映し出していた天面の映像が変わります。
 CMデータベースには3000本のコンテンツがあり、ネットワークで配信。
 デジタルとアナログ、バーチャルとリアルとを美しく組み合わせた文化発信システムです。

 NTTアイティは、映像を手のひらに表示する「tenoripop(てのりぽっぷ)」を開発。
 天井部に取り付けたカメラが肌色の部分を抽出して手のひらを特定します。
 手のひらディスプレイです。
 手のひらを移動させると映像も合わせて移動します。
 映像を投影した複数の手のひらを合わせると、別の映像を表示する機能も持っていて、利用客側で映像を操作することもできます。

 プロビジョン・インタラクティブ・テクノロジーズ社は、触って操作できるホログラムを開発しています。
 空中に立体表示された映像に触れると、関連カタログなどがプリントアウトされるというものです。
 なかなかやります。

2010年8月30日月曜日

「デジタル教育は日本を滅ぼす」のか?



■Kids 「デジタル教育は日本を滅ぼす」のか?
 田原総一朗さんが「デジタル教育は日本を滅ぼす」という刺激的な書物を20108月26日に刊行しました。タイトルからして、われわれの進めるデジタル教科書の推進構想とは真っ向から対立します。田原さんは尊敬するジャーナリストであり、私は映画「日本のいちばん長い夏」に共演したこともある間柄なので、参考になるに違いないと思い、急いで読んでみました。
 ところが、問題意識は正しいのに、結論が正しくない方向に進んでいます。田原さんの教育論には賛同します。教育改革が必要とする考えにも同意します。ところが、なぜデジタル化はダメとする結論になるのかがよくわかりません。というより、田原さんの教育論を推し進めるならデジタル技術が役に立つはずで、だからタイトルと内容が逆転し、「デジタル教育が日本を救う」という内容にしか読めないのです。
 それは、今の教育はダメだ、改革しなければならない、という考えに立っているのに、そこにデジタル技術を導入すると「画一的で、正解だけを求め、先生を排除し、生徒一人ひとりを孤立させる」という観念に縛られているから。「デジタル教科書=ドリル」と「情報端末=電卓」で自習、というイメージで全編が描かれているからです。
 デジタル教科書や情報端末はこういう世界とは異なります。コンピュータは電子計算機であると同時に、映像・音楽の創作・表現ツール。コンピュータは世界中とつながるコミュニケーションツール。教育情報化は、これまでできなかった自己表現や創作を可能にして、先生や生徒が常時つながる中で、新しい教科書や教材で学ぶというもの。
 田原さんはネットの使い手であり、ツイッターでも盛んに発言していますが、そこは多様な価値観が行き交う開かれた世界であって、田原さんが批判する「自己完結で正解を追求する」世界でないはずです。
 熱心な学校の先生たちは教育の情報化にとても力を入れているし、デジタル教育を受けた子どもたちもこれを支持しています。情報化が先生を排するのとは逆に、熱心な先生であるほど情報化に真剣に取り組んでいるはずなのです。
 そして世界各国で研究に研究が重ねられ、韓国、シンガポール、アメリカ、イギリスなどが国を挙げて取り組んでいます。田原さんの言うような教育改悪であるなら、世界的な趨勢になるわけがないと思うのです。
 他にも教育の情報化やデジタル教科書に対するこのような批判を耳にすることがあります。だが、どうやらその多くは、情報化やデジタル化を誤解しているか、コンピュータやインターネットを使っていないか、先生や子どもたちの現場の声を聞いていないか、世界で何か起きているか関心がないか、あるいはその全てです。
 教育の情報化やデジタル教科書のメリットや現状・動向は、このブログなり現在執筆中の書物なりでおいおい解説していきますが、その前に、「デジタル」なるものに対する漠然とした怖れ、情緒的な忌避感、新しい異物に対する嫌悪感は和らげておきたいです。これからの子どもたちにとって何が必要かを論じ対策を講じるのに、情緒や先入観は害となります。


