■Net ユビキタス・サイネージ
今、街はデジタルサイネージで埋め尽くされようとしています。銀座。「ニコラス・G・ハイエック センター」吹き抜けには、28台のディスプレイが縦4列に配置されています。「シャネル・ビル」は、壁面全体にアート表示。雨の日は傘が降ってくるといった映像を放映しています。お台場のパナソニックセンターでは、壁が一面ディスプレイになっていて、身振りで操作できるインタフェースを備えています。
ヨーロッパではこうした建築物の表面を使ったビデオ映像による表現が「メディア・ファサード」いうジャンルを形成しており、アートフェスティバルも開催されています。建築の一部としてサイネージが組み込まれ都市の景観を形作っていくというのが当たり前になるでしょう。
屋内も同じ。台所もメディア化します。冷蔵庫もオーブンもみなディスプレイを備えるサイネージとなります。調理台の上にはCG映像が投影され、スープに入れるニンジンのきざみかたを教えます。グラタンをオーブンから取りだす手袋は温度を感知して焼き加減を声で知らせます。
スーパーでは、電子POPに「ラム肉が入りました」と掲示されます。ラム肉が入荷されたことをシステムが知っていて、私がラム好きであることも知っていて、私が来たことを感知したからです。バーでは、以前ボルドーを注文した私に、新入荷のボルドーがあることをカウンター上に表示します。トイレでは糖分とりすぎ注意という警告が便座のヨコに映し出されます。
ウェアラブル・コンピュータで、目の前にあるレストランに空席のあることがメガネに表示されます。目の前にいる人の顔をカメラでとらえて、ネット上のデータベースから、その人のプロフィールや、過去に受け取ったメールや、関連ウェブサイトを示します。えっと、どちらさんでしたっけ、というバツの悪い思いはしなくて済むようになります。
行き着く先は、「デジタルサイネージがなくなる」ということです。すべてのメディアがデジタル化すれば、デジタルと呼ぶことはなくなります。電気冷蔵庫が普及して、氷の冷蔵庫がなくなると、電気が取れて「冷蔵庫」となりました。白黒テレビがなくなると、カラーテレビは単なる「テレビ」となりました。デジタルサイネージはいずれ「サイネージ」とだけ呼ばれます。
そして、すべてのモノがメディア化し、五感サイネージとなります。そうなると、もはやサイネージはサイネージとして意識されなくなります。今は「目立つ」ためのメディアですが、いずれは人間社会に自然に溶け込んで「目立たなく」なっていく。長期的には、そのようなことも模索されていくはずです。






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