■Kids なぜデジタル教科書なのか
---生徒全員が持つタブレットパソコンで、「わたしの未来の学校」の絵を描いた。先生はそれを電子黒板に集めてみんなに見せる。そして、平面のデザインを3D(立体)に変換し、実際に設計できそうか、意見を聞く。みんながパソコンにペンで書き込む。話もする。どんな学校がいいの。だんだん「わたしたちの未来の学校」ができる。でも、正解は一つじゃない。考える。
授業の模様はアーカイブに蓄積されていて、家からも見られる。家に帰ると、家族が「未来の学校」のアイディアを出す。明日、学校で発表してみようと思う。地域の人も見る。給食に意見のあるスーパーの経営者や見回りボランティアのおじさんたちが未来の学校を考える授業に来てくれることになった。
全員の端末がネットでつながっている。今日の社会科のテーマは政府の仕組み。家でサイトを調べて、共有画面にレポート結果を投稿する。学校の授業では、先生がそれをまとめて電子黒板に表示して、みんなで議論する。
「じゃあアメリカはどうなの中国はどうなの。」知らないわからない。じゃあ外務省の人に聞いてみよう。テレビ会議システムでつないで、教えてもらう。アメリカや中国にも問いかけてみる。日本語で送れば機械翻訳される。あ、メールが返ってきた。なぜ?って思うことはきっと答えてもらえる。---
そんな近未来はどうでしょう。いずれ学校でも家庭でも、情報端末やデジタル教材を使って、これまでにない教育・学習ができるようになるでしょう。
2010年、教育の情報化が急速に動き始めました。きっかけは二つあります。
まず、政権交代後、政府が力を入れ始めたこと。
文部科学省が4月、「学校教育の情報化に関する懇談会」を開催し、総合的な推進方策を検討し始めた。2020年に一人一台の情報端末とデジタル教科書が使える環境を実現するのが政府目標となっています。総務省も「フューチャースクール」と名づけた学校情報化の実験を強力に推し進めています。
もう一つは、新しいデバイスが一斉に登場してきたこと。アップルのiPadのようなスマートパッド、アマゾンのキンドルのような電子書籍リーダー、先生が使う電子黒板など。教育向けのタブレットパソコンも今後、続々と市場に投入される見込みです。デジタル教育で役立ちそうな機器やツールの具体像が見えるようになってきたのです。2010年は電子書籍元年とも呼ばれ、出版業界が大揺れとなりました。紙の書籍が急速にデジタル版に置き換わっていくかもしれません。教科書や教材もデジタル版が増えていきます。
しかし、日本は動きが遅かった。デジタル教育の後進国と言ってもよいでしょう。アメリカ、イギリス、ポルトガル等が力強い足取りを見せています。さらに、韓国やシンガポールは2012〜2013年にデジタル教科書の本格利用を予定しており、世界をリードしています。日本の7〜8年先を行きます。日本の取組はフィリピンやタイにも後れを取るという意見もあります。
そこで2010年7月、教育のデジタル化を推進する母体「デジタル教科書教材協議会」が発足しました。現在の会員数は88社。出版、教育、通信・放送、ソフトウェア、メーカその他さまざまな業界から、次の世代の教育を考え、サービスやビジネスを花開かせようと集っています。ぼくが事務局長を務めています。文部科学省や総務省など政府関係者と意見を交換するとともに、内外の教育分野の研究者や全国の学校の先生たちとも連携して活動していきます。
世界中とつながる。文字、音声、映像、データを駆使して知識を得て、考え、創作し、表現する手段が手に入る。論理力や思考力を養う。創造力や表現力、コミュニケーション力を育む。このためには情報技術の活用が不可欠。
デジタル技術により、どこに住んでいても、豊富な知識に接することができ、地球上の人たちと交流することができるようになる。
少子高齢化の進む日本は、少なくなる若年層の能力を高め、その活動領域を拡げていくことが最重要課題。教育の水準を高め、機会を拡げるための社会投資が必要です。工業社会から情報社会に切り替わる今、ふさわしい教育をわれわれ大人は提供できるでしょうか。
日本に最先端の教育環境を整えたい。豊かな教育を子どもたちに授けたい。これは恐らく詰め込み・暗記型の教育から、思考や創造、表現を重視する学習へと教育の中味にも変化をもたらすのではないでしょうか。
しかし、急激な変化に対する不安もあります。学校現場は対応できるのか。忙しい先生の負荷を増すことにならないか。情報化の予算は大丈夫か。そもそも情報化は子どもたちの学力向上に効果があるのか。子どもたちの成長にとってデジタル機器に危険なことはないのか。画一的な教育、無味乾燥な教育がはびこるのではないか。紙の教科書と黒板と先生による授業に勝るものはないのではないか・・・。
もちろん、現時点で、「全く心配はない」などということはできません。デジタル技術も、その上で使われる教科書や教材も、それを使った授業の手法も、開発途上です。開発しながら、学校の現場で先生たちに試してもらいながら、生徒たちにも使ってもらいながら、よりよいものに進化させていく必要があります。不安を取り除いていく必要があります。
紙の教科書も、ノートや鉛筆などの文具も、先生の授業の手法も、長い年月と愛情をかけて、進化を遂げてきました。そこにデジタル技術が投入されて、学校の状況が変わっても、年月をかけ、愛情をかけて、教育や学習を進歩させていくことに変わりはありません。
紙には紙のよさがあります。黒板には黒板のよさがあります。そろばんには電卓にないよさがあります。だが、デジタルにはデジタルにしかできないことがあります。それを使いながら、次の世代の教育を作ることはできないか。日本は今、その入口に立つのかどうか、ということが問われているのだと思います。






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