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2019年9月12日木曜日

MITメディアラボというビジネスモデル

■MITメディアラボというビジネスモデル
伊藤穰一JoiさんがMITメディアラボの所長を辞任しました。ブラックな筋から資金をラボが受けたことが原因とされます。
世界のトップ機関の長を張る日本の星であり、ぼくらITやビジネス界の誇りであるだけに残念です。

ぼくは事案について詳しくは存じ上げません。
20年ほど前に客員教授をしていましたが、その後コミュニティから離れているため、本件を巡る現場の空気も吸っていません。
ただ、この騒動は、MITメディアラボがいかなる怪物的な存在かを、改めて思い起こさせました。

Joiさんに期待されていたのは集金です。ぼくが最も尊敬する人物の一人、わが師匠、メディアラボ設立者ニコラス・ネグロポンテさんの後の所長が長く続かなかったのは、その機能が弱まったからと見ています。

メディアラボはMITから半ば独立する形で世界中から資金を集めて設立されました。当時、調子のよかった日本が1/3の資金を拠出しました。ネグロポンテ師匠の集金力です。
集めた資金はラボにドンブリで入り、各教授に配分されます。その仕組みがラボの支柱です。

年2回開かれるスポンサー会議では、世界中の出資者がラボの成果を厳しく叩き、教授たちは競争にさらされ、プレッシャーを受け続けます。評判が低いと、クビです。
ただ、スポンサーの多くは知財などの直接の研究成果を求めるというより、ラボのスポンサーであるというブランド・コミュニティに魅力を感じていました。

ぼくは2003年、メディアラボの研究内容やビジネスモデルを記録した「デジタルのおもちゃ箱」を上梓しました。

「序 ユビキタスを超えて」にその概略を記しています。

「1章 顔と顔」にラボの研究内容を、

「4章 研究とビジネス」にラボのビジネスモデルを描きました。

今も構造はさほど変わっていないはずです。


この組織のトップに、学位を持たない初の外国人、それも日本人を据えました(その後Joiさんは慶應義塾大学から政策・メディア博士の学位を授与され、ぼくの後輩となりました)。
そのニュースには、さすがパンクなネグロポンテ師匠、さすがメディアラボ、拍手を贈りました。

同時にぼくは、この西海岸とは異なる東海岸のエリート臭ぷんぷんとエスタブリッシュ色りんりんのアウェイ地には、10人ほど身内を引き連れて乗り込まないと即死だぜ、と感じていました。
(メディアラボは多国籍と言いつつ、ぼくがいた頃は半分ぐらいユダヤ人でした。いや、みなさん国籍は違うんですけどね。)

でもJoiさんは単身乗り込み成果を上げました。沈んでいたメディアラボの発信力も高まったと見受けます。ITやスマートの時代に本場は西海岸に移り、AIやIoTの時代が来るに及んで、改めて存在感を増しているように見えます。

そこには、それだけのリスクが潜んでいました。

受け取ってはいけない相手から資金を受け取っていた、とされます。

これに対しネグロポンテ師は騒動さなかの9月4日、メディアラボ会議で「時計を巻き戻せたとしてもなお、私は『受け取れ』と言うでしょう」と発言したそうです。

そして、メディアラボがいかにして「授業料を徴収せず、人々に給料を全額支払い、研究者が知的財産を保持できる場所」となったかを語ったそうです。

記事を拝読する限りでは、ネグロポンテ師らしいと感じました。

ぼくがラボに所属していた時も、教授会で、大手タバコ会社からの研究資金を受け入れるかどうかで悶着がありました。当時のネグロポンテ所長は断固「受け入れろ」でした。政府の軍事予算も当然受け入れる。

逆にアカデミズムとして受け入れない線をどこで引くのか。引けるのか。引いてよいのか。
ショッカーからの受け入れも辞さない、そんな姿勢でした。
この点がMITの鬼っ子メディアラボの凄みであり、今回の騒動を引き起こした遠因でもありましょう。

(騒動の肝はその後、資金を受け取っていたことよりも、それを隠していたことに移ったとされ、ネグロポンテ師が現在どうお考えかは存じません。報道される彼の発言は、隠蔽を報じたThe New Yorker記事の前のものです。)

35年まばゆい光を放ってきたメディアラボはここで傷を負い、その威信を取り戻すのは難問と見受けます。
MITやメディアラボにとどまらず、学術機関のあり方にも議論が及ぶことでしょう。
元となったスキャンダル自体、まだどこまで政治的な闇に連なっていくのかも予測できません。
ラボのかつての同僚たちに、早く笑顔を取り戻してもらいたいものです。





