■Buenos ひろみ -1
仰げば比叡山。
35年ぶりか。母校を訪れたんは。
校庭も、鉄棒も、登り棒も、プールも、変わってへんが、こんな小さかったか。
講堂前の築山にある銅像は、こんな大きかったか。
銅像、「小林正直君」と彫られてます。大正時代に講堂を寄贈したらしいです。
そのひとが自分のじいさんのじいさんに当たるということをむかしオカンが言うとったが、そんな資産家と、貧しい自分ちとはリアリティーが感じられないので、またまた−、オカン見栄はってどないすんねん、と思っていました。
しかし最近どうやらそれは本当で、じいさんの代に戦後のゴタゴタがあって、ぼくら子孫が割り食ってたということを知りました。
そうとは知らず、小学生時代、いろいろ銅像にイタズラしてすみませんでしたアレはぼくでした。
その京都市立修学院小学校界隈は、「けいおん!」の舞台となり、上洛したオタクで賑わっています。
はじめてアニメを見たとき、とてもとても懐かしい感じがしたのは、とてもとても懐かしい風景だったからです。
小学校の2年下に、前原誠司というひとがいました。ぼくらが作った鉄道クラブに入ってきました。そのひとは、中学も高校も大学もずっと同じ2年下で、高校ではぼくらが作った野球部に入ってきました。大学でてから政治家になったらしいっす。でもぼくはまだ一度も話をしたことがありません。
そのうんと下に、チュートリアルの二人がいます。彼らが出た幼稚園の今の園長は、ぼくの同級生です。
ぼくはそんな立派なひとたちと違い、下の方でブラブラしていました。
特段、勉強ができるわけでもなく、運動に秀でているわけでもなく、お金もなく、時間ばかりもてあまして、京大の紛争で学生や機動隊が火だるまになるのを観に行ったり、吉本新喜劇のギャグを全て真似できるようになったり、自転車に銀玉鉄砲をくくりつけて戦争ごっこをしたりしていました。
よそのクルマに泥ぬりつけてるところをつかまって呼び出しくらったり、歯医者の邸宅に集団で花火を投げ入れて警察を呼ばれたり、空手道場の後輩の家に遠くから石投げたら普段ノーコンなのに見事命中して窓ごと家の中にガシャーンと落ちてけが人が出たり、ほかにも書けないことだったり。
いつもヤマグチヒロミという親友とつるんでの所業であるから、学校からも目を付けられていて、何かまずいタレコミがあると、またあいつらかい、の二人でした。そのたび先生も、ニコニコしながらグーでボコボコ殴りました。今なら大変な悪党と暴力教師かもしれませんが、まだ社会の許容度が高くて、適当なガキの爆発も教師の暴力もぎりぎりセーフでした。
(つづく)





面白いですね。腕白少年時代。ニコニコしながら、グーでボコボコ殴りました、なんてところは。そうですよね、昔の先生はそういう余裕があったような気がします。今はぎりぎりまで抑えて怒るから、感情的になってしまうのかな・・・。資質の問題なのかなああ・・・・。
返信削除しかし、読み返すと、ほんま、とんでもない餓鬼だったんですね。(おっと、失礼)