 そこでひとまず、田原さんが指摘している点について回答しておきます。ほぼ全面的に、田原さんの現在の教育に対する問題意識には同意、ですが、デジタル批判のところは危険な断定ではないか?ということです。
 まず帯。「デジタル教科書時代に、教師は必要か?学校は必要か?」必要。「正解と間違いを教えることが学校教育ではない!」そのとおり。デジタル教科書はそのために設計されようとしています。
 デジタル教科書+情報端末は、1.自ら作って表現する創造力・表現力を養う、2.教室でも校庭でも先生・生徒とつながって共有する、3.世界とつながり多様な知識と価値観を得る、というメリットを追求するもの。つまり、創造・共有・効率。楽しく、つながって、べんり。田原さんはこのうち効率のところを問題視し、下記のように批判します。
 「教育は利便性の追求だけでよいのでしょうか」(p6)。「中学や高校の教育がつまらない。ようするに「正解」と「間違い」を指摘することしかしなくなったからだ」(p49)。
  正しい。教育は利便性の追求だけではいけない。自己完結し、教師も学校もいらなくってはいけない。正解と間違いを指摘することしかしなくなってはいけない。だから改革が必要であり、その手段として、道具としてデジタル教科書や情報端末を使えばどうか、というのがわれわれの提案です。
 デジタル教科書は効率化も進めるが、それより「創造力」「コミュニケーション力」をつけるためのものだから。多様な考え方や世界中の価値観に触れるためのものだから。そしてそれは先生が学校で使う。先生と生徒の間に立つ、教科書でありデジタル黒板でありデジタルノートなのです。
 「数学を教えると言うことは、数学を学ぶ楽しさを教え、それを体感させることなのである」(p49)。「日本の子どもは学力も学習意欲も、落ちていた」(p131)。そのとおり。そして、だからデジタルが役立つと申し上げたい。学力を上げ、楽しんで学習し、学習意欲を高める手段としてデジタル技術を使えばよい。デジタル技術が否定される要素が見あたりません。
 どうやら田原さんら反対者は、「紙+黒板+先生」が「情報端末+デジタル教科書」に置き換わると言いたいようです。そうではない。「紙+黒板+先生+情報端末+デジタル教科書」になるということです。将来、紙や黒板の一部がデジタル機器に置き換わっていくかもしれない。だがそれは、学校現場での実績や検証を経てのことになるでしょう。


 だからこそ、現場の先生たちと、ともに考え、ともに新しい教育を作り上げていくことが大切。そういう意味では、デジタル技術うんぬんの前に、学校をどうする、教室をどうする、先生をどうする、教科書の中味をどうする、といった「アナログ」の問題が大事になります。 
 田原さんの本では、デジタル教育はいけないとする一方、見習うべきモデル先生として藤原和博東京学芸大学客員教授を持ち上げています。そしてもう一人、陰山英男立命館大学教授さんを持ち上げています。しかし、その両名は「デジタル教科書教材協議会」の副会長として、教育の情報化を推進しているツートップ。そういうかたがたの教育が正しいというなら、是非そういうかたがたの話をしっかり聞いていただきたい。といいますか、そういうかたがたと教育の改革を一緒にやっていきましょうよ。
 「正解のある問題の解き方ばかりを教え、正解以外の答えに対してまったく価値を認めないために、コミュニケーション能力が育まれず、創造力や創造力が封じ込められてしまっている」(p189なるほどそれがこれまでのアナログ教育で行われてきたという批判は理解できます。しかしデジタル教育を指して「自己完結のかたちで正解が追求できるので、コミュニケーション能力や想像力、創造力は育たない」(p190)。そのようなデジタル教育が設計されているわけではありません。そして、だからこそ、多様な価値と創造性を育む教育環境、デジタル技術が可能としてくれる環境が必要なのです。
 要するに田原さんがデジタルに対し批判したいことは「デジタル教科書が自己完結のかたちで正解を追求するからよくない」の1点のようです。であれば、そうじゃない教科書・教材にすればいい。デジタルかアナログかの問題ではないと思います。
 かつて映画を見るのは不良と言われました。テレビで一億総白痴化とされました。新メディアが登場するときに旧世代が不安と反発を抱くのは仕方のない面があります。だが、いい映画もあればダメな映画もあります。いいテレビもあればダメなテレビもあります。メディアが悪いんじゃなくてコンテンツの問題です。
 デジタル教育も、もしも「自己完結で正解追求」に向かってしまうとすれば、それはデジタルが悪いのではなく、コンテンツがいけない。よいコンテンツを開発していくことはデジタル教育を推進する側の重い仕事です。もちろん、それも含め、デジタル化が万能でバラ色だなどと言うつもりはありません。
 デジタル教育にも課題だらけであり、研究し、開発していかなければいけないテーマが山積しています。恐らく田原さんは、そこをしっかりわきまえて物事を進めるようにしろ!と田原さんなりの表現で喝破されたということなのでしょう。