他方、ぼくは、そのメディアラボの産学連携ビジネスモデルは世界的な発明品と考え、日本でも展開できないものか、以来20年格闘してきました。

今も慶應義塾大学の大学院で仕組み作りを模索しています。まだできていません。
日本ではアメリカ型の寄付金による大学運営は難しく、(政府など公的資金に頼るほかは)企業との共同研究を広げるのが現実的です。
そのためには、まずメディアラボのようなプロのビジネス集団を編成する必要があります。

当時メディアラボは、教員30名に対し営業・法務・広報などスタッフは60名でした。(今もそんなものかな?)
それだけのプロがいてできるモデルです。
日本のように教員が研究・教育や校務、営業まで引き受けるスタイルでは太刀打ちできません。

ぼくが開学準備中のiUは、そのモデルへの再チャレンジです。
産学連携を進めるモデルをゼロベースで作りたい。教員は8割が産業界出身で、スタッフの層を厚くし、連携する企業のかたがたとともに研究・教育内容を作り上げていく。
そのような設計をしています。

しかし今後、「メディアラボのような大学を作りたい」は、いびつなイメージを抱かせかねません。異なるモデルを自ら提示する必要があります。

同時に今回、日本の大学も、反社チェックや倫理コンプラのコストが上場企業以上に求められることになりました。(iUは吉本興業の反社チェック力に頼ろうと思います。)

今回の件を自分ごとととらえ、対応を考えます。

2019年9月9日月曜日

札幌でもワークショップコレクション!

■札幌でもワークショップコレクション!
「みんわらウィーク」@札幌。
おつかれさまでした。

みんわらウィークでは、ワークショップコレクションも開催。
ワーコレの全国展開を進める橋頭堡です。


ジャルジャルさん+まりんんさんのワークショップ。
ぜいたく!

超人スポーツから「スケルトニクス」参戦!
札幌にようこそ。

SDGsも大事なポイント。
次長課長・河本準一、アキナ、パンサー、EXIT、ハイキングウォーキング、ゆりやんレトリィバァ、すっちー・酒井藍、NMB48らがSDGsを唱えて2km練り歩きました。



47都道府県住みます芸人によるソーシャルアクションも大切な出しもの。
芸人プロデュースによる深海魚のふりかけ「駿河湾のキセキ」500円。
コレおいしいんです。
(あ、このひと芸人さんじゃなくて、ぼくと仲のいいよしもと社員です。)





「みんわらウィーク」だけでなく、
JR☓CANVASの「遊びと学びの研究所・こども科学展」も開催しました。

札幌駅にて。
ワークショップの全国展開、広げています!
札幌駅の1Fコンコースにしつらえた会場では、ワークショップを開催。
「ものづくりを通して、みんなの身の回りにあるテクノロジーのひみつをまなぼう!」
夏休みの親子連れにたくさんお越しいただきました。
ありがとう!

おなじみ、コマ撮りアニメ。
タブレットで。
背景とアイテムをえらんで、
ぱらぱらまんがをつくるようにアニメーションをつくってみよう!

デジタルえほんアワードの作品も持ち込んだよ!


先日、中央大学でイベントを開催したプログラミングロボット「ozobot」、
ここでもやってます!

新宿の吉本興業本社でのワークショップコレクションでも人気だったストローを使った工作・造形。
アナログ☓リアルの手触り感は、これからも強いです。

ねじで組合せていく工作・造形。
この魅力をデジタルが超えるのは、いつか。



ついでに札幌青少年科学館に寄ってきました。
テレビ番組を作ろうコーナー。
サンフランシスコのクリエイティビティミュージアムにもあるやつですねー。

自分の温度をみる。
サンフランシスコのエキスポラトリアムにあるやつですねー。

PCコーナー。
サンノゼのTechミュージアムにもあるやつですねー。

ロボットを体験しよう。
立ち上がる、歩く、見る、考える。
それってどういうことなのか。
ロボットと一緒に考えます。

野球が禁止されていた中学で、野球やりたいヤツが集まって化学部を結成し、野球ばかりしていた。
でも化学の学習も強いられたためぼくは元素記号を覚えた。
水素ヘリウムリチウムベリリウムホウ素炭素窒素と、最後までベタで覚えた。
水兵リーベ云々という覚え方を後で知って、衝撃を受けた。

水素ヘリウムリチウムベリリウムホウ素炭素窒素というベタで覚えた元素表を、高校に入るや化学の試験では直前に必死で机に書いて、それを見つつ試験に臨んだ。
化学は得意だった。
あれはカンニングに該当するのだろうか。

水素ヘリウムリチウムベリリウムホウ素炭素窒素というベタで覚えた元素表、札幌にて暗唱すると、80番の水銀ぐらいまで言えたぞ。

ああ、何の役にも立たない!

