■Net 著作権3判決、国はアテにならない。
このところ立て続けに3件、著作権に関する判決がなされました。
○私的録画補償金訴訟、東芝の協力義務に法的強制力なし、東京地裁
「(社)私的録画補償金管理協会(SARVH)が、東芝に対して、デジタル放送専用録画機器に関する私的録画補償金の支払いを求めた訴訟で、東京地裁は12月27日、機器は補償金対象と認めたが、メーカーの協力義務は法的強制力を伴わないとして、SARVHの請求を棄却する判決を下した。」
○「まねきTV」は著作権侵害と初判断 最高裁、テレビ局敗訴判決を破棄
「日本のテレビ番組をインターネット経由で海外でも視聴可能にしたサービスは著作権法違反だとして、NHKと在京民放5社が、サービスを運営する「永野商店」に対して、事業差し止めなどを求めた訴訟の上告審判決が(1月)18日、最高裁第3小法廷(田原睦夫裁判長)であった。同小法廷は、このサービスが著作権侵害にあたるとの初判断を示し、テレビ局側敗訴の1、2審判決を破棄、審理を知財高裁に差し戻した。」
○最高裁、「ロクラク」訴訟でも審理差し戻し
「最高裁判所は(1月)20日、日本デジタル家電のHDDレコーダー「ロクラクII」のレンタルサービスに対して、NHKと民放テレビ局9社が放送番組の複製権侵害にあたるとしてサービスの差し止めと損害賠償の支払いなどを求めていた訴訟の上告審判決で、テレビ局側の訴えを認めなかった知財高裁の二審判決を破棄し、審理を知財高裁に差し戻した。
この3つの判決に思うのは、「国がアテにならない」ということです。少し前までは、「政府はアテにならない」と言っていたのですが、もはや行政も立法も司法も、三権ともに頼りにできないという状況。
著作権という制度論でせめぎあうのではなく、司法の場で判断を積み上げていくのはいい方向ではあるのですが、結果としてハードとソフトの業界全体やユーザが豊かになる道が展望できない結果となっています。ハードとソフトを組み合わせた新しいサービスを創り出したり、ユーザを豊かにしたりする方向に進むべきなのですが、日本は膠着状態にあります。
1)録音録画補償金問題
これは私はハード(機器システム)からソフト(コンテンツ)への所得移転問題だと思っていまして、その仕組みをネット時代に合わせるため議論が重ねられてきたものの5年も膠着、ダビング10を導入する際にもコンテンツ側に手当てすると政府での論議がありながら手当がなされていない状況で訴訟となったわけです。
権利者 vs メーカという業界どうしの対決なのですが、以前なら、こんな話は政府部内で調整がなされていました。政府が産業の調整力や問題解決力を失っているということです。しかも、今回の判決は、機器が制度の対象ではあるけど、メーカが協力する義務はない、だから制度が動かないという、そもそも制度に欠陥があることが露呈したわけで、立法も機能不全であったということです。
この問題は、著作権制度で解決しようとしているところに無理があるのであって、両業界が共同のプロジェクトを作ったり、政府が研究開発の予算をつけたりするなど、別のアプローチで産業政策的に解決を図るほうがよほど効率的です。審議会の場で5年もかけてロビイングのコストを費やしたりするより生産的ですし、補償金の総額は今や数十億円に減少、政府が予算で手当するとしても大した規模ではありません。
これに比べれば、携帯電話などから取られている電波利用料は年間6〜700億円規模に達しており、それを活用するとか、論議の始まった電波オークションの収入をコンテンツにも回すといった知恵だって、簡単に沸いてくる。だけどそういう選択肢を意識的に避け、著作権制度という袋小路の中で、行政も業界も学界も時間つぶしをしていて、もっと言うなら、この状況は、ある種そうした閉ざされたコミュニティの生命維持装置のように映る面もあります。
2) まねきTVとロクラク
いずれも知財高裁での判決を最高裁が破棄したものです。内容の是非の前に、こうもたやすく専門の裁判所の意志が覆されるというのでは、いったい何のための知財高裁かという疑問が立ち上ります。慎重・公正な判断を目的とする三審制が現状ではかえって司法システムを不安定にしているように見えます。行政の場で制度論の綱引きを繰り返すのではなく、司法の判断で決着を図っていく方向に進めたい矢先、司法が不安定ではシステム全体が動かなくなります。
内容についても疑問があります。判決では、誰でも契約ができるなら公衆向けサービスという判断がなされていますが、だとすると、池田信夫さんが指摘するように、「不特定多数の加入できる通信はすべて公衆送信」となりかねません。
クラウドのサービスはみな自動公衆送信に当たり、コンテンツを活用・伝送するサービスは権利者のOKが必要となります。例えばぼくが他人のコンテンツ(記事など)を自分向けにクラウド上に蓄積・保存することはできなくなります。こうした司法判断が広がるなら、新しいサービスを開発する機運が削がれるでしょう。
それでも、そうした判断によって守られる社会的メリットが大きいなら意味はあります。でも、今回の場合、いったい誰が得をしているのでしょう。ユーザではありません。キー局も権利者も、自分たちの区域外への配信を止めているだけですから、ネットビジネスの拡大チャンスを潰すことはあっても、利益を守っているとは思えません。あるとすれば、キー局のサービスが地元ユーザに得られてしまうローカル放送局ですね。
それを守る経済社会メリットが問題になりますが、仮に守るメリットがあるとするならば、これもその解決策として著作権制度という使い勝手の悪い仕組みを使うのではなくて、地方局に対する不況対策などの産業政策を発動すればよいのです。
行政も立法も司法も、三権ともに頼りにできないという状況。困りました。でも、だとすれば、民間で問題を解決するしかない。問題は、民間の姿勢です。民間が機能不全の国を頼る限り、事態は進展せず、日本全体が沈没します。
ユーザの望む利用を止めることに司法コストや行政ロビイングのコストをかけるのではなく、ユーザが喜ぶサービスを生むことにコストをかけましょうよ。
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