2010年8月29日日曜日

「冒険者たち」- 忘れられた城

■Buenos 「冒険者たち」- 忘れられた城

 60年代後半。そのころのパリは、芸術と恋と酒に溺れるには適していても、東京よりも不便で汚い街だったのでしょう。ぼくが初めて海外に出てパリに足を踏み入れたのは、大学3年、81年のことで、犬のクソだらけの臭い街でした。

 スパイとして93年に移り住んだときには随分キレイになっていて、犬のクソを吸い込んで回る緑色のバキュームカーがたくさん走ってましたが、水漏れや電気の故障に悩まされたり、大通りの信号機が壊れていて大渋滞したり。実に住みづらい。それでも人々はあっけらかんとしています。

 そこが魅力。その魅力が結晶として詰まっていたのが60年代後半だったと思うのです。当時の映像に触れるたび、実にそのころそこに住んでみたい妄想にかられます。
 
 冒険者たちのラストシーン、お決まりのようにアラン・ドロンが死ぬ銃撃戦の現場は、海に浮かぶ城塞。なんだろうなぁ、あの城。行ってみたいもんだなぁ。

 以来、宿題だったわけです。日本にはその情報がほとんどなく、それでパリに赴任してからドイツ人の秘書に写真見せて尋ね、それはLa Rochelleにあるはずだというので行ってみたのが95年。

 んで地元のひとに聞いたんですが、そんなの知らないとのことで断念。90年代にこの城塞がテレビのゲーム番組に使われるようになってから知られるようになったらしいんですよ。「冒険者たち」は有名じゃないのかもしれません。アラン・ドロン人気は日本のほうが高いかもしれませんし。

 映画のシーンと同じようにその姿が海の向こうに小さく現れたときにはキュッとしました。宿題を果たしたわけです。

 この城、発案はルイ一四世の軍隊。でも建設はようやくナポレオン統治時にスタート。完成したのは1859年だといいますから、日本は安政の大獄に揺れ、フランスの初代駐日総領事が赴任したころです。

 できあがったころには軍事的意味を失っていましたから、ほぼ役立たずで、つまり琵琶湖畔で建てざらしのまま異容を放っていた雄琴のお化けホテルみたいなもんなんですね。

 そのビルは日本初の市街地ビル爆破解体されましたが。

 それは失礼か。パリ・コミューン時にニューカレドニア刑務所に送る前に囚人を置いておくため短期間使われたこともあるといいます。でも総ずれば、90年代、Fort Boyardというテレビのゲーム番組の舞台として使われるまで、忘却されていた建造物だったのです。

 監獄としては堅牢です。海にポツンとたたずむ建物。脱出は困難。フランスの刑務所を脱獄するといえばフランクリー・シャフナー監督「パピヨン」。あれも映画館で上映されたのは中2のときでした。

 男子3人組が女子2人と待ち合わせて河原町で観た記憶があります。
 映画の後ぼく一人先に帰って、あとダブルデートだったと思います。
 中2ってえのは、幼虫がサナギになるというか、メタモルフォースにさしかかるというか、酸っぱくて厄介な季節ですね。
 36年引きずった宿題を果たしたので、次はパピヨンを改めて観てみます。

2010年8月27日金曜日

「冒険者たち」- 36年の宿題

■Buenos 「冒険者たち」- 36年の宿題

 抜ける青、緑の海、うなりを上げてその間を進む純白の船体。ジャン・ピエール・ジュネ監督「アメリ」の主題歌が流れている。つい数日前、パリ・ピガールにあるアメリのカフェでカルヴァドスを飲んでいたので、覚醒した。デッキの先、水平線上に、丸っこい軍艦のような建物がぽつんと見える。
 この海に浮かぶ要塞、名をFort Boyardという。国際映画祭で賑わうフランス西部、La Rochelleの港から高速船Promenade en mer Fort Boyard号に乗り45分。とうとう、61m×31m×20mの勇姿が目の前に現れました。
 とうとう、なのです。36年間の宿題だったのです。

