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2026年4月30日木曜日

iUというバウハウス

■iUというバウハウス


65歳、定年。ルールに沿い学長を退任します。無職になります。

iU、情報と経営でイノベーションを起こす大学。

構想から9年。開学から6年。目指すモデルはつくりました。

ぼくだけでなく、阿部川学部長、松村太郎教授、山内正人教授、志村一隆教授ら中軸をなす教授陣も26年度末で退任します。iUスピリットを代表する若い教授陣がまるっと外に出ます。

これに伴い、これまでのiUは幕引きです。今後はこの実績、コミュニティ、ネットワークを外に向けて活用する考えです。

 

作ったモデルを整理します。


1.  全員起業


全員が起業に成功すれば就職率はゼロ。目標、就職率ゼロ。

起業率は断トツ日本一を続けています。たぶん、世界一です。

ただしほとんど失敗します。失敗から学ぶ「失敗大学」です。

 



2.  ノン・アカデミック


正教授は8割が産業界出身です。

通信、IT、ソフトウェア、コンテンツ、放送、出版、メーカ、コンサル、起業家。

ノン・アカデミックによる実践型の教育とプロジェクト。




3.  客員教授1000


学生より教授のほうが多い大学。

産学の大きくて濃いコミュニティを作り、そこに交わり、プロジェクトを通じて学ぶ。

 



4.  連携企業800


産業界と作る大学。IT系・コンテンツ系に加え、金融、食品、不動産、VCなど多彩。

プロジェクトを共創する。教員を出してもらう。インターンを受け入れてもらう。

 



5.  プロジェクト1st


Pop Power Project。ニューロダイバーシティ。超人スポーツ。

ウェルビーイング。医療AI。モビリティ。宇宙開発。

各教授が産学連携で研究を走らせる、プロジェクトのデパート。

 



6.  研究所 B Lab


BeyondBorderlessBreakthrough

MITメディアラボを反面モデルとし、ハイエンドではなくソーシャル、エスタブリッシュではなくオープンな研究コミュニティ。コモンズ的な存在です。

 



7.  国内外の拠点


墨田キャンパスに加え、サテライトをベイエリア竹芝と渋谷に設けてトライアングル。

京都は京都府のインキュベーション拠点Art Tech Village Kyotoに整備中。 

名古屋は愛知県のインキュベーション施設Station Aiを拠点とする。

B Labは海陽町、青ヶ島、種子島ら遠いところに看板を掲げ、

シンガポール、グラスゴー、ボローニャ、ダッカ、アデレードなどでも活動があります。

 



8.  大学院デパート


自ら大学院を作らず、海外の有力大学院を誘致しています。文科省をパスして。

米アリゾナ州立大学、伊ミラノ工科大学、英hult、仏Saclayら、

ハイブランドのビジネススクールと握手してきました。コースを形成中です。



 

これらはiUとしては2026年度で終了します。

27年度以降、どう外に切り出し、発展させるかを再設計します。

 

このほか進行中で扱いが決まっていない案件も数多い。



◯新コース


iUは世界初のeスポーツコースを作ると宣言しました。校内に設備を揃え、プロチームを誘致し、ときどさんなどを客員教授に迎え、活動を進めました。実装半ばです。

同様にYAHAMAと連携し、世界初のボカロコースを設計しています。まずは竹芝で短期コースを提供します。音楽・映像制作、配信ビジネス。いずれ本格的な授業コースにしたい。

27年度以降の扱いはこれからの検討です。



 

AI大学


AIの大学にiUはなる!という宣言をしました。AI学長くんを開発する。AI利用力を問う入試を導入する。この2つは実行します。

全教職員・学生が使う。全授業で使う。全業務をAIに乗せる。この実装は次期体制に委ねることとします。

 



◯テレビ局


すみだMedia LabiU敷地内に開いた映像スタジオです。BSよしもとの本拠になりました。テレビ局をもつ大学。それは達成しました。今後の運営は未定です。



 

◯構想プロジェクト


構想中のプロジェクトがいくつもあります。未来の美術館をデザインする。未来の食をデザインする。未来のファッションをデザインする。これらは退任後、場を換えて取り組みます。

 

校歌は少年ナイフによるパンクロックです。校内に学長が作ったタテカンが並べてあります。

学長くんガチョーン などYouTubeでヤバい発信も800本続けました。

ベンチャー大学にしかできない暴れ方をしてきました。これら色彩は、今後、変わります。

 

元々iUをマンモスにしたいわけではありませんでした。それより、このファーストペンギンをみて、他の大学が刺激を受け、つながって、日本の教育研究を構造改革していくことを夢想していました。このモデルを広げたい。

