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2024年7月25日木曜日

弱者の時代が来ました。

弱者の時代が来ました。


シェアエコだという。共有がよい。所有じゃない。持ってない美しさである。

「共」とか「公」とかが、「私」より前に来る。それは近代のアンチ的だ。

分配が生産より前に来る。それは資本主義のアンチ的だ。

だいぶパンクだと思います。


この10年ほど、共存や協創が大切にされています。

競争や勝利は、少し肩身が狭い。

サステナブルが、21世紀的であり、令和であります。 

進化・成長は20世紀的であり、昭和なのです。

winner takes allは米ネットバブルの遺物で、なんだかカッコ悪い。


ちょっと待て。ネットは、効率、資本、競争を推し進めるはずではなかったか。

強いひとが独り勝ちするためのものではなかったか。

どうやら今ネットは、共感や和平を分かち合う手段で、なんだか弱虫に優しい。

日本だけなのかな。そうでもないんじゃないかな。


強い、正しい、リーダー。を求めてきたのです。近代からこっち。

が、今は、弱い、楽しい、ともだちを求めているようです。

率いるひとよりも、支えるひとがいい。

「オレについて来い」より、「いっしょに帰ろう」って言ってほしい。


共感を得られるひとに値打ちが出ています。「いいね」の多いひと。

それはかつての上に立つリーダーじゃなくて、横や下にいるパートナー。

ガバナンスより、フラットが大事になる。

強いひとより、弱いひと。弱くて優しいほうが共感するもん。

平和な時代は。低成長の時期は。

弱者の時代が来ました。

これまで教育は強者になる方法、あるいは強者が弱者に寄り添う方法を説いてきたが、弱者になる方法が求められるのかもしれません。


さて。では、弱者になる方法とは。まだありません。どうしよう。

「正しさ」より「おもしろさ」。

「ツッコミ力」より「ボケ力」。

「ドヤ顔」より「ヘン顔」。

このあたり、学校じゃ教えられないな。吉本の芸人さんに学ぶのがよさそう。

それもM-1王者じゃない、敗けてきたひと。


かたさよりやわらかさ。

マクロよりミクロ。

大声よりウラ声。

天下国家より町内。

マッチョよりヨガ。

偏差値よりコンピテンシー。

眼力より微笑み。

パワーよりタイミング。

働き方より遊び方。

これまで大事にしてきたことを反転して、脳みそのOSを塗り替えないといけない。

う~ん、これを学べる場はどう設計すればいいですかね。

2024年7月9日火曜日

古林英一「公営競技史」。

■古林英一「公営競技史」。


世界で開かれる競馬と、日本発祥の競輪、オートレース、ボートレース。

7.5兆円産業。

日本中央競馬会は政府全額出資の特殊法人でありながら政府に国庫納付金を差し出すという唯一の存在。

競馬(農林)、競輪・オート(通産)、ボート(運輸)という各省に紐ついた公的な仕組みがなぜどのように運営されてきたのか。

江戸末期から戦後にかけての歴史書。

 

ぼくが参加する「日本スポーツ政策機構」は、地域スポーツの再生などかずかずの課題を審議しているが、新たな分野としてeスポーツを扱い、これはぼくが担当する(とおもう)一方、スポーツとカネを考える上で公営競技との向き合いも案件となる(とおもう)。

 

本書は政治書である。

取り分け美濃部亮吉・東京都知事が公営競技廃止で、蜷川虎三・京都府知事が競輪を守った政策の相違を掘り下げた点が出色。

東京と京都の帝大出身の社会統計学者で、かたや内閣統計委員会、後者は中小企業庁長官という役職を経ながら、どちらも共産党が支持する知事だった。

その両者の真逆な政策。おもしろい。

 

それで思い出した。

ソルティー・シュガー1970年「走れコウタロー」。

途中のナレーション、「えーこのたび公営ギャンブルをどのように廃止ィーするかという問題につきまして、慎重に検討を重ねてまいりました結果、本日の第4レース、本命はホタルノヒカリ、穴馬はあっと驚く大三元という結論に達したのであります」、今でもそらんじられる、これは美濃部都知事のパロディーものまねだった。

