■ジュリーの世界
増山実さん著「ジュリーの世界」読む。
河原町のジュリーという実在の浮浪者を媒介に、1979年春からの1年を描くドキュメンタリーのような小説。
もう知る人も少なくなったジュリーという極地的な人物は、ぼくの大学生活をすっぽり覆う極私的なアイコンでもあります。
河原町のジュリー。
いつも河原町界隈、三条から四条、新京極と寺町京極という狭い区域をとぼとぼ歩いているので、現実には河原町という枕詞はつけず、単にジュリーと呼ばれていました。
本家・沢田研二さんは鹿ヶ谷出身の京都人でありますが混同されることはおません。
煮しめた背広、コールタールのように固まった髪、短いズボン、ボロボロの革靴。
真っ黒で判然としないが愛嬌のある顔つき。声をかけても返事はなく、話すこともおません。
浮浪者。
ホームレスではない。三条のリプトン前が定宿。
河原町一帯が「家」なのです。
皆が許していた。
共に生きていた。
79年春から1年間の物語。
大学に入ったぼくは、高校を出て警官になったこの主人公と同い年。
同じ時期、同じ場所で、毎日ジュリーに会っていたはず。
年初に三菱銀行人質事件で梅田が射殺され、インベーダーゲームといとしのエリーが流行っていた。紳竜が誰カバで暴れたが翌年の漫才ブームは予期できなかった。
阪神は前年、空白の一日で江川卓を1位指名し、トレードで小林繁が入団した。
田淵古沢ブリーデンがいなくなった。真弓若菜竹之内が来た。
掛布ラインバック藤田スタントン中村勝。江本山本和工藤伊藤上田。
小林は巨人に強かった。チームは弱かった。
そして岡田を1位指名した。
高校を出て、自由になれると思った。
そのとたん目標がなくなった。
紛争の跡が残る大学、授業はどれもハマるものがなく10分ともたず、たちまちドロップアウト。
小説に登場する駸々堂でガロや夜行を買い込み、六曜社あたりの茶店にこもってむさぼり読んでいた。
ぼくは、こっちの世界や、と思った。
今はなき成人映画八千代館や桜湯や京都花月やスカラ座、今もある三嶋亭やバー・サンボア、せっまいせっまい界隈をうろついていた。
夏に発売されたウォークマンでパンクを聞きながら、毎日のようにジュリーを見かけた。
リプトン向かいの十字屋で少年ナイフがレコードを作るのは3年後のこと。
これぢゃいかんアホになる。
手に職を、と思いたち、夏、界隈の純喫茶数店にバイト面接に伺ったが、素人は要らん修行してこんかいとみな落ちた。
修行は三条河原町下ルの大きい店でする習わしらしく紹介を受け入門した。
立ちん坊で働く日々となった。
時給400円。阪神ファンとつぶやいたら10円上がった。
コーヒー淹れていいのは、りんごの皮を縦にシャッシャと包丁でむける熟練者のみ。
ぼくはシャッシャできなかったが、片手で丸トレーにグラス立ててフロアをうろつくウェイター業は今もできる。
バイト長はぼくをなぜか橋本くんと呼んだ。
マヂラブ村上さんが本名鈴木さん、みたいなものと今はわかる。
晩、河原町を歩くジュリーにサンドイッチなどの残飯を渡そうとした。
ドギマギして受け取らない。ぼくを避けて四条方面に下がっていった。
「橋本くん!」
バイト長にひどく叱られた。
「ジュリーは中華専門なんや。」
それぞれショバがある。ぼくはエコシステムを壊そうとした。反省した。
ジュリーと何か話してみたかった。接点を持ちたかった。
理由はわからない。
見下して、ではないと思う。
憧れて、でもないと思う。
なんだろう。
特異な存在として街と同化することへの、愉快な好奇心だったのかな。
いずれぼくもノマドになるだろう、自分の未来像への共感だったのかな。
小説でジュリーは極楽鳥を解放することに加勢する。
何かを抱え、何かを見つめていた。
うん、そんな人だったかもしれない。
戦争から復員して性格が変わったひと、と描かれる。
戦後35年だった。あれから今のほうが時を経ている。戦争がまだ近かった。
普通の中学生にジュリーが襲われた事件も。
「パッチギ」が描いた修学旅行生の暴力事件がゼロになった年。
作者はガキどもの紛争を「健全なエネルギーの発露」と見て、子供たちは「闇の方に向かっている」とする。
ぼくもそう思う。その頃から、世間は清潔になったが、不透明で分かりにくくなった。
84年2月、ジュリーが死んだ。界隈から少し離れた円山公園で凍死していた。
記事を覚えている。
死がニュースになる、名もなき浮浪者。
雪のしんしん降る冬だった。
ぼくはその頃つらいことがあり、あれこれ捨てて上京する支度をしていた。
寛容のアイコンが失われ、世間はおおらかさも失っていった。
今なぜ「ジュリーの世界」なのか。
進化に背を向けて、浮浪すること。その意味。
異物を受け容れ、共生すること。その意味。
コロナがぼくたちに問いかけるものを、あの時分、ジュリーも、ぼくたちも、見ていたのかもしれない。
あの頃の景色を、思い描いてみます。















