■ 手塚は神、石ノ森は王
NHKが「手塚×石ノ森 ニッポンマンガ創世記」という番組を制作しました。
爆笑問題、浦沢直樹さん、秋元康さんらが両巨匠について討論するものです。ぼくはビデオでコメントを寄せました。
以下、話したコト。
----------------世界に名だたるクールジャパンの表現様式と産業基盤を作り上げたのがこの2人。
どちらも多くの作品を生み出しました。
まず仕事量の面で巨人なのですが、その内容も幅広く、子どもから大人へ、ギャグからシリアスなものへとマンガやアニメの幅を拡張しました。
そして、実験も重ねて、作風も変化を続けました。
権威に止まることがなかったんです。マンガやアニメが古典芸術じゃなく、ポップカルチャーであり続ける源になりました。
産業面では、プロダクション制という分業の仕組みを作りました。
手塚さんが始めて、石ノ森さんが確立しました。一人だけで描くんじゃなくて、企業として生産する体制を作りました。そして、テレビを舞台に、アニメやヒーローもののビジネスを形作りました。
手塚さんは鉄腕アトム=アストロボーイの権利の確保に努めました。石ノ森さんは仮面ライダーや戦隊モノというテレビシリーズを入口にして、マンガやおもちゃのビジネスを展開しました。
今のビジネスにつながるモデルを構築したわけです。
違いもあります。
手塚さんはアーティストであり、孤高の神様です。石ノ森さんはプロデューサであり、チームを治める王様です。
だから、手塚作品はもう完結していますが、石ノ森さんのは個人を離れたチームとして、仮面ライダーも戦隊モノも今に至るまで連綿と続いています。
主人公にしても、手塚さんのはアトムとかブラックジャックとか一人ですし、石ノ森さんのは009もゴレンジャーもチームで戦います。
日本のポップカルチャーの特徴は多様性にあります。
それを作り出した巨人の2人が大きく違うモデルでした。だからこそ、その後、多様なものが生まれていくことになったんだと思います。
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ところが、このコメントは、じぇーんぶカットされてしまいました。
オンエアが参議院選挙期間中でして。それ以前に、ぼくがある国会議員のネット番組に出演した時、その議員にがんばってねとエールを送ったんです。当然ながらその映像がネットに残っていて、それが選挙の応援にとられかねないということでNHKがカットすることにしたんですよ。
ネット選挙運動解禁に当たり、NHKが必要以上に配慮したということなのでしょうが、手塚・石ノ森先生に貢献できるチャンスだっただけに残念。ビバ、ネット選挙!
ネット選挙運動解禁に当たり、NHKが必要以上に配慮したということなのでしょうが、手塚・石ノ森先生に貢献できるチャンスだっただけに残念。ビバ、ネット選挙!
でも、ホントに強調したいのは、マンガ表現の開拓に果たした功績です。
手塚先生はマンガの技法を変えました。「のらくろ」に代表される、セリフ回しによる舞台芸を同じ大きさの四コマでつづる手法に親しんだ読者が「新宝島」の冒頭、スピーディーなアクションをコマ割りと描画で表現した、その衝撃はトキワ荘の作家陣に繰り返し語られています。静的なマンガ表現にハリウッドを持ち込んだのです。クローズアップの技法は、国民栄誉賞作家・長谷川町子さんから批判されました。パンクだったわけです。
それまで上から下へ、単純にタテに読むものだった文法も変えました。右から左へ、そしてまた右下から左へ、コマをなぞる時系列の法則まで変えたのです。
子ども向けだったマンガの枠を一気に大人にも広げた功績もあります。悲劇、死、エロを、これでもかと持ち込みました。浦沢直樹さんはアトムを読んで「なぜこんなに悲しい物語なんだろう、と思っていた」と言います。ことさらにペーソスとアイロニーを求めていたとも思います。ただし、エロについては上流ではありませんでした。
手塚先生が10年ないし100年先を切り開いたのに対し、石ノ森先生は常に2年先を開いていたと言われます。コマ割りやセリフの使い方など、いつも新機軸を投入する実験の人だったので、同時代のプロからは鏡と見られているが、時間が経つと皆がなぞっているので、後世には新しさが伝わりにくい、という評も聞きます。
石ノ森先生は手塚先生の正統な後継者なんですよね。高校時代に手塚先生に見込まれ、手伝いをさせられながら、手塚先生が自由な表現を求めて創刊した「COM」で石ノ森先生がとても自由な作品「ジュン」を描いたことに嫉妬し、悶着があったことは有名です。浦沢直樹さんは「その嫉妬がマンガを創ったんだよ」とおっしゃっていました。
描いて、描いて、切り開いて、切り開いて、どちらも60歳で亡くなりました。あと20年 生きておられたらどうだったろう。なんて、ふと思います。





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