 

さて、公営競技も中継、オッズ、投票などIT・データ事業となる。

ソフトバンク、楽天、MIXI、サイバーエージェントらが担い手として参入してきている。

いかに進化・成熟していくか。気になります。


2024年7月6日土曜日

学長くんガチョーン. 猪子寿之さん

 ■学長くんガチョーン. 猪子寿之さん




ご存知、チームラボ、猪子さん。みんなのあこがれ猪子さん。起業したころから存じ上げているが、大きくなり、世界のひとになりました。破天荒に見えて、「知」を重んじ、ストイック。そして「つくる」という線がぶれない。カッコいい。


◆チームラボ

アートをつくっているが、ある種この時代、なんらかの世界に最も影響を与えるような作品をつくりたい。まだまだつくりたい。


はじめからアートをつくっていた。それはお金になるとはあまり思っていなかった。チームラボという場を維持したいというモチベーションが高かった。一人ではなにもできない。チームで何かを作り続けたいとおもった。チームによるラボラトリー。実験する場、研究する場。場を維持するのがはじめは大変だった。そのために色んな仕事をしていた。

だんだん企業のWEBやシステムをつくったり、デザインをしたりする仕事が大きくなっていって、200-300人以上の規模に10年くらいでなった。一応それで、明日潰れるという心配が創業期より減った。

アートをやりたい。世界の中で生きていきたい。世界で人類に影響を与えたいというおもいがあった。なので、出資など受けたくなかった。日本のマーケットにどっぷり入りたくなかった。上場もしたくなかった。銀行とも付き合わなかった。手元の現金がはじめはない。

本当を言うと、それもよかった。チームの母体が強くなった。システムの仕事がある上で、アートはずっとつくっていたので、はじめからも10年後もアートはお金にならなくてもいいというスタンスで作り続けていた。売らなくてもいい。


そのタイミングで村上隆さんがオフィスに遊びにきた。世界で発表したら?と台北で個展をする機会をくれた。2011年。それが実質のデビュー。そうしたら世界中からオファーがたくさん来るようになった。いい美術館やいいビエンナーレ大きな展覧会をできるようになった。

はじめの台北にはたくさんの人が来た。世界中でやるたびにたくさんの人がくる。2014年にニューヨークのペースという3大メガギャラリーのひとつが決まって。パンパンになるくらい人が来た。


日本では自分たちで興行をしたらいい、と思い始め2014年の末に日本科学未来館で興行的に展覧会を開いた。日本ではほぼ初めての展覧会。来場者数がその年の3位。1位-20位まではほぼ、ルーブル展やモネ展のような興行で埋まっていた。現存するアーティストで人が来ていたのはチームラボだけ。日本の作品もチームラボと春画展。今年の来場者数の動向で、異例なものとしてチームラボや春画も入っていると春画と一緒になって記事にされていた。そういう社会なんだ、と。


チームラボを一緒にはじめた他のメンバーは、いまも企業のシステムやWEBをつくる仕事をしている。

2011年くらいからアートをつくること以外は一切するのをやめようとおもった。とにかく、すごい作品を作らなければ始まらない。作品があれば世界中から呼ばれる、世界中で人が来る。そこからどうビジネスにするかはあとの話。人が感動して見たい・来たいとおもうような作品、買いたくなるような作品がないといけない。

とにかく作品を作ること以外は何もしない。会議も出ない。人にも会わない。会食もしない。人との会話も無駄だと思い始めた。


◆東京

東京で始めた。共同ではじめた人たちがやっているビジネスのクライアントが100%日本。チームラボのある種の基盤。経済的には成り立っているが、精神的には基盤。

ただ世界中のどこでもいい。たとえば大きな出来事があって制作できない状況になった際は違う場所、平和な場所へ。こだわりはないが、日本語しかしゃべれないし、東京が便利。

