■Buenos 笹かまぼこ君のころ
仙台駅から団体バスに乗り込みます。年配の地元ガイドさんと、東京からついてきた添乗員が旗を掲げてゾロゾロ歩き出します。その先には中尊寺金色堂。日本史で習ったけどモノクロの教科書じゃわからなかった絢爛ですね。芭蕉「夏草や兵どもが夢の跡」を眼下に望みます。
バスで角館。武家屋敷をゾロゾロ見物。明暦二年に入った佐竹氏が公家・高倉家出身であり、三条家からも正室を迎えたことなどからみちのくの小京都と称されるらしいが、ここ全然京都ちゃうやん。「たそがれ清兵衛」のロケに使われた下級武士の家。たそがれ清兵衛ってどんな映画だっけ。あれ、見てなかったっけ。まあええわ。
田沢湖って日本一深いのね。な〜んにもなくて、荒涼としてて、いいなココ。畔にぽつねんと立つ「辰子像」、金ピカ。これってな〜んにもなさにさらにマイナス点つける侘びしさに満ちてます。
雫石でゾロゾロ泊まれと。このあたりで全日空機と自衛隊の戦闘機が衝突したんですね。もう40年前のことですね。小岩井農場って広いんですね。小と岩と井って誰でしたっけ。
十和田湖の国立公園の記念切手、持ってました。郵便局に勤めていた叔母にもらいました。青色の15円の切手、そう、こんな風景でした。ヒメマスがいる。北海道じゃチップって呼んでました。あ、ここのヒメマス、支笏湖から連れてきたんですか。じゃあお前チップだ。炭火焼き食います。ワンカップの燗もいただきます。
そこからゾロゾロ分け入る奥入瀬、幻想的な和の光景です。キラリ、きらり、輝く清流と木漏れ陽、上に伸びゆく健やかな樹木と、地を這うシダ・コケ類。ほほう、さすがこういう素敵な場所には西洋人もけっこう来ていますな。
こんなゾロゾロ旅は、おじいさんたちや、おばあさんたちや、おじいさんとおばあさんたちがほとんどで、ぼくなんかがいると、最近は若い人もこういうのに参加して感心、なんて風に見られ、なんだか楽ちんで心地よいのでありますが、かといってそこはここまでこの国でれっきとした社会生活を送ってきた集団でありますから、ゾロゾロ中に足腰くじけて足を引っ張る人も、ボケて徘徊したり叫んだりする人もなく、まことにつつがなく、波乱がない。
波乱がないと、記すべき案件もなく、今回はブログのネタにはならんなと帰り支度。仙台駅が近づきました。するとフト年配ガイドと若添乗員が、笹かまぼこ屋に寄ると言いだし、とりあえずツアーが最後に売り上げ期待薄の店に連れて行って紹介料をバックさせる定石に抗うのも、おじいさんおばあさんがハイハイ言ってる中で大人らしくなく、ワンカップでべろんべろんという事情もあり機嫌良く一緒にゾロゾロと。
笹かまぼこ。そういえばご無沙汰であります。しげしげと眺むるにオヤ笹かまぼこ君、プレーンだけでなくバリュエーションが豊富に進化してなさる。サーモン。ずんだ。チーズ。牛タン。サラミ。わさび。銀杏。しいたけ。ほう。
そうこうするうち、この旅で初めてぼくは、スイッチが入ってしまいました。笹かまぼこ君。そうだ、むかし、世話になりましたなぁ。笹かまぼこ君を通じてこもごも記憶が蘇ってきたのです。
かけだしのころ。霞ヶ関の新人暮らし。暮らしと言ってもほとんと家に帰らず泊まり込みが常態でした。役所の応接セットとか、床に布団敷いたりして寝ていました。晩は川志満ののびたソバやケルンの弁当などを頼んだりするのですが、夜中ハラが減ります。課の中にある食い物はたいていカワキモノ。そんな言葉、社会人になって初めて知りました。三大カワキモノとは、スルメ、柿ピー、ポテチ。スルメのスルが博徒にとって縁起が悪いのでアタリメと呼ぶ、なんて小ネタも社会人になって、てゆーか東京に来て教えてもらいました。
