■Buenos 「冒険者たち」- 36年の宿題
抜ける青、緑の海、うなりを上げてその間を進む純白の船体。ジャン・ピエール・ジュネ監督「アメリ」の主題歌が流れている。つい数日前、パリ・ピガールにあるアメリのカフェでカルヴァドスを飲んでいたので、覚醒した。デッキの先、水平線上に、丸っこい軍艦のような建物がぽつんと見える。
この海に浮かぶ要塞、名をFort Boyardという。国際映画祭で賑わうフランス西部、La Rochelleの港から高速船Promenade en mer Fort Boyard号に乗り45分。とうとう、61m×31m×20mの勇姿が目の前に現れました。
とうとう、なのです。36年間の宿題だったのです。
1974年、中学2年生でした。ぼくはアナログのレコード・プレーヤーでグランドファンクとか岡林信康とかを聴いていました。FM大阪で荒井由美の1枚目がオンエアされ、はっぴいえんどのメンバーがバックを務めているとわかり、あわててLPを買いに走りました。
そのころ、まだ8トラが家の中で大きな顔をしていました。ただしソフトは、都はるみ特集とか軍歌全集とか。そんなのに混じって唯一ハイカラだったのが世界の映画サントラ。鉄道員とかシシリアンとか明日に向かって撃てとか黒いオルフェとか、それら名曲に混じって、ぼくが魅せられたのが口笛とピアノの美しい曲、タイトルに「冒険者たち」とある。
たまたまテレビで放映されました。なるほど映像も美しい。1967年、ロベール・アンリコ監督。アラン・ドロン、リノ・バンチュラ、ジョアンナ・シムカスによる恋愛冒険活劇。アラン・ドロンは絶頂期、ジャン・ギャバンの系譜に連なるリノ・バンチュラも油が乗っていました。後にシドニー・ポワチエと結婚するジョアンナ・シムカスは、これも中2のときにぼくが読んでいたメンズ・ファッションに、リーバイス501といえばこの人、と紹介されていたので、ファッションも読み解く目で観た記憶があります。
海底に弔われるスキャットも絶品です。
今なおその頃のフランスには憧憬があります。ド・ゴール政権下、五月革命を翌年に控える騒然とした世情。フリー・セックスに象徴される戦後の新潮流。映画ではゴダールが「気狂いピエロ」(65年)、「彼女について私が知っている二、三の事柄」(66年)を経て、67年には「ウィークエンド」で頂点に達しました。ぼくが生涯で最も多く聴いたブリジット・フォンテーヌのファーストアルバムが68年、ジェーン・バーキンとセルジュ・ゲインズブールの結婚がその翌年、そして「69年はエロな年」を歌うことに。
ちょうどそのころ、鋭利なブリティッシュ・ロックの切り口に差し向けてアメリカ商業音楽が底力を見せたザ・モンキーズ。日本でもオンエアされた「ザ・モンキーズ・ショー」、ぼくは小学2年で石坂浩二さん明治チョコバーのCMだったと記憶する、でモンキーズがパリに行き、まだ中央市場だったころのレ・アル周辺をホンダ「モンキー」で乗り回すという巻がありました。まだまだ世界の憧れだった当時のパリの空気感を伝えています。
それら全ての映像、色彩、音楽、ファッションが醸し出すたたずまいに惹かれます。キスとコニャックとシガレットには命を張るぜ。隠微。政治や芸術や宗教には夜明けまで他人の理屈に口を差し挟み続けるよ。だけど、世界平和を達成するリスクを一身で負ったり、国際経済を立て直すコストを支払ったりするのは御免だね。そんなフランス。
戦後が終わって、冷戦のさなか、ベトナム戦争が本格化、第三次中東戦争が起こり、先進国の若者は新しい体制と文化を求め、中国は文化大革命に突入、日本は脇目もふらず先進国の仲間入りをしようと背伸びをしていました。そのころの、それら世界と等距離に放射線を張っていたフランスの斜に構えた時代性とでも言いましょうか。
(つづく)






0 コメント:
コメントを投稿