じゃ、また来るね。

2019年9月5日木曜日

民放連ネットデジタル戦略2019

■民放連ネットデジタル戦略2019

民放連ネットデジタル研究会。座長を務めます。
本年度も報告がまとまり、巻頭言をしたためました。

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昨年の巻頭言は、「生臭い政治の風が吹いている」と書き出した。放送の規制や電波制度を見直す政権の方針に疑問を呈するものだった。議論はその後正常化し、落ち着いたところで、NHKの常時同時ネット配信に道を開く放送法改正が成立した。新しい幕が開く。

NHKに対する懸念の声も聞く一方、BBCの同時配信は2008年開始という点からみれば、海外のデジタル・ネット対応は12年ほど厚い経験を持つ。その間、国内では通信・放送融合の法体系が用意され、地デジの整備も完成したが、デジタル・ネットは通信が主導してきた。

スマホファーストが如実となる一方、GoogleやAppleのスマートテレビに次いで、NetflixやAmazonが映像配信を本格化している。幕が開いたとたん、次の風が吹き込む。内山隆委員のレポートがそのあたりの状況と、広告・VoDビジネスについて掘り下げている。

どうする。そこで本プロジェクトのメンバーでイギリスを調査してきた。われわれが見たものは、BBCと民放が協働して、アメリカに対抗する姿だった。共通プラットフォームBritBoxを作るとともに、視聴者のデータを放送局が使えるようコミュニティを形成する。

さらに、BBC・民放ともに電波やケーブルの配信=ハードを外部委託しており、受託するRed Bee Mediaが全ての放送局のコンテンツをIPベース、つまり通信のクラウド環境でソフトウェア管理するシステムを実装しているのには驚いた。

クラウドにコンテンツを乗せ、電波、ケーブル、あらゆるネットワークで、テレビ、スマホ、PC、あらゆるデバイスに送る。これが通信・放送融合の未来像だろう。BBCがあと17年で地上波を返上するという噂も流れていた。

菊池尚人座長代理が書くように、放送局が免許を持ちながらハードを(しかも外資に)委託するという「イギリス的な法の運用」は、次に民間が政府に投げ込むインハイの球ではなかろうか。これも菊池さんが書くように、イギリスの放送関係者がみな楽観的で自信に満ちていたのは、こうした対応の裏付けがあるからであろう。

放送法改正に関し国会に参考人として呼ばれた私は、これらを踏まえ問題提起を試みた。
日本もイギリスのようにNHKと民放が連携した基盤整備の戦略を持てないか。テレビ版radikoのような同時配信プラットフォームを作る。IP クラウド対応やデータ利用促進を進めるための連携基盤を構築する。

放送局の共同プラットフォームを形成して、プロモーションを高める。IPのクラウドベースを用意して、多様な伝送路で多様なデバイスに展開するとともに、コストを格段に下げる。視聴履歴のビッグデータをAIも回して視聴行動を導く。この基盤を作れないものか。

さらに、ネット配信を促進するための課題として、著作権処理の円滑化が挙げられる。放送と通信では著作権の位置づけが異なるため権利処理が複雑となる。これを改善するには制度改正も必要になる可能性もあるが、まずは民間の努力が重要。これも前進できないか。

その答えをこのレポートに描いたわけではない。が、各局の対応はみな未来志向である。
ネット同時配信(フジテレビジョン、日本テレビ放送網、テレビ東京)、スマホファースト(TBSラジオ、エフエム東京、東京メトロポリタンテレビジョン、毎日放送)、VR配信(北海道テレビ放送、テレビ朝日、RKB毎日放送)。現場は挑戦を続けている。

先ごろ幕張で開催された展示会Connected Media Tokyo 2019でも、スマホからテレビに視聴を誘導するスマホファーストの仕組み、個人の視聴データをコントロールするシステムなどが展示されていた。私が国会で問題提起などしなくても、現場は動いている、と恥じ入った次第だ。

昨年の巻頭言は、融合2.0へ突入するいま必要なのは「その先を描くビジョンを自ら示すこと」と閉めた。だが、既に新しい幕が開いたいま、もはや必要なのはビジョンではなく、改めてこれら現場による一つ一つのアクションかもしれない、と思い直している。
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参考:直近3年の巻頭言。

2018「民放ネットデジタル会議 2017」

2017「2020Tokyoに向け民放は」

2016「スマートテレビから5年、民放はいま」

2019年9月2日月曜日

大阪でワークショップコレクションやで!

■大阪でワークショップコレクションやで!

ワークショップコレクションin福島区。
意外にも大阪でワーコレ初開催@福嶋区民センター。
CANVAS☓吉本興業☓福嶋区役所で実現しました。
福島区の大谷区長は元・吉本興業の社員でしてね!