だけど、そんなのバクバク食ってビールばかり飲んでると、気持ちわるくなります。てゆーか飲むのはビールばかりでしたね、ビンの。日本酒もあったけど、月桂冠とか菊正宗とか白鶴とか全国普及版ばかりで、味を分けるのは二級とか一級とか特級(ほとんど飲んだことがない)という身分制で。久保田だの浦霞だの八海山だの、銘柄ものはありませんでした。ましてや晴耕雨読だのなかむらだのやきいも黒瀬だの、いま毎日世話になっている焼酎なんて先端の世界は、霞ヶ関という田舎は無縁。洋酒はぼくの机の引き出しにホワイトか角、景気がよければダルマ。
で、そのカワキモノの気持ちわるさを抑えるには、「ヌレモノ」が要ります。ヌレてるもの。とりあえず濡れていればいいですね。当時ぼくの三大ヌレモノが、魚肉ソーセージ(太いヤツ)、桃屋のザーサイ、そして笹かまぼこ。ずいぶん笹かまぼこ君には救われました。仙台方面に出張する人は、みやげは笹かまぼこ縛り。萩の月、ではいけないのです。それは昼間、課にやってくる経団連や記者クラブの人のお茶うけに出されてしまうからです。笹かまぼこ君は夜中のぼくらの味方。幾晩もそれで食いつなぎました。
カワキモノ、ヌレモノ、ノミモノを確保し、調達するのは新人のぼくの仕事でした。一応いわゆるキャリア官僚ってやつでしたが、通信自由化、日米交渉、郵政・通産戦争のすさまじい戦場でしたから、おい新人おまえ庶務、と命ぜられ、ふつう役所だとベテランが引き受ける課の飲み食い差配とか、来客へのお茶出しとか、そーゆーのをぼくは一手に引き受けていました。カワキモノヌレモノノミモノを買う「課費」を先輩方から集めたり、どこかからもらったビール券で酒屋に払ったり(今これやってるとつかまります)。
毎日毎日、職場で飲んでました。廊下に面した会議卓で。ぼくだけじゃない、係長も補佐も課長もみんな議論し、その場で企画を作り、自分の机に戻って至急作業して。当時、セキュリティも甘く出入りは自由で、廊下に面してるんだから業界の人や記者や、政治家の秘書や、誰かわからないけどよく来る人や、そういうのがタムロしていて、新人は酌をし、業界の人や記者たちからイジられ、突き上げられ、いつもタバコでもうもうで、たまに公式見解を求められ、課長らからおまえテキトーに答弁しとけと放り出され、ヘタなことしゃべって記事になって翌日こっぴどく怒鳴られ、そんな雑然とした日々。そうやって鍛えられました。
業界の人や記者や政治家や誰か分からない人や、そんなもうもうとした中であれこれやってるって、twitterっぽいですね。当時はリアルなtwitter行政をやっていたってことでしょうか。でもそんな昭和の光景は消えました。霞ヶ関の不祥事が相次ぎ、公務員倫理法とかが出来て、官民癒着への眼は厳しく、用事やアポのない人はビルに入ることもできなくなり、タバコは片隅においやられ、今や役所で飲んだりすることは皆無だそうです。
よかったよかった。おかげでキレイになりました。オープンになりました。スマートになりました。で、政策はどうなったのだろう。それで政策がスマートになったとは思えません。当時の、もうもうとした、ギラギラしたパワーもまた消え失せたようです。霞ヶ関が草食系になったってことでしょうか。
閉塞しています。その分、立法府がシャキっとし、司法が毅然とこなし、マスメディアが言論をリードするようになり、企業が世界経済を引っ張るようになった。それなら結構。でも、逆じゃないですか?霞ヶ関、行政府を叩いて、そのバネで他のセクターが元気になるハズじゃなかったの?霞ヶ関が大きな穴ボコに落ち込んで、他のセクターもつられてズルズルと沼にはまっているように見えます。
笹かまぼこ君、笹かまぼこ君が自力で進化する間、霞ヶ関での用事は減っていったかもしれないど、どう思う? また彼らにパワーつけてやってくれないかねぇ。