■Buenos 富山くすり売りネットワークのヒミツ
立山連峰は雪をかぶっていました。富山です。
広貫堂の製薬工場、富山市売薬資料館などを巡ってきました。
いやぁ驚いた。売薬のネットワークというのはとんでもないシステムだったのですね。
デジタルのビジネスに通じる通じる。4点メモします。
1 ハード・ソフトの総合力
クスリという物作りの力は基本。反魂丹という腹薬に起源をもつ300年来積み上げてきた和漢生薬の技術と知識。涙のでるほど苦い苦い熊胆円がクマの胆嚢で製造されているのは知ってます。でも六神丸にカエルの皮膚の分泌液が使われているというのは工場で初めて知りました。中国からたくさんの客がクスリを買いに来ていました。薬のレベルが海外でも評価されているんですね。
目を引くのはパッケージのデザイン。頭痛や生理痛の薬には痛みに苦しむ人物。だるまの絵は、七転び八起き、カゼぐすりであることを示します。 絵でメッセージを示すのは、ステンドグラスで教義を伝えたキリスト文明と通じます。
そのデザインが今また評価されるほどの勢いですね。ネーミングも。痛み止め「ケロリン」。「ズバリ」=頭・歯・利。「ラジオ」=よく聞く(利く)。やってくれてます。
このハードとソフトを組み合わせる、物作り力と表現力を合わせた総合力で勝負。日本の進む方向を示唆しています。
2 ネットビジネスとの親和性
行商人といえば風呂敷。柳行李を包みました。その中に薬を詰めて全国に散りました。パケット・サービスですね。
そして、品物を先に預けて使用してもらい、使った分だけの代金を後から回収するビジネス。クレジット販売の先駆けです。「先用後利」の商法。医療機関も保険制度も未整備で、薬が高価だった時代に編み出された知恵ですが、売り手・買い手ともに信頼関係がなければ成立しない日本型モデルですね。
何より大事な商売道具が「懸場帳」。お客さまの名前、住所、そして取引商品と取引年月日の記されたリストです。プラットフォーム、ですね。このリストを最重要なアイテムとして引き継いでいく。
パケット技術と、クレジットのビジネスモデルと、プラットフォーム競争。ふむふむ。
3 教育が支えるエンタメ・ネットワーク
北前船で入ってくる昆布を薩摩へ売り、薩摩藩はそれを琉球経由で清に送り、見返りにジャコウなどの原料を富山に還元、薩摩藩はこれで得た資本を基に軍事を拡張して、明治維新へとつながります。
そうした商社ネットワークとしての薬売り業よりも興味を引いたのは、売薬人たちが役者絵などの版画をおまけとして届けたり、得意先で芝居の口上や浄瑠璃を語ったりしたということ。各地の映像情報を地域に届けたり、エンタテイメントを伝えたりしたというんです。
コンテンツのネットワーク事業なのです。
売薬人は高い教養の持ち主。芸を披露するだけでなく、医薬に関する講演をしたり、顧客に頼まれて代筆したりすることもあったそうです。その背景には高度な教育システムがあったといいます。顧客の信頼獲得・維持にはまず教育。ふむふむ。
4 成長産業への投資政策
富山第百二十三国立銀行、北陸電力の前身となる富山電灯会社など、金融、電力、鉄道、治水、砂防、紡績など北陸・富山の近代産業は売薬業の資本が設立していきました。売薬業を発達させて資本を蓄積し、それをインフラ整備に転換するという明確な産業政策の意志があったといいます。
これは今のIT政策に欠けている、ダイナミックな戦略視点を与えてくれます。
面白いなぁ。赤坂の近所のモツ焼き屋で「おっさんの酒ください」というと「立山」が出てきます。立山を眺めながら、たらふく立山をいただきました。でも涙が出るほど苦い苦い熊胆円を舐めればへっちゃら。
また遊びに来ますね。
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