光るサプライズカードをつくろう。
ハンダづけしなくても電子回路が書けるペンAglCとLEDをつないで、光るカードをつくる。
上海からの視察団が、これビジネスにならないかとガッツリ見学していました。
ワーコレのアジア展開、進めたく存じます。

コマドリアニメをつくろう。
鉄板のアニメづくり。
iPadアプリkamakomaで以前よりうんとラクに作れるようになりました。
でも、何のマニュアルも説明も指導もないのに、初めて触る子どもたちがこともなげにどんどんアニメを作っていく姿にビックリしました。
これもプログラミングです。


お絵かきロボットをつくろう。
コップとペン、消しゴムとモーター。
自分だけのロボットが動き回ってお絵かきをする。
工作+アートの実に優れたワークショップで、これも鉄板です。

ozobotの走る街をつくろう。
紙とペンで命令できる小さなロボットozobot。
先日ぼくも中央大学でのイベントに参加したデバイス。
プログラミング入門に効果的です。
iUでも導入したく相談中。

新喜劇ワークショップ。
ボケて、ツッコんで、コケろ!
諸見里さんの滑舌をイジれ!
本場、大阪ならではのお笑いワークショップ。
うらやましい!
全国、そして世界に広げたい!

よしもと芸人による工作ワークショップ。
キャプテンザコによるバルーンアート。
ワーコレに欠かせない出し物になりました。

よしもとタレントによるオリジナルワークショップ。
もりやすバンバンビガロの誰でも簡単トランプマジック。

忍者と侍に学ぶ時代劇体験。
あるばとろすによるチャンバラと手裏剣投げ。
紙切りワークショップや折り紙ワークショップも開催されました。
吉本芸人、さすが多才。

デジタルえほんで広がるせかい展。
世界中から集めたデジタルえほんの秀作。
大阪の子も、さわって、あそんで、学んで!

超人スポーツからは「スケルトニクス」が参戦。
キミも 超人に なろう

超人スポーツから「シシーフォックス」も参戦。
大玉をころがしてレースします。
けっこう疲れるんです、コレ。
前回、大阪万博記念公園で開いた超人スポーツEXPOにも参加してました。

その万博記念公園では、炎天下、よしもととFM COCOROの音楽+映像フェス「summer of love」が開催されていました。
ウッドストック50周年イベント。
音楽・映像フェス、超人スポーツEXPO、ワークショップコレクション。
11月にはたむらけんじ+月亭方正が野外イベント「大阪パフェ」を開催するとか。

大阪城公園の「クールジャパンパーク」では、
土屋敏男さんプロデュース、川田十夢さん、カヤック柳澤さん 
with 吉本興業の「NO BORDER」を公演中。
自分のキャラが舞台に登場して繰り広げる全く新種のエンタメです。

客席にいたTT兄弟チョコレートプラネットさんと共演しました。
2025年万博に向け、大阪が躍動し始めました。
新しい+おもしろいエンタメを作り続けよう!


ボクがひとりで踊る版。

ボクがミキと踊る版。
https://twitter.com/ichiyanakamura/status/1162884313207021568

2019年8月29日木曜日

ネコとのコミュニケーション

■ネコとのコミュニケーション
 

ネコと暮らしています。
 金さんと銀さん。でも金は男。銀は女です。アンバーとシルバーといいます。ボストンに住んでいたころ大人気だったビニーベイビーズのアンバーとシルバーを幼い息子たちに買い与え可愛がっておりまして、彼らが就職後こんどは実のネコを自分が可愛がることになりました。

 ネコは人生で2度め。最初のネコ、P子。デベソの三毛だった。先の東京五輪の聖火ランナーが近所を走る。親に肩車してもらいそれを見た。左から右に走るのを確かに見た。3歳。映像としてぼくに残る記憶はその日が最初です。
 朝のワイドショーでその話をしたら、鳥越俊太郎さんが「ホントかよー」と信じられない声を上げました。でもホントです。ただ、その映像には続きがある。聖火から帰宅すると、P子が死んでいたんです。ぼくの人生は聖火と死から始まっています。




 以後、半世紀。ネコとの縁はもうないと思っていました。NHKクールジャパンで「猫」の巻を担当し、日本がクールな猫の国であることを解説しましたが、傍観者の観察でした。猫のクールジャパンでは、先駆者「ホワッツマイケル」、わが友 ほしよりこさんの「きょうの猫村さん」、そしてわが友 北本かおりさんが編集した「こねこのチー」があります。ぼくの猫観を定めました。きまぐれで孤高、でも家と人に寄りついて、温かみに目がない。
 アンバーくんとシルバーちゃんは、週刊コミックモーニングに連載中のサライネスさん「ストロベリー」に登場する10kgベランダくんと5kgカグラちゃんにそっくり。カグラちゃんに翻弄されるベランダくん。シルバーちゃんに翻弄されるアンバーくん。仲よくケンカする。