 1974年、中学2年生でした。ぼくはアナログのレコード・プレーヤーでグランドファンクとか岡林信康とかを聴いていました。FM大阪で荒井由美の1枚目がオンエアされ、はっぴいえんどのメンバーがバックを務めているとわかり、あわててLPを買いに走りました。
 そのころ、まだ8トラが家の中で大きな顔をしていました。ただしソフトは、都はるみ特集とか軍歌全集とか。そんなのに混じって唯一ハイカラだったのが世界の映画サントラ。鉄道員とかシシリアンとか明日に向かって撃てとか黒いオルフェとか、それら名曲に混じって、ぼくが魅せられたのが口笛とピアノの美しい曲、タイトルに「冒険者たち」とある。
 たまたまテレビで放映されました。なるほど映像も美しい。1967年、ロベール・アンリコ監督。アラン・ドロン、リノ・バンチュラ、ジョアンナ・シムカスによる恋愛冒険活劇。アラン・ドロンは絶頂期、ジャン・ギャバンの系譜に連なるリノ・バンチュラも油が乗っていました。後にシドニー・ポワチエと結婚するジョアンナ・シムカスは、これも中2のときにぼくが読んでいたメンズ・ファッションに、リーバイス501といえばこの人、と紹介されていたので、ファッションも読み解く目で観た記憶があります。
 海底に弔われるスキャットも絶品です。

 今なおその頃のフランスには憧憬があります。ド・ゴール政権下、五月革命を翌年に控える騒然とした世情。フリー・セックスに象徴される戦後の新潮流。映画ではゴダールが「気狂いピエロ」(65年)、「彼女について私が知っている二、三の事柄」(66年)を経て、67年には「ウィークエンド」で頂点に達しました。ぼくが生涯で最も多く聴いたブリジット・フォンテーヌのファーストアルバムが68年、ジェーン・バーキンとセルジュ・ゲインズブールの結婚がその翌年、そして「69年はエロな年」を歌うことに。
 ちょうどそのころ、鋭利なブリティッシュ・ロックの切り口に差し向けてアメリカ商業音楽が底力を見せたザ・モンキーズ。日本でもオンエアされた「ザ・モンキーズ・ショー」、ぼくは小学2年で石坂浩二さん明治チョコバーのCMだったと記憶する、でモンキーズがパリに行き、まだ中央市場だったころのレ・アル周辺をホンダ「モンキー」で乗り回すという巻がありました。まだまだ世界の憧れだった当時のパリの空気感を伝えています。
 それら全ての映像、色彩、音楽、ファッションが醸し出すたたずまいに惹かれます。キスとコニャックとシガレットには命を張るぜ。隠微。政治や芸術や宗教には夜明けまで他人の理屈に口を差し挟み続けるよ。だけど、世界平和を達成するリスクを一身で負ったり、国際経済を立て直すコストを支払ったりするのは御免だね。そんなフランス。
 戦後が終わって、冷戦のさなか、ベトナム戦争が本格化、第三次中東戦争が起こり、先進国の若者は新しい体制と文化を求め、中国は文化大革命に突入、日本は脇目もふらず先進国の仲間入りをしようと背伸びをしていました。そのころの、それら世界と等距離に放射線を張っていたフランスの斜に構えた時代性とでも言いましょうか。
(つづく)

2010年8月25日水曜日

教育ITソリューションEXPO

■ Kids 教育ITソリューションEXPO
日本最大の教育専門展とされる「教育ITソリューションEXPO」第一回が7月、東京ビックサイトで開催されました。
出展310社。ゾーンは5つ。教育用ハードウェア、教材・教育コンテンツ、学校向けセキュリティ、eラーニング・授業配信、校務支援。そのまま教育情報化の課題を示す区分となっています。

教育ITという体系をわかりやすく体現していたのがNTTグループ。デジタル教材、教育情報化ソリューション、映像ナレッジ共有、データセンタ・NGN、学校インターネット。ハードからコンテンツに至る総合ソリューションというわけです。
ほかにも、会場には「クラウド」「セキュリティ」の文字が目立ちます。端末・黒板や教材・コンテンツに加え、ネットワーク環境の重要性がクローズアップされています。

