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2010年6月11日金曜日

中国のサイネージ

■Net 中国のサイネージ 
万博が開催されている上海。成長する勢いをサイネージで表現しています。商店街にはタテ型のディスプレイが数メートルおきに配置され、公園のステージやビルの壁面にも巨大な表示システムが埋め込まれています。浦東では巨大なビル壁一面をサイネージにしてしまったものもあります。日本ではちょっと考えられません。

 タクシーにはタッチパネルの広告システムが備わり、かつら売りの屋台でも映像で商品を宣伝しています。液晶ディスプレイを頭上に掲げて行き来する「歩くサイネージ」も登場しています。
 天然色の看板が縦横無尽に立ち並び、大小の広告塔がわれ先に主張する。そうした従来からのアジア的な看板文化がデジタル化し、動画化しているのが上海のサイネージの姿です。

 しかし、システムはローテク。広告素材は、ネットワークで配信するのではなく、DVDに保存して、自転車で、人海戦術でモニターにセットするのが大半だそうです。中国ならでは。

 とはいえ先端のものも見られます。浦東 World Financial Centerではショップ、オフィスが150画面でコンテンツをウェブ上で製作しサイネージ展開しています。日本のPDCが担当。
 家具ショップMacallineのエスカレーター天空LEDはロンドンのチューブを凌ぐ近未来サイネージを展示。また、館内には、360度スクリーン、テレプレゼンス食卓、タンジブルテーブル、健康自動チェックシステム、タッチパネルキッチン、キッズおえかきキット、ゴッホの糸杉をなぞる学習システム、ファッションシミュレーションなど、10年前のメディアラボを彷彿させる技術が展示されています。

 五輪を終えた北京は空港も道路もきれいになっていて、サイネージも増えています。地下鉄の車内サイネージではファッション情報を流しています。王府井のショッピング街でも、ビル壁の大型LED、店舗の液晶など、それなりに配備されています。紫禁城の中にも大型のサイネージがありました。世界の中心で、「愛!」と叫んでみました。

 サマーダボス会議で訪れた大連でも、輝度が高くビル壁一面タイプの大型サイネージを数多くみかけました。ただ、そこでご一緒した森ビルの森専務が言うには、3年ほど前のサマーダボス会議前に街の看板規制が行われ、街のパラボラも撤去されたのだとか。上海も今ビル壁型サイネージはコンテンツ規制がなされていて、公共利用などのみとなっているのだとか。少なくとも万博まで続くのでしょうね。

2010年6月10日木曜日

ヘルシンキのサイネージ

■Net ヘルシンキのサイネージ
 フィンランド・ヘルシンキのサイネージは魅力があります。
 この街に点在するインフォメーション・キオスクは全てデジタルサイネージ。街の地図や公共広告などを表示しています。日本やアメリカにも、ロンドンやパリでも見かけない優れた情報共有システムです。

 玄関口「ヴィンター空港」はサイネージ空間。各カウンターや案内板、自動チェックイン機はもちろん、大判の広告塔も数カ所に設置され、一面がデジタルサイネージ。液晶パネルを9面と12面つないだ大画面で、天気予報やCMを放映しています。

 石造りの「ヘルシンキ中央駅」では、両替商やツーリストクラブでサイネージが利用されていて、「中央郵便局」でも57インチの案内板でムーミン切手などのCMが流れています。
 ショッピングセンター「Kampi」。店内150の全てのショップに42インチの液晶パネルが2枚ずつ合計86のディスプレイが配備されコンテンツを連動して配信しています。

 変わり種を二つ。
 まずは「郵便博物館」。郵政省出身のぼくとしてはどうしても引き込まれるスポットです。入り口の左右に等身大タテ長のディスプレイが2枚。左にはクラシックな装いの婦人、右にはこれも古風ないでたちの紳士が、こちらを向いて挨拶したり手招きしたりしています。
 正面には、4枚の液晶をつないだディスプレイで、19世紀の郵便局員の衣装を着けた男性が手招きしています。歩いて近づくと、画面から立ち去り、博物館の案内情報が提示されます。館内では、あちこちの黒壁にプロジェクターから動画が投影されている。クラシックでアナログな空間に、美しくプロデュースされたデジタルサイネージが融合しています。