 その二人とのコミュニケーションに、共に暮らして1年を過ぎても、とまどいつつ、学んでいます。
 おはよう。ぼくが起床すると、のっそりついてくる。じゃれるでもなく、鳴きもしない。興味ありげに20cmまで近づいてくることもあれば、2mほど遠巻きに見ていることもある。パソコンを打っていると、わざとキーボードの上をゆっくり歩いていく。「「:。お、7っっctxrぜwqといった文字が打ち込まれる。コラコラと言ってもどかない。だからといってあっちにいる彼らをおーいと親しげに呼んでもプイともっとあっちを向いている。
 ぼくを尊敬するでもなく、軽蔑するでもなく。酔っ払ってアンバーをいじると必ずガブリと噛む。吾輩は猫であると主張する。晩、たいてい酔ってるぼくの腕は傷だらけである。シルバーは抱っこしようとすると必ず飛んで逃げる。だけどこちらがぼうっとしていると、棒やら玉やらで遊べと要求してくる。ベッドの下なのか浴室なのか、姿が見えず、呼んでも来ることはないが、家族とアンバーシルバーの話をヒソヒソしていると、聞いとるで~とばかり必ず悠然と現れる。
 ネコはこんなに可愛かったか。だけどベランダに小鳥が訪れたりすると、脱兎と化して近づき、目を見開いてカカカカカと口を鳴らす。野生なのです。その二面性もいい。




 仕事が絡まない、対等の友人が少なくなった。同級生にもひんぱんに会うわけではない。きみたちは家族であると同時に、目を水平に見つめられる友人でもあるのです。
 そこで、友人と話すようなことを語りかけるようにしている。どう思う?阪神の監督は大丈夫か。嵐は解散か。日本人横綱はもうムリか。レバニラ炒めとニラレバ炒めはどっちが正当か。どう思う?
 たぶん、わかっている。
じっと目を見開いて聞いていることもあれば、不機嫌そうに寝ていることもある。お前の話つまらんとばかり途中でプイと立ち去る。でも、たぶん、わかってる。
 コミュニケーションの妙手です。気を持たせて、寄ると引く。こちらが引けば、存在を示す。喜ばせたり、怒らせたり。その絶妙の間合いは、ためになります。そのコミュニケーション力、ぼくも使えないものか。いやぁ難しい。
 ネコのようなひとになれれば、ストレスは減るでしょう。おまんまと寝床さえあれば、スキな時に寝て起きて、周りの顔色を伺わず、気ままに近づいたり遠ざかったり。いいね。AIとロボットの超ヒマ社会では、ネコのように生きる、がモデルになりそう。アンバー、シルバー、どう思う?

2019年8月26日月曜日

企画と実行、その向こう側

■企画と実行、その向こう側

●企画
 ぼくは政策家を名乗っています。政策立案ばかりしているので。でも造語でして、世間にある呼称としては「社会起業家」が最も近い。40歳手前で役所から大学に転じて20年、公益法人やプロジェクトなど社会起業を20件以上続けてきたんで。
 ちなみに「起業家」と呼ばれる人は多いけど、たいてい当てはまらない。だって、家って、そればかりしてる人ですよね。マンガ家はマンガばかり書いてるひと、作曲家は作曲ばかりしてる人。ベンチャーやNPOを一回立ち上げたってひとは、起業家じゃなくて、起業したことのある人。だと思う。創業者ないし実業家。起業家と呼び得るのは孫正義さんのように次々と事業を興し続ける人。吉本興業の大崎洋さんもそうです。なにせ「興業」と社名にある。
 まぁいいやそんなこと。5年ほど前の社会起業ばやりでは、スタートアップ間もない御仁がドヤ顔で、成果を見ずオール礼賛だった風潮に違和感まんまんでした。このところメディアもメルカリやプリファード・ネットワークスのようなユニコーンはじめ、ベンチャーといえど業績を上げた創業者に光を強く当てるようになり、好ましい。
 とはいえ起業を促そう。その敷居を低めよう。iUは全員起業を目指し、起業家を生んでいきます。ムハマド・ユヌス「3つのゼロの世界」は、80%以上のウガンダ人が生涯のどこかの時点でビジネスを始めるという。小さな店を開いたりヤギを買ったりする、そんな仕事。まずはそんな起業でよろしい。
 そのためには、どんな力があればいい?
 まず企画力。アイディア。Whatを見出す。問題を設定する。これおもしろい、これ問題だ、を見つける。どうすればいいかって学生に聞かれるたび、ぼくは飲み会を真剣にやってる、と答えます。ふとした疑問や妄想をアイディアにする機会はぼくの場合、飲み会が多くて。で、大事なのは、そこで出たアイディアを、翌日ガッツリ企画書に落とし込むことです。