世界中でアートを売る、展覧会をする、常設のミュージアムをつくる。

どことも仲がいいというのはとても重要。プライドなどどうでもいいから仲良くしていてほしい。しょぼいからプライドが高くなる。しょうもないことでいきがってしまう。実態的に豊かでいい社会をつくればいい。豊かさは交流の量。むかしから世界中の中継地点になればなるほどその都市は経済的にも豊かになる。社会も多様化する。


◆学校

四国の田舎者だった。そこから出たかった。今みたいなことをしたかったが、どうしたらいいかわからない。県立高校で周りは学校の成績があまりよろしくない方々。

当時の想像力で思いついたのが東京。色んな人に出会えて、世の中のことが申し越しわかるし、仲間ができたらいいなと東大に行った。そういう意味では結果的に一緒にはじめる仲間ができたので、よかった。

高校も大学も理系だった。サイエンスは学問として積みあがりやすい。サイエンス的・数学的に世界を捉えられる。そうでない人は言語的に世界を捉える。言語的に捉えると言葉によって全体が分割される。例えば、宇宙と地球は境界なく連続しているが、地球という言葉を使った瞬間にまるで境界線があるかのように、脳に認知のバイアスがかかってしまう。ある病気で流行り、今日100人死にました、といったときにそれが多いと思ってしまう。確率的に考えると、60億人中の100人であればそれは道歩いているより安全だ、となる。

物事をサイエンス的に捉えられるか、言語で認識するかで、世界の捉え方がそうとう違う。サイエンス的・数学的に捉えられた方が、言語に騙されにくい。言語はコミュニケーションとして使うので、人間である限り言語的認識はつきまとう。そうではなく、サイエンス的・数学的な認識は教育によって先人たちが積み上げてきたものをいただく。サイエンスや数学を教育として受けたことや自分で勉強してきたことは役に立っている。物理系・数学系の大学だったことは非常に良かった。


幼少期から教科書がすごく好きだった。国語の授業やテストは嫌いだったが、教科書は好き。この世のよい小説や論文がDJみたいに一番いい部分だけ。読み物としておもしろい。東大の受験で過去問を解く。国語の東大の問題が大好きだった。サイエンスやアートなど文化的な論文がピックアップされていた。


◆知

知については全面的に肯定している。逆にそれ以外を全面的に否定している。知以外は全く役に立たない。人間関係はどうでもいい。言語は知とはおもってない。

自分が制作しかしなくなったのは、制作の途中ですごくニッチで自分たちにとってしか意味のないかもしれないけれどすごく汎用的な知を発見した場合、その知は全員が使える。制作物のクオリティが上がる。たとえばLEDの光らせ方をすると必ずきれいだという知を発見した場合、全部がきれいになる。知は組織が大きくなればなるほど効果が大きい。

汎用的な知は大きな組織を生産性やクオリティを上げる。抽象概念の知は恵まれた人が発見することだが、手を動かしながら作るプロセスのニッチな知はやっていると確実にたくさん見つかる。数式やソフトウェアになるような知。


◆キミたちへのメッセージ

工学や数理系のバックグラウンドがないと、なにか大きなものをつくることができない。そういうバックグラウンドをしっかりつけたほうがいい。

本質的には教育によって誰もが身につけられて、積み上がっていくこと。

日本の学校のとても嫌いなところは、汎用的でない常識・道徳・倫理的なこと、現状な社会を保つために必要な訓練・今日だけ通用する価値観と知がごっちゃになって教育を受けること。1+1=2は普遍的な知。気をつけをする、というのは普遍性がない。同じ人がこれら一緒に教えるので区別がつかなくなる。知とわけてほしい。子どもが知を嫌いになる理由のひとつなのでは。

本来人間は知が好き。知ることも覚えることもエンタテイメント。知が増えないと好奇心も増えない。知と好奇心はセット。

2024年7月2日火曜日

根岸豊明さん著「テレビ局再編」。

■根岸豊明さん著「テレビ局再編」。


根岸さんはぼくが2008年に「融合研究所」を立ち上げた際、日テレを代表して参加してくださった、当時の放送業界からみればヤバい相手に乗ってくれた恩人。

それから地デジにネット展開を経て、いよいよテレビ局の再編、という業界重鎮の現在地です。

 