なので退任後ぼくは、ここまで作ったモデル、コミュニティ、スピリット、カルチャーを外に向けて伝播するよう改めてエンジンを始動します。

 

バウハウスはナチスに閉鎖されるまで14年の命でしたが、その後、世界の美術や建築に多大な影響を与えました。

ぼくらのiU10年に満たないけど、何かが残り、インパクトを与えられるといいな。

ぼくはiUをバウハウスにしたい。退任して、無職になってからの、挑戦です。



2026年4月27日月曜日

69 année érotiqueの紅白

69 année érotiqueの紅白



20NHK紅白歌合戦の蘇った映像を観ました。

1969年、小学3年生の大晦日。

ぼくはしんしんと観ていた。京都の、修学院の、北に面した六畳一間のアパートで。

だいぶ覚えている。だけど、だいぶ忘れている。今回、だいぶ気がついた。

そして、だいぶ泣いた。 順不同

 

カルメン・マキ「時には母のない子のように」。

覚えている。うんと年上の悲しいお姉さんだと思っていた。

でもこのとき17歳。はだしジーンズ。寺山修司。ロックへの転向前。

森山良子さん佐良直美さんがギターを弾いていたことに気がついた。

 

ザ・キング・トーンズ「グッド・ナイト・ベイビー」。

五木ひろしさんがデビューしたころ、ヴォーカルの内田正人さんが「歌唱力が低い」と評していたことを思い出す。米軍キャンプでプラターズやトニー・ウィリアムズらと一緒にいた経歴がなせるスタンス。

そしてぼくは全員の顔を覚えていることに気がついた。

 

鶴岡雅義と東京ロマンチカ「君は心の妻だから」。

沁みる。この曲こんなによかったか。こんなにいい歌を日本人は聴いていたのか。

内山田洋とクール・ファイブ「長崎は今日も雨だった」。

ギター、ベース、キーボード、サックス、ドラムスを演奏している!

バンドだった、ということに気がついた。

 

ところで東京ロマンチカの三條正人さんも、クール・ファイブの前川清さんも、一員でしかなく、出演者リストにも名前がない。

ハナ肇とクレージーキャッツ。ジャッキー吉川とブルー・コメッツ。和田弘とマヒナスターズ。

年上マスターの責任感が示されている。昭和のしきたりである。

藤澤涼架とMrs. GREEN APPLE。城島茂とTOKIO。高橋みなみとAKB48。的な。

 

弘田三枝子「人形の家」。

渥美清さんのテレビドラマ「泣いてたまるか」に出演していたころはポッチャリしたダイナマイト娘だったが、整形しスリムになってカムバックしたこの曲、ぼくは好きで小声で「わたしわぁ はぁなたに ひぃのちを はぁずけた~」って歌っていた。

 

西田佐知子「アカシアの雨がやむとき」。

60年安保の主題歌が70年安保の紅白で歌われた。西田さんはこの2年後に引退する。日本の至宝を連れ去った関口宏さんを許さない。この人を継ぐミューズ、ちあきなおみさんが登場するのは翌年のことだ。

 

佐良直美「いいじゃないの幸せならば」。

日本レコード大賞を受賞した直後の紅白。堂々とされている。当時24歳。おかしな騒動で見かけなくなり、気になっていた。ツテはないが、お目にかかりたいと思っていた。するとこのところYouTubeチャンネルでお話なさっている。拝聴しております。

 

いしだあゆみ20歳デビュー「ブルー・ライト・ヨコハマ」、黛ジュン21歳レコード大賞の翌年「雲にのりたい」、由紀さおり23歳ルルルルばかりの「夜明けのスキャット」、水前寺清子24歳タンバリン鈴タンバリン「真実一路のマーチ」。

みなさん驚くべき貫禄。大人だったんだなぁ、と気がついた。

 

月の家円鏡さんや三遊亭小圓遊さんのご登場に、粋な江戸芸人の風情をみた。

当時ぼくがハマっていたのは吉本新喜劇ぐらいのもので、東京ってのは遠い遠い異国であって、NHKがカラーで見せるきらめく舞台は縁を持つことを想像することさえ禁じられる天国だと思っていた、いや思ってさえいなかった。

世間の隅っこ、うすら寒い部屋で、開かれた未来はなくて、ずっとそこにいると感じていた。

56年前の映像に、そんなしょんぼりしたガキに戻りました。それから悲喜こもごもあったような、何もなかったついこの間のような、豊かなタイムスリップでありました。


ありがとうNHK


ついでに

69 année érotique.

https://www.youtube.com/watch?v=sVLGtPXDGoA