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2010年7月3日土曜日

京都産業大学に行ってきたよ


■Buenos 京都産業大学に行ってきたよ
 京都産業大学。小学生のころは近くに住んでいたのですが、キャンパスに入るのは初めて。
 MBS(毎日放送)ヤングオーオーに産大の学生「あのねのね」が登場し、「赤トンボの唄」や
「氷屋のオッサンの唄」を披露したときは、腰を抜かすほどの衝撃で、高度な才能がなければ行けない大学だと怖れをなしていました。
 中学になって、KBS(近畿放送)で笑福亭鶴瓶が産大出身ということで活躍するようになってその思いは確固たるものとなりました。

 土曜日のお昼に帰ったら道頓堀アワー、松竹新喜劇を見て、京都花月の吉本新喜劇を見て、日曜には梅田花月と難波花月の吉本新喜劇を見て、お笑いネットワーク、モーレツしごき教室その他 全てのお笑い番組にチャンネルを合わせていたガキとしては、世の中のえらいひとのトップにお笑いを据えていたため、ポイントが高かったわけです。
 当時の産大は創業間もない大学であったが、今や9学部7研究科を擁する総合大学として堂々たる陣容を誇り、ノーベル賞受賞者を含む著名な先生方も並んでおられます。

 今回ぼくが呼ばれたのは、主に一年生を対象とする学部横断の授業。
 受講生の大半がティーンズ。メディア融合やデジタルサイネージについて複眼的な視点を与えて欲しい、ということだったのですが、ぬー、ぼくにできることは何だろうか、ティーンズを前に考え込みました。
 たぶんメディア融合やデジタルサイネージについて解説しても伝わりませんね。
 ぼくにできることは多分、未来からみた君たちのころのぼくについて話すことでしょう。
 
 自分が何者でもなく、何ができるかも見えない。
 大学に入ったはいいけど、そこに求めるものが転がっているわけじゃない。だから、自分で動いて、自分で作る。
 できることといえば、ギターを弾き、ベースをうならせ、ガラスを割って音を出し、奇声をあげて叫んで、転がってケンカすること。かたわら少年ナイフというバンドもやっていたが、せいぜいそんなこと。
 でも、命がけでパンクやってる年下のモヒカンを見るうち、こいつらには勝てない、音楽の赤い玉が先っちょからポロリと落ちた。じゃじゃ丸ピッコロ、ポロリ、ときどきアッチ向いてぷん。それで音楽をあきらめました。

 でもそういう連中がスキ。
 そういう連中がフルスイングできる環境を作る側に回ろう。
 じゃ、どうする。
 ということで、考えて、考えて、死ぬほど考えて、それから猛勉強して、官僚になりました。
 メディアの行政に身を置きました。  (つづく)

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