80年代のニューメディア。ケーブルと衛星による多メディア多チャンネル化が分析されます。

当時ぼくが郵政省で担当していました。放送のハード・ソフト分離のはしりでもあります。

そこから放送は通信との融合、ネット連動が重要課題となる、はずでした。けど、そうなりませんでした。

 

本書は2006年、竹中総務大臣の「なぜネットがテレビで見られない」発言を引き合いに出し、総務省が目論んだ「情報通信法」も登場します。これはぼくが提案者でした。

その狙いがハード・ソフト分離などの規制緩和であったことは本書が示すとおりです。

 

しかしライブドア-フジサンケイ、楽天-TBSのディール不成立後、放送局の対応は後ろ向きになります。

08年のNHKオンデマンド、10年のT部長による第二日テレ、15年のTVerなど取組も描かれますが、基本、放送は2兆円の広告市場を守ることを旨としました。

ゼロだったネット広告市場が3兆円を超え、動画配信が5千億円に成長したものの、その新市場を取りに行く姿勢は薄く、米国を含む通信・IT業界がごっそり持っていきました。

 

続く波が地デジでした。放送局はこれに全力を上げました。

その奮闘は同じく根岸さんが書いた「誰も知らない東京スカイツリー」に見事に描かれていますので、省略します。

http://ichiyanakamura.blogspot.com/2017/12/blog-post_25.html

 

続く騒動として、18年ごろの安倍政権による放送改革論議が紹介されます。

官邸筋から、放送法4条撤廃、ハード・ソフト分離を通じた番組健全化や参入活性化が示されたものです。

ぼくも当時10年ぶりに規制改革会議や総務省の放送関係会議に呼ばれプレゼンをしました。

 

健全化はネットのほうが課題だし、4条を撤廃しても参入は増えないし、ハード・ソフト分離しても参入は増えないし、だいいち今でもできるし、参入を増やすには電波を出すしかないし、そんな電波あったらスマホに回すよね?

という、しろうとをあやす話をするうち、沈静化しました。

放送が政治的な存在であることを表すできごとでした。

 

そんなこんなを経て、本書の本題。業界再編論が21年ごろから高まってきたと。

ハード統合、ブロック統合、NHK・民放協同などが取り沙汰されています。

「情報通信法」がめざした規制緩和の方向でもあり、法体系の改正から10年を経てようやく適用・実装される実態となってきたということです。

 

19年、NHK同時ネット配信を解禁する放送法改正を巡りぼくは国会で意見を求められました。

日本の通信・放送融合は海外に10年以上後れている。イギリスは全IP、全クラウド、データ共同利用で、マルチ・ネットワーク、マルチ・デバイス対応となっている。日本は何も始まっていない。

・・・そうアジってからもう5年です。

そろそろかなぁ。

 

放送の重鎮が語る再編論は、秋口の木漏れ日を感じます。

ただ、そこで語られるのはあくまで「局」の再編であって、業界内の仕切りの話です。

でも融合研究所を立ち上げた頃とはがらりと風景が変わってしまいました。

 

ネット広告がテレビ含む4媒体より大きくなっていて、広告全体ではテレビは脇役です。

NTT一社の年間利益でキー局がまるごと買収できる体力差。通信・ITGAFAMなど外資を含め、デジタル分野がまるごと地続きになっている、そう、融合しているわけです。

そこでの業界再編は、脇役同士の握手や身売りで済むことではありますまい。

 

そう、「業界」が国内のテレビ業界ではなく、世界のデジタル業界となり、強かったテレビ局は、あまたの一プレイヤーになった、という新鮮な風景です。

 

IP、クラウド、データ、そしてAIweb3、メタバース。

技術ドリブンでグローバルな世界の中で、どのプレイヤーや資本と向き合って次のビジネスを作るのか。

デジタル・ビジネスを展開する他の企業群と同等の経営力が求められます。

日本のテレビ業界に幸あらんことを祈ります。