 もう一つは、霧サイネージ「FogScreen」。非常に小さな水滴で構成される半透明のスクリーン。上部から下に噴射される霧は、ヨコから見ると1cm程度の厚さ。霧に投射される映像は幻想的です。水滴がとても小さいため触っても少し冷たい程度の乾いた感じで、スクリーンを通り抜けて遊ぶ子どもたちも多いといいます。映像の向こう側から人が飛び出してくる様子も不思議な感覚を与えます。素敵なコンテンツが開発できそう。

2010年6月9日水曜日

ヨーロッパのサイネージ

■Net ヨーロッパのサイネージ
 ロンドン・ヒースロー空港のサイネージは圧巻です。出発フロアでは、上部に横長の迫力ある大型LEDが美しいアート広告で客を迎え、その下、チェックインカウンターにはそれぞれ一機、合計で数十枚のディスプレイがヨコ面にずらりと並びます。
 地下鉄ホームの曲面の壁では大型のスクリーンに映像を投影しています。エスカレーターの脇では36枚のパネルが一組のデジタルサイネージで空間を演出。
 ピカデリー・サーカスでは昔ながらのネオンサインの上に、巨大なLEDが4面。CMや音楽情報が夜の繁華街にひときわ原色を輝かせています。

2010年6月8日火曜日

アメリカのサイネージ

■Net アメリカのサイネージ
 デジタルサイネージ先進地アメリカを歩いてみましょう。普及度では群を抜きます。屋外広告の27%以上をデジタルが占めていて、これは去年の16%アップだそうです(Sign Builder Illustrated誌 2009年2月号)。PQ mediaによれば、2008年のアメリカのデジタルサイネージ市場は約2300億円。日本の3倍強。世界市場6000億円の4割弱を占めています。

 その代表が量販店ウォルマート。IPTV技術で、全米 2,700店に散らばる 27,000枚を超えるスクリーンをモニターしつつ制御しています。このほか、ベストバイ、サーキットシティ、コストコといったチェーン6000店にサイネージを展開しているPRNのネットワークはアメリカ人の8割にリーチできているといいます。

 交通広告ではTitan Worldwide 社が鉄道の144プラットフォームと100台のバスに1,500枚のディスプレイを設置。広告やニュース、スポーツ、天気情報、エンターテインメントコンテンツを表示しています。

 ラスベガスはNYCと並ぶサイネージ都市。ルクソール・ホテルでは、フロントデスク後方のデジタルサイネージで、ホテル内のレストランやショーの広告、自動車のCMなどを表示。ポーカーテーブルの角にも小さなディスプレーを設置し、広告を表示しています。アメリカらしいサイネージ展開を見ることができます。

 2009年2月、そのラスベガスコンベンションセンターで「DIGITAL SIGNAGE EXPO 2009」が開催されました。関心の高まりを反映して、規模は急拡大。シカゴで開催された2007年の出展社数は120社前後でしたたが、ラスベガスでの5回目の出展社数はおよそ1.5倍の170社近くに達し,2009年度はさらにその1割増の180展示。

 ただ、全体としては、ハードウェア先行という印象でした。ディスプレイや配信システムのイベント。1980年代後半のケーブルテレビ業界のイベントと空気が似ていましたね。都市型ケーブルテレビが勃興して多チャンネルのニューメディアに期待がかかっていたとはいえ、ディスプレイとケーブルシステムが中心で、ケーブル向けコンテンツが成長するまで時間がかかりました。サイネージ先進国アメリカも今その前段にあるということでしょう。

 日本は決してアメリカにひけをとりません。液晶やPDPなどのディスプレイ製造力では日本はアメリカを圧倒します。ポップなコンテンツ開発力も負けることはありません。そして、自販機やモバイルなどのインタラクティブな利用面では、日本は世界を大きく引き離しています。

