■女は二度生まれる
フェリーニだけ2本を入れ、しかも、「道」でも「甘い生活」でもなく、「8 1/2」と「アマルコルド」。さらに、ブニュエル「ブルジョワジーの秘かな愉しみ」を押した。そして、キューブリックは「2001年宇宙の旅」でも「時計じかけのオレンジ」でもなく「突撃」、黒澤は「七人の侍」でも「乱」でもなく「羅生門」にした点が彼らしいですね。
ぼくは何でしょう。誰も聞いてくれないので、勝手に言います。
川島雄三監督、好きです。不世出の天才です。
「洲崎パラダイス赤信号」、「幕末太陽傳」、「雁の寺」、「しとやかな獣」、名作を産みました。しかし進行性筋萎縮症という難病を患い、45歳で亡くなりました。
長命ではないことを知りながら、縦横無尽に絵を動かし、闇を懐に、役者たちを踊るようにかけ回らせ、明日の不安を抱きつつ、人情の機微やドライな世相をリズミカルに切り貼りました。急逝により三作品が待機したまま未完だったそうです。ああ、もったいない。
しかも、全51本の多くは駄作とされ、軽佻浮薄な作品を乱発したという評がついて回るのも彼らしい。芸術?ははっ「生活ノタメデス」、低予算でもスイスイ撮っていく。都会派。助監督だった今村昌平さんは川島監督をだらしない軟弱なヤツと見下していたそうですが、何本もコンビを組み、川島さんは弟子の行く末を随分気にかけていたそうです。ルックスをご存じないかたは、Googleで画像検索してください。かっこよくて、しびれますよ。
「女は二度生まれる」。芸なし芸者の小えん(若尾文子)は、男を乗り換え、浮草のように漂います。芯が強く生きぬくという戦後の女性像とは対称的に、裏切られたってへっちゃらな顔をして、情を男どもに振り向けていきます。教養も品性もなく、タバコをもらい、ドドンパを口ずさむ、アプレゲールのなまめかしさ。
若尾文子を一人前にしたかったという川島監督ですが、それよりぼくは、ヴィーナスを取り巻く男どもに惹かれます。男どもが、実に、ずるい。女が居場所を持てずにしなだれかかる男は、みな自分の本拠を侵させず、気ままに遊び、去る。山村聡、フランキー堺、山茶花究、上田吉二郎。男優の格、層の厚さはうらやましくさえある。フランキー、山茶花、若尾の3人が寿司屋でカウンターをはさんだかけひき劇は出色。邦画全盛の凄みを見ることができます。
中でもフランキー堺。下戸の板前役は、どの出演作より画面にハマっています。96年、彼の葬儀にファンとして参列したぼくの念頭には、代表作の幕末太陽傳、岡本喜八:独立愚連隊西へ、篠田正浩:写楽、そしてテレビドラマ:赤かぶ検事奮戦記よりも、この作品がありました。
お茶屋では境内から太鼓の音が聞こえます。靖国神社が大事な節回し役を務めます。シンボルの御紋、石段、灯籠。神社を背景にした映像は、ハイもローも、左も右も、引きも寄りも、アヴァンギャルドな浮世絵ばりのフォルム、アンバランスな構図を動かないカメラで連続して撮っていきます。靖国の場面ではサウンドも不協和音の連続。助監督としてついた小津安二郎や同時代の英雄・黒澤明なら決して許さなかった技法もまた川島監督ならでは。
リメイクはできませんね。戦争から15年、両親を亡くした主人公と、九段会館の遺族会のアルバイト学生や17歳の工員という男の子、つまりこれから日本の成長を支える若者がいて、戦争を生き抜いたがふやけたオッサンどもがいて、世間の成長痛に直面しつつ、あらいやあね、次の人生に踏み出す話。その時代性が肝なのです。
工員を連れて松本に赴き、そこから上高地へと向かうバスターミナルで別れて一人たたずむ。その余韻に満ちたラストシーンは映画史に残ります。小えんは未来を開いていくのか。そのまま墜ちていくのか。いかようにも解せます。
そのターミナル「しましま」駅。この夏、クルマで向かってみました。でも、もうとっくに、ありませんでした。松本電気鉄道の実在の駅の機能は、映画のできた5年後、66年に新島々駅に移行していたんです。
成長する中で、捨てたものもある。川島監督は、あのギラついた時代に寄り添って、あのころあそこでしか撮れない絵を描きました。軽佻浮薄の重みを受け止める、ぼくら後世の器量が問われている。この作品を見るたび、思います。
ウディ・アレンがSight & Sound誌に発表した名作10作品。ベルイマン『第七の封印』、ウェルズ『市民ケーン』、トリュフォー『大人は判ってくれない』、フェリーニ『8 1/2』、『フェリーニのアマルコルド』、ブニュエル『ブルジョワジーの秘かな愉しみ』、ルノワール『大いなる幻影』、キューブリック『突撃』、黒澤『羅生門』、デシーカ『自転車泥棒』。