●実行
 さて本題は、Whatより大事なのはHowだということ。どうやって企画を実行するか。どうやって問題を解決するか。どうやって技術を実装するか。実行力とか、解決力とか、実装力とかいうやつです。
 ぼくはKMDで10年間、学生に対しそればかり話してきました。WhatよりHow。頭でっかちな諸君が得意するアイディア起こしや、諸君が学びたがっている企画スキルよりも、世間で問われるのはこっち。iUでもこちらを重視します。
 法律一つ作るにも、「クールジャパン基本法」を作るというお題に、一時間もあれば目的、定義、計画、責務など十条ぐらいの素案は書けましょうが、それはアイディア。What。大学ではこのあたりでとどまってしまいます。でも、これを社会に実装するには、残り10ステップ必要です。
 有識者を集めた研究会を開き報告書を出す。審議会で答申を得る。省議を経て大臣の了解を取る。内閣法制局の了解を得る。全省庁の了解を得る。メディアを通じ世論を伺う。与党の了解を得る。野党に根回しをする。国会を通す。成立後、政省令を作る。これだけある。
 これをやり切る。頭より足腰。へこたれない力。持久力。
 その内実はほとんど説得と調整です。押したり引いたり。聞いたり話したり。頭を下げたり声を張ったり。泣いたり笑ったり。汗、汗、汗。
 そんな泥臭いことを大学で学ぶのか? そうです。こういうコミュニケーション力を産業界は人材に求めているのですが、大学が応えていなかったわけで。でも、プラン立てる力より、それを1年かけてへこたれずやり切る力のほうがずいぶん高度だと思う。そのための作戦、兵站、組織管理、日程調整、なんてことがね。

●向こう側
 いや、今日の本題は、その次です。
 ネットフリックスでミシュラン星付レストランの番組を見ていますとね、レシピを作らないというシェフが案外いるんですよ。「自らにあふれ出すものを作る」。「朝ひらめくものをすくい取って料理にする」。当然の顔で、のたまう。
 企画書がない。設計しないんです。アイディアと実装が一体化しているのです。
 作詞・作曲しないインプロヴィゼーションの音楽家みたいなものか。
 ただそれを、毎日まいにち、マニアではないお客さまに対して作り続け、一級品の評価を得ている。その力の正体は何でしょう。天性のものなのか、鍛え上げた蓄積なのか。
 そしてそのひらめきを、シェフはスタッフに口頭で伝え、チームとして料理と化す。その伝達術も、料理アウトプット水準を保つチーム管理法も、ぼくにはナゾです。
 あふれ出たりひらめいたりするものを、設計図や企画書に落とし込んだり、果ては論文に仕上げたりするのは二流なのかしら。そういう力って、身につけることができる性格のものなのでしょうか。料理学校のかたに聞いてみようかな。

2019年8月22日木曜日

高田昭義さんのことを改めて想う。

■高田昭義さんのことを改めて想う。

 尊敬するかたはたくさんいます。亡きかたで最も尊敬するのは、郵政省官房長だった高田昭義さん。「電気通信事業法案」を執筆した方です。パンクなひとでした。亡くなったのは1999年6月。それから20年になります。
 当時書いた追悼文を引っ張り出します。現役の官僚で彼を知る人のほうが少なくなったでしょう。昔はこんなひともいた。長文ですが、いま読み返す意味があると思うので、全文です。
 
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 あれからさすがにしばらくショックでした。6月25日。高田さんが天国に召されたという郵政省からのメールは、サンノゼで受けました。インターネット99の会場です。Y2Kがどう現れるか。21世紀のネットワーク社会はどう現れるか。その姿を見ることなく、電気通信事業法の父、高田さんは旅立たれました。これからのこと、もっとお話したかった。


 インターネットの世界大会は5年前のプラハ以来です。あのころ、高田さんは通信政策局の次長でしたか、パリに派遣されてスパイのようなことをしていた私はプラハに潜り込めとの指令を受けたのです。

 あのころ、マルチメディア・ブームでした。アメリカはNIIと競争政策を提唱し、ヨーロッパは国家的インフラ整備を前面に出していました。日本はそのミックス政策でしたね。プラハ会場には欧米の政府関係者の姿が目立ち、政策PRのセッションが急に開かれることになりました。私はあわてました。日本の政府関係者はボクだけか?世界大会で日本ハズシをやられるのを眺めることになるのか?

 外国語をしゃべることと、努力と根性と通勤が何より嫌いな私ですが、その時は、ハジかかされる、という思いから、考える前に走ってました。受付のテーブルでメモをなぐりがきしました。「2010年に1兆ドルの市場を光ファイバーで達成することが国家目標であり、そのため競争環境を強力に整備する、と、日本政府代表が会場で言っている。」

 そしてEUのバッジをつけたグループを探し、その中で一番エラそうな人をつかまえました。フランス人っぽい名前だったので、たどたどしいフランス語で言いました。「日本の政府からパリに派遣された者だ。パリを愛している。ヨーロッパ万歳。だからステージでこのメモを読み上げてくれ。」果たしてその人はEU代表のフランス人で、ニコニコしてメモを受け取り壇上に進み、きっちり読み上げてくれました。そんな話は東京には報告しなかったと思いますが。