 アメリカ先行のブロードバンドをその後日本が追い越したように、サイネージも強みを発揮する可能性は大いにあります。問題は、それを国際的なビジネスまでもっていけるかどうか。世界同時立ち上げ産業であるだけに、世界的にスコープを拡げて眺めておく必要があります。

2010年6月6日日曜日

文化審議会著作権分科会基本問題小委員会コメント

■YouGo 基本問題小委員会コメント

 著作権の基本問題を論議する「文化審議会著作権分科会基本問題小委員会」が求めた3つの論点に関するコメントを提出しました。ぼくは他の多くの委員と違い、著作権問題を制度ではない政策で解決すべきという立場なので、少数意見でしょう。ということで以下のとおり。


論点1 デジタル・ネットワーク社会に対する認識、評価
 
 世界中の情報を誰もが入手でき、誰もが情報を生産・発信できて、世界中の人々がそれを共有できる。映像で考え、映像で表現できる。人どうしだけでなく、人とモノ、モノとモノとが交信し、常時連結する。
 デジタルネットワークは、人類史を前後期に分けるほどの変革をもたらす力を持っています。メリット、デメリットといった二分評価を超える意味及び価値があります。
 グーテンベルクの活版印刷技術が産業革命や国民国家形成などの影響をもたらすまでに3世紀を要したように、デジタルネットワークが産業、文化及び社会に浸透し、作用し、定着するまでには長期を要するでしょう。
 制度や政策を考えるに当たっては、短期的な問題解決アプローチに加え、長期的な視点に基づく方向感をもって対応することが大切と考える次第です。


論点2 上記認識の下での著作権制度の果たす役割
  
 デジタルネットワークの生産力と破壊力を正面からとらえ、情報の生産・流通・消費を活性化・健全化する制度作りに取り組む時期に来ています。それは著作権にとどまらない知財とメディアに関する包括的な仕組みでありましょう。国際横断的なスキーム、あるいは一国複数制度や道州制をにらんだスキームかもしれません。すなわち、相当な時間をかけて検討すべき問題だと考えます。
 他方、「クオリティの高いコンテンツをいかに産み出すかが鍵であり、創作活動の意欲を喚起させるべき」「技術革新のスピードや社会状況の変化に著作権制度は対応できていない」といった問題意識はいずれも重要です。待ったなしの課題が山積しています。
 しかし、これらに関し、著作権制度を手直しして問題解決を図るこれまでのアプローチは限界に直面していると考えます。数多くの課題が数年の時間と我が国を代表する大勢の関係者の智恵を費やしても合意に至らぬままで、解決に要するコスト・時間がかかりすぎています。
 逆に、法律の出番を少なくし、契約、ビジネスモデル、技術で対応するアプローチを重視すべきと考えます。さらに、準司法的な簡便なジャッジ機能を厚くすることも効果的でしょう。制度で対応するとしても、これまでのように法律を微細にしていくのではなく、逆に法律のキメは粗くし、政省令、告示やガイドラインに落としていく工夫があってよいと考えます。
 技術や利用の変化スピードに対応できるよう、制度というよりも全体のシステムを構築することが必要と考えます。


論点3 今後の検討が必要な著作権関連施策に係る課題と方向性

 上記を踏まえいくつかアイディアを挙げてみます。

1) 著作権情報の集中処理機関への財政・税制支援
2) 放送コンテンツ等の製作取引適正化の監視・推進
3) 産学官によるフェアユース等に係るガイドラインの策定
4) ADRや相談窓口の拡充
5) 著作権特区の導入による問題解決に向けた場の設定
6) 初中等教育からの著作権教育の抜本強化
7) 集中処理技術の開発推進
9) Sync Music JapanなどJ-contentsを世界規模で拡大する民間取組の促進

10) ハード・ソフトの利益配分・相互発展に関する建設的なプロジェクトの構築
(録音録画補償金にこだわらない問題解決法の検討)

2010年6月4日金曜日

京大西部講堂 -3

■Buenos 京大西部講堂 -3


自分がステージに立ってベースを弾くバンドもありました。
「Vampire」というパンクバンド。
みんなまだがんばってるな、おれもいっちょやるか。


ということで、2年前、20数年ぶりに復帰してライブに立ってみました。
いやぁ、足腰が動かん。
ベースは腰ですから。
腰ってどうやって鍛えるのか誰か手取り足取り教えて。