フェリーニだけ2本を入れ、しかも、「道」でも「甘い生活」でもなく、「8 1/2」と「アマルコルド」。さらに、ブニュエル「ブルジョワジーの秘かな愉しみ」を押した。そして、キューブリックは「2001年宇宙の旅」でも「時計じかけのオレンジ」でもなく「突撃」、黒澤は「七人の侍」でも「乱」でもなく「羅生門」にした点が彼らしいですね。
ぼくは何でしょう。誰も聞いてくれないので、勝手に言います。
上位に来るのは、フェリーニ「8 1/2」、ゴダール「気狂いピエロ」、パゾリーニ「テオレマ」、河瀬直美「萌の朱雀」、今村昌平「にっぽん昆虫記」・・ちなみにベストテンにハリウッドは挙がりません・・、でもそれらを上回る第一位は川島雄三「女は二度生まれる」です。
川島雄三監督、好きです。不世出の天才です。
「洲崎パラダイス赤信号」、「幕末太陽傳」、「雁の寺」、「しとやかな獣」、名作を産みました。しかし進行性筋萎縮症という難病を患い、45歳で亡くなりました。
長命ではないことを知りながら、縦横無尽に絵を動かし、闇を懐に、役者たちを踊るようにかけ回らせ、明日の不安を抱きつつ、人情の機微やドライな世相をリズミカルに切り貼りました。急逝により三作品が待機したまま未完だったそうです。ああ、もったいない。
しかも、全51本の多くは駄作とされ、軽佻浮薄な作品を乱発したという評がついて回るのも彼らしい。芸術?ははっ「生活ノタメデス」、低予算でもスイスイ撮っていく。都会派。助監督だった今村昌平さんは川島監督をだらしない軟弱なヤツと見下していたそうですが、何本もコンビを組み、川島さんは弟子の行く末を随分気にかけていたそうです。ルックスをご存じないかたは、Googleで画像検索してください。かっこよくて、しびれますよ。
「女は二度生まれる」。芸なし芸者の小えん(若尾文子)は、男を乗り換え、浮草のように漂います。芯が強く生きぬくという戦後の女性像とは対称的に、裏切られたってへっちゃらな顔をして、情を男どもに振り向けていきます。教養も品性もなく、タバコをもらい、ドドンパを口ずさむ、アプレゲールのなまめかしさ。
若尾文子を一人前にしたかったという川島監督ですが、それよりぼくは、ヴィーナスを取り巻く男どもに惹かれます。男どもが、実に、ずるい。女が居場所を持てずにしなだれかかる男は、みな自分の本拠を侵させず、気ままに遊び、去る。山村聡、フランキー堺、山茶花究、上田吉二郎。男優の格、層の厚さはうらやましくさえある。フランキー、山茶花、若尾の3人が寿司屋でカウンターをはさんだかけひき劇は出色。邦画全盛の凄みを見ることができます。
中でもフランキー堺。下戸の板前役は、どの出演作より画面にハマっています。96年、彼の葬儀にファンとして参列したぼくの念頭には、代表作の幕末太陽傳、岡本喜八:独立愚連隊西へ、篠田正浩:写楽、そしてテレビドラマ:赤かぶ検事奮戦記よりも、この作品がありました。
お茶屋では境内から太鼓の音が聞こえます。靖国神社が大事な節回し役を務めます。シンボルの御紋、石段、灯籠。神社を背景にした映像は、ハイもローも、左も右も、引きも寄りも、アヴァンギャルドな浮世絵ばりのフォルム、アンバランスな構図を動かないカメラで連続して撮っていきます。靖国の場面ではサウンドも不協和音の連続。助監督としてついた小津安二郎や同時代の英雄・黒澤明なら決して許さなかった技法もまた川島監督ならでは。
リメイクはできませんね。戦争から15年、両親を亡くした主人公と、九段会館の遺族会のアルバイト学生や17歳の工員という男の子、つまりこれから日本の成長を支える若者がいて、戦争を生き抜いたがふやけたオッサンどもがいて、世間の成長痛に直面しつつ、あらいやあね、次の人生に踏み出す話。その時代性が肝なのです。
工員を連れて松本に赴き、そこから上高地へと向かうバスターミナルで別れて一人たたずむ。その余韻に満ちたラストシーンは映画史に残ります。小えんは未来を開いていくのか。そのまま墜ちていくのか。いかようにも解せます。
そのターミナル「しましま」駅。この夏、クルマで向かってみました。でも、もうとっくに、ありませんでした。松本電気鉄道の実在の駅の機能は、映画のできた5年後、66年に新島々駅に移行していたんです。
成長する中で、捨てたものもある。川島監督は、あのギラついた時代に寄り添って、あのころあそこでしか撮れない絵を描きました。軽佻浮薄の重みを受け止める、ぼくら後世の器量が問われている。この作品を見るたび、思います。






0 コメント:
コメントを投稿