 あれからインターネットはネットワークを制覇し、各国が制御しようとした目論見は外れ、民間のビジネスとして定着してきました。だから今回はもう政府関係者の姿は少なく、参加者も落ちついた風情でした。時代が変わった。実感しました。


 今も激動期、あのころも激動期。私が役所に入った84年ごろも激動期でした。データ通信課の新人からみれば、隣で電気通信事業法案を作っているチームのヘッドだった高田調査官は雲の上の存在でした。しかし、そのころの高田さんは今の私と同じ年頃ですね(※中村注:30代半ば)。その方が通信自由化の法案を仕切っていたのですね。

 しかも、どうも実際に法案を書いているのは補佐や係長の方々で、その上司たる調査官は昼間から酔っぱらってるオッサンのように私には映りました。つい15年前のことですが、あのころは若い役人が大きな仕事をしていましたね。

 法案が終わって政省令づくりの段階に来るとアメリカが門戸開放だの技術基準緩和だの勝手なことを言ってきましたが、交渉団が乗り込んできたとき、会議室のあっち側にアメリカが座って、こっち側に郵政省幹部や外務省代表が座って、おや、高田クンがいないぞ高田クンがいないと始まらないぞ、となりました。

 私が地下の売店に探しに行くと、やはり高田さんは禁煙パイポを買っている。皆さん呼んでますよと言うと、「あーそーか」と思い出したようにつぶやいて、パイポを2本、こう、キバのように口から出して、「怖い?怖い?」と聞いてくる。このオッサン変なこと考えてるなと思って答えずにいたら案の定、そのまま会議室に入っていって、しばらく敵の交渉団をにらんでんの。効果ありませんでしたね、あのパイポ。


 それからデータ通信課長として直属の上司と仰ぐこととなり、徹底的に勉強させられました。通信自由化後の法運用に当たり、実態を通じて制度を作っていった時期です。昼間から酔っぱらってるオッサンのくせに、私は政策の議論で勝ったためしがありません。

 だからいつも宿題を抱えている。忙しかった。忙しかった。ところが夕方になると課長は「遊ぼう遊ぼう」と人を誘う。私はヒラなので逃げられず、そしていつものスナックでいつも課長は寝入るから、閉店後、テーブルとイスを片づけて、掃除機をかけて、タクシーで宿舎まで送る、毎日でした。


 土日もなく働いてました。制度、政策、実態を作り上げている最中ですから、楽しかった。でもたまにサボって、ある平日の真っ昼間、日比谷サウナにしけこんでいたら、高田課長が入ってきた。サウナだから逃げられない。

 「キミこんな所でナニしてんの」と見ればわかることを聞くので、課長こそ、と言い返すと、「オレは床屋から役所に戻る途中だぞ」との答えでした。床屋さん、逆方向じゃないスか。勝てない。この方には。でもここしばらくは官僚たたきがひどくて、今そんなことしてバレたら懲戒ものですかね。当時もそうだったんですかね。


 その頃もまたアメリカは国際VANでガタガタ言ってきました。そのとき高田課長は敵の団長を自宅に呼んでメシ食わせて「気楽にやろうや」なんて話してましたけど、役所でこっそり「今回はこっちが勝つから、ヤツは政府をクビになる。仕事の世話してやらないといけないな」などと言って外資系企業に電話したりしてましたね。教科書にはない、新聞にも載らない、官僚の仕事のごくヒトコマが、そうやって積み重ねられていきました。
   
 10年後、私が官房で規制緩和を担当しているとき、与党の委員会で役所がこてんぱんに叩かれる場がありました。何日もかかって準備した資料をお渡ししたのに、高田総務審議官は読みもせずに会議に臨み、案の定、通信やCATVの外資規制撤廃などの難しい議論を切り抜けてしまわれました。通信政策局政策課長、放送行政局総務課長、官房国際課長などの行政実績に裏打ちされた度胸と、生来の天才ぶりは、私には到底マネのできないものでした。

 今をときめく孫さんが衛星ビジネスやりたいと言うので、高田さんに引きあわせたこともありましたね。孫さんにしてみれば、守旧派の権化たる高級官僚にガツンと言うつもりだったんでしょうが、高田さんが「ギョーカイ秩序を崩すよーなそーゆーことはもっと早くガーンとやってくれ」と言ったので、孫さんが目を白黒させてビックリしてた。おかしかった。
(※中村注:1996年、孫正義さんがマードックとテレ朝に出資したころのお話。)