目玉は東芝とインテルが教育用に共同開発したタブレットPC"CM1"
基礎スペックはNM10 Expressチップ、160GB2GB10型タッチ液晶、1.8kg802.11a/b/g/n
モニター部分が180度回転。
取っ手がついていて持ち運び使用を想定。
ラバーコートですべり落ちにくく、耐衝撃性も強化。
ペン入力。「書く」ことを重視。
カメラ、ステレオスピーカー、マイクを装備。
子どもたちの学習利用に配慮した設計。
スタンダードなモデルとなる可能性を感じました。
コンテンツとしては東京書籍の電子黒板向け教材がひとまず使われていました。学校に投入するに当たっては端末向けカスタマイズが必要とのことですが、使えそうです。
いずれにしろカギはコンテンツですね。
気になる価格は・・もうちょっと待ってとのこと。

隣の会場では、デジタルパブリッシングフェアも開催されていて、Googleのブースは黒山。Voyegerのブースにも大勢が群がっていました。
昨年から今年にかけ電子出版が着火して、Googleブック検索訴訟問題から国立国会図書館の電子図書館構想、Amazon「キンドル」の発売、そして5月のAppleiPad」発売と話題も豊富です。総務省、文科省、経産省3省庁による懇談会も報告をまとめたところです。

そうした出版の電子化と、教育情報化のソリューションが同時に勢いをつけて動き始めたのは、シンクロしているからですね。TVPC、モバイルの次を担うデバイスの開発期に入ったこと、クラウド・サービスとプラットフォームの世界市場での覇権争いが激化したこと。
だから、CM1のようなiPadやキンドル以外のデバイスはこれからも教育用、出版用にどんどん出てきますし、教育や出版のクラウド・サービスやプラットフォームをどこがどう握るのか、行政も含むせめぎあいも本格化します。
教育関係業界にとっては、一般の産業界やエンタテイメント業界がかぶってきたように、これまで体験してこなかった国際的でオープンなテクノロジーの波がやってきますし、デジタル業界にとっては教育という比較的閉じられていた分野が他産業と同様にフラットな状態になっていくということ。
そして、お定まりの結句ですが、それが生徒や先生の便益を最大化するように、環境や制度を整える、それが大事。

2010年8月23日月曜日

広告ツールより情報ツール

■YouGo 広告ツールより情報ツール

 サイネージは広告や販促ツール以外の用途も広がっていきます。
 既に、ホテルのコンシェルジェのような案内&相談ツール、駅や空港での案内板としても使用されています。
 株価情報を金融機関の店内で表示したり、食品の値段をスーパーの画面で知らせたりしています。

 となると、サイネージを利用する企業としては、広報部が広告ツールとして扱うだけではありません。
 営業部が販促ツールとしてとらえるだけでもありません。
 ネットを使った人材確保やケータイ画面上の出店戦略などが経営課題となっているように、サイネージを扱うのも経営企画部や社長室の役割になってくるかもしれません。

 さらには、学校や病院での情報共有ツール、企業内の連絡ツールとしても広がっていくでしょう。
 公共空間で緊急情報を流すなど、公的な利用も見込まれています。
 ビジネス全般、教育、医療、行政といった、経済社会のあらゆる活動で、情報を伝えたり表したりするツールとなっていきます。
 いわばGDP 500兆円をとりまくメディアとして大きな潜在力を秘めているのです。

 こうした点に政府も注目し、2009年度予算でデジタルサイネージの実証実験を行っているほか、補正予算で自治体の取組を後押ししています。

 広告や情報の提供にもとどまりません。
 壁、地面、噴水をサイネージ化して、街をメディア化していきます。
 都市景観や風景を向上させたり、アートとして地域の価値を上げたりすることにも活用されます。
 ビルのオーナーやデベロッパーが土地や建物のバリューを上げるために取り入れていくことも考えられます。

 広告、マーケティングにとどまらない、広く経済社会に活用される新メディア。
 そして、技術も表現も進化していく成長メディア。
 これからの分野であるだけに、広い視野で可能性をとらえておきたいものです。