東京の場末、ジョイントでライブをやった「ウルトラビデ」が、客に向かって「おれら30年パンクやってんねんぞ!」と怒鳴ってました。笑った。
30年パンク。立派だ。
十代の客はドン引きであります。


さて、久しぶりに西部講堂を訪れてみると、いるいる、学生たちがイベントの準備をしています。
畳をどかしたり、立て看にペンキを塗ったりしています。
おっさんが現れると、当局の監視か?とばかり取り囲む。
うん、そういう文化は残ってるんやな。
ぼくも取り囲まれるおっさんになったんやな。


「むかしここにポリスが来てな。あそこで止めたんや。」
「あの現場におられたですか!」
取り囲みの態度が変わって、話せ、話せといいます。
そうか、あのころは歴史になり、憧れになったのですね。


2年前、NHK「爆笑問題×慶應義塾 2030の衝撃」という番組を作ってもらいました。
太田光さん田中裕二さんvs慶應義塾大学教授陣のトークバトル。2030年を考えるというものです。
「少年ナイフ」の「飲茶楼で、めちゃうまかろう」は、太田さんが作詞。その節はお世話になりました。
なんて話で始まった公開収録。90分番組なのに3時間半を超えるライブは、太田さん田中さんのパワーと会場を埋める学生の熱気に気圧されてしまいました。
収録終了後の記者会見で、2030年にはどうしているかとの質問に対し、田中さんから「そのころも蝶ネクタイしてるんじゃないの?」と突っ込まれてハッとした。「そうですね、きっと蝶ネクタイでパンクやってると思います。」とっさにそうぼくが答えたところで番組は終了しています。


しかしどうでしょう。
足腰がおぼつかない自分が、ちゃんとパンクでいられるでしょうか。
そのDVDが出ました。
http://www.amazon.co.jp/爆笑問題のニッポンの教養スペシャル-爆笑問題X慶應義塾-2030-の衝撃-DVD/dp/B0014H14TY/ref=sr_1_2?ie=UTF8&s=dvd&qid=1253454814&sr=8-2
(少年タケシ それでもポップか! 改訂)

2010年6月3日木曜日

京大西部講堂 -2

■Buenos 京大西部講堂 -2
 


そのあたりには音にいかれた連中がゴロゴロしていました。


いつも寝転がってラッパをふいている人がいました。


うんと先輩のはずだが、寝転がってラッパばかりふいて、あのひとどうなるんだろう。
ある日みかけなくなったので、どうなったことやらと案じていると、急にテレビでみかけるようになりました。
「近藤等則」という名前であることを知りました。
いまや大御所。


2年上に、Dr.Kyonがいました。
2年下に、どんとが入ってきました。
彼らはその後、「ボ・ガンボス」というバンドを組みました。


どんとは2000年に死んだけど、Dr.Kyonは今も佐野元春からケツメイシ、元ちとせ、松たか子といった、ジャンルを越えたプロデューサー兼マルチミュージシャンとして活躍しています。
2005年に発売されたボ・ガンボスのトリビュートアルバムには、東京スカパラダイスオーケストラ、渡辺美里、甲本ヒロト、トータス松本、奥田民生、UAらが参加していて、彼らがいかに今のミュージシャンに尊敬されているかがうかがえます。


ぼくは「少年ナイフ」というバンドを手がけていました。
亀の子タワシ亀マーク。おうおう大きなバカ貝。チョコバー食べたいヨ。ロケットに乗って冥王星に行きたい。
そんな脳天気な曲を作って弾いて唄っていました。
いずれ女三人、かしまし娘のように角座の舞台でトリでも取れればと思っていました。


その後、マイクロソフトの世界CMでローリング・ストーンズの後釜を務めたり、ニルバーニャと世界ツアーに出かけたりするようになるなど、夢にも描きませんでした。
今も少年ナイフは全米ツアーに出かけたりしています。
(つづく)