■学長くんガチョーン. 山分ネルソンさん
マレーシア出身。貧しかったが来日、北大から阪大を経て産婦人科医に。いま院長先生。
だいぶすごいひと。
◆小さい頃の夢
すごく貧乏だった。親が教育を受けておらず、自分自身は高校を絶対に出たいという夢を持っていた。将来はサラリーマンになりたかった。両親は字も書けないので、肉体労働をするしかなく、サラリーマンになれなかった。教育を受けるチャンスがなければ、とても大変な人生を送ることになるとおもった。
◆マレーシアから日本へ
18歳で日本に来た。
小さい頃、自分の周りに「スズキ」「ホンダ」「トヨタ」「東芝」など自分が知っている英語・中国語・マレー語ではない、意味のわからない文字が溢れていた。先生にこれはなんの言葉か聞いたところ、日本語だと教えてもらった。日本のものが世界にあることに驚いた。日本は大きくて豊かな国だとおもっていた。中学で地図をみたら、日本は小さい島国だった。なぜこのような国から世界中にものを溢れるほど輸出できるのか興味が湧いた。
「おしん」をみた。感動した。日本にあのような貧乏な時代があったことにとても驚いた。ますます日本はすごい国だとおもった。
日本は第二次大戦後貧乏になったが、同じ頃マレーシアはイギリスの植民地であったので欧米の文化・技術が入ってきており、熱帯雨林のおかげで資源も豊富で日本より豊かだった。しかしたったの3,40年で日本がマレーシアを抜かした。不思議だった。日本人はすごいと憧れた。
◆医学の道へ
医学への道を最初は諦めていた。日本語学校に行きつつ、アルバイトをしつつ、医学部の受験は無理だとおもった。しかし、医学系の勉強には興味があったので薬学部へ進み、薬剤師の免許を取った。その後、このまま医学の道を諦めてもいいのか、と悔しさが生まれ、挑戦しなければ後悔するので医学部を受験した。そして大阪でいま産婦人科医をしている。
もともと少し医者になれればいいとおもっていた。マレーシアには医者になるには留学しなければほぼなれなかった。お金もないので医者にはなれない、とサラリーマンになれれば、としていた。
◆日本に来てよかった
産婦人科はとても大変だが、あまり理解されない。救急車たらい回しという表現は悪意がある表現として捉えられるので悔しかった。大阪の参議院選挙に立候補し、街頭演説などでたくさん訴えた。落選はしたが、マスコミの耳に入り、たらい回しという表現から救急車受け入れ不可能と表現を変えてもらえた。
また、演説を聞いていた人が感動し、開業しなさいと場所や資金などを提供してくれた。
日本という国は死ぬ気で頑張れば夢を咲かせることができる。病院の名前を「希咲クリニック」とした。
◆心に響く演説
30代の若い人が演説後、握手を求めてきた。平凡なサラリーマンで夢も希望もなかったが、日本語も喋れず、お金もない中、医者になり自分の拠点をつくることができたという演説を聞いて、自分も負けていられない気持ちになった、と。
◆キミたちへのメッセージ
勇気を出して、たくさんの失敗と挫折をする。日本は物質的に豊かで満たされているので、失敗することを恐れてしまう。結局一歩を踏み出せない。
失敗は辛いが、失敗は次の成長の糧になる。失敗や挫折がないと変化がない。変化がないと成長もしない。






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