2010年8月21日土曜日

市場の停滞と発展モデル

■YouGo 市場の停滞と発展モデル

成長をみせるサイネージを取り巻く経済状況はどうでしょうか。
再びIT分野に熱い視線が集まっています。
 しかし期待に反し、情勢は弱含み。IT産業は成長するどころか、縮小しているのです。
 総務省のデータによれば、2000年に86.3兆円あった市場規模は2005年に79.7兆円となりました。
 通信・放送、機器メーカー、ソフトウェアやコンテンツの売上の合計なのですが、全体で6.6兆円も減っています。特に、通信業とメーカーの落ち込みが激しい。

コンテンツ産業も実は停滞しています。
 2008年、コンテンツ市場は13.8兆円で前年比マイナス2.8%。
 広告費もほぼ横ばいで、テレビ業界も苦しんでいます。
 音楽も、出版も、新聞も、何年も続けて売上げ規模が縮小しています。
1980年代、海外からバッシングを受けるほど強みを発揮していた日本の産業力をどうすれば再生できるのか。
 日本型の発展モデルは描けないのでしょうか。

一つの答えがデジタルサイネージです。
 新しいメディアとして、新しい産業として、現況を打開する突破口になるのではないでしょうか。
 ものづくりの力と、ポップな文化力とをかけあわせて、日本ならではのサイネージ・モデルが形作れるのではないでしょうか。

コンテンツ産業は停滞していますが、構造は激変しています。
アナログコンテンツは7.9兆円でマイナス8.5%であるのに対し、デジタルコンテンツは5.9兆円、5.9%成長を見せています。
市場がアナログからデジタルに急速に移行するのは止まらない。デジタルサイネージの活躍の場は増えそうです。

 日本の広告市場は7兆円。これがデジタルサイネージの第一ターゲットです。
 さらに、広義の販売促進費は年間13兆円あると言われます。
 これも第二のターゲットとなります。
 いや、販促メディアとしての活用の方が広告よりも先に広がっていくでしょう。
 2007年の電子商取引の総額は1.83兆円。
 ネット上のビジネスは急激に伸びています。
 だが、流通小売り全体の売り上げは135兆円。
 まだネットの比率は1.4%に過ぎません。
 バーチャル産業にとっては、98%以上のアナログなリアル市場が残されているのです。
 それをどうデジタル化していくか。
 これもポイントです。

2010年8月19日木曜日

テレビ、PC、ケータイ、そして

■YouGo テレビ、PC、ケータイ、そして

 PC=ネットとケータイ=モバイル通信は90年代半ばから爆発的に普及しました。
 テレビに次いで出現したPCとケータイがこの15年間のデジタル社会経済を形成してきました。
 デジタルサイネージはそれに次いで登場した大型メディアです。

 それは穴の空いたメディア空間にピースを埋めるものでもあります。
 メディアの役割を屋内=インドアと屋外=アウトドア、片方向=プッシュと双方向=プルに分類してみましょう。

 テレビはインドアのプッシュ型。
 一方的に情報が届けられる。
 PCはインドアのプル型。自分で情報を検索し取りに行く。
 ケータイはアウトドアのプルです。
 そして残り、アウトドアのプッシュがデジタルサイネージの役割。
 それは対象人数の違いとなって現れます。
 テレビは視聴者100万人を単位とします。
 PCやケータイは、11の通信が基本。1人を相手とするメディア。
 デジタルサイネージはその場所を通る10人ないし100人に届ける。
 だから、伝える情報の作り方も、メディアによって全く異なります。
 新しいメディアなのです。

 デジタルサイネージは街頭テレビの進化形と言ってもよい。
 19538月に開局した日本テレビは、当初から1821インチのテレビを53か所200台配置。
 542月、木村政彦組対シャープ兄弟の一戦は、新橋駅前の街頭テレビに2万人の群衆を集めました。
 20091129日、WBCフライ級内藤大助対亀田興毅。
 テレビの視聴率は46%をたたき出しました。
 新橋駅前の350インチ(4.3m×7.7m)のビジョンでも放映。
 しかし集まったのは200人。
 ふうむ。
 テレビ普及後のサイネージのコンテンツはテレビ番組ではなさそうです