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2011年5月23日月曜日

10年前のプレゼン -8 「映像で考えて映像で表す」


■Buenos 10年前のプレゼン -8 「映像で考えて映像で表す」

「Digital Punk 21 in東京大学 2001年1月 MITメディアラボ客員教授 中村伊知哉」の問題提起21点、No.16〜18。

8. 生産より編集
・選んで捨てて合わせて伝えて動かすDJ
・ Napster/Gnutella:囲い込みロイヤリティ→オープン、フリーコピー前提のモデル

 創造力・表現力というコンテンツを生産する力以上に重要になってくるのが編集力。
 あふれる情報の海から、情報を捨てて、拾い上げて、組み合わせる。それによって自分の表現を作り、相手を揺り動かす。これはDJの仕事。無数の音源の中から曲を選び、組み合わせ、別の音楽を作り、オーディエンスを踊らせる。
 当時、将来なりたいカッコいい仕事のトップに、ゲームクリエイターをおさえてDJがトップについたこともあって。
 この1年後ぼくらはNPO法人CANVASを設立して、子どもの創作ワークショップ活動を始めますが、DJになろうワークショップは初期の目玉シリーズでした。情報の編集をポップミュージックで実践してみる。
 このころNapsterやGnutellaなどのP2Pモデルもずいぶん論議になっていました。囲い込みを前提とする著作権ビジネスから、フリーコピーを前提とするモデルへの移行は可能なのか。成功例を作るしかない、というのがお定まりの結論でしたが、十年経って、どうですか。


9. バーチャルよりリアリティー
・映像で考えて映像で表す
・ リアルという技術は現実に近づけるだけ、超えるにはバーチャル、そのリアリティー

 ここで青い話を一つ。
 ラスコーのネアンデルタール人は文字を持たず、洞窟に絵を遺しました。絵で考え、絵で表すコミュニケーションだったのですね。それから文字ができ、印刷技術が産まれ、レコードや映画やテレビやコンピュータが産まれ、20世紀終盤に来て、映像を作り、映像を保存・蓄積し、映像を世界に発信する手段を人類は得ました。改めて、映像で考えて映像で表す手段を得た。2〜3世代も経てば、言葉で考え文字で表すよりも、映像で考え映像で交信するほうが通常になるのではないですか。
 その際、いま追求されている高精細、立体といった「リアル」という技術は本質的なものなのでしょうか。つきつめてつきつめて行っても、結局、現実の精細度や現実の立体度に接近し、なぞるだけであり、現実を超えることはありません。それなら現実のほうが豊か。それよりも、現実では決して実現できないものを表現する技術、バーチャルにしかできない様式、そのリアリティーを追うのがぼくらの仕事ではないでしょうか。
 なんて話。いや、青い、青い。


10. 増えるよりなくなる
・モーターは埋め込まれ、誰も意識しなくなった
・ウェアラブルとタンジブル
・Bits meet Atoms
・ G1:40sのメインフレーム  →G2:70sのPC →G3:2000sのユビキタス

 ゼロックスのマーク・ワイザーが「ユビキタスコンピューティング」を唱えたのが1993年。ぼくはそのコンセプトにかなりハマりました。そうか、コンピュータって、服や家具やクルマや街並みに溶け込んでいって、姿を消す、つまり、「消えてなくなる」ことが進化の目標なのか。自らを消し去ることが進化である。それは美しい。滅びの美。日本的な美しさです。だいいち、「神々が偏在する」というラテン語であるユビキタス。一神教の世界では理解しにくいでしょう。われら「やおよろず」の国民が体現してあげなければいけないのではないですか。
 そこはメディアラボのネグロポンテ所長はさすがギリシャ海運王の跡取り、多神教ギリシャの血を引く。わかっていました。ぼくにこう言いました。「モーターは100年前、産業を支えるツールとして大変な期待を集めていた。だが、クルマにしろビデオカメラにしろ、いろんなマシンに埋め込まれていき、姿を消し、今や誰もモーターの存在を意識しない。モーター音がしたら、つまりモーターが存在感を示したら、モーターの失敗と映る。コンピュータもそうなる。」
 当時はウェアラブルコンピュータブームでもありました。ユビキタスの一概念。服、メガネ、靴、身につけるものにPCを溶け込ませ、ネットと常時接続する。ケータイでいいんじゃね?という話は当時もありました。
 でも、モバイルとウェアラブルは根本的に違います。どう違うか?モバイルは、「いつでも」。ウェアラブルは、「いつも」。その違いです。モバイルは、「いつでも」望むときにオンにする。ウェアラブルは、24時間「いつも」ずーっとつながっている。当時、まだモバイル定額制ってのがなかったですから、この違いは大きかったですね。
 その後モバイルはずんずん進化し、スマートフォンまで行き着きました。一方、ウェアラブルは停滞しています。24時間オンのサービス設計はまだまだ可能性がありますが、ウェアラブルが十年たっても停滞している理由は、ファッション側のデザインにあると思います。ウェアラブルのほうがカッコいい、というデザインをまだ創出できていないから。IT側ががんばっていても展望は開けません。

 このプレゼン当時、ネグロポンテ所長は「Bits meet Atoms」を唱えていました。ビット=情報とアトム=物質とが結合する。バーチャルとリアルが融合するということ。90年代を通じ、それはインターネットという姿で実現しました。リアル空間で行われていること、仕事も暮らしも、学校に行ったり遊んだりすることも、みなバーチャル空間でできるようになりました。AtomからBitへの移行。
 そして当時はその逆運動が起きようとしていました。バーチャル空間がリアル空間に進出しようとしていたのです。それがウェアラブルであり、ユビキタス。すべてのモノがつながって交信し合う環境のイメージを思い描いていた時期でした。
 それはちょうどコンピュータが第3世代に入った時期でもありました。第1世代であるメインフレームは、大勢で1台のコンピュータを使う。30年後の第2世代はパーソナル・コンピュータ。一人一台。そしてその30年後、第3世代のユビキタス。一人が何台ものコンピュータをぶらさげる、ということです。
 どうでしょう。第3世代は定着したでしょうか。

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