■コロナ、断捨離、京都。
京都の若い知人が断捨離をしました。
モノを捨て、ミニマムに身軽になり、住まいも手の届く範囲で済む手狭な場所に移るそうです。
「減量したら健康になる。身軽になって旅に出る。
モノからコト、エコでノマド。
デジタルさえあればだいたい済むし。」
ですよねぇ。
人の断捨離もしたそうです。
「本業の客商売がコロナであがったりで、その間、SNSやスマホの連絡先をミニマムまで切った。
でも必要な相手とは連絡はできる。大多数が不要だとわかった。」
快適であると。
「デジタルでのコミュニティとコミュニケーションは、リッチを過ぎると過度に我が身を縛る。」
ですかねぇ。
コロナで仕事がない。コロナで体が動かない。
リボーンの機会です。
貯めたモノ、貯めたヒトをデトックス。
デトックスされる老廃物になりたくはないが、デトックスしてリボーンする機会はまたとなさそうです。
ぼくは新大学という客商売を始めたばかりで、デジタルのコミュニティとコミュニケーションを強化する時期なので、断舎離する余裕がございませんが、とはいえ老化が老廃物として漏れ出さないよう、分をわきまえたい。
でも、断捨離は目的ではないよね。軽くなってどうするのか。縮んでいる間、世間もコロナで止まっているのだが、そこどう考えるのか。
問うてみたところ、「焼け野原を待つ。」という答えが返ってきました。
ん、それはなに?
「焼け野原を待つ。何もしない。じっとしている。
自分の仕事はないけれど、みんなにもなくて、コミュニティが壊れる。
死に絶える。
そうしたら、ゼロから始められる。
それを楽しみにする。」
コロナをチャンスに変える見方として、コロナで焼き尽くすというのは、「応仁の乱」後を見据える京都人の時間感覚ですなぁ。
焼けてからが勝負、と。
京都国際映画祭2015のキャッチコピーが
「京都は、変や乱が好き♡」
でした。
「京都はつくる。つくってこわす。
京都はこわす。こわしてつくる。」
あの言葉、ホントなんですねぇ。
う~む
ぼくの京都人への道、半ば。
これ持ってたらあかんやつちゃうかなぁ。
かと言うて捨ててもあかんのちゃうかなぁ。
断捨離いきなり挫折














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