■源孝志監督「木挽町のあだ討ち」。
「京都で、映画で、集う会」という、文化庁や京都府や京都市や映画業界や学術ら映画好きの月イチ飲み会がありまして、そのお題。
今回は清酒「神聖」の酒場、伏見にある「鳥せい」で開かれるというので駆けつけることとし、その前に二条駅脇の館で観ました。
神聖の経営者、山本さんは高校の1年先輩で、野球部創設メンバー。正捕手でした。ぼくは補欠でした。以来40年、挨拶もできず不義理につき。
しかし店から絶品の差し入れをいただき、しこたま不義理をしました。
さて、映画です。東映京都撮影所の作品。源監督のNHKドラマ「スローな武士にしてくれ」「京都人の密かな愉しみ」にも通じる、京都への愛情を感じる映像美で、京都が作った江戸の映画です。時代劇に未来を見ました。
キャスティングでは、作兵衛の北村一輝さんが朴訥な下男から乱暴な博徒まで見事に演じられました。が、渡辺謙さんがこの役を強く演じたがったそうです。歳が合わず、年長の金治役に収まったとのことですが、こうした事情をうかがえるのも京都関係者の飲み会だから。
ぼくはこの素敵な映画に喜び、すぐさま永井紗耶子さんの原作小説、直木賞受賞作を読みました。驚きました。映画と全く異なるんですもん。
映画は刑事コロンボばりのサスペンスドラマで、主人公の総一郎(柄本祐さん)が話して話して立ち回って展開する。あだ討ちのアクションとそれに至る物語が中心です。
小説には総一郎は登場せず、それよりも、木戸芸者、立師、衣装さん、小道具さんなどが語る身の上話が中心です。芝居小屋という悪所の周りで底辺を生きる人たちの生い立ち、生きざまが切々と描かれていて、その豊穣な低みから、あだ討ちにこだわる武士という支配階級のバカバカしさを浮かび上がらせる。
ちなみに冒頭から現れる木戸芸者は「一八」という名で、自分の名前とかぶるので親近感を抱きつつ、しかも役者の瀬戸康史さんはかつて舞台「彼女を笑う人がいても」で、「中村伊知哉」という役名を演じられた。今もってなぜそんな役名だったのか不思議でいずれ問い詰めたい。
芝居小屋という悪所にも惹かれます。吉本興業や漫才というジャンルも悪所で、その磁場に引き寄せられる才能にぼくは魅入られてかつて仕事をしました。大崎洋前会長の「居場所」はそれを描く名著です。
「映画は小説の一部に光を当てて、うまいこと映像として解釈しはった思いました。ぼくは映画観てから原作読んで、二度美味しかったんですけど、小説読んでから映画を観たほうがよかったんか、どっちがよかったんかな、と考え込んでますねん。」
と感想を述べたら、映画関係者から、
「ほなもう一回観はったらよろし。」
と一刀両断の血しぶきで終わりました。京都、伏見、寺田屋の近くどした。





0 コメント:
コメントを投稿