 最後にお仕えしたのは省庁再編の時です。いちど体を壊され、退院なさった後だったというのに、役所の組織をどうするかをめぐって連日お伺いし、ご心労をおかけ致しました。メディア政策を担当する2局をハードとソフトに分けるという高田案は、10年後の行政の姿を念頭に置いて、組織の姿を逆算するものであり、理想主義で政策主義の高田さんを知る者としては納得のいくものでした。実際の組織をどうするかという現実主義からみると突飛なプランであり、恐らく実現に至るにはまだ時間がかかるでしょう。
(※中村注:省庁再編当初の総務省は通信・放送は1局減って2局とされ、それを設計する話です。その後、菅義偉総務大臣の際に現在の3局に戻されました。)

 しかし議論の価値はあったと信じます。個々の議論では、かなり乱暴なことも申し上げたような気もします。若い官僚が政策論を幹部に突き上げていく、ここしばらくの霞ヶ関で薄れている気風をいまいちど取り戻したい。ましてや人類にとって当面もっとも重要なメディアという分野の政策をどう編成するかの瀬戸際だ。のめり込んでいたので、そんな具合に熱くなっておりました。楽しかったです。楽しかったです。

 しかしそれでもなお目を開かされたのは、高田さんがその案の中で、料金政策をソフトに位置づけたことです。通信料金はいわばインフラの提供価格ですから、電波行政や事業許可などのハード部門に位置づけるのが自然と思いこんでいたところ、高田さんはそうではないと言う。
 「料金は提供者と利用者のインターフェースであり、利用の条件だ。これからはインフラのコストから料金を見るのではなく、利用者からみた望ましい料金というアプローチが重要だ。料金規制がなくなっても、行政の視点は利用者サイドに置くべきだ。」つまり2局は提供と利用という性格でもあるんですね。うーん、鋭い、この方には勝てない。
   

 一段落ついて、あれこれ考えた結果、私が役所を出て渡米するとの話を申し上げ、私事でご迷惑をおかけしてしまいました。ただ考えてみれば、ことの発端は高田さんでした。95年2月、ブラッセルでの情報通信G7、パリから潜り込んだ私をつかまえて、高田さんはおっしゃった。「さっきCSKの大川会長とメシ食っていて、こんど東京でジュニアサミットをやろうという話になった。あした記者発表する。セットしてくれ。」

 あれから4年たち、2回目のジュニアサミットをMITで実施しました。子供のためのセンターを作ることにもなりました。あの時の理念は着実に育っています。これからもそれを育てるため、私は努力を続けます。


 「キミなんかが役所の外に出たって世間様の役には立たないよ。」とおっしゃいました。高田さん流でお引き留め頂きました。でも私がいよいよ決意すると、「じゃあキミが先に外に出て、地ならしして、それから1年後に真打ちのオレが出ていくということにするかな。」と高田さん流に支援して下さいました。

 高田さんはその直後に官房長になられましたから、1年後に外に出られる可能性はないと思っておりましたが、まさかちょうど1年後にこの世界からおられなくなるとは、不覚にも、思い至りませんでした。
  
 「もうキミたちの時代なんだから。」よくそうおっしゃいました。しかし言葉の裏腹に、先輩たちは手綱を緩めません。ボクたちの時代はまだ来ていませんでした。これは役所の話というより、民間も含めて、日本ぜんたいのことです。

 それは先輩たちの仕切りが強いということではなく、ボクたちが時代をたぐりよせる努力を怠っていたということでしょう。先輩たちの路線で食い続けることに、甘えてきたということでしょう。いや、ボク「たち」という部分に既に甘えが表れます。「ボク」がサボっていたんだ。

 どうもありがとうございました。がんばります。今は厳しい時代ですが、これまでも結局ずっと厳しい時代で、これからもずっとそうなんだろうと思います。自分で考えて歩いて行きますが、たまに、がんばれ、とか、何やってんだとか、声をかけて下さい。

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 追記。料金政策を利用者行政に位置づけろ。総務省にはいま消費者行政課が2課置かれています。消費者行政が重みを増してきました。しかし当時、そうした重要性がほぼ認識されてはいませんでした。
 
 同時に高田さんは、著作権行政にどう取り組むのかと省内で盛んに問題提起していました。コンテンツ行政が重要になるのは明白で、その提供と利用のインタフェースが著作権である。著作権政策はIT政策と一体化する。今は役所が分かれている(郵政省と文部省)が、今後そこにどう取り組むのかと。慧眼。IT政策と知財政策の融合は、今なお重いテーマです。

 改めて、霞が関があれやこれや縮こまっています。そして電気通信事業法を巡っては、携帯料金値下げとかブロッキングだとか、改めて厄介な時期にあります。胸を張って行政ができるようになってもらいたい。

 高田さんが病に倒れ亡くなったのは50歳を過ぎたあたり。ぼくはとうにその歳を経て、うんとシニアになりました。もうキミたちの時代なんだから。と語る世代です。ボクたちの時代は来たのか。キミたちの時代は来ているのか。
 高田さん、どうごらんになっていますか?