■Pop AVATARなる体験
キャメロンさんは好きではありません。ターミネイター2もタイタニックもベタついた愛だの勇気だのがこれみよがしで、それを求める層に自分を置きたくないのです。だからタイタニックが誇る世界一の興行収入を日本では「千と千尋の神隠し」が抜いている事実に溜飲を下げ続けています。いや、その責をキャメロンさんに負わせるのは酷で、責任はハリウッドにあるといいますか、いや違うな、要するにぼくはハリウッド規格に強がりを言いたいだけの、パリのリュクサンブール公園やローマのチネチッタあたりで日向ぼっこしているじじいが「映画は民族のアイデンティティなのだよ」「安っぽいドラマで世界を塗り込めるつもりか」とくだまいてるのと居場所は同じで、でも勝負あった!90年代からもう20年、ブツブツつぶやくトーンも虫の声となり、まぁせいぜい技術だけは認めてやるかと、せっせと劇場に足を運ぶのです。
事前に見た予告編で、もうわかっているわけです。モチーフが近代文明vs地球環境だったり、帝国主義vsアフリカやアメリカvsベトナムだったり、それでも共生やそれでも共存や、そんななかでも個人の愛情と絆や、明日の世界がどうなっても二人は、でも大切な家族との間で私は揺れるの。だけどハッピイエンドなの。すさまじくカーチェイスし、上へ下へと空を駆け抜け、森で静かに恋をしてキスして、許されず板挟みで互いに悩み、戦闘シーンだ、クラッシュ、クラッシュ、大音響で危険で野蛮で、だけど優しく愛して、どうぞこのまま、救われて、ハッピイエンドなの。お約束、お約束、お約束。
そのパターンは、映画史を踏み外しません。七人の侍の戦闘シーン、ジャングル大帝のレオと人間の確執、ラピュタの浮かぶ山、ガンダムのモビルスーツ。映像の記憶から紡ぎ出されるから、激しい絵でも安心して見ていられます。またしても白人による有色人種開放みたいな構図ではあるものの、今度は敵たる人間がエイリアンに負けて観客をスカッとさせる立ち位置で、そのあたりアメリカも成長したでしょと言いたいのかもしれません。
だからポイントはそこではない。観るべきは技術。技術には脱帽。恐れ入ります。CGの3Dについては、12年前のコラム「トイ・ストーリーは恐怖映画である」(http://www.ichiya.org/jpn/column/macpower/08.html)でも先月のコラム「クリスマスキャロルも恐怖映画だった」(http://ichiyanakamura.blogspot.com/2009/12/blog-post_26.html)にも記したように、不可逆的な流れです。そして、クリスマスキャロルがアニメであり、フィクションであることを了解させて見せる作品であるのに対し、本作はリアル世界に観客を招き入れる作品。あっち側を観る映画ではなく、こっち側で体験するアトラクションです。壮大な世界観を3Dステージとして用意して、映像舞台の中に没入させ、疑似体験させる。だから高精細のCG表現とリアルな3Dは必須の装置で、しかも、視野を覆い尽くす大画面が必要なのですね。大きな小屋で観なければいけません。97年のタイタニックから本作まで12年を要したのは、CG技術の成熟やモーション・キャプチャーの進化、3Dカメラの発達という現場サイドの技術開発だけでなく、3D映画を上映する映画館の増加という興行面の環境が整うための時間でもあったわけです。
でも本作も含め3D映画ってDVDやネット配信はどうなんでしょうね。3Dは映画館で、2Dはおうちで、っていうビジネスなのかな。おうち3Dも狙うのかな。CEATECでも3Dテレビがたくさん出品されていました。3D映画の増加は、3Dテレビの普及につながるのでしょうか。2D映像が映画からテレビへと大衆化していったように。あるいは逆に、映画業界がまたしても「装置産業」としての復権をかけ、足を運ばなければ楽しめないアトラクションへと、つまり高度化の道をたどるのでしょうか。ぼくはそっちだなぁ。映像はもうネット+ホームシアターでいいから、小屋には小屋でしか体験できない感激を与えてくれることを期待します。
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